狼は狙われている
それじゃあ、私と付き合ってみる?
それは、あまりに突然で唐突で突発的な提案であった。
なんでもない普通の会話の中で彼女はそう言い放ったのだった。
ピピピピピ。
「…………」
ピピピピピピピピピ。
「…………」
ピピピピピピピピピピピピ─────。
「……うるせぇ」
深く落ちている眠りを妨げる無感情な電子音。聞き続けるには少し不愉快である。朦朧とする意識の中いつものようにスマホのアラームを少し雑に止めた。
二度寝の準備は整った。部屋に差し込む朝日を掛け布団で遮り俺はゆっくりと微睡んだ。
「士狼ー! 早く起きなー!」
が、安眠は俺の母親の一声であっけなく打ち砕かれた。このまま二度寝を決め込んでもいいのだが、それだと後が怖い。わざわざ朝から怒号を聞きたくはないのでため息をつきながら泣くなくベッドに別れを告げた。
一階のリビングへと向かうため階段を降りるとちょうどリビングからスーツを着た母親がバタバタと出てきた。
「お、やっと起きたか。おはよう、士狼」
「あぁ、おはよ」
「かあさん、もう仕事行くから戸締まりよろしくね。ご飯テーブルの上置いてあるから、さっさと食べなさいね」
「……ん」
母親は小さくため息をつき、呆れた目でこちらを見ている。
「アンタほんと大丈夫なの? もう高校も終わりなのよ。もっとしっかりしないと。そんなんだからこの前のテストだって──」
しまった油断した。月曜日の憂鬱に身を任せていたら朝の説教が始まってしまった。朝から小言を言われてはただでさえ鬱な月曜日が朝からとんでもないことになってしまう。ここはなんとか話を逸らそう。
「あ〜、それよりイイの? 急いでるみたいだったけど」
「ハッ! そうだった!!」
母親は何かを思い出したのか急いで玄関へ向かう。
「かあさん、朝から会議の準備しなきゃいけないのよ」
聞いてないがそんな話をしてきた。
「はぁ、そうですか」
「まぁともかく、早くご飯食べて遅刻しないようにね」
「あいよ」
「あとその頭どうにかした方がいいわよ」
靴を履きながら母親は横目で俺の髪を見つめる。自分で触っただけで分かる見事な爆発っぷり。クセ毛はこれだから面倒くさい。
「分かってるよ」
「それと……」
「まだなんかあんの?」
急いでるのではなかったのかこの母親は。
「鳴依ちゃん、もう来てるわよ」
「…………は?」
リビングに置いてあった朝食のトーストのパンをかじりながら朝の支度をいつもの手順で片付ける。家を出る時間より少し早めに俺は家を出ることにした。母親に告げ口でもされたらたまったものではない。
ゆっくりと重い扉を開け隙間から家の前の人物を盗み見る。
「…………」
家の前で電線に止まっているスズメを何気ない表情で眺めている女子高生が一人。
艶の入った真っ黒な髪は真っ直ぐに腰まで伸びている。のぞかせる横顔はまるで雪のように白い。だからこそなのだろうその人を魅了するような妖艶な瞳が一際映える。
視線に気がついたのかその人物が振り返る。
「あら、おはよう灰原くん」
ひっそりと微笑む姿はまるで魔女だ。
八木鳴依。俺と同じ学校に通う同級生。そして向かいの家に住む幼馴染というやつだ。
「覗き趣味なのは良いけれど、あまり表立ってやるものじゃないわよ」
近隣住民がヒソヒソと俺を見て通り過ぎていく。
俺は諦めて玄関から出る。戸締まりもしっかりとしたところで鳴依の元へ向かった。
「おはよう、灰原くん」
「……ん」
まるでCMにでも出るのかというぐらいの爽やかな笑顔で挨拶が飛んできた。それを適当に返しそそくさと学校への道を歩く。
しかしそれを鳴依は許さない。俺の袖を掴みながらニッコリ微笑む。
「おはよう、灰原くん」
「……」
「お、は、よ、う」
「はいはい、おはようおはよう」
全てを諦め挨拶を返す。笑顔が怖いぞマジで。
「よろしい、挨拶はしっかりとね。それじゃあ行きましょ」
満足したのか掴んでいた部分を袖から手に変え俺の体を引っ張っていく。半場強引に俺の足は鳴依と共に歩みを進める。
「お、おい!」
「良いじゃない減るもんじゃないし」
「そういうことじゃないだろ! それに誰かに見られたらどうすんだ!」
「良いのよ元々そういう目的だし」
「はぁ!?」
「悪い虫が寄る前にアピールしておかなくちゃ。灰原くん意外と人気なのよ? ちょっと無気力な感じとか目つき悪いところとかちょいワル感あって」
「……」
「まぁ、嘘なんだけど」
こいつマジで。
「オマエなぁ……」
「まぁ例え人気だろうとそうじゃなかろうと、誰にも渡す気はないわ」
振り返った視線と重なる。長いまつげに深淵の如き瞳。健康的な唇は鮮やかなピンク色だ。
