「使徒、襲来」
場面は少し遡り……。
――孫娘は、すでに失われたものとして扱うべきだ。
そう自分に言い聞かせながら、ルブナ提督は、七四七年来の重質量砲の使用を決めた。
喰星樹も、重質量弾の直撃には耐えられない。
軍統合解析AI〈Hal〉がはじき出した結果に、艦橋の誰もが安堵した。
だが、ルブナ提督だけは違った。
己の立場に課された義務。
そして、その義務の名のもとに軍事行動を容認した自分自身に、怒りを覚えていた。
自室で一人、静かに深い悲しみに暮れていた。
仲間の死に対する報復。
使用期限間際の焼夷榴弾の在庫処理。
そして、重質量弾の効果確認を容易にするための草刈り。
それらを兼ねた苛烈な攻撃は、予想外の謎のシールドによって無効化され、結果として焼夷榴弾の在庫処理だけが完了した。
攻撃を終えた艦隊は、順次補給作業へ移行する。
その際、修理を終えた監視衛星〈クドリャフカ〉は、即座に再投入された。
彼女のエニーマタンクを抉り取った謎の攻撃に対する有効な対策は、まだ無い。
だが、重質量弾による戦果確認を急ぐ判断に、異論は出なかった。
そして――
『重質量弾接近……降下を開始。 弾道制御AIが、別れを告げています』
直径一キロ。質量、約十二億トン。
衛星〈アルテナ〉から投射された重質量弾は、十時間の宇宙の旅を経て、正確に喰星樹の森の中心へ向けて降下していく。
その時である――
地上から放たれた一筋の光の針が、重質量弾を射抜いた。
『――重質量弾、消滅!』
監視衛星〈クドリャフカ〉からの報告に、ルブナ・ディール星域艦隊旗艦〈メイリリー〉の艦橋は、音を失った。
誰も、すぐには言葉を発せなかった。
「……何が起こった?」
副司令官兼旗艦艦長、カル・ロベール・メイソン大佐が低く問う。
「地表側から、未確認のエネルギー干渉を受け――破壊……いえ、マナへ還元されたものと推定されます」
「最大個体の喰星樹からか?」
「いえ。森の中心から、西へ約三〇キロ地点です」
メイソンは顎に手を当てた。
「特殊偵機が消息を絶ったポイントに近いな……クドリャフカ、攻撃地点を最大望遠で」
だが、重質量弾消滅の際に発生した濃密なマナ層が、視界を阻んでいた。
「マナへ還元……」
消息を絶った彼らの、最期の報告が脳裏をよぎる。
「特殊偵一番機の報告にあった現象と一致するか?」
「規模が違いすぎます。彼らが遭遇したのは、シールドを霧散させた程度の存在です。直径一キロの質量体を消滅させるエネルギー量など……」
観測員は一瞬、言葉を詰まらせた。
「戦術反物質弾頭に匹敵します……最低でも」
沈黙。
戦術反物質弾頭――戦場での限定的な軍事目標を狙うため、威力を抑えた兵器。
抑えたとはいえ、広大な宇宙空間で運用されるそれの破壊力は、凄まじい。
――もし、ステーション・ラムダに撃ち込まれたら……。
メイソンは、ゆっくりと背もたれから身を起こした。
「……この件は、私の判断権限を超える」
私室に下がっているルブナ提督へ、直通回線を開く。
「ご傷心の折とは存じますが、閣下。艦橋へ……」
通信を切ると、艦橋を見渡した。
「第一戦闘配置。全艦、ルブナ・ディールに対して凹形陣形で展開。補給艦はステーション・ラムダまで後退させろ」
「敵が、打って出ると?」
副艦長の問いに、メイソンは肩をすくめる。
「来たら困るだろ?」
「……了解」
「偵察機発進。 迎撃機は発進準備、急げ」
短い号令が飛び、艦橋の空気が一段階張り詰めた。
ほどなくして、ルブナ提督が艦橋へ姿を現すと、艦橋は静まり返った。
顔を覆うのは、忌中を示す金属製の仮面。
心の奥底まで覆い隠すかのような、冷たい仮面。
――この姿の提督を見るのは、二五〇年ぶりだな。
「ヴェル=ルブナ・エラリスこれより指揮を執る」
全艦隊への宣言とともに、艦橋の雰囲気が変わる。
「状況は確認した」
