白鈴の血
三百年、城の外に出たことがない。
城主は若い顔のまま年を取らず、白鈴という名の姫もだ。
死を予感させるほどに美しいまま、時の中に閉じ込められていた。
不老不死の血が流れているのだと、竜の化身なのだと、人々は噂した。
怪力無双と呼ばれた然宋が盗みを覚えたのは、妹のためだった。
薬は高い。何度も盗んだ。一度も捕まったことはなかった。腕っぷしは強く、頭も回る。しかし妹の病は一向によくならず、ある夜ついに血を吐いた。
医者を脅した。刃を喉元に当て、助かる方法を言えと。
医者は震えながら答えた。
「白鈴の血を、飲ませれば」
その夜のうちに、然宋は城に忍び込んだ。
部屋の奥に、姫はいた。
燭台の光の中で、ただ座っていた。死の匂いのする美しさだった。生きているのか死んでいるのか、区別がつかないような静けさで。
「なんじゃ、われに何か用か」
声は涼やかだった。恐れも驚きもなかった。
「お前の血が欲しい。分けてくれないか」
「この城に忍び入った者は、お前が初めてじゃ。何か珍しいことを教えてたもれ」
「そんなものは知らない。俺は盗みしかしないからな」
「つまらん男じゃ」
然宋は少し考えてから言った。
「ずいぶん美しい顔だ。刻んでやってもいいぞ」
「そんなことをして、何になるのだ」
「お前の美しい顔を刻み、血を妹に飲ませれば、元気になる」
「そんなことがあるなら、やってみるがいい」
ためらいなく、然宋は斬った。
血が流れた。竹の筒に受けた。しかしそれより早く、傷がふさがっていく。見る見るうちに、肌が元に戻っていく。
「化け物か、貴様は」
「人の顔を斬るお前は、化け物ではないのか」
然宋は何も言えなかった。
「そうか」
と白鈴は言った。
「では、お前の妹に聞いてみよう」
「どうやってだ」
「お前がわれをさらい、妹のところへ連れてたもれ」
「城主が怒り、俺を追ってくるだろう。俺はもうお前に用がない。さらばだ」
血を飲んだ妹は、みるみる元気になった。
しかし数日後、また倒れた。
その日のうちに、然宋は城へ忍び込んだ。
「またお前の血をもらいに来た」
「おお、お前か」
白鈴は笑った。
「楽しみにしておったぞ。今日もわれの顔を斬るのか」
「そんなことはしない。俺の家へ連れて行く」
然宋は、白鈴を軽々と抱き上げた。
ずいぶん軽い、と思った。
「われは白鈴という。お前は?」
「俺は然宋だ」
「いい名じゃな。気に入ったぞ」
しばらく、然宋と白鈴は一緒に暮らした。
おかしなことに、城は騒がしくなかった。姫をさらったというのに、追っ手が来なかった。
ある朝、布団から起き上がった然宋の横に、白い肌を露わにした姫がいた。
「人間は、ずいぶん面白い夜の過ごし方をするものじゃ」
「そうだ、おもしろいだろう。肌を重ね、口づけをする。そして子どもを作るのだ」
「ほう」
白鈴は天井を見上げた。
「われがお前の子を産むのか。実に面白い」
「おかしな姫だな。ずっと捕らわれていて、おかしくなったのか」
白鈴は答えなかった。ただ、微かに笑っていた。
やがて妹は元気になった。
然宋は白鈴に言った。
「お前の血で妹が助かった。礼を言う」
「そうか。ではわしは城へ帰るか」
「なぜだ」
「妹は元気になったのだろう。われがいる意味がなくなった」
「俺と一緒にいれば、何でも食べさせてやる。林檎も、米も、魚も、お前はうまかっただろう」
「そうじゃな」
と白鈴は言った。
「城では食べたことがなかったからな」
「そうだろう。ここにいろ。毎日愛してやる」
「いいのか、われはうまいものが好きじゃ」
「いいとも、それを愛と呼ぶのだ」
「これが、愛か」
次の日、然宋は病に倒れた。
白鈴の血を飲んだ。毎日飲んだ。しかし元気にならなかった。妹はあれほど早く治ったのに。
「妹はどこだ」
「わしが食べた」
「何を言っている」
「お前がうまいものを食わせてやると言ったから、食べたのだ」
「嘘をつくな」
「しかし本当に、われの血でないと、お前は元気にならんな」
白鈴は首をかしげた。
「もしや、この血は妹の血か」
「妹に聞いてみようと、顔を斬った血じゃ」
然宋は白鈴を刺した。
激怒して、刺した。返り血を浴びながら、竜の血を飲んだ。
しばらくして、白鈴は生き返った。
然宋の額に、角が生えていた。
「死なない化け物め」
「おかしなことを言う。お前に角が生えているぞ。お前も化け物だ」
然宋は怖くなり、逃げた。
しかしまた病に倒れ、姫の血を奪いに来た。白鈴は家にいた。然宋は血を飲んだ。
やがて体に鱗が生え、角がさらに伸び、牙が生えた。
「おや、然宋。牙も生えたな」
然宋は言葉を発しなかった。
白鈴は然宋を食べた。
「これが、愛。……あまりに、熱くて」
「うまい」
紺野の白鈴は城へ戻った。
白鈴の腕には、小さな赤子がいた。
城主が問うた。
「その子は何者じゃ」
白鈴は答えなかった。ただ赤子を見つめ、静かに言った。
「然宋という」
赤子の額には、小さな小さな角の芽があった。




