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Call my name  作者: 森彩子
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Call my name 13





 翌日摘みたての花からとれた香料の香りを簡単な蒸留機を使って確認し終わったアイゼンは図々しいと思いながらも再びイネスの家へと戻ってきていた。

 ここへ来る前にとっておいた宿へ予定通り泊ろうと思ったのだが、今朝出る時にリーグが今夜もこの家へ泊まればいいと親切に言ってくれたので、それを断る理由もないアイゼンは素直にその提案を受け入れることにしたのだ。

仕事を終え帰ってきたアイゼンに執事は仰々しいほどに頭を下げた。

「ここで出来る仕事は終わったので早めに家へ帰ろうと思う」

「そうですか」

「……その前に、アウラ様に一度ご挨拶したのだが―――」

アイゼンは執事の顔色をうかがいながら慎重に口を開いた。

 ここに来てからまだ一度もアウラの姿を見ていない。

いくら娘婿だからと言って寝室で横たわっている状態である女性の部屋にずかずかと入りこんでいくのはどうなのかと思ったので、慎重な態度をとらざる得なかった。

そこまで悪いというならいつまでも知らないふりはさすがに出来ない。

今日一日どうしたらいいのかと迷ったが、一度くらい顔を見せてすぐに退散すればあまり面識の無い娘婿の務めは果たすことになるだろうと言う結論に至った。それに直接確かめることによって、家で待つイネスに伝えるべきかどうかも自分で判断することができるだろう。

イネスをあまり煩わせたくない。大したことがないのなら別に言わなくてもいいだろう。でも、もし大したことがあるのなら、後悔しないようにさせなくてはならない。

アイゼンはそれをちゃんと自分の目で見極めるためだと自分に言い聞かせながら執事の返事を待った。

 アイゼンの申し出にこれまで一度も顔色を変えることがなかった優秀な執事は珍しいことに少し間を置いてから小さく頷いた。

「旦那様に聞いてまいりますので、少々お待ちいただけますでしょうか?」

「あっ、ああ。もちろん無理にとは言いません」

アイゼンは思わず丁寧に返すと執事はリーグに許可をとるために早々に立ち去って行ってしまった。

 その後リーグの許可を得たアイゼンはリーグと共にアウラの元へと向かうことになった。

寝台の上に横たわっているアウラは未だ眠りについているらしく、薄い胸をわずかに上下しているのがわからなければ出来のいい等身大の人形のようなありさまだった。

真っ白な顔をしたアウラを見てアイゼンは痛ましげに眉を顰める。

「もともと、身体が丈夫な方ではなかったものでね………」

 リーグは落ちてきたアウラの前髪を起こさないようにと慎重に撫で上げながら、お恥ずかしいと言葉を続ける。

リーグの指先が触れたことにより死んだように眠っていたアウラの眉に苦悶の皺が刻み込まれる。アウラは頭を左右に少し揺らしてから、ゆるゆると瞳を開けた。

「………イネスは?」

揺れる瞳で目の前のリーグを見つめながら、熱に浮かされたように視線がさまよう。

リーグはアウラの血管の浮いた手を握りながら宥めるようにしてそっとさすった。

「イネスは、早く、イネス………」

それは一瞬の夢のようなものだったらしい。

うわ言のように娘の名を呼んだアウラはリーグの宥めるような指先に落ち着いたらしく覚醒した時と同じようにして瞳を再び閉じた。

アイゼンはそれを後ろで見ていたのだがそっと目を逸らす。これ以上は見ていられる自信がなかったのだ。

お世辞でも、アウラの身体がいいとは言えない。見てしまったからには伝えるしかない。

 面会が終わったあとでアイゼンはすぐにリーグに励ますように声をかけた。

「イネスを連れてきますよ」

 誰もイネスをこちらへよこさないとは言っていたのだ。あれだけ憔悴しきっているアウラの姿を見てしまってからは無視することもできない。

その言葉に喜んでくれると思ったのだが、リーグの表情は一向に浮かない。

「別に新婚早々に妻が家に帰るぐらい私はなんとも思いませんよ。言いたい人間には言わせておけばいいのです」

妻に逃げられたと笑われてもかまない。そう言い切ったアイゼンにリーグは不格好にほほ笑みながら「ありがとう」とだけ言うとそれ以上何も言わずにアイゼンを置いて去って行ってしまった。

残されたアイゼンはそれ以上何かをいうこともできなかったので、一人寂しく廊下に立ちつくすことしかできなかった。

なにか、まずいことでも言ってしまったのだろうか。

いやそんなことはない。娘の婿として、義理の息子として、人として自分は真っ当な判断を下したはずだ。

それなのに―――よくわからないとぐるぐる考え初めてしまったアイゼンはしばらく立ち尽くしてから、これ以上は無理だと手をあげた。

アウラからうつってしまったのだろうか、深くよって痕になってしまった皺を指先で伸ばしながらふと外に目を向けると中庭が目に入った。暗いこの屋敷の中で唯一太陽の陽が降り注ぐ場所。それなりの広さを持つ中庭は紫に染まっていた。

 昨日聞いた執事の言葉を思い起こしながら、紫一色の庭に目を向ける。

見事だがどこか寂しい想いにかられる。ひどく感傷的になる一面が紫に染まった風景だった。

イネスはこの物悲しい場所で一人で遊んでいたのだろうか、そう思うとアイゼンは、彼女はすでにここにいないと言うのに中庭に飛び出していきたい気持ちになった。

広く暗い屋敷の唯一日の当たるこの場所で一人寂しく花を摘む細い肩の少女。

そんなのを見てしまい、しかもそれが自分の妻だというのなら抱きしめたくなるのは当然だろう。

そんなこと出来もしないというのに、すでにもう過ぎ去ってしまった過去を想像しながらアイゼンはもう誰もいない中庭に出る方法を聞くために使用人を探し始めるのだった。




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