アンブレイカブルマン
「…これ、本当にあってる?」
すーっと息を吸った後に意を決して聞いてみた。
「はい、保育園の未満児さん達もこれ使ってるんですよ、ヘルメットがまだ被れないから」
「…へー」
今、俺は頭に座布団を被っている。
この世には座布団をトランスフォームさせて防災頭巾として使う製品があるらしい。
だから座布団で頭を守るのは理にかなっている、と女は言う。
正方形の座布団は頭巾のように頭全体を覆える訳もなく、エリンギのようになってしまうから顎から頭頂部に回して紐で縛っている。
クソだせぇ。
今すぐ取って地面に叩き付けたい。
でも女はやる気満々で、意気揚々と外に出た。
危なっかしいから1人で行かせる訳にもいかず、俺もその後に続く。
2階部分の焼け残った場所には行かないように見張らないと。
「あそこは何のお部屋だったんですか?」
「そんな…」
早速焼け残った危険箇所を指差して聞くと俺は両手を腰に当てて頭をガクッと落とした。
残念ながら座布団は落ちなかった。
「…あそこは主寝室、親が使ってた部屋」
「ほぉ」
断面が黒く焼けた部屋を見上げると女は足元に注意しながら歩き始めた。
「あ、危ないから行かない方がいい」
咄嗟に腕を掴み止めると、女は振り向いて俺を見る。
直ぐに手を離すも女は俺の手を握り返す。
「一緒に行きましょ」
火事が起きた日のように、女は俺の手を引いて歩き出した。
あの時は茫然自失で何も考えられなかったが、こうしていると行手を先導する細い手が不思議と逞しく見える。
て、思った矢先に「ぅぎゃっ」と声を上げて女は滑って転けた。
「大丈夫か?」
「まだ濡れているみたいで、滑っちゃいました…」
立ち上がろうとした時、手元に何か当たったのか、女は下を向く。
「あれ、これって」
足元に積まれたゴミを退かすと、つるんとしたビニールのような物が出て来た。
それに見覚えがあった俺は周りの物を退けて手に取る。
それは、フォトアルバムだった。
焦げ臭く、傷だらけの表紙をめくると中にはフィルムタイプの台紙に写真がランダムに貼られていた。
台紙は所々水が染み込み、汚れてはいるが見れる状態だった。
入学式、卒業式、親子レク、旅行に行った時、船に乗った時、馬に乗った時、キャンプに行った時、全て、親子3人の写真で埋め尽くされている。
俺、こんなダサい服着てたっけ、
母さん、良くこの帽子被ってたな、
父さんは、そうだ、いつも手を後ろに回すんだよな、写真撮る時。
懐かしい。
俺はこの家に戻ってからもう8年以上経つのに、家族の思い出を何一つ振り返っていない。
全部、寝室に放り込んで見ないようにしていた。
過去を振り返ったら俺はもう1人ぼっちなんだって思い知らされそうだったから。
1人でいい、孤独が好きなんだって思いながらも本当は惨めに感じている自分に気付いてしまいそうだったから。
正面からまともに食らったら傷付く事が分かってて、怖くて、何年も閉じ込めて、
…ごめんな、父さん、母さん。
「素敵な写真」
声を掛けられ、女に目を向ける。
「面影ありますね、お宮澤さんは父さん似だ、あ、これって熱海ですよね?これは水族館?これは軽井沢かな?これは富士山登ったんですね」
俺がしんみりしているのが伝わったのか、女はまた息継ぎを忘れる勢いで喋り出した。
その姿が…
女の頰に付いた泥を指で払った。
俺の手に少し驚き、目を細めて肩をすくめている。
女はゆらゆらと目を泳がせながら俺を見上げた。
時間が一瞬止まる。
ブォーンと車の音が聞こえ、パッと手を離した。
「ひ、かるくん?」
「あ、ぷく、」
——っ!座布団…!
ぷくおは下唇を噛んで目を逸らした。
滅多に笑わないクールな男が笑いを堪えている。
するとまたパタンと車のドアを閉める音が聞こえた。
———ユキエ…!!
片手は腹を、もう片手は顔を抑えてプルプル震えながら姿を現した。
耳が真っ赤になっている。
この女だけには見られたくなかった…!
「頼まれていた物と、簡単に食べられる物を買ったから、2人で食べ、ぶふっ」
クールが維持できなかったぷくおはとうとう吹き出した。
後ろではユキエがヒーヒー言いながら呼吸している。
俺、あの女、嫌い。
俺達は家の跡地から出ると頭の座布団を取ってぷくおに近づいた。
「初めまして、宮澤さんの隣に住んでる香田優香と申します、よろしくお願いします」
女はぷくおに頭を下げて挨拶した。
「どうも、初めまして、光くんの友達の上福です、あっちの子はユキエ」
呼吸を整えたユキエはこちらを向くと腕を組んで、すん、とした顔を見せた。
そんで霊視してんのか何なのか知らないけど、態度がでけぇ。
女は「カッコいい、素敵なカップル」みたいな事言ってヘラヘラしていて、ぷくおは適当に返事している。
するとユキエは真っ赤な口を開けて喋り出した。
「君達もお似合いだよ、今度来る時はコンドー、むぐっ」
ぷくおはユキエの口を塞いで言葉を遮った。
「何でもないよ、じゃあ俺たちはもう行くから」
そう言うとユキエに何か耳打ちして車に乗り込む。
今度来る時は今度?
