Call my name 21
「イネス! ああ―――っ」
ベッドから身を乗り出してこちらに手を伸ばす母の姿にイネスは胸が痛んだ。すっかり細くなってしまったその指先におずおずと自分の指先を絡める。とたんにふっと泣きそうにほほ笑んだ母はイネスの頭を掴んで引き寄せる。
「髪を、切ったのね」
「………はい」
切った髪を売ってお金にしたと告げたら母は泣くだろうか。イネスは黙ったまま怪我はないかと体中を触り確認し続ける母を黙ったまま受け入れ続ける。
「その頬は?」
赤く腫れあがった頬にそっと触られるとピリリとした痛みが走った。
「……お父様に」
その答えに「かわいそうに」と言って抱き寄せられると、イネスはその場で泣きだしたいような気持ちになったが必死でこらえた。
「もう何も言わないで……どこにも行かないでね」
すっかりとやせ衰えてしまった母の目が欄々と光っている。―――イネスはそれを見つめながらただ頷き返すことしか出来なかった。
「ああ。本当に、ずっと心配していたのよ―――」
オルガは突然の訪問者を前にして思ったより落ち着いた心境だった。
目の前で慣れない様子でお辞儀をする雨に濡れた使者は父からのものだった。
執事から受け取ったタオルで申し訳ない程度に身体を拭きとると男はすぐに本題に入る。
結婚を前にして父に言われていたことがあった。
それはイネスが事で何かわかったことがあったらすぐに知らせると言うこと。
男の鋭い視線に、ついにその時が来たのだということがすぐにわかった。
「二人だけに、してください」
ざわつく胸を抑えながら執事にそう命令する。決して、誰にも聞かれてはならないから。
部屋に二人きりになるとオルガは椅子に座らずに窓際に寄った。夜が更けてきて暗い木々に大粒の雨がぶつかっているのを暗い瞳で見つめがら無言の使者をそっと促す。
「………見つかりました」
使者は雨音にかき消されそうな声量で、ただ一言簡潔に申し上げた。
―――その言葉が全てだった。
オルガの役目が、嘘がついに終わってしまった。オルガは安堵と失望、その両方に苛まれ萎えた足が崩れ落ちそうになるのを窓枠を掴みながら必死で支えた。イネスが捕まったという最悪の結末と、この生活が終わってしまうことに少しの寂しさを覚えた自分を叱咤しながら使者に目を向ける。
「いつ、そちらに?」
「すぐにでも、とのことです」
使者の言葉に更に荒れだし始めた空を再び見上げる。
「今日はこちらに泊まっていくといいわ―――。雷にでもあったりしたら大変ですもの」
オルガの親切に使者は頭を下げる。………そのまま一向にあげようとしない男の後頭部をオルガは冷たい目でただただ見下ろし続けた。