提督は席に着くなり、感情を排した声で命じた。
「直ちにアルテナの質量砲基地へ再攻撃を要請。本国には救援要請だ。対星装備を搭載した艦を呼び戻せ」
「ヤーヴォ!」
その瞬間だった。
『アンノウンが、地表から宇宙へ上がってきます!』
監視衛星〈クドリャフカ〉からの緊急報告。
艦橋内のざわめきが、凍りついたように止まる。
「……来たか」
メイソンは短く息を吐いた。
「映像を、メインモニターへ」
『了解!』
艦橋正面の大型スクリーンが切り替わる。
映し出された映像を見た瞬間、誰もが言葉を失った。
「アレは……なんだ? ……ヒト?」
「……子供⁉」
映像の中心に映るのは、確かに“人の形”。
兎を模したような可愛らしい姿の少女が、人形を小脇に抱え、足元の推進機の様な物を器用に操っている。
丈の短いガウンの様な上着を羽織っているがデブリや熱、宇宙線などから身を守るための防護装甲の類は確認できない。
『速度七〇〇……いえ、さらに増速しています。艦隊方面へ直進中』
「馬鹿な……宇宙空間で、肌を晒しているだと⁉」
誰かの声が裏返る。
「……服は着ているな」
「はぁ?」
メイソンはモニターから目を離さず、低く呟いた。
「服を着ているなら……話が通じる可能性はある」
服を着る――裸でいることを恥じ、あるいは装飾によって自己を表現するという感覚は、高度な知性と精神性の証だ。
少なくとも、野生の生物が見せる行動ではない。
一瞬の沈黙。
「迎撃機を上げろ。あれは――ここへ来る気だ。十五分もあれば到達するぞ」
「アンノウン、転進してクドリャフカへ接近!」
「こちらの眼を潰すか……迎撃機を急行させろ」
位置は完全に割れている。
「取られるな……」
「なおも接近。距離二〇〇〇。まもなく射程圏内に入ります」
「攻撃を許可する」
ルブナ提督は即断した。
「閣下、よろしいので?」
メイソンの問いに、冷たい声が返る。
「加粒子砲。射程に入り次第、撃て」
『――了解』
「奴は、すでに我が国の定めた規約を反故にしている」
提督は続ける。
「我らがやることは、今までと同じだ。以降、対象を仮称『少女A』と呼称する。記録と指揮系統を統一しろ」
「…………」
『射程内、撃ちます』
初手は、亜光速の加粒子砲。
相手の回避など考慮する必要もないはずの一撃。
――その瞬間。
「――っ⁉」
攻撃の間際、少女Aの姿が、一瞬で変わった。
赤い服を着た華奢な少女の身体を覆い隠すように、白い布状の存在が展開される。
その表面には、一対の瞳を思わせる紋様が浮かび上がり――
やがて全体が、金色の光を帯び始めた。
――防御体勢か?
発砲。
直撃。
「こッ、小揺もしないだと……?」
『ミサイル発射』
加粒子砲と同時に、ミサイルディスペンサー四基分――計三二発のミサイルが一斉に放たれる。
迎撃行動は、見られない。
「直撃コースです!」
次の瞬間。
ミサイル群は、忽然と消え失せた。
「直げ……いえっ、ミサイル消滅!」
言葉の意味を理解するより早く、背筋に冷たいものが走る。
「続けて撃て!」
命令は出たが、誰もが異常を理解していた。
「これまでの戦歴で、幾度か人間どもが造った奇怪な兵器に驚かされてきたが……」
メイソンは、かすかに笑みとも取れる息を漏らす。
「流石にこれは、ナンセンスだ」
「クドリャフカ内の機密データを抹消。偵察機は各種センサーを総動員し、少女Aの解析を続行」
その後も武装が尽きるまで攻撃は続いたが、少女Aがダメージを負った様子は見られなかった。
『ミサイル、加粒子砲――予備砲身なし』
弾切れを察したのか、少女Aは防御体勢を解除し、監視衛星〈クドリャフカ〉へと向かう。
「クドリャフカに取り付かれました! 外部よりシステム侵入を確認!」
映像が大きく揺れる。
次の瞬間、画面いっぱいに――何かの“顔”が映り込んだ。
「おおっ⁉」
近すぎる。
近すぎて、ピントが合わない。
