第二章:襲撃
翌朝―――
7月25日、金曜日、午前11時50分。
一昨日に梅雨明けした福島市内の空は快晴であり、一点の曇りもない。
藤村は鞘多から指定された通り、福島市内の第五銀行福島支店の脇にある駐車場に来ていた。
藤村は辺りをぐるりと見渡したが、どうやら、まだ泉と鞘多は来ていないようだった。
第五銀行は、福島県郡山市に本店を置く地方銀行である。
福島県におけるリーディングバンクとして強固な経営地盤を持ち、街の人達からは「第五」の愛称で親しまれている、福島県内では非常に有名な銀行である。
鞘多が襲う予定のこの第五銀行福島支店は郡山の本店に次いで規模が大きく、二階建ての建物から成り、鞘多達の通う大学から北に歩いて10分の場所に位置するため、学生たちの利用率も非常に高い。
現に、今も多くの学生が銀行内にせわしなく出入りしている。
藤村は、出来ることなら知り合いに会いたくはないと願っていたが、先ほどから多くの学生やOL風の女性、老人、主婦など、様々な職種の人間が銀行内に出入りしているのを見て、すぐにその楽観的希望は頭から消え去った。
これだけ多くの人間が利用しているのだから、恐らくは人質になる予定の客の中には自分の知り合いも何人かはいるだろうと感じたからだ。
もし、人質の中に知り合いがいたらどうしようか。
『やあ、君も人質になっちゃったのかい?奇遇だね』なんて話しかけようかと思ったが、想像するとどこか可笑しさを感じたので、やめた。
まあ、出会ったら出会ったで、それとなくやり過ごせば大丈夫だろうと、藤村は腹をくくった。
うだるような暑さの中、藤村は泉と鞘多を待ち続け、15分ほど経過したところで泉がやってきた。
泉は、藤村を見つけると笑顔を浮かべて小走りで駆け寄ってくる。
彼女はお気に入りの淡い水色のワンピースを着こなし、右手には高校生の時に使用していた学校指定の手提げ鞄が握られていた
肩まで届く滑らかな黒髪と、ワンピースの淡い水色のコントラストがなんとも絶妙であり、それが彼女の可愛らしさを一層引き立てていた。
現に、彼女とすれ違った男性の何人かは、彼女の可愛らしさに思わず後ろを振り返っていた。
藤村は、そんな彼女と付き合っていることにどこか優越感と、ある種の誇りを持っていた。
「ごめん!ちょっと化粧に時間が掛っちゃって・・・」
彼女はそういうと、暑さで紅潮した頬を冷ますために、左手でパタパタと顔を仰ぐ。
額には、じんわりと汗が滲み出ており、前髪の一部が額にぺったりと張り付いていた。
その様子が何とも言えない色香を醸しだしており、思わず藤村はごくり、と、唾を飲み込む。
「いや、いいよ。俺も今来たところだから」
藤村はそういうと彼女の鞄を代わりに持つ。鞄は意外と重く、中に入ってるのが何なのか藤村にすぐ検討がついた。
「これ、ビデオカメラが入ってるのか?」
「うん、ちゃんと充電してきたから電池切れは大丈夫。一応充電器も持ってきたよ」
「助かったよ。俺ビデオカメラ持ってなかったんだよな」
「え?持ってないのに来てくれたの?」
「そりゃあ・・・な」
自分の大切な彼女一人を危険な目に会わせるなど、藤村のプライドが許さなかった。
大体、鞘多は『安全だから』と言っていたが、彼がこれからやることはれっきとした犯罪なのだ。
警察だってそれなりの対応をしてくるだろうし、人質になんらかの被害が及ばないということは保障されないと、藤村は考えていた。
「しっかし鞘多の奴、おせーな」
「そうだねぇ・・・」
藤村の腕時計の針は、12時20分を過ぎていた。
「・・・まさか、またいつもの冗談だったのか?」
「う~ん・・・鞘多君本気だと思ったんだけどなぁ。私の考えすぎだったのかな?」
