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8歳の誕生日、目覚めると伯爵令嬢は

作者: 文近成季

その夜も少女は、隣にちょこんと座る弟に絵本を読み聞かせていた。


「そしてふたりはしあわせにくらしました」


絵本の最後の一文をゆっくりと読みながら、じっと挿絵を見ている弟の頭を空いている左手で撫でてやる。


弟は絵から目を離し姉を見て、撫でられた頭に手をやり、嬉しそうににこにこっと笑った。


(かわいい。絵本の二人よりも私とアルトがずっと幸せね)


少女も自然と微笑む。


「ほら、リテラもアルトもそろそろお休みの時間よ」


カーラが声をかけた。


「はーい、おかあさま。じゃあ、アルト、こんやはここまでね」


リテラがパタンと絵本を閉じれば、アルトも聞き分けがいい。


おとなしく頷いてかわいい声で言った。


「ねえさま、よんでくださり、ありがとう」


仲の良い二人にカーラの機嫌もいい。


「リテラ、明日はあなたの8歳のお誕生日ね。おとうさまも領地に帰っていらっしゃるわ。みんなでいつものようにお祝いしましょうね」


「はい、おかあさま。おやすみなさい」


そう言って、リテラはアルトの手を引いて二人の部屋に入り、母親が二人にするように、リテラも5つ下のアルトにおやすみなさいのキスをして寝かしつけた。


「ねえさま、おやすみなさい」


ベッドの中でそう言いながら、もう、アルトは眠りかけている。


くすっと笑ってそっとアルトの頭を撫でてから、リテラも自分のベッドに入った。


大きなウサギのぬいぐるみ、ラビと一緒に。


リテラの誕生日の前夜には、いつも特別な夢が訪れる。


過去の誕生日を順に遡るような夢だ。


その夢は、鮮明に記憶を再現し、かつて感じた感情までも忠実に呼び起こしてくれる。


まず、夢に見るのはその前の年の誕生日のできごと。


リテラは、昨年の7歳の誕生日の前夜、6歳の誕生日の一部始終を夢で再現していた。


― 朝、侍女のミリが私を起こし、お気に入りのドレスを着せてくれた。

― まだ1歳だったアルトが、よちよち歩きでやって来て、私のドレスの裾を掴みながら「ねーた」と初めて呼んでくれた瞬間。


(それは、最高のバースデープレゼントだったわ)


リテラは夢の中で、6歳の誕生日の幸せな感情をもう一度味わった。


次に夢5歳の誕生日、4歳の誕生日と遡り3歳の誕生日まで辿り着く。


そして夢はそこで途切れて目が覚めた。


それ以前の誕生日を夢に見ないのは記憶がないからだろう。


夢の中でも、家族と過ごした温かい思い出に包まれながら、リテラは心から幸せを感じた。


(そう、きっと明日も素敵な誕生日)


うとうとと夢の中で、リテラは誕生日を過去に遡っていく。


今年は7歳の誕生日から。


ところが、3歳の誕生日のできごとが終わったというのに、とにかく眠くて目を覚ますことができない。


また夢を見る。


それが最初に見た7歳の誕生日のことで、リテラは夢の中で戸惑った。


―おとうさまが夜遅くに戻ってきて、慌てて私の部屋に入ってきて、ベッドに入ろうとした私に誕生日プレゼントをくださった。

―おとうさまの新しいご友人クラリス様がくださったという大きなウサギのぬいぐるみ。 ―わあ、かわいい。ありがとう、おとうさま。クラリス様。今日からあなたはラビ。私のお友達よ、ラビ。


次に切り替わった夢では自分が吹き消そうとするケーキのろうそくは8本だった。


場面がどんどん切り替わる。


13歳、入学した学園の尞で、何人かの友達に祝ってもらう。


16歳、相手の顔はよくわからないけど、誕生日が結婚式だった。


(これは未来のこと?これから起こることなのかしら)


