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使い魔契約、王子仕様。

作者: ふみきり

ご覧いただきありがとうございます!

掛け合い中心の主従逆転コメディです。

召喚士見習い×猫王子のバトル(?)とテンポの良いツッコミをお楽しみください!

 王都の大通りは、朝から浮ついていた。


 銀の旗が風をはらみ、鎧と従者の行列が石畳を叩く。人々がどよめく先、馬上で微笑む金髪の少年――レオン王子。


 遠目にも完璧で、まぶしい。


 露店の布陰から、それを見上げる少女がひとり。癖毛をまとめたつもりでまとめきれなかったリオナは、口を半開きにして言った。


「……顔、良すぎ。ずるい」


 見るだけ。関係ない。

 リオナにはリオナの現実――召喚士見習いの実技審査が、鐘二つ後にある。




 石造りの小神殿は涼しい。床に白い魔法陣。乾いたチョークの匂い。

 試験官は痩せた中年、通称バグ教授。鼻眼鏡の奥で目がぎらぎらしている。


「フェルネ嬢、準備はよいかね。供物、発声、集中。失敗は許されん。いや失敗しても私は困らんが」


「最後の一言が最低です!」


 リオナは杖を握り直し、深呼吸する。


(大丈夫、練習した。今日は――やれる)


 詠唱。


 空気がしんと冷える。魔法陣に青白い光が灯り、ゆっくりと渦を巻く。

 光は集まり、ふくらみ、――そして、


「……え?」


 どすん、と音がして、円のまんなかに黒い毛玉が落ちた。

 丸い。小さい。耳が三角。目が、とんでもなく冷たい。


「にゃ」


 沈黙。バグ教授の鼻眼鏡がずれる。


「……教授、これ、使い魔です?」

「使い猫、かもしれん。いや、猫魔の亜種かも。新発見かも。論文にするかも!」

「“かも”多いですね!」


 黒猫はゆっくり立ち上がり、尻尾を一度だけぱたんと振った。

 そして、たいへんよく通る上等な声で言った。


「――召喚に応じてやった。まずは礼を言うがよい、召喚者」


 リオナは口をぱくぱくさせた。

 この声――さっき王子一行の行列で聞いた。まさか。


 黒猫はさらに胸を張る(猫に胸があるのかは知らないが、張っていた)。


「我が名はレ――」

「レオン王子!?」


 黒猫は、ひっ、と喉を鳴らして口を閉じた。

 半眼でリオナを見る。リオナも半眼で見る。

 少女と猫――いや、召喚士と王子(猫仕様)の間に、最悪の既視感が生まれる。


「喋らない猫かと思ったら、よりによって王子ボイスって、どういうバグ?」

「落ち着け。落ち着くのだ。まずは君が膝をついて頭を垂れよ。主に対して」

「いや、主はこっち!」

「いいや、主は私だ」


 二人(?)は同時に一歩前へ出て、同時に額をぶつけた。


「いった!」

「痛い」


バグ教授は腕を組み、うむ、と学術的にうなずいた。


「ほう、主従判定が逆位相か。珍しい。貴重。危険。面倒。――私は昼食をとってくる」

「逃げるな教授!」


 教授は軽快に小走りで扉の向こうへ消えた。残されたのは、リオナと黒猫だけ。

 黒猫――レオン(仮)は、しゅっと座り直す。尾先だけが苛立って、ぴくぴく動いている。


「君、名は?」

「リオナ・フェルネ。落ちこぼれ。はい、笑っていいですよ」

「笑わん。私は品位がある」

「ほんとに王子なの?」

「君のその失礼な目つきは直したほうがいい。だが、命令をしてよいのはこの私だ。君ではない」

「はあ?」

「当然だ。主は私だからな」

