Call my name 16
私室にいなかったのでたぶんここだろうと思いながらノックをすると中からイネスの柔らかい声が返ってくる。
ドアを開けるとイネスは日当たりのよい小さめのソファーに腰かけながら静かに本のページをめくっていた。アイゼンは一枚絵のようなそれを少し眺めてから彼女に近寄ると隣に積み重ねていた本をどけて隣に座り込んだ。
「どうしたました?」
「暇なんだ」
「そう、なのですか………」
こちらは暇ではないのでとこちらに見向きもしないイネスにむっとしたアイゼンはその手の中の本を無理やりとり上げた。
「………子供みたいですね」
「そうだ。男はいつだって子供なんだ」
少し気恥ずかしさを覚えながらも開き直ったアイゼンにイネスは諦めたようにため息をついた。それを見てアイゼンは悪戯に成功した子供のように笑うと、イネスの手を取って今日はどこかへ出かけようと誘うのだった。
アイゼンに手を引っ張られてよく若者が集まるという場所に向かうと、そこには色とりどりのドレスが壁一面にずらりと赤から青紫といったように掛けられている店だった。その店意外にも靴屋や帽子屋とあれこれ連れまわされたオルガはようやくついたカフェで外に設けられた席に座りながら痛くなった足の指先をドレスの下でぐりぐりと回していた。
目の前に座るアイゼンはこんな仏頂面の女を見て一体何が楽しいのだろうか。
機嫌のいいアイゼンに落ち着かない気持ちになったオルガはアイゼンが勝手に注文したプリンを突いた。
「楽しいですか?」
先ほど着せ替え人形のようにして様々な服や靴を試着させられたことを思い出したオルガはうろんな目でアイゼンを見つめる。そんなオルガの視線を軽く流してアイゼンはあっさり頷いてそれを認めた。
「ああ。大きい人形を手に入れたみたいでとても楽しい。姉や妹たちが人形遊びに夢中になっていた理由をこの年になってようやくわかった気がするよ」
そういって紅茶を流し込むアイゼンに、オルガはふと疑問を抱いた。
「この年って―――そう言えば何歳なのですか?」
結婚してから早数ヶ月―――。
ようやく新妻の口から自分の年齢を尋ねられたアイゼンは一瞬打ちひしがれそうになった気持ちを抑えて無理やりほほ笑む。
これは夫に興味を持ち始めたということだ。
―――そんなことも知らなかったのかという思いは置いておいて、いい傾向だと思おう。すごくプラス思考にアイゼンはそうやって自分をむりくり納得させた。
「何歳だと思う?」
とたんにオルガはめんどくさいという感情をおもいきり隠さずに表情に出した。
対するアイゼンも一体どこのめんどくさい女だと思いながらも、一度発してしまったセリフはもう戻せないで促すことしかできない。
「…………30」
オルガが予想を言うとアイゼンは明らかに不機嫌になった。
そうなるのなら、最初から素直に答えてくれていたらよかったのに。そう思ったオルガに気がついているのかいないのか、アイゼンは苦虫をつぶしたような表情になった。
「………そこまでいってない」
「じゃあ何歳なのですか?」
「27」
「――別に変らないじゃないですか」
オルガのその言葉にアイゼンは心外だと言わんばかりにもう反発してきた。
「3歳違うんだ。だいぶ違うぞ」
「そうですか?」
「イネスが、今の俺くらいの歳になったらわかる」
「あと10年くらいですね」
楽しみです。そう言ってオルガがプリンを口にして明後日の方をむくと、目の前のアイゼンが恨めしげに見てくる。それを横目で確認しながら新たに運ばれてきた珍しいオレンジのケーキに視線を移しながら考える。
10年後、ね。10年後もこうして彼と一緒にいるのかしら。そこまで偽り続けなければならないのだろうか………。
数か月しかたっていないと言うのに、すでに嘘をつき続けることに疲れはじめてきたオルガは10年というはかりしれない、自分が生きてきた時間の半分より長い時間を思っておもわずため息をつくのだった。