写真とメモ
「なぁ、しばらくぷくおん家、泊めて」
「あー、無理、もうユキエの荷物搬入しちゃったから」
「お前…ユキエごと呪うわ」
「ごめんて」
俺とぷくおは、風に乗って降って来る煤を浴びながら煌々と燃える家を見上げている。
おや、こんな夜中に野焼きかな?
なんて思いながら見上げていた煙は我が家からでした。
何だか騒々しいな、まさかなって思いながら坂道を登って辿り着くと我が家からでした。
…あぁ、服が、靴が、食品が、
コレクションしてたDVDが、本が、撮影機材が、
世界各国の呪物が、カッコイイ悪魔の置物が、どでかいタペストリーが、
———この家の、思い出が…
「宮澤さん!!」
ドンっと何かに追突され、目の前の炎の残影が伸びた。
下に目を向けると頭のつむじが見える。
「良かった、良かったぁ、自転車があるからてっきり中に居るのかと思って私…、本当に良かった」
あぁ、隣の女か。何で泣いてんだこいつ。
つか消防団員も何でこっち見てんだよ、ちゃんと消火活動しろよ。
飲み会だけじゃなくてちゃんと訓練もしてたって事を証明しろ。
で、何でこの女はこんなにびちょびちょなんだ?
まさか燃えてる家の中に入ろうとしたとか、それは無いわな。
きっと服着たまま風呂に入ったんだろう。
この女ならやりかねん。
阿呆だから。
——————
「…さん、…宮澤さん」
耳かきに付いてるふわふわを突っ込まれたかのような、ゾワっとする囁き声で目を覚ます。
目を開くと目の前に隣の女がいた。
慌てて飛び起き、ソファに座る。
「起こしちゃってごめんなさい」
「…んん、」
「私、土曜保育の当番なので家を出ちゃうんですけど、お風呂とか好きに使って下さいね」
「ん」
「冷蔵庫の物も好きに食べていいので」
「ん」
「夕方には帰って来るので」
「ん」
「…あ、何かあったらそこの紙に電話番号が書いてあるから電話して下さいね」
「ん」
「…じゃあ、行ってきます」
「ん」
うまく返事が出来ない思春期の息子と、その母親みたいな会話。
女が家を出ると、はぁとため息を吐いて頭をぷらぷらさせた。
あまりよく覚えていないが、昨夜は女に手を引かれるがまま、このボロ屋で一夜を過ごしたようだ。
家の外はボロいが、中はカラフルで明るいインテリア雑貨で飾られていて、何ともラブリーな室内になっている。
棚の上で、他のぬいぐるみと一緒に飾られたルッククロックと目が合った。
…お元気そうで何より。
室内を見渡しているとパンティが目に入った。
慌てて己の目を潰す。
なんて、なんて阿呆な女、男を連れ込んで更には下着を目の届く範囲に干すとか、セキュリティが猫よけレベル。
白地にピンクレースの下着の残像が脳に焼き付いてしまったではないか。
「一気に目が覚めたわ、まったく…」
ぶつくさ言いながら立ち上がって縁側へ行き、ガラス戸を開ける。
黒く焼け、骨組みが剥き出しになった我が家が見える。
「…」
ふと、中庭に土がこんもりしている箇所に気付いた。
その上には手作りの十字架のような物が刺さっていて、この前俺が置き配したカラスの死骸が頭を過る。
…十字架が竹串で出来ているのが少し気になるが。
「ひーかるくーん」
原型を留めていない家に向かって俺を呼んでいるぷくおの姿が見える。
たまにぶっ込んで来るそのブラックユーモア、嫌いじゃないぜ。
——「ほら、着替えとか歯ブラシがとか買って来たからコレ使え」
「おう、ありがと」
ぷくおの差し出した紙袋の中を覗くと、黒いTシャツに黒のパンツなどが入っていた。
さすが、俺の事分かってる。
結婚するならぷくおだな。
「原因は分かったの?」
「一階のソファ付近が1番激しく燃えてるから、多分、タバコの不始末」
俺達は家を背に、焼け残った玄関ポーチに座って話をしている。
ぷくおは隣のボロ屋を見て指差すと「しばらく泊めてもらうの?」と聞いてきた。
「いや、なるべく早めに出ようと思ってる、ネカフェに拠点移すかも」
「ふーん、隣の女、可愛い子じゃん、お前が話していたイメージとはかけ離れてたな」
その発言に、道端のゲロを見るような目でぷくおを見た。
「なんだよ、お前を見つけると泣きながら抱きついて来たんだぞ?心が動くだろ普通」
「あの女は、未だかつて出会った事のないレベルのアホで、かつ危険な女なんだよ、もしアホ指数を計れるスカウターがあるならあいつは53万だ」
「最終形態のフリーザか…、ってそれの何処が危険なんだよ」
「あいつは特殊な能力を使える」
「へー」
「あの女は人を不整脈にする事が出来る能力を持ってんだよ、あいつが近くにいると心臓の動きが変になって苦しくなる」
「…え、それって…」
ぷくおは眉毛を上げて俺を見ると、それ以上言葉を続けなかった。
無理もない、大好きな親友が命の危険と隣り合わせなのだから。
「だからあの女はこんな田舎に、身を隠すように引っ越して来たんだ、きっと自分の力を抑えられないんだ」
「…」
ポンっと俺の肩に手を置くとぷくおは言った。
「初めてって、戸惑うよな」
ちょっと発言の意図が良く分からなかったけど、とりあえず「え?あぁ、」と、返事をした。
「他に何か必要な物があったら言ってくれ」
そう言うとぷくおはユキエとの愛の巣に帰って行った。
取り敢えず、次来たら禁煙ガムを持って来て欲しいとお願いしてある。
————
「はぁ…」
ため息の吐き過ぎで酸欠になりそうだ。
スマホで条件に合う物件を探しているのだが、なかなか良いのが見つからない。
アパートに住むとなると近隣住民がいるし、一戸建てだと予算オーバーだし、これまた近隣住民居るし。
人の居ない所に住みたい、って不動産屋に行って相談してみるか。
洞窟を紹介されたりして。もうここしか無いっすねっつって。
家具、家電、撮影機材もまた揃えなきゃな。
貯金、いくら残ってたっけ?