「なるほど、バグ確定ね」


   ◇   ◇   ◇   ◇


「まず契約文の復唱から――」

「待て。契約の主語を確認する。『召喚者は使い魔に命ずる』――つまり、私が召喚者だ」

「どこをどう読んだらそうなるのよ!」

「声の威厳、語彙、品位。総合点で私が上だ」

「テストの採点基準が理不尽!」


 リオナは杖の石突で床をとん、と叩いた。魔法陣が微かに再点灯する。

 黒猫の耳がぴくり。


「……危ないまねはやめろ」

「やめなさい、って命令?」

「忠告だ」

「いまの、命令口調だったけど?」


 黒猫はうっすら視線をそらした。


「――君はその、さっきの様子だと、落第なのだろう? ならば私が、主として手取り足取り導くのが、王家の人間の務めというものだ」

「うっざ……そのやさしさって、ちょっとむかつく……」

「感謝と服従を同時に示してもらって構わない」

「両立しないのよそれ!」


 言い合いながらも、リオナは猫の歩幅に合わせて歩く速度を落としている。

 猫は猫で、リオナが転ばぬよう机の角をぴょんと先回りして示す。

 すべてがぎこちなく、しかしどこか自然だった。


「それで――なんで王子が猫なの。変身魔法?」

「いや。契約の誤配線だろう。儀式場の”結界”、古い」

「教授、予算ケチったなあ」

「君の発音もだいぶ怪しい」

「うるさい」


 黒猫は少しだけ誇らしげに顎を上げた。


「ともあれ、命令するのは私だ。君は余計な命令をしない――それが最初の命令だ」

「言語の暴力やめて!」


 言い合いの熱が頂点に達したとき、小神殿の扉が勢いよく開いた。

 制服の胸に「魔獣管理局」と刺繍のある少年が、肩で息をして立っている。

 無精髪、疲れ目。年は二人より少し上に見える。


「……フェルネ、だよな。実技試験中に悪い。城外で、でかいのが暴れてる。教授が『たぶん君らのせい』って」


 リオナと黒猫は同時に振り向いた。


「私らのせい!?」

「君らのせい?」


 少年は目の前の黒猫を見、次にリオナを見、また黒猫を見た。


「……猫、しゃべった?」


 黒猫は涼しい顔で、尾を一度だけ振った。


「初対面の者に説明するのは君の役目だ、召喚者」

「人に押しつけるの早っ!」


 城壁のほうから、低く長い咆哮が響いた。空気が震える。

 二人と一匹――いや、少女と猫と管理局員の喉が同時に、ごくりと鳴った。


 黒猫が一歩、前に出る。


「――よろしい。私が命令する。君はついてこい、リオナ」

「いやだから命令するのは私! ……でも行く!」


 少年――ティルは、深くため息をついた。


「うん。嫌な予感がする。全員、ついてきて。説明は走りながらでいい」


 リオナは杖を握り、黒猫は軽く背を丸め、小神殿を飛び出した。

 鐘の音が二打、遠くで重なる。


 ――誰が主で、誰が従か。


 答えはまだ出ていない。だが、走りながらなら、少しずつ分かるかもしれない。


   ◇   ◇   ◇   ◇


 昼の陽射しが街の屋根を白く照らしていた。

 石畳を駆け抜けるリオナのブーツの音、杖の先の鈴がしゃらりと鳴る。

 その肩の上で、黒猫が冷静に言った。


「速度が遅い。君の心拍数、限界を超えている」

「猫の分際で心拍測定しないで! ていうか、しゃべらないで!」

「命令口調だな?」

「うるさい!」


 後ろを走るティルが、肩で息をしながらぼやく。


「……やっぱりこのペア、問題しか起こさねぇな」


 城壁の外、草地の向こうで、巨大な影が蠢いた。

