いいてんき?
――その日の朝、普段なら、白く立ちこめた朝霧が街全体を包んでるはずの時間。
ここはミルクレイン。人々には“静霧の街”なんて呼ばれていた。
朝霧も、しとしとと降る雨も、この街の春の風物詩で、街の名の由来でもある。
なのにここ五日ほど。空は驚くほど澄んでいて、信じられないくらい綺麗な青色をしていた。
街の者なら誰でも、不思議に思うはず。でも、この街にはもう誰もいない……。
だから、こんなおかしな天気に首をかしげてるのは、きっとわたしだけ。
『嗚呼、良き天気。……それにしても、ここ五日ばかり、やたらと天気がいいなぁ。こんなに続くなんて五十年この街にいるけど初めてかも。なにかいい事でも起きそうな予感♪』
などとポジティブに考えてみたものの、すぐに冷静になってしまう。
『うん……、なんか、逆に怖くなってきた。 こんなに晴れが続くなんて、不吉の前触れなんじゃ……?』
そのとき。何か……赤い光?
遺跡の場所だ!
白み始めた空へ向かって、赤い光がびぃーん!とまるでレーザーのように一直線に伸びていく。
『な、何の光ィ⁉』
思わず心の中でそう叫んだ。もちろん誰も答えてくれない。
その時だった。
遺跡が、沈んだ!
わたしには、大地そのものが内側に吸い込まれたように見えた。
目も眩む閃光、けれど音が来ない。
『何⁉今の何⁉』
風景が変わる。
まるで、波紋が広がっていくように、世界が歪む。
衝撃波が、こっちに来る⁉
『……ッ‼こッ、これ死ぬやつ‼』
死を覚悟した時。
半纏がふわりと飛び上がり、わたしを抱き上げ足元の台座を“収納”し、股間鑑賞スペースの中へ静かに運び込んだ。
そして、何かを決意するように、自らが覆いかぶさる。
『なにをッ⁉』
次の瞬間——建物が潰れる音も、空気が裂ける音も、全部混じった音が、頭の奥で爆ぜた。
半纏はその身に衝撃波を受け、はるか彼方へと吹き飛ばされていった。
『半纏‼』
目で半纏を追うと教会が粉砕されるのが見えた。わたしも――、割れた。
頭が取れ、胴が砕け、手足が粉々になっていく。
『ああ~、ムリムリムリムリこれ‼死ぬ。せっかく転生したのに、石像のまま死ぬ……⁉やだやだやだ‼わたし何のために来たの⁉』
砕けていく中、心の中だけで、全力で叫んだ。
『助けてミーヤ様‼』
――そして、意識が、ぶつんと切れた。
晴天になるはずだった空に、黒い雲が渦巻いていた。
さっきまでミルクレインの街だった場所は、巨大なクレーターと化し、爆風で舞い上がった粉塵を抱いた黒い雨が、じわじわと地表を濡らしていく。
街の跡地に散らばる、瓦礫の山。その中に、石像の頭部の破片が残されていた。
そこへ周囲から金色の粒子が、ひとつ、またひとつ、風の流れに抗うように、一直線にその破片へ集まっていく。
雪のように積り、かたまり、そして熱を帯び淡く光り出した。
ぱきん、と音を立てて、表面が割れる。中から現れたのは、“のっぺらぼう”のような顔。
その表面に再び粒子が集まり、目蓋、鼻、唇、耳、——順を追って構築されていく。
そして——、意識が戻った。
「……ヴぁあ!あああッ⁉」
目が開いた瞬間、反射的に絶叫した。世界が逆さまで、しかも、顔だけ⁉ 体がない⁉ いや、作られてる途中⁉
「え、えっ、ちょ、何この状態?わたし生きてるの⁉」
仰向けの状態で、降り注ぐ雨が鼻や目に容赦なく入り込む。
「っつぉっ!つっめたっ、む、向き!上向き、溺れる!目、しみるう!雨に殺されるぅ‼」
腕がにょきにょきと肩から伸び、体を起こしてなんとか事なきを得る。わたしは息を整えながら、ようやく状況を理解し始めた。
「うわぁ、街が……なくなっちゃった……」
目の前に広がるのは、五十年間わたしが見続けた景色――教会と、その前の広場。
