ちょっと贅沢な朝食
ベッドルームを出ると、まるでホテルのように奥までまっすぐ伸びる長い廊下が現れた。
壁に取り付けられたランプが等間隔でほのかな光を落とし、柔らかくも頼りない明かりが、空間をほの暗く染めていた。
「長い廊下……、お部屋は何部屋あるの?」
思わず声が弾む。薄暗く静かな廊下に、ちょっとした探検気分が湧き上がってくる。
「今現在、設定してある部屋は三部屋よ、さっきのベッドルームと、これから行くダイニングキッチン、後はお風呂ね。設定してない扉は開けても壁があるだけよ」
そういわれたら確かめたくなる。私はベッドルームの向かいにある扉を開けてみると、そこに空間はなく、廊下の壁があるだけだった。
「ホントだ……」
まるで舞台裏を覗いてしまったような、不思議な感覚に小さく笑ってしまう。
「必要ならあと五部屋は増やせるわ。ダイニングはこっち、ベッドルームから出て左隣、ダイニングの向かいがお風呂よ」
「ダイニングの奥にある大きな扉は?」
「あそこは外への出入口、ご飯を食べて私の着替えが終わったら外でチュートリアルしましょうね」
「え⁉」
急に現実的なイベント名が出てきて、背筋が少しだけ伸びる。
『心配ご無用、魔獣が出ても俺が守ってやる』
テンちゃんの低く響く声に、ほんの少し肩の力が抜ける。
「そうね、何かあっても私とテンちゃんが守ってあげるから」
「わかった、頑張る!」
小さく拳を握り、自分を奮い立たせる。
そして、ダイニングへと続く扉に手をかけ、そっと引いて開ける。
途端に、家庭的で可愛らしい英国調のダイニングが目に飛び込んできた。
レースのカーテン越しに差し込む光が部屋をやわらかく照らし、テーブルクロスには小花模様。八人掛けのオーク材のテーブルの上には白磁の皿と銀のカトラリーがきちんと並び、壁際のキャビネットには白磁のティーセットがきちんと並んでいた。
『さあ、席に着いた』
エプロンを着けたテンちゃんが、わたしを抱き上げ椅子に座らせてくれる。
「テンちゃん、ありがと」
ミーヤちゃんは向かいの席に座り、待ちきれない様子でナイフとフォークを握りしめている。
「ミーヤちゃん、そういえば窓の外ってどうなってるの?」
温かな光が差し込む窓の向こうには外の景色が広がり、ここが鏡の中だということを思わず忘れそうになる。
「ふふ、あれは本物じゃないの。絵みたいなものよ。だけど、ちゃんと外の世界の時間や天気とリンクさせてあるし、風や光も感じられるようにしてあるの。設定して無いと、何もない真っ暗な状態なの。窓の外が真っ暗じゃ不気味でしょ?」
「なるほど……。日の当たる窓際でお昼寝するのも気持ちよさそうだね」
「いいわね。今度、縁側のあるお部屋を創って一緒にお昼寝しましょうか」
ミーヤちゃんが楽しそうに微笑む。その間に、テンちゃんは手際よく配膳を始めていた。アルミホイルに覆われた皿と、彩り豊かなサラダ、湯気を立てるコーンスープ、そしてデザートのフルーツ盛り合わせが順番に並べられていく。
『熱いから火傷しないように気を付けて』
そう言ってテンちゃんがアルミホイルを外すと、香ばしいバターとチーズの香りがふわりと立ち上る。
『特製クロックマダムだ、召し上がれ』
「美味しそう、いただきま~す♪」
ナイフを入れると、とろりと半熟の卵がとろけ出し、中から厚切りのベーコンが顔を出した。
――本来なら薄切りハムが入る料理だけど、テンちゃんは豪快にベーコンでアレンジしている。
立ちのぼる香ばしい香りに、食欲が一気にかき立てられる。
表面のチーズはとろりと糸を引き、その下から溶け出したベシャメルソースが流れ出す様子に、笑みがこぼれた。
「ふぅ~、ふぅ~、あっちぃ……でも、うまっ」
ひと口食べれば、パンの表面はサクッ、中はふんわり。口の中に広がる塩気とコクに、思わず目を細めた。
隣でテンちゃんが静かに頷いているのが、視界の端に見えた。
ミーヤちゃんは四等分にしたクロックマダムを小さな手でつまむと、ぱくりと口に運んだ。けれど、人形の小さな口には到底入りきらないはずの大きなひと口で、パンにもしっかり大きな歯形が残っている。
ミーヤちゃんは幸せそうに頬をふくらませ、モグモグと味わっていた。
…………。ここでサラダをひと口。シャキッとした歯ごたえと、ドレッシングの爽やかさで口の中がさっぱりとする。
コーンスープはなめらかな舌触りで、とうもろこしの甘みがじんわり広がった。
彩りのフルーツは、イチゴの酸味とリンゴの甘さ、キウイの爽やかさが朝の食卓を明るくしてくれる。
「……テンちゃん、天才だよ」
余韻に浸りながら小さく呟くと、テンちゃんは『フフッ』と小さく笑い、湯気立つポットを持ち上げカップに紅茶を注いでくれる。
「ありがとうテンちゃん♡」
紅茶を飲みながら談笑していると、ふと先ほどの料理の材料の出所が気になった。
「ねぇ、テンちゃん。お料理の材料ってどこから持ってきたの?」
すると横から、ミーヤちゃんがドヤ顔で割り込んでくる。
「塩以外は私が用意したわ。キッチンにはあらゆる食材が揃っているわ」
「えっ! すごい! お米とかも有るの?」
