Call my name 19
隣を歩くレイモンドがこちらに視線を向けてくる。
からかうような、何か言いたげなその視線に今日一日ずっと晒され続けていたアイゼンは今日何度目かの舌打ちをする。
「何かいいことでもあったんですか?」
「あったとしてもお前には言わない」
「あー実はですね、アネットから聞いちゃった」
痺れを切らしたレイモンドの言葉にアイゼンは少し驚いた。
まさか、そんなことまでアネットに喋っているの、いや親しい友人が出来たという点では喜ばしい限りだがこの調子だと全てがこのやっかいな夫婦に筒抜けということで………弱みを見せたくないと、アイゼンは難しい顔をした。
「ひさびさのチューどうだった?」
ちなみに俺は毎朝アネットからしてもらってるもんねーというレイモンドの余計な自慢を右から左に聞き流しながら(羨ましいわけではない、断じて違う)吐き捨てる。
「最高」
珍しく素直なアイゼンにレイモンドは目を見開いたが、数秒後には満面の笑みを浮かべて肩に手をまわしてくる。
「いやーあてられますなー。どうですか? 今夜いっぱい?」
「いらん。帰る」
「えー………、いいもん。俺だってアネットといちゃつくし」
そう言って口を膨らますレイモンドにアイゼンは苦笑しながら顎を掴み上げた。
「天下の往来だ。離れろ」
「ひっ、どぅ~い」
顔を変形させながら更に近寄ってこようとするレイモンドを押しのけながらさっさと歩きだす。そのすぐ後を痛む顎をさすりながら追いかけていくレイモンド。
そんな平和な二人を人ゴミの中からハンチング帽をかぶった少年がずっと見つめていた。そんなことを知るよしもない二人は慌ただしく去って行ってしまう。
少年は帽子の下から深い海色の瞳を覗かせながら少し荒れた唇を震わせる。
「アイゼン・ラッド―――。……オルガ」
自然と呼んでしまっていた自分の片割れを思いながらフラフラと歩き始めると、突然後ろから腕を強く掴まれた。叫ぶよりも早く、口元を抑えられてしまったので射殺しそうな勢いで後ろから自分を力づくで抑えづけようとする男に目を向ける。子供や女を狙う人攫いのたぐいかと思ったが、後ろを向くと黒い外套を着た背の高い男の姿があった。
人攫いとは思えない上等な外套が目に入り動きを止める。動きを止めたイネスを見て、力づくで抑えこもうとしていたその腕から力が抜ける。その隙をついて逃れることも考えたが、こちらを確認するようにして見る黒い瞳には隙がなかったので諦めざるをえない。
その視線から逃れるようにして下を向くと顎を掴まれて無理やり上を向かされる。
「イネス様、ですね」
確信に満ちた物言いにイネスはぐっと唇をかみしめる。
男はそんなイネスもなんのそので短く切りそろえられた髪を見てため息をついた。
「ご両親はさぞ嘆かれるでしょうね」
ぼそりと独り言のように呟いた男の言葉にイネスはこの男が自分を探すために両親が雇った追手だということを理解する。
「母親が心労で倒れたぞ」
ついにこの時が来たかと抵抗する気もうせたイネスに男は更に続ける。わかっていたことであったが、改めて言われると深い後悔に襲われる。男はイネスの表情の変化にすぐに気がついたのだろう。能面みたいな顔に初めて感情らしきものを乗せて嘲笑った。
「妹を身代わりにして得た自由はどうでしたか?」
「………最悪よ」
吐き捨てたイネスに男は鼻で笑うと、近くの馬車に押し込むのだった。