 牛より大きい魔獣――岩猪ロックボア。鼻先から紫の霧を吐き、怒りに震えている。

 バグ教授の逃げ足の速さが目に浮かぶ。


「教授が“おそらく君らのせい”って言ってた理由、わかってきた気がする……」

「認めたくないけど、ちょっと心当たりあるかも……」

「君の詠唱の“こもり音”が不安定だった。つまり、誤接続したのは――」

「分析してる場合じゃないでしょ!」


 岩猪が咆哮し、地面を蹴る。

 土煙とともに突進が迫る。リオナはとっさに杖を構えた。


「バリア展開――!」


 青い光が瞬き、円形の魔法陣が前方に出現。

 だが、半拍遅れて亀裂が走り、あっさりと砕けた。


「わぁあああ!」

「にゃあっ!」


 リオナと黒猫が同時に転がる。ティルが慌てて引き上げた。


「防御が甘い! 詠唱短縮しすぎだ!」

「王子うるさい! こっちは命がけ!」

「なら命を賭して聞け! 私が主として指示を出す!」

「はあ!? 誰がそんなの聞くか!」

「命令だ! ――異論は許さん!」

「自分の都合で命令増やすな!」

「主の都合は世界の理だ!」

「はいはい、理ごと爆発しろ!」


 ティルが耳を塞いで叫ぶ。


「会話で戦うなあああ!」


 岩猪が再び突進。地面が揺れた。

 三人は吹き飛ばされ、瓦礫の陰に転がり込む。


「リオナ、大丈夫か」

「平気! でも私の出した魔法陣、なぜか出力の流れが反転してる……! 魔力の向きが逆よ!」


 黒猫がぴくりと耳を動かす。


「反転?」

「そう、エネルギーの流れが逆向き。つまり――」


 リオナとレオンの視線が、同時に合った。


「……命令を逆にすれば、動く?」

「理論上は、あり得る」


 ティルが顔を上げた。


「理論とか言ってる場合!?」


 だが黒猫は、真顔でリオナに言った。


「試す価値はある。――リオナ、命令を」


 リオナは杖を握りしめ、息を吸い込む。


「……よ、よし。レオン王子、命令。今だけ、私の指示に従って!」

「命令を許可する――主として!」

「うるさいっ!」


 リオナが杖を振る。

 光の線が逆流し、魔法陣が反転するように輝いた。

 岩猪の足が地面に沈み、動きが止まった。


「効いた!?」

「理論上は、そう見える」

「いま実際に止まってるのよ!」

「実験は成功だ。実験台には悪いが」

「台はあんたよ!」


 怒鳴り返す声を合図に、魔法陣が爆ぜた。

 岩猪が再び暴れ出す。


「まだ完全じゃない! エネルギーが逃げてる!」

「指示を!」

「逃げる!!」


 三人はそろって全力疾走した。

 土煙を巻き上げ、城壁を背に走りながら、リオナは叫ぶ。


「これ、実技試験の範囲超えてるわよね!?」

「安心しろ。王族が逃げ腰では示しがつかん!」

「心配してるのは命のほう!」


   ◇   ◇   ◇   ◇


 森の入り口。木々の陰に滑り込み、息を整える。

 遠くで岩猪が吠えるたび、鳥が一斉に飛び立つ。

 ティルが額の汗をぬぐいながら言った。


「……はぁ。お前ら、息ぴったりなのか悪いのか分かんねぇな」


 リオナはへたり込み、黒猫をじっと睨んだ。


「ぴったりなわけないでしょ……この王子、勝手に命令するし」

「主として当然の権利だ」

「自分の命を盾にする権利なの!?」

「高貴な身は危機に際してこそ輝く」

「はいはい偉い偉い。もう一回突進されたら終わりだからね!」

「終わらせぬ。君が倒れたら誰が私に食を与える?」

