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Call my name  作者: 森彩子
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Call my name 23


 翌日、オルガは自分が生まれ育った屋敷に戻ってきていた。

滑りの悪いドアが音を立てて開かれるとそこには父の姿があった。

アイゼンが作ってくれたラベンダー色のドレスを広げながら頭を下げると、父は一つ頷いて見せた。

「オルガ、これまで苦労をかけたな―――」

 ねぎらいの言葉をかけられたオルガはその優しい言葉に涙が出てくるのを止めることが出来なかった。突然泣きだした娘に父は動揺した様子でオルガを連れ帰ってきた男に目を向ける。

 昨日から壊れたままの涙腺を恥ずかしく思い、オルガは慌てて頭を横に振りながらなんでもないと口にする。オルガのその言葉にとりあえず納得してみせた父は屋敷へと入るようにオルガを促す。

 屋敷へ入る前にオルガは一度振りかえると、閉じられるドアの向こうの景色を焼き付けるようにしてじっと見つめるのだった。

 イネスのいる部屋には鍵がつけられていた。

父が銀の鍵を回すのをオルガはじっと見つめる。父にあったとたんに罵倒されても仕方がないと思っていたが、むしろ労われるなんて―――。イネスは、オルガが提案した今回の脱走劇の真相を誰にも告げていないらしい。

 開かれたドアの向こうにオルガはフラフラと足を踏み入れる。

カーテンが閉められた暗い部屋の中にイネスはいた。ベッドの上に俯きながら座りこんでいたイネスは開かれたドアにのろのろと顔をあげると同時にオルガの姿を見つけて目を見開く。オルガは後ろで音を立てて閉じられたドアをほんの少し名残惜しげに見つめたがすぐに振りきるようにしてイネスに近づく。

「………お姉さま――――」

「オルガ――――」

 数か月ぶりにあった姉妹は互いを固く抱きしめあった。

「その髪は?」

「切って売った」

 あっけらかんと言った姉に思わず脱力してしまう。

オルガはイネスに抱きついたままずるずるとベッドの上に横たわった。

「どうして………?」

「街を歩いていたら見つかった。お前のところにも使者として行った見慣れない奴がいただろう? お父様はどうやら優秀な者を雇ったらしいな―――」

 横たわりながらこうして話しているとあの日の事を思い出した。

オルガがイネスになり、イネスが逃げるようにして家を飛び出したあの日を。

イネスも同じく思いだしていたのだろう、少し疲れたようにほほ笑んでいた。

「振り出しに戻ってしまったな」

「ええ、そうですね」

 何がおかしいのかわからないが、二人で少しの間笑い続ける。そうして気が済むと、二人は顔を突き合わせて声を潜める。

「私が提案したことだって言ってないのね」

「言ってないよ。提案したのは確かにお前だが、それを実行すると決めたのは私だからな」

 まだ少し腫れているイネスの頬にそっと手を伸ばしながら、オルガは「ごめんなさい」と謝った。そんなオルガにイネスは首を横に振りながら髪に手を伸ばしてくる。

「気にするな。と、いい香りがするな。お前にしては珍しい。何か香水でもつけているのか?」

 イネスのその言葉にオルガは今朝この香水をつけた時のアイゼンを思い出す。鼻の奥がツンとしたが、オルガはそれを必死で耐えた。

「ええ。あの人が、くれたの」

 オルガは小さなバックから取り出すと、それをイネスの手の中に握り込めさせた。無理やり渡された香水瓶にイネスは困惑を隠しきれない表情で香水瓶とオルガの顔を見つめる。

「これはイネスに渡されたものだから―――」

「でもこれを受け取ったのは私ではない」

 姉の言葉にオルガは首を振ると、自分の髪から匂いが漂うのがわかった。今朝アイゼンが梳いてくれた髪に手を触れぐっと握り締める。

 父に言われたのだ。この数カ月のうちにあったことをイネスに全て教えるようにと。

オルガは震える声でこの数カ月のことを、アイゼンの事を語り始めた。

「お姉さま、お父様から聞きましたでしょう?」

「……ああ」

「あちらで知り合った方の名前や、起こった出来事、そしてあの人の事を教えるから―――」

 しっかり覚えて下さいね、というのは愚門だった。姉はそんな事を言わなくても大抵の事は一度聞いただけで理解してしまうのだから。

「アイゼン様はね、口は悪いし、最初は怖い人だなって思っていたのだけど―――話してみたら案外楽しい方だったわ。欲しいものは何かってよく聞いてくるんだけど、それに答えなかったら答えなかったで、あの人なりに考えたものを押し付けてくるからその時は素直に受け取ってあげて。そうしないといい大人の男の人だっていうのにすねて後々めんどくさいことになるから。それに、あと、くまがひどいから解かりづらいのだけど、ちゃんと寝てるか確認してあげて。あと―――時々すごくうざったいと思うかもしれないけど、基本こちらが本気で嫌なことはしてこないから、断固とした態度で拒否したら大丈夫だと思う」

 アイゼンの事を思い出しながらオルガは続ける。

「レイモンドっていう会社の人がいて、その人と仲がいいわ。―――最近お酒を飲みすぎた日があって禁酒中だから間違ってもお酒を勧めるようなことはしないでね。あと、最近一段とスキンシップが激しくなってきてたけど、仕方ないから受け入れてあげて。さっきも行ったけど、本当に嫌なことはしてこないから。後…頭のいい女性が好きだと言っていたからその点はイネスだったら大丈夫だと思う。少し口答えするぐらいが楽しいみたい。だからと言って突然博識なったらあっちも疑うと思うから――」

 話の途中で突然イネスがオルガの肩を抱き寄せた。オルガはアイゼンに何度もこうして少し強引に抱き寄せられた事を思いだして肩を震わせた。強引だけど、彼の腕の中は暖かくて心地よかったのだ。本当に。

「それで―――?」

 優しく促したイネスに頷きながらオルガは唇を震わせる。

「時々ね、子供っぽくって意地悪な事をしてきたりするけど嫌いにならないであげて―――」

 イネスがそっとオルガの頬をぬぐう。そこではじめてオルガは自分が泣いていることに気がついた。恥ずかしくなったオルガをイネスは抱き寄せる。

「………好きだった?」

 イネスにそう耳元で囁かれてオルガは顔を上げる。信じられないという顔をするオルガにイネスはほほ笑んだ。

「そんな、そんなことないわ」

「ならどうして泣く?」

「それは」

「会えないと思うと辛いのだろう、そんなに泣いて―――」

 痛ましげに瞳を伏せるイネスを見るともう耐えきれなくなって、オルガはその胸に飛び込んだ。

「そんなことないわ! 私は、別にあの人のことなんて」

「どうでもいい人を思って普通泣く?」

 ふふっと意地悪げに笑う姉を恨めしげに睨む。

「でも、だからって、どうしたらいいの―――?」

 そう言って泣き続けるオルガを慰めるようにしてイネスは更に抱き寄せる。

「ねえオルガ。こんなことがまかり通るとお前は本当に思ってる?」

 イネスの静かな問いかけにオルガは顔を上げる。

 こんなこと、とは?

出来の悪い生徒であるオルガにイネスは仕方ないなと笑うと、オルガの頭をそっと撫でた。

「いいから、お前はここで少し待ってなさい。後は私と―――お前の少し歳を食った王子様が頑張るよ―――」



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