Call my name 27
はじめは小さく、しかしだんだんと乱暴にドアを叩かれた。
泣き疲れてベッドのに入らないまま眠ってしまっていたオルガは何回も続くその音に眠りからようやく目覚めた。はじめは夢かと思ったがどうやら違うらしい。
オルガはぼんやりとした頭でドアの近くへよる。
一向に開こうとしないドアに痺れを切らしたのだろう、再びドアが揺れるほど叩かれた。この屋敷でそんなことをする人はいないので、オルガは少し不審に思いながらそっとドアノブを掴んだまま開いた。
「………………あ」
そしてすぐに閉めた。
暗闇の中で目の下にくまが濃い男が立っていて見下ろされた、気がする。
ごんごんごん、今まで一番強くドアを叩かれるとどうしたらいいかわからなくなる。
ドアノブを掴んだままのオルガの掌に、向こうでドアノブを掴んで回そうとしているのがはっきりと伝わってきた。オルガは反射的にドアノブを侵入者とは逆の方向に回してみたがその抵抗は虚しくドアノブがゆっくりと回り始める。
鍵がないので簡単に開かれてしまったドアの向こうに立っている男の顔を見て、オルガは自分が何やら都合のいい夢を見ているのだと思った。
目の前に立つ男にそっと手を伸ばしてみる。伸ばした手は確かな感触を伴って彼の胸元に当たった。固く暖かいそれを確かめるようにしてオルガは二回叩いた。
「………どうして帰ってこなかった」
とりあえずオルガにされるがままだったアイゼンが腹の底から響いてくるような声音で尋ねてきた。夢だと思ったのに突然喋り出したアイゼンにオルガは肩をすくめて、すっかり小さくなってしまった。
まさか、まさかという言葉がオルガの頭の中でぐるぐるする。
黙り込んだままのオルガにアイゼンは手を伸ばしてくる。アイゼンの指先が自分に届くより先にオルガは叫んでいた。
「どうして! ここへ来たのですか?」
くしゃりと顔を歪ませたオルガにアイゼンは目を細める。
「じゃあ逆に聞くが、お前はここへ来てほしくなかったのか?」
「……お姉さまは――?」
幼い子供のように姉の名を呼ぶオルガにアイゼンは少し困惑した様子で眉を潜めた。「ご両親のところへ向かった」
ぐっと両手を握りしめたまま立ち尽くすオルガにアイゼンは手を差し出した。
深い混乱に陥っている今のオルガに無理やり触れるのはよくない気がしたからだ。一定の距離をとって、だけど逃がさないように目を光らせる。
「それよりもう一度聞く。どうして、帰ってこなかった?」
アイゼンの一つ一つ区切ってゆっくりと問いかける声にオルガは固く目を閉じた。
そんなこと、どうして聞くのだろう。
オルガには選択する余地などなかった。言われるがまま、これまでずっと生きてきた。何の面白味もない人間にどうして彼はいつも意見を聞いてこようとするのだろうと急に腹立たしくなる。
どうして私を揺さぶろうとするのだろう。
見当違いな怒りだということはわかったが爆発しそうなそれに灰色のドレスの下の足がガクガクと産まれたての仔馬のように震える。
お願いだから、かき乱さないで。
下を向くとオルガの瞳に自分が来ている色気のない修道女が着るように質素なドレスが目に入る。
この姿が、自分の本当の姿なのだ。
アイゼンがくれた淡い色をしたドレスもキラキラと輝く香水の瓶も自分には何一つ相応しくない。汚らわしい、いらない、お前なんてと言われてずっと家へ閉じ込められ続けていた私に、彼は相応しくない――――――。
「おい、大丈夫か――?」
アイゼンの優しい声にオルガは首を横に振る。
相応しくないのは重々承知なのだ。
灰かぶりの私に、都会の王子様は似合わない。ここか、どこかの修道院で過ごし続けるのが、私の本当の未来。
彼の隣に私の姿は、ない―――。
だけどと、オルガは目の前で手を差し出し続けるアイゼンを見つめる。
今アイゼンが見つめているのは、なんということなのだろう。
この、私なのだ。
見つめられるだけで冷たいこの身体に熱が灯るのはなぜなのだろう。
強く、熱い瞳で見つめられると頭が真っ白になる。
してはいけない、ことを、願ってしまわずにはいられない。
「迎えに、来てほしくなかったか…?」
そんな、わけがない。
オルガは目元が熱くなるのを感じて、ぎゅっと胸元で手を重ねる。
望んでも、願ってもいいのだろうか。
たった一度の、この人生で最大の我儘を、言ってもしまってもいいのだろうか。
口下手な自分に呆れることなく何度も聞いてくれた、お前の気持ちはなんなのだと。今も彼はそう言って私に尋ねてくる。
お前の気持ちはどうなんだと。
動くことも喋ることもできずにいるオルガをアイゼンは真正面からしっかりと見つめた。彼女の本音を、あますことなく知ることができるようにと考えながら。
「お前から聞きたい。お前の願いだったら俺はなんだって叶えてやるから」
アイゼンのその真剣な瞳と言葉にオルガはごくりと喉を鳴らすと、そっとその指先に触れた。
わずかに触れた指先から彼の熱を感じると、更にその先を求めてしまう。
アイゼンはオルガの細い指先をそっと絡ませてきた。オルガはぐっと握りしめられた指先に「あっ」と思わず声を上げると、そのままアイゼンの腕の中に自らの意思で飛び込んでいった。
そうしてしまったらもう最後。離れることなんて出来るわけがなかった。