ナイトウォッチ
≪ステーション・ラムダ ブリーフィングルーム≫
六時間前、我が軍の監視衛星の一基が行動不能となった。
衛星は〈喰星樹の森〉直上に位置し、当該区域の監視を担当していた。
直前、衛星から〈喰星樹〉に異常が確認されたとの報告があり、司令部でもそれを追認している。
攻撃手段は不明だが、エニーマ貯蔵タンクに損傷が見られることから外部からの攻撃と断定した。
当初は無人偵察機による現地確認を試みたが、現場のマナ濃度が急激に変動したために制御が不能となり、回収不能となった。
無人機の喪失は、現地の異常性が想定以上であることを示している。
攻撃が〈喰星樹〉から行われたかは未確認だ。しかし、衛星軌道に届く攻撃能力を有する存在は我々にとって重大な脅威である。よって、最も可能性の高い〈喰星樹の森〉に対し、威力偵察を実施する。
作戦目的は以下の二点だ。
一、有人航空機と人工妖精を投入し、攻撃性を持つ〈喰星樹〉の有無・数・位置を確認すること。
二、艦隊および質量砲による攻撃に備え、誘導装置を投下・設置すること。
現時点で確認されている、喰星樹の攻撃手段は二種類。
一、蔓状の触手――近距離での捕縛・叩き落とし。
二、熱光線〈ストラーレ〉――樹冠から放つ灼熱の光線。距離によっては防御シールドで防御可能だが、過信は禁物だ。
――以上を踏まえ、作戦概要を伝える。
投入戦力は夜間偵察機〈アウロラ〉二機。
乗員は各二名、合計四名。
一番機 操縦士 プリミア・エラリス少佐
妖精調律士 ユルナ・フィリステ少尉
二番機 操縦士 スィフル・デーリン大尉
妖精調律士 リーチャー・ブロス少尉
夜間偵察機〈アウロラ〉には基本装備である対誘導弾用レーザーターレット及びチャフ・フレアディスペンサー。追加装備として人工妖精〈フェ・ランシエ〉三機を搭載する。
人工妖精〈フェ・ランシエ〉には誘導装置射出ポット、低出力レーザー砲を装備する。
ステーション・ラムダから発進。
大気圏外から滑空し、夜陰に紛れて進入する。
進入経路は一番機が南側、二番機が北側からのアプローチとする。
高度八〇〇〇で魔術迷彩を展開し、無音航行を徹底すること。ソニックブームの発生を防ぐため速度管理を厳守。
喰星樹の索敵手段は不明であるため、攻撃に備え防御シールドは常時展開しておくように。
各機搭載のフェ・ランシエ三機を分離し、喰星樹群の外周から順次偵察および誘導装置の投下を行わせる。
各アウロラは高度を維持しつつ、喰星樹の反応監視とフェ・ランシエの統率を続行。
森の中心部には他よりも遥かに巨大な個体が聳えている。
この個体は七五〇年前に最初に植えられたもので、過去の掃討でも残存し、以後喰星樹の森を再生させた「起点」となる存在だ。
したがって、偵察は外周群から順に実施し、最後にこの最大個体を調査対象とする。
異常が認められない場合はフェ・ランシエを回収し、エンジン始動後に地上基地へ帰還せよ。
攻撃を受けた場合は誘導装置の投下した後、フェ・ランシエを破棄して直ちに離脱すること。
脅威が確認された暁には、展開中の艦隊及び衛星〈アルテナ〉の質量砲基地から攻撃を行う。
出撃は二間後だ――生還を最優先とせよ。以上。
――プリミアside――
「まさか実戦だとは思わなかったです」
ブリーフィングを終えてパイロットスーツに着替えた私に、興奮気味の妖精調律士ユルナ・フィリステ少尉が声を掛ける。
「私もだ。てっきり臨時訓練だと思っていたよ」
「有人機の実戦投入なんて、二五〇年ぶりらしいですよ?」
今となっては実戦経験のある者はほとんどいない。わずかに残るのは、長命のエルフ系や樹木系の亜人種だけだ。
私の祖母――艦隊司令ヴェル=ルブナ・エラリスもそのひとりである。
今回おそらく“高貴なるものの責務”として、ヴェル=エラリス家の一員である私が最初に出撃を任じられたのだろう。
貴族にとっては名誉なことだが、そうではないユルナを巻き込んでしまったのは申し訳ない。
……ともかく、無事に帰還したいものだ。