「とりあえず、30分にもなって来ないようだったら電話するか」
「そうだね・・・って、藤村君、あれ」
「ん?」
藤村が泉の指差した方向を見ると、道路を挟んだ向かい側の歩道を、怪しげな人物が歩いているのが目に映った。
体格から察するに男だろうか。
黒のフルフェィスヘルメットを被り、上下共にピッチリとした黒のライダースーツを身に纏い、緑色のバックパックを背負っていた。
男は、駐車場にいる藤村と泉の姿を見つけると、信号を渡って彼らの元へ走ってきた。
思わず身構える藤村と泉だったが、次に男の発した声に胸を撫で下ろした。
「よお!藤村、泉、来てくれてありがとな」
ヘルメット越しなので少しくぐもって聞こえるが、間違いなく鞘多の声だった。
「えーと・・・鞘多・・・?」
「おう!悪ィな。少々準備に手間取っちまった」
「いや、それはいいんだけど・・・なんだよその格好は。明らかに変質者じゃねぇか」
「変質者とは失礼だな。これは俺が考えた『銀行強盗の正装』だ」
胸を張って、意気揚々と答える鞘多。しかし、藤村にとっては、彼の服装以上に彼が背負っている緑色の大きなバッグパックが気になっていた。
「そのバッグ。何が入ってるんだ?」
「ああ、これか?そうだな、段取りの説明ついでに教えておいてやろう」
そういうと鞘多は地面にバッグを下し、ごそごそと中を漁り始めた。
藤村が中を覗きこむと、ロープやら、ガムテープやら、ハサミやら、人質を拘束するための道具が入っていた。
だが、鞘多が用意したのはそれだけではなかった。
おもむろに鞘多がバッグから取り出したのは―――一丁の回転式拳銃だった。
鉛色の銃身が太陽の光を浴びてキラキラと輝いている。
しかし、それとは対照的に、拳銃を見た藤村と泉は血相を変えて呟いた。
「ちょ・・・お前なんて物を・・・」
「さ、鞘多君・・・」
恐怖に顔を染める二人を、きょとんとした表情で鞘多が見つめる。
「どうした二人とも。そんな怖い顔して・・・」
「どうしたもこうしたもあるか!なんて物を持ってきてるんだよお前!そんな物騒な物持ち出してくるなよ!てかなんでそんな物持ってんだ!?」
大声でまくし立てる藤村を、泉が宥める。
「藤村君、落ち着いてよ・・・」
「そうだぞ藤村。こんな人通りの多い場所で大声を上げたら目立っちまうぞ。大丈夫だ。実弾は一発しか入ってないからな」
そういうと鞘多は、道行く人の群れに背を向けて、拳銃の弾倉部分を開けて中を見せた。
確かに、『レンコン』と呼ばれる6つの穴が空いてある弾倉の内、実弾が装填されているのは一か所だけだった。
「確かに一発だけだな・・・って!そういう問題じゃないんだよ!」
「まぁまぁ心配するな。これは威嚇用だ。人に向けて撃つわけじゃない」
「鞘多君、それ、どうやって手に入れたの?」
興味津津といった感じで泉が尋ねる。
「まあ・・・そういう『店』でな。手に入れたんだ。高かったんだぜ?これ」
「そもそもお前、威嚇用に持ってきたとか言うけどな、まともに撃てるのかよ?」
「ああ、ちょいと前に韓国に旅行した際に、射撃場で練習したんだ。あの国ってすげーのな。金払えば一般人でも実弾射撃を許可してくれるんだぜ?」
「ああ、そうなの」
藤村はあきれた声を出す一方、まさか鞘多がここまで準備してくるとは思わなった。
どうやら、昨夜の泉の発言通り、鞘多は本気で銀行強盗をやる予定らしい。
「あ、ところでビデオカメラは持ってきたよな?」
「俺は持ってきてないぜ。持ってきたのは泉だけだ」
藤村は、泉から預かったバッグの中身を鞘多に見せる。
ごく普通のビデオカメラが入っていた。
「一応充電器も持ってきたから電池切れは心配してなくても大丈夫だよ」
