南の島の物語
1.大東亜旅行社
元町駅東口から海側を会社に向かって歩いていく。神戸という街は不思議な街で北を山側、南を海側と表現するのである。なんと神戸駅は東西ではなく南北に線路が伸びているにもかかわらず北口、南口は山と海を基準に名付けられているのだ。それはさておき5分ほど歩くと会社なのだが出社前に隣のビル一階にあるコンビニに立ち寄るといつものアルバイトの元気な娘に「おはようございます」とカップをもらい、接客している彼女を見ながらコーヒーLが注がれるのを待ち勤務先へと向うのだ。この毎朝のルーティンで一日が始まる。元町波止場ビルヂングの2階、”大東亜旅行社”が僕の勤め先なのだ。
高卒入社から三年間勤め上げた大手の総合旅行代理店からこの大東亜旅行社と契約を結んでいる。会社からの給料は今時の最低ラインかもしれないが固定給でこれとは別に歩合給があるのだ。会社が集めたツアー客の現地アテンド兼ガイド代は僕の手取りなのだ。ツアーコンダクターが僕の仕事であった。他の社員もみな同じだ。それぞれ得意な地域を担当している。大東亜旅行社という名の通り東アジアから東南アジアにかけての地域のみの旅行社なのだ。と入っても転職一ヶ月目でまだツアーには同行していない。
僕の名前は中川辰夫、二十一歳で彼女募集中だ。コンビニのあの子が今のターゲットだ。小麦色の肌に少しポチャっとした元気のいい明るい性格で名札を見ると”タカダ”下の名前はおそらく、他の店員から”ユミ”と呼ばれていたのでそうであろう。ちゃんとお話をする機会に恵まれないまま、毎朝、おはようと声を掛けコーヒーのLを頼んでいたが、いつか挨拶以上の会話ができたらと機会を伺っているのだが、いざそんな時がやってきてもきっと話せないだろうなと思っていた。
「中川、ちょっと」美里社長が呼んでいる。パソコンを開いてメールチェックをし終えた時だった。
「はい、なんでしょう」社長のところまで行くと来客用のソファーの席に座らされた。向かい合うと
「いよいよ来週は初ツアーね。現地に私の引退した兄がいるので最初は彼から教わるといいわ。それであの国のことはよく調べたかしら」
「ええ、通り一遍見たいなものですがなんとか」ネットでの知識なので深く見についた感じはしない。
「あら、大丈夫かしらでもあの二人から聞いた感じだけど君ならやれると思うわ。頑張って」それだけ言うと社長は出かけていった。
この会社に勤めるきっかけはスカウトであった。前職で添乗員として訪れた台湾でたまたま一緒になったのがこの会社の社員で尾崎さんだった。彼からのお誘いでこの会社と巡り合ったのだったが思えば偶然は続くものでその前の中国はハルビンのツアーに添乗員として出会ったのもこの会社の別の社員で小林さんだった。この二人には入社してからかなりお世話になったものだった。彼らはそれぞれの国のエキスパートで僕なんて足元にも及ばないスーパー添乗員たちだ。そして大東亜旅行社での僕の担当はパラオ共和国、まだ訪れたことのない未開の国であった。
知っているだろうか。日本の南隣の国だということを、パラオ共和国、通称パラオはフィリピンの東方にあるミクロネシア地域の島々からなる共和制国家で、国旗は日の丸とよく似た形で海を表す青地に月を表す黄色い丸が配置されている。そう色違いの国旗だ。直行便で5時間もかからない。社長に言われて調べてみたが第一次世界大戦後は日本の委任統治領だったようで、その後の大戦ではペリリューの戦いなどでたくさんの日本兵が亡くなられた。今もそのご遺骨は回収しきれていない。終戦後はアメリカによる信託統治が行われていたため英語が使われるようになったが、街のあちこちで日本語の名残が見て取れるらしい。
英語は独学でかなり勉強したつもりだ。英会話能力の国際的な基準のCEFRのB2クラスという評価をもらっている。それでこの会社の南方面担当となったのだが、前任者は社長の兄の健さんですでに隠居してパラオに住んでいた。直接会ったことはないがウエブで挨拶を交わした。健さんをよく知る尾崎、小林の両氏からは適任だとお墨付きをもらっていたが理由はよくわからない。