息もつかぬ間に数えきれないほど多くの夢を見た気がした。


どんな夢を見たのかもう覚えていない。


おかげでリテラのからだは休まらず、寝足りないままだ。


でも、うっすらと夜が明けてきたことだけはわかった。


(もう少しだけ寝させて)


そう思うのに、小さくノックの音がした。


リテラはあえて返事をしない。


(だって、眠たいんだもの)


「お嬢さま、開けますよ」


ミリの優しく呼びかける声がして、そっと扉が開いた。


「まだ起きてらっしゃらないなんて、珍しいですね。さあ、お嬢さま、朝ですよ。お誕生日ですね」


そう言ってまず窓に駆け寄り手際よくカーテンを開けると、振り返ってリテラを起こそうとベッドに歩いてきた。


リエラは薄目を開けてミリを待つ。


(起こしてくれたら目を開けようっと)


枕元まで近づいたところでミリの息を呑む様子が聞こえた。


そしてそのまま後ずさり扉まで辿り着いたのか、カチャッと小さな音を残して部屋を出て行った。


リエラには何が起こっているのかわからない。


(ミリはどうして起こしてくれなかったのかしら。しかもそのまま部屋を出て行くなんて。…でももう昨日よりもひとつ大きくなったんだもの、自分で起きなきゃね)


よろよろと手をついて上半身を起こし、そのまま両手をからだの前あたりで組む。


そして何気なく視線を落として叫び声を上げそうになった。


(えっ、手が、なんだかしわしわしてる」)


手で頬に触れると感触が違う気がする。


(そうだ、鏡、鏡がここにあったはず)


ベッドの脇のキャビネットの一番上の抽斗に手をかけた。


ガタンと大きめな音がして抽斗が開く。


しかしその音でアルトが目を覚ましたようだ。


寝ぼけ眼のまま自分のベッドを降りて、リテラのベッドまでとことこ歩いてきた。


そして「ねえさま、おはよう」と言いかけたはずが、キョトンとした顔でリテラを見る。


「えっと、おばあちゃま、だあれ」


「えっ、おばあちゃま?アルト、私よ。リテラ。あなたのねえさまよ」


そこにバタバタと慌ただしい音を立てながら、ミリとカーラが入ってきた。


「リテラは、リテラはどこ?どこに行ったの?」


ミリはともかく、カーラの取り乱し方が尋常ではない。


むしろアルトが動じずにリテラの袖を掴んでカーラを宥めた。


「かあさま、このひとが、ねえさまだっていってるよ」


宙をさまよっていたカーラの視線がリテラに向く。


「嘘、リテラがこんな年取っているはずがないじゃない。そうだ、あなた、私のリテラをどこかに隠したのね。リテラをどこにやったの。返して」


リテラは顔を伏せた。


何と答えてよいかわからない。


(おかあさまが私のことを心配してくださっているのはわかる。それはうれしい。でも、私こそがリテラなのに)


アルトがカーラに


「ねえ、かあさま。このひとが、じぶんがねえさまだっていってたよ」


ともう一度訴えた。


カーラは納得できないという顔をしてミリを見るが、ミリも首を振った。


(二人とも、アルトの言葉を信じてないんだ。でもアルトは私の言葉を信じてくれてる。それなら)


リテラはそっと左の拳を握りそこに力を込めながら顔を上げた。


「おかあさま、私が本当にリテラなのです。朝、目が覚めたらこうなっていました」


幸いと言っていいのか声は老婆のそれではなく、むしろ、テラの声のままだ。


カーラが目を見開き、瞳にリテラが映る。


「よくお顔を見せてくださる?ああ、その瞳の色は確かにリテラと同じね。ラウルとそっくりの。髪の毛はほとんど白くなっているけれど、ここ、そうここの色はあの子の色だわ」