『イェーイ! ルブナ提督〜見ってるぅ? 今から行くから、首を洗って待ってなさい』
「通信を……ジャックされました……」
艦橋に、微妙な沈黙が落ちる。
「……メイソン」
「……はい、何でしょう閣下」
ルブナ提督は仮面の奥から、じっとメイソンを見据えた。
「“首を洗って待て”とは、どういう意味だ?」
「私にも正確なところは……」
メイソンは一瞬考え、記憶を探る。
「ああ……確か、古い文化圏――吸血種において、一種の求婚、あるいは所有宣言に近い意味だったかと」
「ほぉ……」
提督の声に、わずかな興味の色が混じる。
「つまり」
ゆっくりと言葉を区切り――
「私を“ものにする”ため、ここへ来るということか?」
艦橋の空気が、凍る。
一拍。
「――面白い……」
「……その場合、返答はどうなさいますか?」
「無論、迎撃で応える。私に膝をつかせる事ができるか、見ものだな」
「少女Aが移動を開始しました! クドリャフカを保持したまま、こちらへ接近中――なッ⁉」
悲鳴に近い声。
「内部データが……クドリャフカの内部データが抜き取られています!」
「何を慌てている。機密データは抹消したはずだが?」
「いえ、人格データです」
「そうか……」
一瞬だけ、間があった。
「……長く尽くしてくれたが、仕方がない。クドリャフカは破棄」
「迎撃機、接敵します!」
号令と同時に、艦橋の照明が一段落とされる。
メインスクリーン脇に複数の副画面が立ち上がり、三次元ホログラムが展開された。
「第一波、突入」
「奴の攻撃を誘え」
三機の無人迎撃機が編隊を組み、距離を詰めながら一斉に散開する。
統制の取れた、無駄のない動き――だが。
「……直撃、確認」
光の筋が走った次の瞬間、迎撃機は薙ぎ払われ、崩れるように消滅した。
「出力は抑えられていますが……重質量弾を消滅させた光線と同質です」
「やはり奴が……危険だ、存在自体が」
「第二波、攻撃を継続!」
「少女A、クドリャフカを消滅させ、防御姿勢へ移行!」
無人機群が距離を保ち、レーザー砲とミサイルを同時に放つ。
「レーザー直撃。しかしダメージ無し。防御体勢時、攻撃を完全に無効化している模様」
「ミサイル、着弾前に消滅」
お返しとばかりに少女Aが光線を放つ。
「――消滅」
艦橋に、短い沈黙。
「……だが、回避はしていないな」
メイソン大佐の低い声。
「はい。エネルギー兵器は、すべて被弾しています」
「反応速度は……人間並みと推定」
「人間、並み……?」
「加えて、ミサイルの軌道を瞳の紋様で追っています」
「視界情報か……それは好都合だ。消滅時の距離は?」
「約一〇〇メートル手前です」
「……近づかねば、消せないというわけか」
ホログラムに、仮説が赤線で刻まれていく。
・防御体勢時、エネルギー兵器は無効
・反応速度は人間並み
・視覚情報を元に状況を把握
・物理弾消滅には一定距離以内への接近が必要
・攻撃手段として先の重質量弾を射抜いた光線を用いる
「大質量体は……消せていない?」
「はい。仮説としてミサイル程度が限界かと。より大きな無人機に対しては、光線での攻撃が選択されているように見えます」
――万能ではない。
「ワープ反応は?」
「確認されていません。空間歪曲、座標跳躍、いずれの兆候も無し」
「……自力航行のみ、か」
ルブナ提督は、仮面の奥で目を細めた。
「……観察は十分だ。
航宙空母〈ソッフィオーネ〉より、無人随伴艦二隻を手配しろ」
「閣下、ミリュー宙域会戦の再現を?」
「それしかあるまい。目標隔離・排除作戦だ」
艦橋が、ざわめく。
「第一段階。
艦隊および無人機による飽和攻撃。視覚と判断資源を拘束する」
「第二段階。
反応弾頭二発を混入。前後で炸裂させ、視界を潰し、衝撃波で姿勢を崩す」
「第三段階。
無人小型艇二隻を挟撃、体当たり」
「第四段階。