「ユルナは怖くないか?」
「怖いですね。でも、危ないことは人工妖精達がやってくれますよ」
ユルナは“フィルカ”と呼ばれる小型エルフ系種族で、小柄で愛らしい見た目ながら、実に剛胆な性格の持ち主だ。
皆が責務を抱える私を避ける中、ペアを組んでくれた人物である。
出撃時間が迫り、格納庫へ向かう。
通路はやけに長く感じ、足音がパイロットスーツ越しにカツカツと響いた。
「……胃が重いな」
二番機の操縦者、スィフル・デーリン大尉がぼそりとつぶやく。普段は冷静沈着な彼も、緊張しているようだ。
「大尉、顔が真っ青ですよ? お薬、持ってきましょうか?」
「やめてくれ、ユルナ。武勲で爵位を得たデーリン家の俺が、お薬を飲んで出撃するなんて、家名の恥だ」
彼もまた、由緒あるデーリン家の一員である。
「おいユルナ!生きて帰ったら、そのデカ乳ひと揉みさせてくれや」
副操縦士リーチャー・ブロス少尉が軽口を叩いた。こいつがふざける時は、だいたい緊張を隠している時だ。
「セクハラだ!訴えてやる! 隊長! 帰ったら腹筋触らせてください!」
ユルナは気が利くな……。
「いいぞ、自慢の腹筋だ。デーリン大尉、ブロス少尉。お前らもどうだ?」
「「ハイ! ご相伴にあずかります!」」
……これで少しは緊張がほぐれるといいが。
格納庫の扉が開くと、そこに姿を現したのは夜間偵察機〈アウロラ〉。
コンパウンドデルタ翼の艶消しの黒い機体、その腹には“妖精の槍騎兵”を抱え、出撃を今か今かと待ちわびているようだ。
搭乗ラダーを上りながら、私は振り返る。
皆が我々を送り出す視線を向けている。……もう引き返せない。
「隊長、行きましょう!」
整備員たちと敬礼を交わし、私はコックピットへと身を滑り込ませた。
窓は無い。全周囲モニタが点くまでは闇の中だ。
冷たい操縦桿を握ると、機体のパーソナルAI“リンラン”の澄んだ声が降りてきた。
『リンク開始、生命反応……正常。ごきげんようエラリス。ごきげんようフィリステ』
「ごきげんようリンラン。 システムチェック開始」
『了解――』
リンランが機体を走査する間に、作戦データが流れ込む。進入経路の設定、人工妖精へ目標の割り振り。
『システムチェック完了。異常ナシ』
「了解。では通常航行モードで起動」
『起動、通常航行モード』
モニタが灯り視界が開ける。
油圧の反応を確かめるため、操縦桿とラダーペダルを操作すると、整備長が両腕で丸を作って返した。
「後席、異常はないか?」
「フェ・ランシエのデータリンク確認、待機モード――はい、異常なしです!」
二番機から通信が入る。
『二番機チェック完了。いつでも飛べる』
『ブロス少尉も異常なし! ――帰ったら飲みに行きましょうね!』
緊張を隠す軽口。だが、その声に少し救われる。
〈アウロラ〉を載せた整備用トレイが静かに射出口へ移送される。ここで二番機とは別ルートだ。互いに見えないまま敬礼を交わし、生還を誓う。
そして機体がマウントアームに掴まれ、宇宙空間で宙づりになると、管制からの通信が入り最後の確認にはいる。
『こちらステーション・ラムダ管制。ナイトウォッチ各機、通信状態を確認する』
「ナイトウォッチ1、通信良好」
『ナイトウォッチ2、通信良好』
『目標地点の天候は制御下にある。快晴、気流安定。各機、燃料残量・搭載物を報告せよ』
「燃料フル、フェ・ランシエ三機搭載。誘導装置も正常稼働」
『二番機も同じ。フェ・ランシエも退屈してる』
『よし。進入経路は予定通り。一番機は南から、二番機は北から。高度八千で迷彩展開、無音航行を厳守せよ』
「ナイトウォッチ1、了解」
『ナイトウォッチ2、了解』
『では――各機、出撃を許可する』
マウントアームが外れる。
一瞬の静止ののち、黒い機体は虚空に放たれた。
重力に引かれ、夜の大気へ突入していく。
「リンラン、戦闘モード。シールドアップ」
『了解、戦闘モードへ移行。シールドアップ』
外殻をなぞる青光が火花へと変わり、機体全体を震わせる。速度計の針は跳ね上がり、落下は滑らかな降下軌道へと移行した。