カーラがリテラの髪の毛を指で梳かし、リテラはカーラがするに身を任せている。


ややあって自分に言い聞かせるように


「そう、あなた、本当にリテラなのね」


とカーラは言い、リテラの拳に優しく触れ右の手も重ねて、両方の手を包み込むようにそっと自分の手で包み込んだ。


そこに恐らく宿直から帰宅したばかりの伯爵がリテラの部屋に駆け込んできた。


どうやら邸の中の尋常ではない様子を察したのだろう。


可愛い娘の誕生日だというのに、そんな晴れやかさが全くなかったのだから。


だが、リテラのベッドの手前で立ち尽くす。


「は、母上?」


伯爵の口から出たのは意外な言葉だった。


「ラウル、何をおっしゃるの。おかあさまはもう10年も前に亡くなられたでしょう」


妻のカーラにそう言われて


「なら、これは誰だ。リテラはどこだ」


と声を荒げる。


カーラは首を振りながら、


「リテラはここに」


とリテラの手に添えていた自分の手に少しだけ力を込めた。


「リテラ…。そうなのか。亡くなった母上に生き写しだ」


とラウルは独り言のように上の空で答える。


まだ彼の頭は事実に追いついていないのだろう。


(おとうさまがおばあさまと見間違えるなんて。おばあさまは亡くなった時80歳だったって聞いてる。私はそんな姿をしているのね)


リテラはまだ鏡を手にしてはいないが、自分の姿の変わりようを想像して悲しい気持ちになった。


けれどそれとは別に少しずつ落ち着いてもきた。


最初こそ混乱していたが、同じやりとりを繰り返すうちに状況に慣れてきたのかもしれない。


そこで 「おとうさま、お帰りなさい」 ととりあえず挨拶をしたが、ラウルのほうはやはり取り乱したままで 「ああ、ただいま」 と生返事をするだけだ。


それで誰も次の句を告げることができない。


そんな中、アルトが 「ねえさまのおたんじょうびのおいわいは」 と無邪気に尋ねた。


「そうでした。準備してまいります」


ミリが立ち上がり、急ぎ足で部屋を出て行く。


察するに彼女もいたたまれない気持ちでいっぱいだったのだ。


ようやくラウルは我に返りしみじみとリテラを見て「どうしてこんなことに」 とリテラのベッドに座り、彼女の髪の毛を撫でた。


リテラの手を握ったままのカーラの目にはひとすじの涙が流れている。


「まずは医者に見せよう」と二人が相談する様子をリテラはぼんやりと見ていた。


(これは病気なんだろか。ちょっと違う気がする。でも、なんで。どうしてこんなことになったんだろ。そしてこれから私はどうなるの。元に戻るのかな)


不安でいっぱいで身を起こしたリテラの背中に、いつの間にかアルトが触れていた。


「ねえさま、ねえさま」 と言って背中を撫でている。


(ああ、これはいつだったかアルトが雷の音をこわがって震えていたときに私がアルトにしたことだ。そっか、アルトは私のこと安心させてくれようとしているのね)


背中を撫でられるまま頭だけ振り返ると、アルトの真剣な顔が見えた。


(そうだ、落ち込んでなんかいられない。うん、前向きに頑張るしかないわ。そうよ、きっとなんとかなるわ)


「天は自ら助くる者を助く」


リテラの心にふと言葉が浮かんだ。


(どこかでそんな諺を聞いたっけ。やれることをやるだけよ。そうよ、私は私なりの幸せを見つけよう)


リテラは母に握られていた両手をそっと離し、右の手でアルトの頭を撫でた。


けれど前を向こうとした彼女の気持ちはすぐに打ち砕かれてしまうことになる。


あらためて鏡を見れば顔全体がしわくちゃで、頬がたるんだせいでごつごつした感じになり、子どもながらに自慢だったぱっちりした黒目がちの大きな目は落ちくぼんで、見る影もなく小さくなっている。


髪の毛は全体に白くなり、元の髪色の毛を探すのが大変だし、ベッドから降りようとすると足が床に着いたときに膝が痛んだ。


手にはあまり力が入らないし。


(ああ、私、これからどうしたらいいんだろう)


