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昨日の友は

作者: 渡り烏

やや無理があるようですが、楽しんでいただければ幸いです。

「昨日の友は」


『学校長中毒死。事件の可能性も』

『学校長毒殺される。原因はお茶か』


「この事件ももう時効か」


 小さな呟きが漏れ、眺めていた新聞記事を散らかった机の上に放り出す。

 ちょうど十年。事件発生から経た年月は長いようでも、短いようでもある。

 某私立中学校で発生した殺人事件。当時行われていたバーベキューの最中、校長および教師数名が腹痛や吐き気を訴え、病院に搬送された。

 翌朝、校長が死亡。警察が吐しゃ物を検査した結果、毒物が検出され、捜査が開始された。

 当日使用された緑茶のティーバックの一部から、吐しゃ物に含まれていたものと同じ有毒成分が発見され、有力な手掛かりを得たことで、早期の事件解決が期待された。しかしその後は目立った進展がなく、捜査本部も解体され、迷宮入りとなった。

 壁に掛けられている時計が緩やかに音楽を奏で、10時を知らせた。彼もいい加減残業を切り上げることにする。


「お疲れさまでーす」


 放り投げた新聞をそのままに、帰り支度を済ませ、まだ幾人かが残る部屋の中に間延びした声を投げる。こだまのような返事を背に受けながら外に出ると、夜気が顔を撫でた。

 春に向かいつつある快適な風を受け、思わず息を深く吸い込む。途端に、胸ポケットの中で電話が振動し、着信を告げた。


「もしもし?」

「どうも、こんばんは永井さん」


 彼の旧式の携帯では着信者の名前は表示されない。しかし、その声が電話口の相手を彼に知らせた。


「ああ、山口君か。こんばんは。どうしたんだ?」

「いえ、例の事件の時効って今日でしたよね? だから、もしお暇なら酒でも飲みながら思い出話でも、と思いまして。なんでしたら、おごりますよ」


 電話口で笑っている彼を思い描きながら、提案に首肯する。思い出話も悪くはない。そう思いつつ「おごる」という言葉に期待した、という事実を自分の頭から追い出した。

 行きつけの店の前で待ち合わせ、電話を切る。再度心地よい風で胸を膨らませ、待ち合わせ場所へと足を向けた。

 目的地に着いてみると、既に彼は店の前で待っていた。まだ若いというのにまるで洒落っ気のない服装はいかにも彼らしい。

 癖が強く、もじゃもじゃと絡んだ髪を頭にのせ、本に目を落としている。学術書か何かのようだが、広辞苑でも読んでいるように見える。持ち歩くためのものではないだろう、それは。

足音を聞きつけたらしく、楕円形の眼鏡をかけた顔が上がった。こちらに気づいた彼の目が柔らかく細まる。


「悪い、待たせたか?」

「いえ、まだ到着から2分34秒しか経ってません。ふふっ、なんだかデートの待ち合わせみたいですね」

「秒単位で待ってた時間を言う奴と、デートなんかしたくないね」


頬を釣りあげて笑いながら、彼は読んでいた本をしまい、扉を引き開ける。

足を踏み入れた店内には他の客が二人。カウンター席が10席、カウンターの奥には見本のように日本酒が並べられ、壁には柱時計も見える。

 天井は煤で汚れ、壁や柱も年季を帯びてお世辞にもきれいとは言えないが、どこか懐かしさを感じさせる。

 クッションのへこんだ椅子に腰をおろし、不機嫌な顔の店主に注文を出す。返事の代わりに湯飲みと、瓶が一本カウンターに音を立てて落とされた。


 どうも、と永井が愛想よく礼を言いながら瓶を手に取り、それぞれの湯飲みに注ぐ。


「ありがとうございます。上下関係が逆転しちゃってますよ、これじゃあ」


 居心地悪そうに笑いつつも、山口は永井より先にのどを湿らせる。


「『おごる』なんて言ってる時点で逆転してるさ。そんなに実入りが多いのか?」


 軽い口調ながらも簡単なさぐりを入れる。彼の刑事としての癖が無意識に出ているようだった。


「いえ、まだ大学院生ですよ。この前、あの事件のことを自分流に推理して、小説として出版社に就職した友人に送ったんです。そしたら、思いのほか出版されましてね。印税が入るんですよ」