「ペット扱い!?」


ティルが思わず吹き出した。


「あはは、君ら……実技試験どころか、すっかり、いっぱしの災害対応班って感じがするよ」

「ほんと! 実技試験どころか、これじゃもう、人生の再試験よ!」


 リオナは立ち上がる。杖を持つ手が震えているが、瞳は強い。

 その肩に黒猫が軽やかに跳び乗る。


「……落ちるから!」

「落ちぬ。私が支えている」

「そういう問題じゃ――」

「命令を、リオナ」


 一瞬、沈黙。


 先ほどまでの言い争いが嘘のように、二人の呼吸が揃った。


「……防御陣、展開。タイミングは合わせて。いくよ!」

「了解した、”主”よ」


 光陣が再び輝く。

 岩猪の影が森に迫る。

 リオナとレオンが同時に跳び出し、ティルが後方支援に回った。


 風と光が交錯し、次の瞬間――


 轟音。


 大地が裂けるような音の中で、リオナは確かに感じた。

 自分と王子の魔力が、同じリズムで脈打っていることを。


「やれる……! やれるかも!」

「当然だ。私の導きがある」

「うるさい、集中できない!」

「なら黙って頷け!」


 リオナが叫び、黒猫が吠え、ティルが遠くから「漫才やってんのか!?」とツッコむ。

 三人の声が、戦場に混ざって響いた。


 岩猪の動きが弱まる。光陣が安定し、魔力の流れが整う。

 リオナが息を整え、黒猫を見下ろす。


「……今の、けっこうよかったかも」

「ふん。当然だ。君の”主”としての指揮能力、少しは認めようではないか」

「上から目線やめなさいよ」

「命令か?」

「お願いよ!」


 黒猫はしっぽを一度だけ振り、「了承した」と短く返した。

 リオナは思わず笑う。


「……ちょっとだけ、いいチームかもね」


 ティルが呆れ顔でつぶやく。


「お前ら、さっきまで主従論争してたのにな……」


 黒猫がくるりと彼のほうを向いた。


「それは終わった。次は勝利論争だ」

「……それ、もっと面倒なやつ!」


 笑い声と遠雷が同時に響いた。

 空にはまだ、暴走の残光が残っている。

 戦いは、まだ始まったばかりだ。


   ◇   ◇   ◇   ◇


 森の奥で、岩猪が再び吠えた。

 魔力の暴風が木々をなぎ倒し、空が灰色に染まる。

 ティルが叫ぶ。


「魔法反応が広がってる! もうすぐ森が全部巻き込まれる!」

「まだ封印できないの!?」

「魔力の流れが狂ってる! 制御陣が反転して……!」


 リオナの声が震える。杖を握る手に汗がにじむ。

 背中の黒猫が小さく唸った。


「落ち着け。君の呼吸が乱れている。魔力の波が不安定だ」

「わかってる! でも、こんな出力、ひとりじゃ――」

「私が主として支える。命令だ、全魔力を解放しろ!」

「だめ、それじゃ――!」


 リオナが言い終わるより早く、レオンの声に反応して魔法陣が暴走した。

 閃光。地面が裂け、光が噴き上がる。

 リオナが弾き飛ばされ、倒木の陰に転がる。


「リオナ!」


 ティルが駆け寄る。だが、足元の地面が歪み、魔法陣が再展開する。

 中心に立つ黒猫の瞳が、蒼く燃えていた。


「……私が抑える。君らは下がれ」

「馬鹿! 一人でやる気!?」

「主は、臣下を守るものだ」

「王子、それ違う! 今は――!」


 光が爆ぜる。

 レオンの周囲で魔力の風が暴れ、尻尾の先まで蒼く輝いた。

 彼の姿が一瞬、猫でも人でもない“光の残像”に見える。


 リオナが息をのむ。


(――やめて、そんな顔しないで)