通信にノイズが走る。管制の最後の声が届いた。
『ラムダ管制より。一番機、二番機、降下軌道良好。予定通り高度八〇〇〇にて進入を開始せよ。以降、無線を封鎖する。――Good luck』
「Thanks!――《少尉、ここからは無音航行だ。以後、会話を“念話魔術”に切り替える》」
「《了解》」
姿勢制御スラスターが短く噴き、機首が定まる。
夜闇を切り裂くように、アウロラは音もなく滑空していた。
「《これより進入を開始する》」
「《了解!》」
高度八〇〇〇。魔術迷彩によってその機影は闇に溶け、星明かりに紛れる。
「《速度九〇〇を維持》」
『《了解、マナ・キャビテーション展開、速度九〇〇維持》』
「《フェ・ランシエ分離》」
「《了解……フェ・ランシエ分離》」
アウロラに格納されていた合計三機のフェ・ランシエが静かに分離、光を反射せぬ黒い翼で夜闇を滑っていく。
「《いい練度だ。今回の人工妖精は当たりだな》」
「《分離を確認、降下させます》」
フェ・ランシエはそのまま高度四〇〇〇まで降下、エンジン始動。
「《フェ・ランシエ、エンジン始動を確認。始まりましたね》」
「《ああ……》」
白銀の火線が走り、槍騎兵たちは群れ散る鳥のように森を目指し、空を駆けて行った。
標的は、喰星樹。確認されているだけで三十三本。フェ・ランシエは、一本ずつ挑発するように近づき誘導装置を投下していく。
だが、森の中心に聳え立つ最大個体にフェ・ランシエが接近した瞬間、周辺の四樹が脈動するように光を放った。
触手と赤黒い光束〈ストラーレ〉がフェ・ランシエを襲う。
警告する暇もなく、二機が火花に呑まれ墜落する。
「《食星樹、フェ・ランシエに反応!》」
「《誘導装置は投下できたか?》」
「《二番機のフェ・ランシエが投下成功。全目標に投下完了です!》」
「《離脱する。リンラン、エンジン点火!》」
『《了解、点火準備――完了》』
エアインテークを開きエンジン冷却媒体に風を当てる、エンジンにエニーマを流し込み術式を展開――。
「《エンジン点火!》」
点火の瞬間、強烈なGが身体を押し潰し、視界が暗転しかける。
『《点火確認》』
――後は、帰還するだけだ。
『一番、回避!』
『break! break!』
「――ッ‼」
無線封鎖を破って響くデーリン大尉とリンランの声。即座に表示された推奨回避方向へ機体を傾ける。
レーダーには、軌道を変えながら接近する飛翔体。
「未確認の攻撃……誘導弾⁉ リンラン迎撃!」
チャフ、フレア――カウンターメジャーが散布され、同時にレーザーターレットが唸りを上げた。
“Vrrrrzzzzttttt!”
――機動性は大したことない……これなら迎撃用できるか?
次の瞬間、飛翔体が破裂し破片を周囲にまき散らした。
――大丈夫、直撃でなければシールドで防げる。
機体に衝撃が走る。
「被弾⁉ ユルナ!」
「被害ありません」
「そうか。リンランダメージ箇所は?」
『エンジン冷却装置、右翼に深刻なダメージ。 その他、軽微ダメージ多数』
翼に穴があけられ、霧状の冷却液が噴き出している。
冷却液のレベルゲージがじりじりと下がっていく。
「シールドが破られたのか?」
『誘導弾の破片がシールドに接触した際、接触部がマナへ還元され霧散した模様』
「シールドを無効にする攻撃……⁉ 全力運転は可能か?」
『不可能です』
「……そうか。発射地点は?」
『最大個体から。点火前にはすでに放たれていました』
「なに?無音航行中の魔術迷彩を見破られたのか……。飛翔速度は?」
『秒速一〇〇〇メートル――マッハ3』
マッハ3、損傷した機体では到底振り切れない。だが無傷の二番機なら……。
未だに二発目が発射されていないのを見ると、二番機なら離脱できる可能性が高い。
「二番機!全速力で南東方向に離脱しろ! 隊長命令だ!」
一瞬の沈黙。
『……了解。御武運を』
二番機が生き残ったフェ・ランシエのコントロールをこちらに譲渡し、最大加速で離脱していく。
「ユルナ、悪いが付き合ってもらうぞ」