だけど、今は何もない。黒く焦げた瓦礫と土煙の中、あの綺麗だったステンドグラスも、神父たちがたむろしてた玄関口も、わたしのお土産を売ってた出店も……全部消えてしまっていた。
なかでも、ミルク饅頭の出店がなくなってたのは、なんか……ちょっと、寂しい。
もともとは、ミルクレイン名物の素朴な白餡饅頭だったのに、わたしの石像が「母乳が出る」とか妙な噂が広まって、わたしの胸を模した『ミルク饅頭』にリニューアル。
さらにエスカレートして『おちんちん饅頭』まで登場する始末。
伝説の『幸せをよぶ練乳入りミルク饅頭』とか、幻の『嵐をよぶ練乳入りおちんちん饅頭』とかいろんなバリエーションがあったみたい……。
饅頭屋の亭主はいつも、「ひらっべったいから餡が少なくて済むわ、ガハハ!」と豪快に笑いながら、毎朝できたての饅頭をわたしの台座に供えていった。
……おかげで半纏の“収納”の中には、未開封のミルク饅頭が山ほど入ってる。ありがたいけど、……いや、食べるのかな。これから……。
賞味期限、……だいぶ切れてそうだけど。
「……そっかぁ。なくなっちゃったんだ……」
わたしが知ってるミルクレインの街は、この広場だけだった。
祭りの日に賑やかになる様子も、季節の花で飾られる様子も、ぜんぶ見てた。
でもその先、広場を抜けた街の向こうには一度も行ったことがない。
石だったから。動けなかったから。
「結局、広場の向こうは、どんなだったのかな……」
見たかったな。せめて一度くらい、あの門の先まで行ってみたかった。
でも、もう遅い。全部、なくなっちゃった。
「……まあ、住人は避難してたんだし……うん。そうだよね。無事ならいいか……」
自分に言い聞かせるようにつぶやく……。
「ミーヤ様が『死なないから安心して』って言ってたのは本当だったみたい……、でもどうせなら痛みも無くしてくれたら良かったのに、バラバラになるとき死ぬほど痛かった……」
体は再生を続けていた。胸、腹、股関節、脚と、順を追って復元されていく。
金色の粒子がふわふわと漂い、わたしの体に吸い込まれるたび、むず痒いような感覚とともに肉が形を取り戻していく。
『なんだろう……この光ってるの、ちょっとキレイ……。いやでも、ちょっと気持ち悪いかも』
わたしの意思なんておかまいなしに、勝手に体の奥に侵入して、体を作り直される。
見た目は幻想的なのに、やってることはけっこうホラーだ。
「治してくれてるのはありがたいけど……、作り直されたわたしって、本当にわたし……?」
考えれば考えるほど、答えが見つからず、感情がぐるぐるする。
「……まっ、いいか、治してくれてるんだから。よし!完全復活!これで石像生活ともおさらばだ!」
そして、股間が光り出し余計な物まで再生されていく。
「あっ……やっぱり“おちんちん”も生えるのね……って、ちょっと!ご立派ァ!」
再生されたおちんちんの大きさは目測で十五センチ、小柄なわたしの体に不似合いなサイズなっていた。
先っちょは、かろうじて皮の中に納まってはいるが、ズルっといくのも時間の問題だろう。
「いや、おっきくない⁉もしかして、五十年勃ちっぱなしだったから⁉しかもこれで通常状態?ここからさらに大きくなるの⁉」
フクロ方もしっかりと大きく、中身もうずらの卵ほどの大きさなっている、フクロを手で下から持ち上げてみるとずしりと重い。
「こっ、こんなになちゃって、ちょっと前まで可愛かったのに“おちんちん”だけ大人になっちゃった……」
ふと視界の端にふさふさと白く輝くものが映る、髪の毛が生え、伸びてきているようだ。
「……よかったぁ、髪もちゃんと生えてきた、つるつるじゃ寂しいもんね♪」
けれど、喜びも束の間。髪は伸び続け、雨でびしょ濡れになりながら、どんどん広がっていく。
「ちょ、ちょっと!髪!止まって、ストップ、ストーップ!」