「レオン王子! 勝手に突っ走らないで!」

「君こそ、黙っていろ!」

「命令!? また命令なの!?」

「そうだ、主命だ!」


 ティルが二人のあいだに割って入り、怒鳴る。


「口で戦うな! 敵はそっちだっての!」


 岩猪が咆哮し、暴風が三人を呑み込んだ。

 光が弾け、音が消え、森の空気が一瞬、真空になる。


 ――静寂。

 舞い上がる灰の中、リオナは倒木の下で目を開けた。

 耳鳴りがして、何も聞こえない。

 胸に温もりを感じる。いつの間にか、黒猫――レオンを庇うように胸元で抱えていた。


「……レオン?」

「……無事か」


 彼の声は、いつもの尊大さが消えていた。

 猫の姿のまま、息を荒げ、肩で呼吸している。

 リオナがそっと手を伸ばす。震える指先が、黒い毛をかすめた。


「……ごめん、私、焦って……」

「命令を……間違えたのは、私だ。守るべきは”主”――君だったのに、逆に庇われていた」


リオナはかすかに笑う。


「王子のくせに、素直すぎ。……ちょっとずるい」


その言葉に、黒猫は目を細めた。


「謝罪は受理した。だが、次は失敗を繰り返すな」

「はいはい、“命令”ね」


 リオナはゆっくりと起き上がる。

 あたりは、まだ暴走した魔法の余波で光がゆらめいている。

 岩猪の影が再び立ち上がるのが見えた。


「……まだ、終わってない」


 レオンが短く頷く。


「なら、次は――共に行くぞ。命令ではなく、同意として」


リオナは笑って、杖を構えた。


「了解。“共同戦線”ね」


ティルが呆れ声でぼやく。


「やっとまともな会話になった……気がする」


   ◇   ◇   ◇   ◇


 暴風の中心で、リオナとレオンが並んで立つ。

 魔法陣が再び地面に描かれ、今度は淡い光を放っていた。

 リオナが息を整える。


「今度は、命令じゃなくて――お願い。力を貸して」


 黒猫が頷き、低く答える。


「承認する。“主”の願いとして」


 杖の先が光り、魔法陣の紋が静かに反転する。

 今度は暴走の兆しがない。

 二人の魔力が、互いに響き合うように流れ始めた。


 ティルが少し離れた場所で見守りながらつぶやく。


「……なるほど。主従の反転って、こういう意味かよ」


 リオナが笑う。


「私も今知った」

「君は理論ではなく勘で動くタイプだな」

「うるさい、“猫の理論王子”」

「褒め言葉として受け取っておこう」


 光が森を包み、岩猪の巨体がゆっくりと沈んでいく。

 魔法陣の中心で、リオナの髪が宙に浮かび、黒猫の瞳と同じ色に染まった。

 最後の咆哮。光がはじけ、静寂が戻る。


 リオナは杖を下ろし、深く息を吐く。


「……終わった、かな」

「終わったようだな」

「ねえ、レオン」

「なんだ」

「今のは、誰の勝ち?」

「勝ち?」

「主導権の、ね」


 黒猫がしっぽを一度だけ振り、にやりと笑った。


「引き分けとしよう。……一時的に」

「上から目線やめなさいよ」

「命令か?」

「お願いよ!」


 ティルが両手を上げて笑う。


「お前ら、それ気に入ってるだろ!」


 三人の笑い声が、燃え跡の森に響いた。

 風が光の粒を運び、暴走の跡をやわらかく覆っていく。


 リオナはそっと黒猫を抱き上げた。


「……ありがと。ほんとに助けてくれた」

「当然だ。“主”の願いだからな」

「その言い方、ずるい」

「王族はずるい生き物だ」


 リオナが笑って肩をすくめる。

 ティルが小さく呟く。


「はいはい、仲直り完了っと」