「了解!お供します!」
「二番機と逆方向に脱出する! リンラン回線を開け! 情報を送れ!」
『了解――ラムダ管制、こちらナイトウォッチ1。ヴァール!ヴァール!ヴァール! 現在回避行動中――』
「フェ・ランシエは下方防御円陣」
「下方防御円陣、残機は四機です」
残存のフェ・ランシエを盾に、弾幕を掻い潜る。
誘導弾は次弾を撃つまでに四〇秒ほどの猶予があるが、〈ストラーレ〉にはそれが無い。
だが、フェ・ランシエの数が減ると、何故か〈ストラーレ〉はピタリと止んだ……。
誘導弾はそれ以降も幾度となく飛んでくるが、二発目以降、初弾のような炸裂は無い。
しかし、飛んでくる弾が炸裂しないという保証はないため回避運動を強いられる。
回避するたびに高度と速度を失っていく……。
「クソ! ジリ貧だ! 奴はこちらが消耗するのを待っているのか?」
「隊長!エンジンが……」
エンジンがオーバーヒートし終いには止まってしまった。速度七〇〇、高度は一六〇〇をきり、回避運動をすることも出来ない。
残されたフェ・ランシエもあと1機、翼に大穴が開き、飛んでいるのがやっとの状態だ。
次弾まで後三〇秒。ここまでか──そんな考えが頭をよぎったとき、突然通信が割り込んだ。
『――こちらは849飛行隊……』
「――ッ‼ なんだ⁉ まさか味方か⁉」
「849飛行隊?……隊長、聞いたことが無い……地上の部隊ですかね?」
『高度一五〇〇以下に落とせ、誘導弾の死角だ……』
怪しい。敵かもしれないが、今は選択肢がない……殺すなら、もう殺せるはずだ。
フェ・ランシエと共に高度を下げる、誘導弾は――来ない……。
「リンラン奴が何処にいるかわかるか?」
『三時方向、同高度、距離八〇〇、並進中』
右を見ると、夜の闇の中だというのに、ハッキリとその機体を見る事ができた。
微かに発光している⁉……しかもあのシルエットは〈アウロラ〉? まさか喰星樹が幻影を見せているのか?
「隊長!〈アウロラ〉です。 でも、薄っすら光って薄気味悪いですね……」
『機体照合……該当ナシ、敵味方識別信号ナシ、あの機体が現れてからラムダとの通信が不通になりました。敵である可能性が極めて高いです』
あれが敵だとしても、こちらはすでに満身創痍、何もできないぞ……。
「ユルナ、フェ・ランシエに離れた位置から偵察させろ」
「いつ墜ちるかわからないですよ?」
「かまわん。リンラン、この機は森を抜けるまで持つか?」
『不可能です、二〇キロ以内に墜落します』
「そうか、こうなったら腹を決めるしかない。奴と交信して着陸できそうな場所を聞き出す。いざとなったらフェ・ランシエをぶつけてやれ」
「……わかりました」
さて、どうなるか……。
「こちらナイトウィッチ1、849助かった。この機体はもう持たない、着陸できそうな場所はないか?」
『付いてこい……五キロ先に開けた場所がある』
849機の後を付いてきながらよく観察する。
「あの機体、エンジン停止していませんか? それにエレベーターもエルロンもラダーも微動だにしませんよ?」
「そう見えるな……」
しばらく行くと、森の中に謎めいた光源が明るく照らす、不自然に切り開かれた場所が現れた。
「なんですかねここ。降りろと言わんばかりの場所ですね。戦闘の痕? 扇状に切り開かれてます。それにこの光、魔術ですかね?」
「距離も十分にある、ここに降りるぞ――849誘導感謝する、これより着陸する」
そう伝え、アプローチを始めると、849機が煙の様に姿が消えていった。
「消えた⁉」
「ひゃぁー!隊長!幽霊ですよ!初めて見た!」
ユルナはこんな状況でも、未知との遭遇に胸を躍らせているらしい。
今の私にできるのは、着陸に集中することだけだ。エンジンを失った以上、再アプローチの余裕はない。
私は傷だらけの機体を慎重に操り、かろうじて応える舵に最後の望みを託す。
――私たちをここまで導いた相手が何者であれ、いずれ向こうから接触はあるだろう。
二人で生きて帰るために、今はただ最善を尽くすのみだ。