意味が分からん。
「あ、そうだ、光くん」
運転席に座ったぷくおは窓を開けると俺を呼んだ。
「事後報告で悪いんだけど、この前の火事の時実は動画撮っててさ、それを上げたら結構バズったんだよね、お陰で登録者数三百万人に届く勢いだよ、光くんのチャンネルも人増えてるからチェックしなよ」
「…はあ」
「コメ欄で“呪いのシッペ返しじゃね?”とか書かれてて笑ったわ、くくっ、じゃ」
そう言うとぷくおは砂煙を俺に浴びせて帰って行った。
時折見せるそのサイコ感漂うドSっぷり、嫌いじゃないぜ。
——————
「明日、鍵を貸してほしい」
寝る間際、電気の消された室内から廊下にいる女に話しかけた。
眉毛を上げて、なんで?と言わんばかりの顔をしている。
「ちょっと不動産屋行って来るから」
「あ…、はい、分かりました」
背後の明かりで影のように浮かび上がる女のシルエットは俯いて何か考えているようだった。
「あの、急がなくても大丈夫ですよ?私は何も問題ないので、焦らず、ゆっくりでいいので」
「おう、…りがと」
「色々と落ち着いてからでもいいですからね、ほら、年明けて落ち着いてからとかでも」
今5月だけど!?
「お、おう、ありがとう」
ボケなのか本気なのかよく分からない発言をする女だ。
互いに「おやすみ」と挨拶をしてそれぞれの寝床に入った。
—————
俺は、火と相性が悪いのだろうか…。
いつもあいつが飯を作ってくれるから、今日は俺が作ろうと思って不動産屋に行った帰りにスーパーに寄って食材買って来たのに、何一つ上手くいかない。
全部焦がしちまった。
台所は何か爆発事故でも起きたかのようにあらゆる物が散乱している。
あいつが毎朝飲んでるって言うから牛乳を買って、好きそうだなって思ってプリンも買って、ヒビの入った茶碗を使ってたから新しいのを買って、気付けば買い物袋2袋分になってて、それをチャリのハンドルに掛けて頑張って坂道漕いで帰って来たのに…。
縁側に座って禁煙ガムを噛みながら一点を見つめていると車のドアを閉める音が聞こえてきた。
やばい、もう帰って来た、やっぱりぷくおが買って来てくれたレトルトをチンしよう、作ったもん片付けなきゃ。
慌てて台所に行くも、女が室内に入って来ていた。
ごちゃごちゃになった台所を見て目を丸くしている。
「あ、すまん、慣れない事したからこんな事になっちゃって、今片付けるから」
そう言ってフライパンの中の焦げたハンバーグを袋に入れようとすると女が手を伸ばす。
「ダメっ」
フライパンの傾きを水平にすると女は「捨てちゃダメ」と言った。
「良い匂いが外からもしてましたよ?一緒に食べよ?」
真っ直ぐ見つめられ、俺は嫌だとは言えなかった。
不安を抱えたままハンバーグとナポリタンを皿に盛る。
ハンバーグを一口食べてみると、焦げてて不味い。
ナポリタンは茹で過ぎた麺がブヨブヨだし、野菜は生焼けでにんじんがガリガリ言っている。
チラリと女に目を向けると一点を見つめて咀嚼していた。
「す、スモーキーで大人って感じで美味しいっ!」
それを聞いた俺は思わず吹き出す。
腹を抱えて笑う俺を見た女は顔が赤くなっていく。
「何だよ、それ、無理あるだろ」
「え?へへ、美味しいですよぉ」
声を出して笑うのなんて、何年振りだろ。
それからも俺は果敢に夕飯作りに挑んだ。
焦がす事は無くなったが、味付けの加減で失敗するなど、とても美味いとは言えない代物だったが、それでも女は「美味しい」と言って残さず食べてくれた。
「美味しい」の一言でまた作ろうと思え、俺はどっかの主婦のように今日もチャリを漕いでスーパーへ出向く。
ふと、店のガラスに映る自分と目が合う。
いつだか、ぷくおに“長髪は女子ウケが悪い”と言われた事を思い出した。
——————
ジョリジョリしてる。
これってついつい触っちゃうんだよな。
刈り上げなんて中学の時以来だ。
「似合ってるわよぉ、良い男になっちゃったわね」
床屋のおばちゃんに褒められる。
「どうも」
予約無しでも切ってくれそうな床屋でカットをお願いしたのだが、そこのおばちゃんは天パを活かした髪型だと言って襟足ともみあげをフェードカットし、前髪を長めに残した髪型にしてくれた。
前髪は真ん中から分けてセットされ、店の壁に貼られたK-POPアイドルの写真を見ればおばちゃんの趣味だと言う事は一目瞭然だ。
髪を切っていたらあっという間に夕方になってしまった。
急いで帰路につく。
あいつはどんなリアクションするだろうか、前の方が良かったとか言われないよな?
“似合ってる”って褒めてくれるだろうか。
むず痒さが込み上げ、顔がニヤける。
クロミちゃんTシャツを靡かせながら家まで着くと、見た事のない車が止まっていた。
ゴツい白のランクル。
その車から男が降りてくる。
背が高く、程よい筋肉を携わえた目鼻立ちのはっきりとしたイケメン。
破壊不可能男だ。
死ななかった男。
保育士から看護師に乗り換えた男。
大きな花束を持って呼び鈴を鳴らすと女が出て来た。
男は玄関先で膝をつく。
「優香、許してほしい、本当にごめん、俺には優香が必要だって気付いたんだ、一生を掛けて償わせてほしい」
よく聞こえないがそんな事を言っていそうな雰囲気。
女は両手を口に当てて泣きそうな顔をしている。
そうだよな、こんなん誰だってきゃーってなるよな。
それを見た俺はチャリの向きを変えて登って来た坂道を下り始めた。