 鐘の音が、遠くで三打。

 森に、ようやく平穏が戻った。


   ◇   ◇   ◇   ◇


 森の奥、暴走魔法の中心域を抜けた場所。

 木々が焦げ、地面にはまだ青白い魔力の残光が揺れている。

 焼けた葉の匂いが鼻を刺し、風が通るたび灰が舞い上がった。

 世界が、少しだけ傾いて見える。


 ティルが倒木に腰を下ろし、息をついた。


「……終わった、ように見えるけどな」


 リオナは杖を抱え、力なく笑う。


「“ように見える”って言い方がすごく不吉」

「実際、不吉だ。魔力反応がまだ残ってる。完全に収まってない」


 黒猫――レオンがゆっくりと枝の上に跳び上がった。

 その毛並みに、まだ淡く魔法の光が残っている。

 目を閉じたまま、低くつぶやく。


「……中心核が、壊れていない。暴走の根は、まだ地下だ」

「核?」


 リオナが顔を上げる。


「それ、放っておくと?」

「また暴れる。より大きく、より制御不能に」

「じゃあ、やるしかないじゃない。行こう」


 ティルが慌てて止める。


「おい、魔力も体力も残ってないだろ!」


 リオナは一瞬だけティルを見て、そして笑った。


「大丈夫。今回は命令じゃなくて、お願いするから」


 その声は冗談めいていたが、どこか澄んでいた。

 焦げた木々の間から光が差し、灰を金に染める。

 リオナはその光を見上げたまま、ぼそりと呟く。


「……本当は、怖いけどね。でも、あそこで王子が私を守ったとき、ちょっとだけ、自分も強くなりたいって思っちゃった」


 レオンが枝の上から見下ろす。


「強さとは恐れを消すことではない。恐れを抱いたまま、なお進む意志だ。――主としての、な」

「偉そうに言うの、ずるいわよ」

「王族の特権だ」


 軽口が、少しだけ心を軽くした。

 ティルが頭をかく。


「あー……やっぱり止めても無駄そうだな」


 リオナは頷き、立ち上がる。


「うん。どうせなら、最初から格好つけて行くわ」


 黒猫が枝から飛び降り、リオナの肩にすとんと着地した。


「なら、共に。主の”お願い”として受け取った」


 地面の下から、低い唸りが響いた。

 土が震え、光が脈打つ。


 ――暴走の第二波。


 ティルが呻いた。


「マジかよ、続編早すぎ!」

「王族の名にかけて、続編は完結させる!」


 レオンが跳び降りる。

 リオナは苦笑しながら杖を構えた。


「いいわね、その根性! 最終話、行くわよ!」


   ◇   ◇   ◇   ◇


 地面が割れ、光が噴き上がった。

 森の奥に、まるで天へ伸びる塔のような魔力の柱が立ちのぼる。

 熱が空気を歪め、焦げた葉がひらひらと舞う。

 風はもう風ではなく、押し返す壁だ。


 ティルが叫ぶ。


「魔力の残滓が集まってる! あれ、暴走体の再構成だ!」


 リオナが目を細めた。


「また暴走体!? まだ核が残ってたの!?」


 光の柱の中から、歪んだ獣の輪郭が現れる。

 もはや生き物ではない。ただの魔力の塊。

 それでも、吠える声には確かな怒りがあった。


「下がれ、リオナ!」


 レオンが前に出る。だが、彼の小さな体では防ぎきれない。

 暴風が吹き、枝が折れ、ティルが盾を構えて叫んだ。


「おい、あの光、強すぎる! もう一回食らったら――」

「下がれって言われて、下がる召喚士がどこにいるの!」


 リオナは地面に杖を突き、詠唱を始める。

 魔力が喉を焼くように流れ、視界の端が白く染まった。


(……怖い。もう動けないかも。でも――)