「そうか。まあいいだろう。それじゃあ前置きが長くなったが、これからの段取りを説明させてもらうぞ」
そういうと、鞘多は拳銃をバッグパックの中に戻し、コホンと咳払いをして話し始めた。
「まず、最初にお前たち二人が銀行内に入ってから5分後に俺が中に入る。で、カウンターに近づいたところでさっきの拳銃を取り出して、俺がこう言うんだ。『全員、動くなッ!』ってな。で、威嚇の為に天井に向けて銃弾を発射する。その後、俺は行員に金をバッグに詰めるように指示して、入口のシャッターを行員に降ろさせて警察に連絡を入れるように指示する。その後、俺は警察に現金一億円を用意するように脅迫して、明日の午前10時に警察に投降する。その間、泉はビデオカメラで店内の様子を映してくれ。撮影のタイミングは俺が指示するからな」
「わかったわ」
「ずいぶんと細かいな」
「あ、分かってるとは思うが、銀行内では俺とお前たちは他人同士っていう設定だからな。くれぐれも名前で呼んだりするなよ」
「分かったよ・・・って・・・」
「ん?」
藤村がなんとなく鞘多の下半身に目をやると、なんと驚いたことに鞘多の股間の『アレ』がぷっくりと膨らんでいた。
「鞘多・・・お前・・・」
「鞘多君って・・・変態さんだったんだ・・・」
呆れた声で親友の顔を見つめる藤村。
少し照れたような顔をして、思わず目を背ける泉。
鞘多はそんな二人を見ると、慌てて訂正した。
「ちげーよ!これは生理現象なんかじゃねーよ!股間が膨らんでるのは『お守り』をここに張り付けてるるからだよ!」
「・・・お守りだぁ?」
「そう!お守りだ!昨日の夕方に百円ショップで購入してきたんだ。『どうか今回の銀行強盗が成功し、無事に刑務所に収監されますように』って願いを叶えるためにな!」
「・・・なんでわざわざ股間に張り付けるんだよ。このド変態」
「そこしか身につける場所がねーんだよ!ああ!もう!いいからさっさと銀行に入れよ!」
鞘多はしっしっと、野良犬を追い払うように右手を払った。
そんな鞘多を余所に、藤村と泉は第五銀行福島支店に入って行った。
中に入った二人は、入口の右側に設置されている休憩スペースの椅子に並んで座った。
藤村は、床にビデオカメラの入ったバッグを置くと、店内を見渡した。
休憩スペースの右側、つまりは、入口から見て奥の方にATM機が8台、綺麗に一直線に横に並んでいた。
8台というと中々の数だが、それでも窮屈さを感じさせないあたりが、この第五銀行福島支店の店内の大きさを物語っていた。
ATMを利用している客は8人程度であり、最も混んでいたのは、入口左側に設置されているカウンターだった。カウンターの前には青いふかふかの長椅子が湾曲型に5列配置されており、客が自分の順番を待っていた。
携帯電話をいじる学生。パンフレットに目を通すOL。雑誌を読む老人。おしゃべりに夢中な主婦。漫画を読む中学生。ざっと目を通すと20人近くはいた。
一方、行員の方は女性が多く。7つある窓口はどれも女性が担当していた。
そして、カウンターのすぐそばに置いてある整理番号を示す電光ランプは『113』を示している。この時間帯にしてはかなりの数だ。
「・・・鞘多の奴、大丈夫かな」
ぼそり、と藤村が呟くと、隣に座っていた泉が深刻な表情を浮かべて答えた。
「大丈夫じゃないかも」
「ま、マジ?」
「うん。だって・・・その・・・強盗する自分の姿に興奮して・・・その・・・だ、男性の『アレ』を膨らませている、へ、へん、たいさんだから・・・きっともう頭の方は大丈夫じゃないよ・・・」
顔を真っ赤に染め、もじもじした態度をとる泉。