リテラの体調を気遣うカーラの指示で朝食は自室でとることになり、ミリが朝食の載ったワゴンを押してきた。


きびきび動き、子ども部屋に置いてある二つのテーブルくっつけて椅子を向かい合わせにセッティングする。


「リテラお嬢さまはこちらに。アルトおぼっちゃまはどちらに」


アルトがリテラの隣を指さした。


「ぼく、ここ。いつもねえさまのとなりだもん」


リテラはアルトの言葉を素直にうれしいと思った。


(私はもう以前とは随分と違う姿をしているわ。けれど、アルトは以前と変わらず「ねえさま」と慕ってくれるのね)


ミリはアルトの返事に「そうでした」と大袈裟に手を打ち椅子の配置を変えて、二人が椅子に腰かけるのを見届けてから、テーブルの上にロールパンとチーズのオムレツ、ハム、野菜サラダ、コンソメスープを手際よく並べていく。


「いただきまあす」と二人が手を合わせて食べ始めた。


リテラは折につけアルトから気遣われ、自分が以前とはまったく違った姿になったにもかかわらず何一つ疑わず、姉として扱い、気遣ってくれるアルトの存在を噛みしめた。


しばらくしてミリが


「リテラお嬢さま、いつものように噛めますか。硬いものはありませんか」


と聞いてきた。


「あっ大丈夫。歯は無事みたい。きちんと噛めるよ。それに飲み込むのも。喉につっかえたりもしてないし」


リテラが答えると、ミリが安堵したように頷く。


それはリテラ自身にとってもありがたいことだった。


歯が弱れば食べ物もおいしいとは感じられないし、うまく飲み込ないかもしれないからだ。


昨日と同じように二人で平らげ「ごちそうさまでした」と言えば、ミリは手早く食器を片付け机と椅子を元に戻すと、ワゴンを押して部屋を出て行く。


「ねえさま、からだの具合はどう」


アルトが心配そうに見てくる。


「だいじょうぶよ。いつもと変わりはないわ。だから、アルトと遊んであげられるよ。絵本でもお絵描きでも」


リテラがそう言うとアルトは昨日の夜寝る前に読んだ絵本を持ってきた。


「この本、私大好きよ。アルトも好きなのね」


アルトはにこにこして頷き、絵本を広げた。


魔女の呪いで塔から出られなくなった男の子を女の子が呪いを解いて助け出す話だ。


でも男の子は助け出されるのを待っているだけではない。


知恵を働かせて何とか脱出しようとする。


女の子も強いだけの女の子ではなく、迷い、葛藤しながら魔女に打ち勝つ。


最後の一文まで読み終わったところで、ラウルが手配した医師がやってきた。


もしかしたら、絵本を読み終わるのを待っていたのかもしれない。


そんなタイミングだ。


一緒に来たミリが診察の邪魔にならないようにアルトを部屋の外へ連れ出す。


大きな黒い鞄を持ってベッドに近づいてきた医師は、年のころは30代前半、ラウルと同じ年ごろだ。


医師の後ろにはラウルとカーラも待機し、心配そうにリテラを見ている。


ラウルが医師の肩越しにリテラに声をかけた。


「リテラ、お医者様に来ていただいたよ。ヒース・クヌート先生だ。クヌート先生は私の古くからの友人だよ」


クヌートは鞄からいろいろな道具を取り出し、リテラにベッドから降りるように優しく言って、まず彼女の身長や体重を測定する。


そして今度は椅子に座らせて脈を取ったり胸の音を聞いたりする一般的な診察のほかに、握力や足の筋力を特殊な方法で測った。


また問診やちょっとしてテストを行って、知能についても調べたようだった。


一通り終わった後で事務的に言う。


「容貌など外見上は老化していますが、機能的な部分は大丈夫ですね。身長や体重も問題ありません」


リテラが先ほど感じたからだの違和感について確認した。


「手に力が入らないような感じや膝の痛みがあったのですが、それは」


医師は先ほどの表情を一新し、にっこりと笑った。


「本来のリテラ様のご年齢は8歳でしたね。先ほどさまざまな値を計測しましたが、どれも8歳の平均的な値かそれ以上でしたよ。ご安心ください。でも、そうですね」


そう言って今度はリテラの両親のほうに向き直り、


「ご本人の無理のない範囲で、筋力のトレーニングをしてもよいでしょう。見かけはお年寄りですが、いたわりすぎは禁物です。それは今だけではなく、年齢が上がっても同じです。実年齢にふさわしい運動を。これは教育についても言えることです」