「ほ~、そりゃあうらやましい限りだ」


 そんな相槌を打ちながら永井は内心ガッツポーズをとる。どうやら本当に御馳走してくれるらしい。未だ安月給の身としてはまことに、うれしい。


「あの時永井さんに協力した甲斐がありましたよ」


 そう言いながら、湯飲みを空けた永井に酌をする。

 彼は当時永井にとって貴重な協力者だった。初めて担当する事件として右往左往していた彼に、手を差し伸べてくれたのだ。

 学校の生徒に聞き込みを行う際の手伝いや、校内の案内も買って出てくれた。

 それから年賀状のやり取りなどを続け、最近では杯を酌み交わすこともできる年齢になったため、時に愚痴を聞かせたりもしている。


「で、どんな推理をしたんだい? 警察も解決できなかった事件の答えを教えてくださいよ、先生」


 おどけた口調で教えを乞う永井に微笑み、ネタばれになりますよ、と言いつつも彼は口を開いた。

 山口が自身の推理を口にしようとしたちょうどその時、柱時計が鐘を打った。永井が目を向けると、11時半を示している。

 周囲を見回せば、先ほどまでいた2人の客も姿が見えず、この店にいるのは店主を除けば自分と彼だけだった。


「じゃあ、僕の推理を聞きながら」


 投げかけられた問いに首肯する。何かの刑事ドラマが脳裏をかすめた。確か、犯人が告白するシーンだったような……

 では、と言い推理を口にしようとする彼に意識を引きもどす。体を彼に向け、聞く姿勢を整える。


「まず、毒物が検出されたティーバックはダミーです」

「どうしてそうなる?」


 彼独自の見解ということを忘れ、思わず疑問を口にする。それに気分を害した風もなく、山口は説明を続けた。


「きっと、犯人は校長が『殺された』という事実を周囲に知らせたかったんですよ。永井さんも覚えてますよね? あの校長の評判」


 確かに、あの校長の評判ははっきり言って最悪だった。体を舐めるように見られた、といった旨の発言をしたのは女子生徒ばかりではなかった。


「誰かの復讐のような意味合いだったのかもしれません。だからティーバックに致死量以下の毒物を混入させ、他の職員も巻き込むことで、事故ではないと示したんです」

「なぜ致死量以下だと判断できる? 校長が死んだのは歳が関係していたかもしれないだろ? 70近くて抵抗力が弱まっていた、とか」

「いえ、あの時校長とほぼ同年齢の教師が2人いましたが、どちらも生きています。つまり校長だけが目当てだった、と考えられます」


 確かに、そう考えれば理屈は通る。しかし、ならばどうやって校長だけを殺したと言うのか? そう永井が質問を繰り出す前に、山口は回答を口にした。


「さて、どうやって校長の身に致死量の毒を摂取させたかですが、あの校長はレバーが好きだったことは覚えていますか? 加えて、校長は自分の依頼を最優先するように指示を出していました。これで、運ぶ生徒は『校長行き』と知らせるため、校長に運ばれることがわかります」

「それに毒を付けて渡した、っと」


 確かに辻褄が合う、と納得した永井の意見に山口は首を振った。


「いえ、大抵の毒は強い苦みを伴います。特に簡単に手に入る自然毒は。すると、確実に殺せるだけの量を食べさせられるかは疑問です。抵抗力には個人差がありますから。だから、使ったのはこれですよ」


 そう言って食べ終わった、焼き鳥の串を掲げて見せる。


「串に毒を付けた、ってのか? それじゃあ、さっきと――」

「夾竹桃」


 永井の言葉を遮り、山口が一つの名詞を口にした。

 キョトンとしている永井に対し、再び山口が口を開いた。


「夾竹桃という植物は花から根、茎に至るまで全てに毒があるんです。フランスでこれをバーベキューの串に使用し、死者が出た例もあります。校長に渡す料理にこれを使えば……。それに、夾竹桃の毒は1時間前後経たないと発症しません。その間に串を片づけてしまえば、証拠も残りません」