 肩の上で、黒猫の声が静かに響く。


「命令を一つだけ残す」

「え?」

「“生きろ”。それが最後の主命だ」


 リオナは顔を上げた。

 風が強まり、猫の姿が光に溶け始める。

 その毛並みが、青白い炎のように揺れた。


「――やめて!」

「命令ではない。“お願い”だ」


 爆光。


 リオナが目を開けたとき、レオンはすでに彼女の前にいた。

 その小さな背が、まるで盾のように光を受け止めている。

 毛並みが灼け、空気が軋む。

 彼の輪郭が、光と風に削り取られていく。


「レオン――!」

「……君を守るのは、主の責務だ。だが今の主は、君だ。君が……お願いしたからな」


 一瞬、世界の音が消えた。

 光だけが残り、時間さえ止まったように見える。

 リオナは思わず手を伸ばし、

 その指先が触れた瞬間、光がはじけた。


 爆風。


 視界が白に飲まれ、風の轟きがすべてを飲み込む。


 静寂。


 灰の降る森で、リオナが崩れた魔法陣の上に膝をつく。

 腕の中に、黒い影が横たわっていた。

 まだ温かい。小さな心臓が、かすかに鼓動を打っている。


「……馬鹿王子。“お願い”って、そういう意味じゃないのに」

「……なら、訂正してくれ」

「次は、ふたりで帰るってお願い」

「承認する。……“主”の願いとして」



 リオナは笑い、涙がこぼれた。

 風が灰を巻き上げ、彼女の髪を揺らす。

 その向こうに、ゆっくりと朝の光が差し込み始めていた。


 鐘のような風の音が、森に響く。

 戦いは終わり、世界が息を吹き返していく。


   ◇   ◇   ◇   ◇


 夜がようやく明けかけていた。

 森の奥で、薄紫の霧が晴れていく。

 倒木の隙間から差し込む朝の光が、灰を金色に変える。


 ティルがゆっくり立ち上がり、深く息を吐いた。


「……終わった、んだよな。今度こそ」


 リオナはうなずき、腕の中の黒猫を見下ろした。


「ええ。もう暴走の気配はない」


 レオンは目を閉じたまま、小さく息を吐いた。

 毛並みの端が焦げているが、瞳には光が戻りつつある。


「……やっぱり、無茶するんだから」


 リオナの声は震えていたが、笑っていた。


「命令してた頃のほうが、まだ安心だったかも」

「なら、また命令してくれてもいい」

「冗談で言ってるでしょ」

「半分は本気だ」


 黒猫は目を細め、彼女の掌に顔を寄せた。

 リオナは息を詰め、指先でそっと毛を撫でる。

 その瞬間、彼の声がわずかに柔らかくなった。


「……君の“お願い”は、命令より重い。だから、聞かざるを得ない」

「ずるい言い方」

「王族の得意分野だ」


 ティルが二人を見て、肩をすくめる。


「おーい、イチャつくのは帰ってからにしてくれよ。報告書の山が待ってる」

「報告書?」


 リオナが顔を上げる。


「そりゃそうだ。学園も管理局も、今回の件を黙ってない。“実技試験中に王子を召喚して森ごと吹き飛ばした件”とか、見出しからすごいだろうな」

「やめて! 見出しにしないで!」


 リオナが頭を抱える。レオンは落ち着き払って言った。


「見出しには“王子、実技に付き合う”とでも添えておけ」

「ポジティブにもほどがある!」


 ティルが大笑いした。


「いや、そのまま提出してみようぜ。教授、卒倒する」

「笑いごとじゃないってば!」


 でも、その笑いの中でリオナの肩の力が抜けた。

 ようやく、本当に終わったのだと実感できた。


 黒猫が小さく伸びをし、肩に飛び乗る。


「帰るぞ、“主”」

「もうそれ、やめなさいよ」

「では、“リオナ”」

「……うん、それでいい」


 三人は、崩れた森の向こうに見える城下の灯を目指して歩き出した。

 朝日が昇り、煙の匂いの中に、新しい風が流れ始める。


   ◇   ◇   ◇   ◇


 王都の門が見えた頃には、太陽がすっかり昇っていた。

 石畳を踏む足音が、いつもの喧騒に混じる。

 人々は瓦礫の森の話題でもちきりで、リオナたちのことなど気づきもしない。


 ティルが手を振り、管理局の方角へ去っていった。


「じゃあな、英雄ども。報告は任せた!」

「任せたって言うなー!」


 リオナの声が追いかけたが、ティルはもう笑いながら角を曲がっていた。


 静けさが戻る。

 石畳の上を、リオナと黒猫が並んで歩く。


 街角の花屋が店を開け、風に花弁の香りが混じった。


「……ねえ、王子」

「なんだ」

「今回のこと、王様に報告するの?」

「するさ。王族としての責務だからな」

「怒られそう」

「君の分まで怒られてやる」


「じゃあ、私の分の“お願い”をひとつ聞いて」

「なんだ」

「また会っても、今みたいに名前で呼んで」


黒猫は一瞬黙り、それから微笑んだ。


「了解。“主”のお願いとして」

「ちょっと、それもうやめてって言ったのに!」

「反射だ。習慣はそう簡単に消えない」


リオナがため息をつき、でも口元がほころぶ。


「ほんとにもう……この王子、調子いいんだから」

「君もだ」


 二人の笑い声が、石畳の通りに溶けていった。

 その背後で、鐘が四打。

 朝の鐘が、ゆっくりと街を満たしていく。


 リオナは歩きながら、ふと空を見上げた。

 昨夜の光がまだ薄く残る空は、どこまでも澄んでいる。

 あの光の中で、確かに“お願い”が叶ったのだ。

 自分も、王子も、生きて帰ってきた。


「……ねえ、王子」

「うむ?」

「これで、試験は合格だよね」

「当然だ。“主”が無事なら、それが最高の結果だ」


「その理屈、好きかも」


 黒猫が小さく笑い、リオナの肩に跳び乗った。

 風が二人の髪をなでる。


 鐘の音が遠くで続き、王都の朝は、静かに新しい日を迎えていた。


 ―― END ――

ここまで読んでくださってありがとうございます!

もし少しでも「ふふっ」と笑っていただけたら嬉しいです。

(ブックマーク、大変励みになります!)


5年ぶりに書いたので、いろいろと粗やおかしな点があるかと思います。リハビリしつつ、より良い作品を作れるよう、精進していきたいです。そのうちまた長編を投稿するかと思うので、その際はお読みいただけると幸いです。

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