縁側に寝転びながら今後の事について考えてたのだが、気付いたらブラとパンティをずっと見ていた。
自分を罰するように瞼を摘んでパチンと弾く。
———夕方、女が帰宅する。
「ただいまぁ、お腹空きましたよね、今ご飯作りますね」
「ん、あぁ」
女の言葉に朝から何も食べていない事に気づき、途端に腹が減ってきた。
女は帰ってくるなり、忙しなく動き回っている。
髪を一つに束ね、エプロンを着替えると台所に立った。
捲った袖から細い腕が伸び、手際良く料理を作り始めた女の後ろ姿を、俺はじっと見ていた。
黙々と作業をしているだけなのに、なぜか見てしまう。
———特に俯いた時に見えるうなじから目が離せない。
はっとした俺はまつ毛を引っ張って瞼をパチンと弾いた。
この家を出る頃には貞子のようにまつ毛が無くなっているかもしれない。
何のこっちゃって思ったら〈貞子 まつげ〉で検索してドキッとするがいい。
数分後、出来上がった夕食がちゃぶ台に並ぶ。
鮭のムニエルと味噌汁とご飯と春雨サラダ。
統一感がないが、こういうモンだよな。
出来たての家庭料理なんて、何年ぶりだろう。
————「で、今日その子に腕を噛まれちゃって」
女はそう言うと腕についた小さな歯形を見せた。
食事中、女は引っ切り無しに喋っている。
俺に気を遣っているのか、それとも沈黙が怖いのか?
勢い良く喋り過ぎて息継ぎを忘れてしまうのか、たまに変なところで、すーっと息を吸っている。
取り敢えず落ち着け、と言ってやりたい。
確かに家が燃えた事はショックだけど、落ち着けよって。
…でも、まぁ、面白いからしばらくこのままにしておこう。
食後、女が食器を重ねて片付けるのを見て「あ、」と声を掛ける。
「俺が片付ける、何もしてないし」
「うーん…、じゃあお願いしちゃおっかな」
俺は食器を流しに運び洗い物を始めると、女は洗濯物を取り込み始めた。
ピンチハンガーの洗濯バサミをパチパチと弾く音が聞こえる。
不意に小声で「あ…」と聞こえ、音が止まる。
S級のあほうめ、今気付いたのか。
次干す時はタオルか何かで隠してから干せよ、まったく、どんだけ目を痛めつけた事か、こっちも迷惑被ってるからな。
なんて、思いながらも女に背を向けたまま、目の前の皿を洗い続けた。
「バッドばつ丸くん…」
ぷくおが用意してくれたTシャツに着替えようと広げたところ、フロントに大きくバツ丸くんの顔がプリントされていた。
もう一つのTシャツも広げてみる。
「クロミちゃん…」
黒いTシャツなら何でも良いわけじゃないんよ、ぷくお。
クロミちゃんに至ってはユキエのセンスのように思えて怒りが湧いてくる。
あの女が部屋着にしていそうだ。
消去法でバツ丸くんのTシャツを着て風呂から出た。
脱衣所を出ると寝室の襖が開いており、室内の様子が視界に入った。
センターラグを敷いた畳の上にベッドが置かれ、カーテンや布団カバーがピンクで、何ともミスマッチなインテリア。
ベッドサイドの棚に写真らしき物が置かれており、フォトフレームには見覚えのある紙が挟まっている。
それが気になった俺は室内に入り、写真に近いてみた。
フレームに挟まれていた小さな薄黄色のメモ用紙には“うまかった”と書かれている。
中には女の写真が飾られていて、メモ紙を取り外すと全体像が見えてきた。
笑顔の女の横には男が写っていた。
大きく口を開けて豪快に笑うイケメンが。