と説明した。


今まで通り生活していいってことね、とリテラは安心する。


ラウルに原因を問われたクヌートはラウルとカーラを連れて子ども部屋を出て行った。


「原因は不明。現時点では手の施しようがない。元に戻すという意味での治療方法はない」ということをリテラに聞かせたくなかったのだ。


ラウルはそもそも諦めもあったのかと静かに頷くだけだったが、カーラは納得いかないというようにクヌートに縋った。


「先生。それでも、何か、気休めでもいいのです。お薬をいただけませんか」


そう言われて少し考えたのち、クヌートは処方箋を書いて溜息をつく。


「気休めですよ。骨を強くする薬です」


そこでラウルが何か気がついたというような顔をしてクヌートを見た。


「ヒース、正直に話してくれ。リテラのあれは病気なのか、どう思う」


クヌートは即答した。


「あれは病気じゃないと思う。はっきりしたことは今の時点では言えないから、さっきは手の施しようがないとお茶を濁したが」


「それならお前は何だと思う」


ラウルに詰め寄られてクヌートは渋々


「魔法とか呪いとか、要するに人智の及ばないもののような気がする」


と自信なさげに答えた。


「そうなのか。それなら対処の仕方を考え直さなくてはいけないな」


話を終えて三人がもう一度子ども部屋のほうに戻ると、待ちきれないというようにリテラが医師に確認した。


「私、おばあちゃんになってるけど、運動も勉強もしていいのですね。よかった」


そしてクヌートが返事をし終わる前に、剣術や家庭教師などの習い事を続けさせてくれるよう懇願した。


姿が変わっているというのに前向きに頑張ろうとしている、その願いを両親が聞かないわけがない。


「社交のことなどこれからどうなるかわからないこともあるが、教育方針に何の変更もないよ」


ラウルが優しい表情で約束し、クヌートも


「リテラ様の様子は私が責任をもって定期的に見ます。少しでも不安なことができたら、なんでも、いつでも相談してください」


と言い聞かせた。


診察が終わるころには昼を過ぎていたが、ラウルとカーラはリテラが少しずつながら落ち着きを取り戻しているのを見て、前々から予定していた誕生日の行事をそのまま行うことに決めた。


家族も使用人も一緒に食事し全員が祝辞を述べ、リテラに届いていたプレゼントを彼女自身が開けて皆に披露するのだ。


夜、一連の行事を終えて、リテラは例年以上に疲れていた。


(もう、寝よう)


どうやらアルトはミリが相手をしてくれているようだ。


リテラは父と母におやすみなさいの挨拶をして自室に戻り、いつものようにベッドに入ろうとして当たり前のようにあったものがなくなっているのに気がつく。


(どこだろう。あんな大きなもの、どこにあってもすぐ見つかるはず。でも、、見当たらない。そう言えば、今朝起きた時も、一緒に寝ていた記憶がなかった)