声が裏返るのも気にせず叫ぶ。けれど、白い髪は止まらない。地面を這う勢いでぐんぐんと伸び続け、あっという間にわたしの身長を追い越していく。長い。異様に長い。
……ようやく、ぷつん、と何かが途切れたように伸びが止まった。
肩を越え、背中を越え、脚まで覆ってなお余る。しとしとと降り注ぐ黒い雨に濡れ、ぬらりとわたしの肌にまとわりつく。
「えっ、なにこの重さ……っ⁉」
上げた毛の束は、まるで濡れたロープを何本も持ち上げるような……。
「うそでしょ、髪って……こんなに重くなるの⁉」
立ち上がると首がモゲそうになる。
長すぎる白髪は雨水をたっぷり吸い込み、首元にずっしりとのしかかる。
とにかく重い。両手で抱えてないと、脚に絡んで足はもつれるし、引っ張られて立つのも困難だ。
「こんなの頭からぶら下げてたら、首がムキムキになっちゃうよ……」
早くも長すぎる髪の毛に絶望しかけたその時、ふと、寒さが皮膚を刺した。
「あれ?……わたしの半纏……わたしの半纏‼」
わたしを庇ってくれた半纏――どこにも、ない。
「え、えっ? うそ……五十年ずっと一緒だったご自慢の半纏が、いつもながらすぐに帰って来るのに……、もしかしてさっきので……」
あの温もりがもうどこにもない、髪の毛の重さと雨の冷たさが急に堪えてきて、泣きそうになりながら、その場にぺたりと座り込んだ。
「うぅぅ……さむい……」
そのとき――
雷鳴が、大地を直に殴ったような轟音を響かせる。
空に稲妻が走り、まるで昼のような光が辺りを一瞬だけ照らし出した。
わたしの足元には、巨大なクレーターが広がっていた。
「これって……、遺跡から伸びた赤い光を目印にして、空の上から“何か”が攻撃してきたんだよね……」
『もしかして、あれってエルフの神父たちの仕業?だって、攻撃の前に街の人が避難できてたなんて、都合よすぎない?』
まるで街が壊されることを、あらかじめ知っていたみたいに……!
『もしかして……、わたしが復活したってバレたら……、また石にされるッ⁉』
不安が胸の奥に沈殿していく。チラリと空を見上げても、黒い雨雲が厚く広がり、何も見えない。
だけど――それでも感じる。赤い光が向かった空の向こう側に、“何か”が潜んでいて、じっとこちらを見つめているような……そんな気配。
その存在を意識した瞬間、心臓が痛いほど脈打ち、耳が鳴り、息が止まりそうになった。
そこへ、すぐ横の瓦礫に稲光が炸裂し、空気を裂く雷鳴が腹の底に響いた。
「イッタァ――ッ⁉ 今の近かった……完全に電気来たよ⁉」
髪の先がふわっと広がる。全身の筋肉が一瞬ギュッと固まって、膝から力が抜ける。
「いやこれ、普通なら死ぬやつでしょ⁉ 今の雷だったでしょ⁉」
ぺたりと座り込んだ姿勢のまま、ガクガク震えながらわたしは叫ぶ。けれど、命に別状はなかった、ただ痺れてるだけ。……ちょっとだけ焦げくさいけど。
「ひィッ、こッ、こんなところに居られるかあぁ‼」
反射で立ち上がり、髪を引きずりながら、わたしは叫んだ。
「わたしは逃げる‼逃げるぞぉぉぉぉぉ‼」
再生されたばかりの体を引きずりつつ、わたしは長すぎる白髪を抱きかかえながら、街に隣接する深い森へ突っ込んでいく。
暗い森の中を駆けるたびに、進行方向から金色の粒子がふわふわと飛んで来て、わたしの肌や髪から体の中に吸い込まれていく。
「えッ、まだ寄ってくるの? うーん……まあ、明るいし……、足元が見えないのは危ないもんね(震え声)」
内心では盛大にビビり散らかしているが、今は足を止めることはできない。止まれば、あの空の奥に潜む“何か”に見つかってしまう気がして……。
金色の光を頼りに、わたしは森の奥へ奥へと歩を進めた。黒い雨が、その背中を追いかけるように降り続いていた。




