Call my name 20
朝言った帰宅の時間を大幅に超えて帰ってきたアイゼンはオルガの腰に当たり前のようにして手を回してきた。
まだ周りに人がいるのに帰ってそうそうにベタベタしてきた図体のでかい男を引きずって無言のまま居間へと向かう。ひっついたままの彼を無視したままソファーに腰かけると当たり前のようにしてアイゼンも隣に座りこむ。
「夕食は、どうしますか?」
「ここで食べる」
帰って早々いちゃつきはじめた二人の後ろに気まずそうに立っていた侍女がその言葉に幸いと、ほっとした様子で立ち去っていく。
二人だけになったとたんに身体を更に寄せてくるアイゼンにオルガはいら立った。
一個許せばどんどん付け込んできやがる。
オルガは心の中でそう口汚くののしりながら近づいてきた唇を掌で遮る。何か言いたげな様子なアイゼンの視線は全部無視した。
今日のアイゼンは少しお酒臭かった。
こうしていてわかるくらいだから、相当飲んだのだろう。
「お酒を、飲んでこられたみたいですね」
「レイモンドに誘われてね」
「……ずいぶんと仲が良いのですね」
「ああ。あいつもとは仕事以前、学校からの友達なんだ………」
最後はふにゃふにゃと消えた言葉に、オルガは抵抗を続けながらも生真面目に頷き返した。
少し遅かった帰宅の理由はそれか―――。
今度は掌に吸いついてきたアイゼンを押しのけて立ち上がった。
酔っ払いには付き合いきれない。
恥ずかしさと鬱陶しさに耐えきれなくなったオルガがアイゼンを無視して立ち去ろうとすると手を掴まれた。
「あまり、触らないでください」
ピリピリとした空気を精一杯出しているつもりなのだが、酔いがまわったアイゼンには残念なことに伝わらない。
「俺たちは夫婦なんだから触らないではないだろう。触らないでは―――」
「―――だからと言って……節度というものがあります」
アイゼンのその言葉に少し考えこんでしまったオルガだったが騙されることはなかった。人前で抱き着くのはいくらなんでもマナー違反だろう。家の中ならまだしも、調子にのると止まらないたぐいの人間であるアイゼンのことだ。これを許すと、ここぞとばかりに外でも抱き着いてくるようになってしまうかもしれない。
オルガは今日何気なく手に取り読んだばかりの犬のしつけ本を思いだすと断固たる決意を持ってアイゼンを拒否した。
きっとした表情で正論を述べるオルガを、だらしなく両腕をソファーに投げ出したアイゼンが窺う。
「………二人っきりなら、何をしてもいいんだな」
極論だ、とオルガは疲れたようにして首を横にふった。
「だってそういうことなんだろう? それに俺たちは夫婦なんだから、な!」
何が楽しいのかさっぱりわからないがその後一人で笑いはじめたアイゼンを不気味に思ったオルガは思わず後ろに身を引いた。手は掴まれたままだったのでそれ以上離れることは出来なかったが、それでも少しはましだった。
今日はどうやら相当楽しかったらしい。
結婚してからは毎日仕事が終わったらすぐ家に帰るという真面目な生活を送っていたアイゼン。食事の時のワインや寝る前のブランデーもたしなむ程度だったので、ここまで酔ってる姿を今まで一度もなかった。
オルガは初めて見る酔っ払いの姿とその対処法に頭を悩ませたのだったが、そんなことを当の本人が汲み取ってくれるわけもない。
だらしなく横たわったまま今にも寝てしまいそうなアイゼンに嫌々声をかける。
「夕食を食べるのでしょう?」
このまま寝てしまったら用意させているものが無駄になってしまう。
もったいないではないか、そう思ったオルガはアイゼンの肩を揺らした。
「ううっ……」
とても気持ち良い状態だったのだろう。うとうとし始めていたところを邪魔されたアイゼンは掴んだままだったオルガの手首に顔を近づけると、そのまま鼻を寄せてきた。それは前に一度見たことがあった光景だった。オルガは手首に口づけされそうになりなっていることに気がつくとぴしりと固まってしまった。
むにゃむにゃ言いながら頬ずりをしてくるアイゼンにわなわなと身体が震えだす。
「やめてください!」
思わず悲鳴混じりに叫んだ瞬間、部屋の扉が開かれた。
誰もいないと思っていたのだろう。いつもより音を立てて雑に開けられた扉に目を向けるとそこにはリリアの姿があった。
いつも通り二人は食堂へ向かったと思っていたのだろう。特にノックもせずに現れたリリアは目の前の現状に数秒固まってから一気に爆発した。
「あっ、あっ、ああのっ、あだし、す、みませんでした!! 」
回らない口で必死に謝りながら慌ただしく立ち去ったリリアにオルガはどっと疲れて絨毯の上に座りこんでしまった。
それでもまだ手を離そうとしないアイゼンに、無理な体勢を強いられたオルガはソファー越しに「痛いから離して―――」と哀願した。
すると数秒の間を置いてようやく解放された手を胸元まで持ってくると労わるようにさすりあげた。
とりあえずはよかった、オルガはため息をつく。
(すごく、疲れた―――)
座りこんだまま一向に動こうとしないオルガをさすがに心配になったのか、ソファーの上からアイゼンが覗きこんでくる。酔っぱらって真っ赤になったその顔を見て、オルガは呆れたように笑うことしかできなかった。