「もちろんあるわ!食べ物に不自由させないわ!……だって私も食べるんだもの!」
思わず突っ込みそうになったけれど、衣食住すべてを用意してくれていることを思うと、やっぱり文句なんて言えなかった。
「……ありがとう、ミーヤちゃん。じゃあ、塩は?」
「それがね、塩も用意してあったんだけど、テンちゃんがキッチンを見てすぐに『とりあえず塩だな』って言って、海まで飛んで取ってきちゃったの。せっかくだから、今はその塩を使っているわ、だって二百キロも持ってくるんだもの」
思わず目を丸くする。
『食材まであるとは思わなかったんだ……』
「そうなんだ、ありがとねテンちゃん」
『なぁに、お嬢のためならこれくらい朝飯前さ!』
「そういえば……海に行くとき、見られなかった?」
胸の奥にあった不安が、ぽろりと零れる。
『ん? 見られなかったと思うぞ?』
「……わたしね。ミルクレインの街でバラバラにされてから、ずっと空の上から“何か”に見られている気がしてたの。だから、森に逃げたの」
『えっ⁉ 気が付かなかった!』
「へぇ、それなら外に出たときに確かめてみましょう?」
お腹もいっぱいになったし、空の上から感じる“何か”の正体も気になる。
だったら早速、外に出て確かめてみよう。
その前に――ミーヤちゃんの着替えを手伝わなくちゃ。
「そうだね。テンちゃん、ごちそうさまでした」
『どういたしまして』
ミーヤちゃんの着替えをするため、片づけをしてくれるテンちゃんをダイニングに残し、ベッドルームへ戻った。
「背中の結び目を解いてくれるかしら。手は届くんだけど、全然ほどけないのよ」
「オッケー。――あっ、けっこうくちゃくちゃになってる。ちょっと待ってて」
指先で結び目を探り、慎重に緩めていく。
「無駄に丈夫だから、切るわけにもいかないのよね。……テンちゃんに頼むのも、なんだか複雑だわ」
確かにテンちゃんは半纏だけど、中身は男の人みたいなもの。……私自身は、ずっと全裸で接していたから抵抗はないんだけど。
結び目に悪戦苦闘していると、ふと気づいたことがあった。
「わぁ、ミーヤちゃんって柔らかいんだ。球体関節のお人形だから、もっと固いと思ってた。」
「そうね。手触りは関節や骨格の部分は固いけど、それ以外は実際の体とあまり変わらないわ」
感触を確かめるように背中に手のひらを当てると、そこからじんわりと温もりが伝わってきた。
「しかも……あったかい。人と同じなんだね」
「ええ、人並みに体温もあるのよ」
二の腕に触れると、しっとりと弾力があって思わず手が止まる。
「マシュマロボディだ!」
「その言い方は、ちょっと誤解を招くわね……」
背中の結び目に手をかけ、慎重にほどいていく。
「……はい、ほどけたよ」
「ありがとう。着るのは自分でできるわ」
ミーヤちゃんは小さな手をぱちんと軽やかに叩いた。
部屋の隅に置かれた黒いトランクケースがパカリと開き、淡い光を放つ服や下着がふわりと舞い上がる。まるで踊るように宙を漂い、ミーヤちゃんの体へ優雅に吸い寄せられていった。
あっという間に身にまとったのは、深みのある濃紺のクラシカルワンピース。胸元にあしらわれた立体感のあるフリルが明るいグレーのブラウスを美しく引き立て、ワンピースのジャガード生地は光を受けるたびに微妙な陰影を作り、花模様が立体的に浮かび上がった。
振り向くと、足元には艶やかな黒のメリージェーンシューズが揃っている。丸みを帯びたトゥが彼女の可憐な雰囲気を一層際立たせていた。
ミーヤちゃんは、履き慣れたかのようにスッと足を入れてストラップを留め、柔らかく一歩踏み出す。
「おまたせ、どお?似合ってる?」
「似合ってる! ミーヤちゃん、かわいい!」
ほほ笑みを交わし、ミーヤちゃんはすっと立ち上がった。
「ありがと、じゃあ、外に行きましょ」
「そういえば、ミーヤちゃん神様なのにずっと私達と一緒にいても大丈夫なの?」
少し不安そうに尋ねると、ミーヤちゃんはにっこり笑った。
「問題ないわ、この人形を操作しながら、神としてのお勤めはしっかりこなしているもの」
「どんな感じなの? 二つの意識がある感じ? それとも一つの意識で同時に処理する感じ?」
「意識は一つよ。今操作している体は三つあるの。このミーヤちゃん人形と、神界でお勤めしている本体、それに――あなたの転生時に会った姿で同人活動!」
最後だけ少し胸を張るように言うミーヤちゃん。
転生時に会った姿――ああ、紺色のジャージを着た、やたらと乳がデカい、あの姿か……。
「へぇ~、 でも、なんだか忙しそうだね」
「ふふ、楽しいから大丈夫よ♪」
「同人活動って、どんな活動?」
軽い気持ちで聞いたのに、ミーヤちゃんはぴたりと固まり、目を泳がせ始める。
「……そ、それは……ひ、秘密!」
わざとらしいほど勢いよく立ち上がり、赤い頬を隠すようにくるりと背を向けた。
「ささっ! 早く行きましょ! テンちゃんが待ってるわ!」
「えっ⁉ ちょっとぉ!?」
小さな足でトタトタと逃げるように部屋を出ていくミーヤちゃん。その後ろ姿を追いかけながら、わたしも部屋を後にした。