朝、リテラは寝足りずになかなか目を開けることができなかった。


ミリが起こしに来た時、彼女はリテラの変貌に気がつき、そのまま大騒ぎとなった。


その時すでにいなかったような気がした。


7歳の誕生日にもらった大きなウサギのぬいぐるみ。


リテラがラビと名づけた。


リテラは疲れてはいたが、もやもやした気持ちのまま眠ることができずに、父母のもとに報告に行く。


寝に行ったはずのリテラが戻ってきて二人が驚いたような顔をした。


「どうしたのかしら。眠れないの、リテラ」


カーラが片手でリテラの手を取り、開いているほうの手で彼女の髪を梳きながら尋ねた。


「おとうさま、おかあさま、ごめんなさい。去年のお誕生日にいただいたラビがいなくなってしまったの」


「ラビというのは、ウサギのぬいぐるみのことだね。どこにもないのかい」


「ええ、ないの」


カーラが少し首を傾げた。


「ラビはとても大きいもの。いなくなったらすぐわかるはずよね」


ラウルもリテラを宥める。


「明日、探してあげるから。今夜はもう眠りなさい」


リテラは曖昧に頷いて子供部屋に戻っていったが、結局ラビが見つかることはなかった。


◇◇◇◇◇◇◇◇


5年後、今日、リテラは13歳になろうとしていた。


いつも誕生日の前夜に見ていた特別の夢は、あの夜以来見ていない。


昨日の夜も見なかった。


そしてあの夜見た夢の内容もほとんど忘れてしまった。


ただ、あの夜の13歳の誕生日を迎えた時の夢だけはうっすらと覚えている。


入学した学園の尞で友だちに誕生日を祝ってもらっていた。


でも現実は、学校に通っていないどころか、伯爵邸にすらもう住んでいなかった。


今のリテラの住処は伯爵領の端にある森の中の小さな小屋だ。


森といっても治安はよく、侵入者もいない安全な場所である。


ここに来たのは理由があった。


最初はリテラのことを大切にすると言っていたラウルもカーラも、一向に元に戻る気配のないリテラに匙を投げたのか、徐々に腫れ物に触るような態度へと変わっていく。


だから母から「ごめんなさい、アルトに対するのと同じようにはもう愛せないの」と泣かれたのを機に家を出る決心をしたのだ。


3年前のことだ。


以来、両親とはほとんど顔を合わせていない。


もちろん、友と呼べる人もいない。


今ここを訪れるのは医師のクヌートが健康状態を見るために3か月に1回程度。


リテラの希望で知識や教養を指導するために家庭教師が2週間に1度。


そしてミリとアルトが1週間に1度遊びにくる。


家族のなかでアルトだけは、8歳になった今でもリテラを姉と慕い、ミリと一緒にお土産(料理やお菓子)を持ってやってくるのだ。


アルトの来訪はただそれだけでリテラの心を和ませるものであったが、お土産は森で採れる野草や木の実などのいつもの食事に変化と彩りをつけてくれて、大きな楽しみの一つになっていた。


普段のリテラは突然年老いた姿かたちになった自分を題材に子ども向けのおとぎ話を執筆しているが、最初の読者になるアルトの反応がいつも頗るよいので、それを伯爵家の力で広めてもらい、いくばくかのお金も手にしていた。


お金など持っていてもこの森で使う当てもないが、何より自立できているという実感で自信を持つことができるのは大きかった。


さてリテラは今執筆を中断し、前日アルトたちが持ってきてくれたお菓子とお茶を楽しもうと準備していた。


今日は13歳の誕生日、自分のためのささやかなお祝いである。


十分気を付けなくてはいけないが、火の扱いには慣れている。


小屋の中の簡易的な厨房で火を焚きお湯を沸かしていた。


その時カサカサと音がして、誰かの来る気配がする。


リテラが身構えると、見知らぬ長身の男が近づいてきた。


「いきなりで申し訳ありません。突然で驚かれたことでしょう」


リテラを老婆だと思っているのだろうか、若く美しいその男は丁寧な言葉でリテラの警戒を解こうとする。


「リテラ様ですよね。初めまして。俺は、お父上の友人クラリス・ハビトです」


と名乗った。


「クラリス…さまですか」


クラリスという名なら知っている。


ウサギのぬいぐるみのラビをプレゼントしてくれた人だ。


だが父の友人だということもあり、父と同年代だと思い込んでいた。


しかし、目の前にいる男はどう見ても二十歳前後にしか見えない。


(聞いてないわ、こんな人だったなんて)


リテラが警戒を解かないままでいると、クラリスがいきなり握った拳を突き出し、甲側を下にしてぱっと開いた。


ポンッと大きな音がして、白煙が立つ。


「これに見覚えはありませんか」


リテラは目を凝らすと、見覚えがあるも何もずっと探していたラビがそこにあった。


「なぜ」


戸惑いながらリテラが尋ねるが、クラリスは返事もせずにラビに火をつける。


みるみるラビが灰になっていった。


(なんてことを!)