接触と同時にワープ航法起動。少女Aをワープバブル内に巻き込み恒星圏外へ排除」
「航路図も無く自力航行での帰還は不可能というわけだ」
メイソンが、低く言った。
「Hal成功確率は?」
ルブナ提督の声に一拍遅れて、Halが応答する。
『作戦成功確率、六八・四%』
「……十分だ」
提督は、仮面の奥で笑った気配を滲ませる。
そして、ゆっくりと告げた。
「――実行準備に入れ」
誰も、異を唱えなかった。
「全艦に通達。陣形はそのまま、合図と共に全力攻撃とだけ伝えろ。無人小型艇のコントロールと、反応弾の発射はメイリリーで受け持つ」
「艦載機は有人機も出せ、遠距離からミサイル攻撃させろ」
『補足報告を行います』
慌ただしい艦橋にHalの無機質な声が響いた。
『目標、少女Aの外見データと、過去に記録された宗教遺物データとの照合結果が出ました』
「ほぅ……場所は?」
慌ただしく指示が飛び交う艦橋で、唯一興味を示したメイソンはHalに問う。
『防衛都市ミルクレイン』
防衛都市ミルクレイン――
旧体制時代の地下造船所が発見され、宇宙進出を禁じた帝国規約に基づき、完全破壊された都市。
――確かに。
ミルクレイン消滅以降、マナ濃度の異常変動が観測され、やがて喰星樹の異常活性化が始まった。
メイソンの脳裏で、点が、線になり始める。
「該当対象の詳細を」
『教会前に安置されていた石像です』
「……はぁ?」
一瞬、思考が追いつかない。
「その石像とは?」
『五〇年前、旧体制時代の“神の使徒”を自称した異教徒を、監視者が石化杖〈シール・ステラ〉により拘束したものです』
「…………なぜ、それが処分されていない?」
『対象は周囲のマナを強力に浄化する特性を示しました』
「浄化……だと?」
いつの間にか、メイソンとHalのやり取りに皆が耳を傾けるていた。
『結果として、“喰星樹の森”から魔物が溢れる現象は停止。加えて――』
Halは、淡々と続ける。
『周辺に持続的な治癒効果を放出。多数の重病者の生命を救済した記録があります』
「…………」
『近年では観光名所としても扱われていました』
重く、逃げ場のない沈黙。
艦橋の誰もが、同じ考えに辿り着き――
そして、それを口に出すのを恐れた。
「狼狽えるな! 奴が何者であっても関係ない! 勝たねばならん――あいつを、私達の宇宙から追い出すのだ!」
「少女A、作戦予定ポイントに入ります!」
「閣下……」
「戦闘開始!」
ルブナ提督の一言で、全艦に命令が走る。
艦橋の照明が、赤色の戦闘灯へと切り替えられた。
『作戦フェーズ1、開始』
『全艦、全力攻撃準備』
『無人迎撃機、最終同期完了』
メインスクリーンに映る少女A――
赤い服のまま、艦隊に向かって真正面から飛来する。
「第一波、突入」
無人迎撃機三十六機が、一斉に前進する。
扇状に散開し、距離を詰めながらレーザー砲を連続照射。
虚空を焼く無数の光線が、少女Aへと集中する。
「――直撃確認」
だが。
「防御体勢確認。 ダメージ反応無し」
「予定通りだ。第二波、続行」
『第二波、攻撃開始』
無人機群が後退、その隙を補うように有人機隊が遠距離ミサイルを放つ。
瞳の紋様が、飛来するミサイルを見据え、対応するため速度が落ちる。
「よしッ! 全艦、全力攻撃開始! 少女Aを現在位置に釘付けにしろ!」
艦隊から一斉に火砲が放たれた。
夥しいミサイルと艦砲の嵐に、少女Aはその場で停止した。
「いいぞ、攻撃を続けろ。小型艇を突入位置に移動、悟られるな」
『フェーズ2へ移行』
「小型艇の移動完了」
「反応弾発射! 全艦攻撃停止!」
『距離二五〇』
『爆発……今ッ!』
二つ反応弾が、少女Aの前後で同時に炸裂した。
白に塗り潰される視界。
前後からの衝撃は相殺され、身体は大きく弾かれない。
だが――
姿勢制御が、狂う。
羽織っていた上着をその場に残し、少女Aはセンサーが追従できない勢いで高速回転していた。