明日はその二人に二週間ぶり会えるのだ。社員は全部で九名だがめったに揃うことはない。この一ヶ月でなんとか全員に挨拶することができた。
2.ビリケンさん
いつものようにカップ片手に元町波止場ビルヂングの入口をくぐると一階の骨董・古道具店が珍しく朝早くから開いていたのだ。女店主が入口を掃除していたので挨拶をして二階に上がろうとしたが「旅行社の新しい社員さんだよね。悪いんだけどこれ、美里さんに持っていってくれない。後で請求書作っておくから」陶器製の変な人形の像を指さしていきなり荷物運びを頼まれてしまった。両手で持たないと運べそうもない大きさでコーヒーを店主に預けて会社まで運び、社長の席に置きもう一度骨董・古道具店へ戻ると
「ありがとう、これ伝票とコーヒーね。あなたはどこの担当なの?」
女店主はうちの旅行社のことをよく知っているようだ。各自が専門分野の受け持ち制だなんて知っているなんて
「パラオなんです。まだ勉強中ですけども」
「へー健ちゃんと同じなんだ。私のおじいちゃんは軍人だったので任務でコロール島にいたそうなの。で一度は行ってみたいなと思ってたのよね。その時はよろしくね。あっあなた、お名前は?私は銭形」
「中川です。銭形さんよろしくお願いします」頭を下げて会社まで戻った。しばらくすると社長が出社してきて
「誰、私の机の上に変なもの置いたのは?」それほど大きな声ではなく、またかといった感じで言うと中川が
「下の骨董屋の銭形さんから美里さんに持っていってといわれたもので、これ伝票です」彼女から渡された書類を持って社長のところまで行くと
「兄さんの注文よ。私のじゃないわ。どっかその辺に置いておいてくれる」と言われたので彫像を持ち上げて自分の机まで運んで戻った。
「社長、これどうしたらいいんですかね」辰夫は困ってしまい彼女に聞いた。
「兄さんに連絡するからしばらく預かってくれない」パソコンを開いてパラオにメールを送っているようだ。
辰雄は目の前の人形を改めて見ると真っ白な陶器製でとんがり頭につり上がった目に妙な笑顔で足をこちらに投げ出して、くの字に座っていた。その台座にはニッケ・ビリケンネルと刻印されていた。
「ビリケン?なんだっけ、どこかで聞いたことがあるんだけどな」とにらめっこしていると小林が出社してきて
「おはよう。なんだそれ?変なもの机の上に置いてなんのつもりだ」続いて尾崎が登場すると
「おはよう、お、辰夫、ビリケンさんか」と言って足の裏を触ってきた。
「尾崎さん知っているんですか」自分も真似して足の裏を触りながら聞くと
「大阪の通天閣の守り神知らないのか」
「すいません不勉強で」
「そうやって足を撫でてあげると願い事が叶うご利益があるんだぞ」
聞くとますますやってみたくなりこちょこちょと撫でてみた。こころなしか変な子供の像は笑ったように思えた。
3ショックな出来事
ビリケンさんがやってきた夜、僕は帰りに小林、尾崎と三人でいつもの食堂で軽く呑んで帰った。初めてのツアーに出る壮行会のようなものだった。
「結局あのビリケンさん、美里さんの注文だったのか」小林が言うと社長に言われたことを返した
「ビリケンのコレクターなんですって健さんは、だから下の銭形さんに色々探してもらってたみたいなんです。それで次のボクのツアーの時、一緒に持って行ってくれて頼まれちゃったんですよ」
「そりゃ大変だな。でもお駄賃出るだろ」と小林は言うが「ええ現地での食事を健さんが奢ってくれるそうです」
尾崎は「ツアーに食事ついてるじゃないか。意味ないぜその約束」
「いやなんだかツアー外で一杯呑みながらと言うことらしいんです。色々教わりたいこともあるんでいいかなと思って」