「このぬいぐるみは確かに俺があげたものだけど、あなたの未来を持ち逃げしていたのです。呪いを解くためにはあなたの目の前でこのぬいぐるみを燃やしてしまうほかなかったんだ」


クラリスが何か話しているが、ラビが消失するところを間近に見た衝撃のためかリテラから彼の声が遠のいていく。


すぐに一切の音が消えて、視界にはどんどん地面が近づき、いつのまにか意識を手放していた。


しばらくして目を開いたとき、リテラはベッドの中にいて真っ先に目に入ってきたのはクラリスの心配そうな顔だった。


「わ、わたし」


目を開けたリテラをクラリスが優しく見つめる。


「まずは先ほどの続きをどうぞ」


とお茶を淹れ直し、お菓子と一緒にベッドまで持ってきてくれた。


リテラはお礼を言い、クラリスにも勧めた。


何も言わないまま二人でお茶を飲む。


やがて落ち着いてきたところで「呪いは消えましたよ」とリテラに鏡を手渡した。


リテラは黙って鏡を受け取り、自分の顔を映した。


そこに見たのはしわがあるどころか、つややかな肌をした少女だった。


髪の色も元に戻っている。


先ほどは気にも留めなかったが手もしみひとつない若々しいものだった。


「これは」


と言ったきり、リテラからしばらく言葉が出てこない。


クラリスが言うには、ぬいぐるみには持ち主の未来を奪う呪いが掛けられていて、名前を付けることでその1年後にその呪いが発動するらしい。


そして解呪するには、呪いをかけられた人の目の前で燃やさなくてはならなかったという。


呪いをなすための物と決別し、奪われたものを持ち主に返すための儀式だそうだ。


「そのためにここまでいらっしゃって、私の目の前で事を行ったのですね」


リテラが納得したように呟くと、クラリスが申し訳なさそうに言う。


「俺はあのとき未熟で、そのぬいぐるみの意味を知らないまま、ただかわいい代物だというだけで、見知らぬあなたに渡してしまいました。本当に軽はずみな行いでした。結果、あなたを苦しめて、ご両親からも引き離すことになってしまった」


クラリスは心から謝罪しているようだったが、リテラは首を振る。


確かに間接的には自分の容貌を変えたラビが関わっているが、家を出た直接のきっかけは「アルトに対するのと同じようには愛せない」という母の言葉だ。


だがクラリスはそれを知ってか知らぬか思わぬことを言った。


「カーラ様があなたに家から出て行くように仕向けたのは、ラビとあなたを会わせないため。そしてラビを捕獲するためです。あなたの未来だけでなく過去すらも奪い、あなたの生きた痕跡をなくすためにラビがもう一度伯爵邸に戻ってくる可能性があるとわかった、その機会を逃さず確実に捕まえたかったのです。結果何年もかかってしまって本当に申し訳なかったのだけれど」


その言葉に今更ながら怖いと思ってしまう。


彼女の肩の震えを抑えるようにクラリスがそっと触れた。


「もう、大丈夫です。失われた5年間は戻ってきませんが、これからはあなたが望み、努力すれば叶うことも多いでしょう」


リテラが顔を上げ、クラリスの目を見て頷く。


「あなたはこれからどうしますか。邸に戻りますか。それともここでずっと過ごしますか。学校へは通いますか。それとも…」


クラリスが挙げるいくつもの選択肢を聞きながら、リテラはこれからの自分のことを夢見る。


そして文字通り8歳の誕生日前日の夜の夢に見た16歳で上げた結婚式をふと思い出し、頬を染めた。

誤字報告、ありがとうございます。


また、ブクマ、いいね、評価してくださった方々、感謝しています。

ありがとうございます。

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