 確かにこの手口ならば、狙った人間を殺し、ともすれば事故として扱わせることもできるだろう。


「なるほど、おもしろい。そんなこと良く思いついたな」


 微笑んだ永井が賛辞を送った直後、柱時計が再び低い音を鳴らした。


「ええ、確かに――」


 時計が12度目の鐘を鳴らす。


「――中2の時の計画にしてはうまくいきすぎました」

「……なんだって?」


 永井の脳が彼の言葉の違和感を覚えるまでには数秒の時間を要した。


「中2の――」

「犯人……あの校長を殺したのは俺ですよ」


 永井の言葉を遮って発せられた言葉が、彼の脳を麻痺させる。山口の目が、暗く鋭く永井の目を射抜いた。麻痺した彼の脳では、山口の一人称が変化したことすら認知できない。

 ゆっくりと、急に粘性を増したかのような時が流れた。何も言わず、急に陸にあげられた金魚のように口の開閉を繰り返す永井を見つめていた山口が目を逸らした。

 永井の目に映る犯人の横顔。その顔は今までの柔らかな笑みを零す彼と対照的な、剃刀のような鋭さをそなえていた。


「あの校長、俺の親友に手を出したんですよ」


 永井に感覚が戻り始めたころ、この事件のホシは語りだした。


「あの校長はどうやらバイセクシャルだったようで、俺の親友が気にいった。そして、何かしら用事を考えては校長室に彼を呼び、セクハラを繰り返した」


 顔の前で指を組み、咎人は誰に聞かせる風でもなく言葉を紡いでいく。


「そして彼は不登校に。しかし、あの校長は他の教師を赴かせ、登校を迫った。当時は俺も知らなかったんですが、彼には弱みがあった。彼の父親は以前、彼に絡んだ酔っ払いを不幸にも殺してしまった。無罪になったとはいえ、殺人を犯した家族を周囲は邪魔者とし、引っ越しを余儀なくされた。それを校長に知られていたんです」


 柱時計の秒針が規則的に音を立て、時の流れを知らせていた。先ほどまでは洗いものに精を出していた店主もその手を止め、彼の話に聞き入っている。


「また引越せばいいだけの話ですが、経済的に余裕のないことを知っていた彼は誰に相談することもできずに、彼は首を吊って自殺。彼の遺書の中に俺に対する記述があり、通夜のときに彼の両親から自殺の経緯を聞き、校長を告訴するつもりだとも聞きました。ですが、俺はそれだけでは許せなかった。だから、彼の両親が告訴する前に独自に計画を練り、実行したんです」


 ひょいと、永井に向き直った彼の顔は、元の柔らかさが戻っている。やや顔を傾け、永井に向かって詫びる。


「すみません。今まで騙していて。実は、当時も永井さんに協力するフリをして、情報を操作してたんですよ」


 山口はそう言うとゆっくりと立ち上がり、勘定を払うために店主に声をかけた。

 外に出ると、永井はわずかに身を震わせた。春が近いとはいえ、さすがに深夜の空気は肌寒い。


「永井さん。これを渡しておきます。さっき話したことと同じ内容を録っておいたんです。証拠ですから、好きにしてください」


 手渡されたテープに目を落とし、これが何の役に立つのかと考えている間に、山口は背を向けた。


「昨日の敵は今日の友。それなら、昨日の友は今日も友でいられるんでしょうかね?」


 そう言って笑うと、永井に背を向け、山口はゆっくりと歩き出した。

 遠ざかっていく背中を見つめて立ち尽くしている永井の足元に、店主が水を流した。


 翌朝、いつもより早く警察署の扉をくぐり、自身の机に腰を下ろす。

 眠りに落ちることなく夜明けを迎え、いつもの調子で家を出たために現在は7時過ぎ。

 仕事に取りかかる気にもなれず、天気だけでも確認しようと昼休み用のテレビの電源を入れ、ポケットから山口に渡されたテープを取り出す。

 なぜこんなものを渡したのだろうかと眺めていると、テレビの映像がスタジオへと切り替わる。

 陰気な顔のニュースキャスターが深刻そうに眉を寄せ、やや身を乗り出して次のニュースを告げる。天気予報はまだかと、腕時計をのぞいた彼の耳をニュースキャスターの言葉が通過した。


「今日で十年目を迎える『学校長毒殺事件』が明日0時に時効を迎えます。この事件は――」


 永井は首が折れそうな勢いで振り向き、カレンダーを確認。続いて机の上に捨て置いた新聞の日付を確認する。


「時効成立は、明日……?」


『昨日の友は今日も友でいられるんでしょうかね?』

 永井の手から滑り落ちたテープが、床で堅い音を立てた。

他のサイトで投稿した際、なぜ「山口が時効の日にちを間違えたのか」という疑問を多く頂いたので、一応書いておきますが、山口は時効の日を間違えたわけではありません。

物語の説明をしなくても読者全員に理解して頂けるよう、これからも精進したいと思います

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