「今だ、第三段階。突っ込め!」
二隻の無人小型艇が最大出力で加速。
少女Aを挟み込む軌道を取る。
『距離二〇〇』
『一五〇』
『一〇〇』
『――⁉ 小型艇、反応消失!』
「……失敗、か」
メイソンが、低く呟く。
そこには高速回転する少女Aと、彼女が羽織っていた上着だけが残されていた。
「上着が……羽織っていた上着が動いています!」
「あの上着……魔法生物か⁉ まさか……アレが小型艇を?」
艦橋内の皆の視線がメインスクリーンに映る、赤い上着に注がれる。
すると上着が、ひとりでに回転を始めた。
しかも、少女Aとは正反対の方向へ。
「まさか、回転を相殺して止めるつもりか? どういう原理で回転エネルギーを得ている⁉」
そして――
二つの回転体が、火花を散らしながらぶつかり合った。
互いの角運動量を奪い合う、異様な拮抗。
回転が止まった少女Aは防御体勢を解き口からキラキラと虹を吐き出していた。
なんと抱えていた人形も同様だ。
――比喩ではない、実際に、虹色の汁だった。
少女Aの背中を上着がさすっている。
「普通、生物があの速さで回転すればただでは済まないが……あの虹色液体はなんだ?」
『上着状物体及び人形の独立行動を確認』
『防御態勢をとり、移動開始』
報告が、淡々と積み重ねられていく。
だが、そのどれもが、事態の打開には繋がらない。
対外戦闘手段は、ことごとく無力化された。
「――全艦攻撃を再開しろ」
沈黙を断ち切ったのは、ルブナ提督だった。
再び放たれる苛烈な集中砲火に少女Aも足を止める。
「出し惜しみはするな」
「ですが閣下、通常兵装では――」
「分かっている」
提督は、言葉を遮る。
「ただの時間稼ぎだ。――皆が退艦するまでのな」
艦橋に、息を呑む気配が走る。
提督の視線は、なおもモニターに映る“少女A”から逸れない。
「奴は、この艦――メイリリーへ来る」
「…………」
「私の元へ、必ずな」
一拍。
「ならば、奴が私の前に立った瞬間――」
提督は、静かに告げた。
「このメイリリーを、一五〇光年先のブラックホールへ向けてワープさせる」
「閣下! いけません! それでは――!」
「皆まで言うな」
仮面の奥で、提督は笑った気配を滲ませる。
「これが、最後のチャンスなのだ」
――動いてくれ。
メイソンは、そう願った自分に気づき、即座にそれを打ち消した。
提督の決断を、誰よりも理解している。
理解しているからこそ――止められない。
もし、少女Aが動かなければ。
もし、このまま時間が流れれば。
ルブナ提督は、実行する。
総員に退艦命令を出し、この艦と共に最期の航海に出る。
そうなる前に、何かが起きてくれと。
祈りにも似たその思考は、次の瞬間、現実のものとなる。
『目標、行動変化を検知。マナ反応、急上昇』
「何だと……?」
モニター中央。
苛烈な攻撃に耐え、動きを止めていたはずの少女Aが、一転して跳ねた。
――速い。
軌道を変えるたび、その場に“残像”が残る。
だがそれは、ただの視覚的なブレではない、ハッキリとした金色のシルエットをその場に残していく。
「ミサイル、残像に吸い寄せられています!」
「照準が合わない……!」
ミサイル群は残像へと殺到し、艦砲の照準も定まらない。
「……質量を持った残像だというのか!?」
「こちらに向かってきます!」
その報告と同時に、少女Aはカクカクと激しく軌道を変え、明確に“メイリリー”の居る凹形陣形の中心部を突くように迫る。
「全艦攻撃停止! 同士討ちになるぞ!」
「直上!来ます!」
「対空砲撃て!」
「シールド出力最大!」
抵抗虚しく彼女は防御シールドの境界を何の抵抗もなく越えて、装甲を大きく凹ませながら甲板へと舞い降りた。
「せっ、接触……確認」
艦長カル・ロベール・メイソン大佐は、一拍置いてから、低く告げた。
「――総員、白兵戦用意」