「辰夫はいい奴だよな。そんなところは昔っぽい性格だよな。昭和の生まれかって感じだな。そこが健さんに通じるところなんだよ」と尾崎は瓶ビールを中川に注いで続けて「ところでビリケンさんの足、一生懸命撫でていたけど何か願い事してたのか」
「ちょっと恥ずかしいんだけど、会社の近くのコンビニで毎朝会う女の子と友達になりたいなってお願いしたんだ」
酔った弾みで心の中で溜めていた気持ちを白状してしまった。二人とも叶うといいなと言ってくれた。
そして三日後
何が願いが叶うだと明日のツアー前に最悪のテンション爆下がりであった。三人で呑んだ翌日から三日間、コンビニの”タカダ ユミ”ちゃんの姿がない。ここ一ヶ月、毎日のようにボクにコーヒーを与えてくれた女神さまが降臨されていないのだ。
4.パラオへ
伊丹空港で関西から出発のお客さんと一緒に成田国際空港へ飛び、そこで合流した計二十五名でユナイテッド航空でパラオのロマン・トゥメトゥチェル国際空港へと飛び立った。
特にアクシデントにも見舞われず無事現地へ着くとプラカードを持った健さんが待ち構えていた。メインのガイド役は彼であって、これは研修みたいなツアーであった。初対面の握手をすると早速荷物を渡した。
「ありがとうな。中川くん、銭形はんから映像見せてもらってから待ちどうしかったんや。また後でしっかりお礼するさかいにな。さあツアーを始めよか」健は客たちを引きてバスへと向かって行った。三泊四日の旅程はこうして始まった。彼のガイドはどこか私と似ていたせいかパラオ観光の流れはこの一回のツアーでなんとかものにできた気がしていた。そして最後の夜、約束のご馳走を奢ってもらうためホテルのカフェで外を見ながら彼を待っていると心臓が止まりそうになった。慌ててホテルと飛び出すとその女性の前を遮った。
「あっ!あなたは毎朝コーヒーを買いに来るお客さん。どうしてですか?」
「あなたこそ、なぜこんなところに?」姿を消したコンビニのタカダさんがパラオにいたのだ。そしてボクのこと覚えていてくれている。
「私はパラオ人なんです。日本の介護福祉士の資格が取れたのでお母さんに報告に帰ってきたんです。これからあまり会えなくなりそうなので、ところであなたは観光ですか」
「いや僕はツアーコンダクターなんだ。でもこの国は初めてだけど、でも君はタカダと名札をつけたよね」
「この国では割とポピュラーな名前なんですよ。ユミもそう、でもよく覚えてくださったんですね」
パラオの人々の名前には、かつての日本統治時代の影響などから、日本人の名字や名前に由来するものが非常に多いという特徴があり、アサヌマ、ウエキ、タカダといった日本人の名前や名字が、パラオではファミリーネーム(苗字)として多く使われている。
「よかった。また日本に戻って来るんですよね」
「ええ、まだ二週間ほどこっちでゆっくりしてから。帰ります」
「よかった。日本に戻ったらゆっくりとお話ししませんか」右手を彼女の前に伸ばすと
「ええ、ぜひ」彼の手を握り返してくれた。
「中川くん、なんだナンパしているのか。隅に置けないな」健さんがやってきたのだ。タカダさんは
「あっそれじゃまた」と帰りそうになったので「あのコンビニの隣の大東亜旅行社にいますから、連絡ください」
去ってゆく彼女に手を振りながらそう言った。
「なんじゃあの子は?まあ、呑みながら話をアテに聞かせてもらおう」と夜の街に二人で消えて行った。
日本に戻るとビリケンさんにお礼が言いたくなった。早速調べてみると大阪の通天閣まで行かなくても新開地にいることがわかった。松尾稲荷神社に祀られていていた。私鉄で元町から二駅だ。新開地から十分ほど歩くと提灯がたくさんぶら下げられた奥に鎮座していた。大正時代の終わりからここに奉納されていたそうだ。こっちのビリケンさんの顔をよくみると美里さんにそっくりなのだ。「あっ!」思わず声が出た。美里健、ビリケンじゃないか。それでコレクションしていたと言うことか。妙に納得してもう一度頭を下げて礼を言った。