どうやら彼女は、勘違いをしているようだった。
「いや・・・あれはあいつ曰く『お守り』を張り付けてるからで・・・まあ、頭がおかしいのは否定しないけど」
そういうと藤村はふと、壁に掛けてある時計を見る。
針は12時46分を指しており、二人が銀行に入ってから3分ほど経過していた。
「なぁ、泉」
藤村がおもむろに口を開く。
「何?」
「なんで、鞘多の計画に協力しようと思ったんだ?」
「・・・藤村君、私思うんだけど、友達が困っているときは協力してあげなきゃいけないと思うの」
「・・・泉?」
藤村は横に座る泉の声が、いつもとは少し違った「真剣味」を含んでいることに気がついた。
が、なぜ彼女がそこまで真剣な声を出して語っているのかは、藤村にはまだ分からなかった。
「友達が、自分の人生について真剣に悩んでいたらさ、手を差し伸べてあげることが大切だと思うの。それが本当の友達なんじゃない?私が鞘多君の計画に協力した理由はただそれだけだよ」
「・・・まぁ、確かに・・・な・・・あ、あれ?」
「?どうしたの、藤村君」
「あれ、真田先輩じゃないか?」
「え?」
「ほら、あそこ」
藤村が指差した方向。つまりは、青い長椅子の一番後ろの列に、腰まで届く長い髪を茶色に染めた女性が座っていた。女性は、ストラップがこれでもかと山盛りに括りつけてあるピンク色の携帯をいじって、暇を弄んでいるようだった。
「あ・・・確かに」
「くっそぉ~。やっぱり知り合いと出会っちまったかぁ・・・よりによって真田先輩だなんて・・・」
「・・・」
「・・・どうした?泉」
「・・・私、あの人好きじゃない。てか嫌い」
「え?」
どこか刺々しさを持った泉の声に藤村は驚いた。
泉は、真田先輩を一直線に睨みつけていた。
と、その時、入口から黒いライダースーツに身を包み、緑色のバッグパックを背負った、フルフェイスヘルメットの男が店内に入ってきた。
鞘多だ。
鞘多がついに行動を起こしたのだ。
彼は店内に入ると、休憩スペースに座っていた藤村と泉を無視し、そのまま大股歩きでずかずかとカウンターに近づいていく。
ヘルメットをお取りになって、整理券を取ってお待ちくださいと言う女性行員の声に耳を貸さず、そのまま彼は7つある窓口の内、もっとも入口に近い窓口の前にやってくる。
店内に、奇妙な緊張感が走る。
窓口に座っていた女性行員は怪訝な顔を鞘多に向けるが、鞘多はそれを無視し、背負っていたバッグパックをカウンターに静かに下ろした。
そして、バッグから実にスムーズに、『それ』を取りだした。
「ひっ―――!」
女性行員が引きつった叫び声を上げる。
行員たちは身構え、客は突然の出来事にあっけにとられている。
「(鞘多・・・!)」
藤村は、休憩スペースから鞘多の姿を、じっと見つめていた。
思わず、拳を握りしめていた。
彼の一挙手一投足を見逃さないでいた。
そして次の瞬間、拳銃を握った右手をゆっくりと天井に向け、鞘多が叫んだ。
『『全員、動くなッ!』』
だが、店内に轟いたのは、鞘多の声ではなかった―――
正確には、鞘多は叫んだ。『全員、動くなッ!』と。
しかし、彼のその声は、勇気を振り絞って出した彼の声は、彼の斜め後ろから聞こえてきた『別の誰かの声』に被さって、掻き消されてしまった。
「・・・え?」
鞘多は困惑した。
ヘルメット越しで客や行員からは分からないが、彼は困惑の表情を浮かべていた。
なんだ今のは。
斜め後ろから聞こえてきた、俺と全く同じ台詞は―――
鞘多は、天井に拳銃を向けたまま、おそるおそる、ゆっくりと声のした方を振り向いた。
そこには
お面を被った三人の男性が立っていた。
両手に構えた猟銃の銃口を、鞘多に、向けたまま立っていた。