実に魅惑的。危うく飛び込んでしまっては二度と帰ってこられなくなる。
しかし、俺は少し強引に手を払いその魅了から逃れる。
「そもそも俺はお前のもんじゃねぇよ」
「あら残念」
フフッと笑う少女は俺とゆっくり視線を重ねる。
「じゃあ、私はあなたにとって何なのかしら」
歩き出そうとした俺の足が止まる。
いつもの余裕のある表情だった。しかしそこには確かな信念があり決意があった。
「……」
「返事を聞かせてくれるかしら。私と付き合うのか付き合わないのか」
そう、俺はこいつに告白されたのだ。
「……ごめん、今なんて言った?」
「だから、私と付き合ってみる?」
ただの帰り道だった。お互いに部活を終え、たまたま玄関でバッタリと会い何気なしに帰路についていたはずだった。最近部活仲間が付き合ったとかそういう学校の世間話をしていただけなのだ。
『俺も彼女が出来たら、イチャラブ生活を送りたい』
なんてネタで言ってみたら特大の隕石が飛んできた。
「……えっと、それ……マジ?」
「うん、大マジ」
「なんで突然……?」
「別に突然でもないわよ。私、あなたのこと昔から好きだったの。言うつもりはなかったけど」
「マジか!?」
「大マジよ」
言うつもりは無かったのならなぜ今告白してきたのだろうか。
それよりこいつが俺のことをずっと好きだったことが驚きだ。なにせ事あるごとに「あなたには何もできない」「よくそれで人前にたてるわね」「あなたは一生独りよ」など罵詈雑言を浴びせられてきたのだから。
「そ、それは、私がいないと駄目なんだからってのを暗に伝えたかったからで、本当にそう思っていたわけではないというか……」
頬をあからめ急にモジモジし始めた。
なんだこいつ。
正気を取り戻したのか、こほんと咳払いすると真っ直ぐに俺の目を見てきた。
「それで、どうするの?」
「……一つ聞いていいか?」
「えぇ」
「なんでいま告白してきたんだ? 言うつもり無かったんだろ?」
「あなたさっき自分も彼女が出来たらって言ってたじゃない? その時に想像してみたのよ。私じゃない誰かが、あなたの隣で一緒に帰って休日にはデートして夜には部屋で一緒に映画見たりしてって。そうしたら胸の中がモヤッとして、なんかイヤだなって思ったの」
鳴依は淡々と語る。その声音はいつも通りだが表情が少しずつ曇っていく。俺はその表情を見てこいつは俺のことが本気で好きなんだと悟った。
「だったら私が彼女になって、あなたの望むイチャラブ生活をさせてあげようかなって思ったの」
「いや、イチャラブはそんな本気じゃないぞ」
「でも嘘ではないでしょ?」
「……」
「ねぇ、だから答えてくれないかしら。私と付き合ってくれるのかどうか」
その目は新鮮そのものだった。真っ直ぐに俺の中に入ってくる気負いだ。それを俺は視線をそらしはぐらかす。
「その、なんだ……。きゅ、急にそんな事言われても整理できないと言うかなんというか。な? だからさ、ちょっと考える時間くれないか?」
「……まぁ、そうね。急だったわけだし。それじゃあ、来週の月曜日に改めて聞かせてくれないかしら?」
「お、おう! まかせろ! あ、そういえば俺、母さんに買い物頼まれてたんだった。じゃあ気をつけて帰れよ! じゃあなぁ!」
俺はその日、逃げるようにして鳴依の前から立ち去った。
あれから二日経っているというのに未だにその衝撃が忘れられない。実は夢だったのではと今でも考える。
しかし、こうして目の前で鳴依は俺の返事を待っている。
「早く聞かせてくれないかしら? 私二日も待ったのよ。この間ひたすら悶々と待ち続ける私の気持ちも考えてほしいわ。乙女の純情を何だと思っているよ」
「わ、分かったから、その表現やめろ……!?」
実際問題、彼女にするには最高すぎる女だとは思う。顔もめちゃくちゃ可愛いし成績優秀、定期考査では常に学年トップ五に入っているほどだ。運動も他の部活の助っ人に呼ばれるぐらいできる。俗に言う、完璧超人である。
そんな人間と幼馴染の俺は、そりゃ他人から羨ましがられるが、そうじゃないのだ。
俺にとって八木鳴依は、姉のような妹のような。枠組みとしてはほぼ家族なのだ。
だから、答えは最初から決まっていた。
ただ相手が真剣である以上、しっかり考えなければならない。その結果、彼女を悲しませることになっても……。
「そうだな……。じゃあこの際ハッキリ言うぞ」
「……ええ」
「悪いけど、お前とは付き合えない」
「……」
重なる視線をその沈黙が辛くて少しそらす。
「その、色々考えたけど……別にお前のことは嫌いじゃないしなんならお前はすごいヤツだって尊敬してる。付き合えるやつは相当楽しいと思う……。けど、俺はお前のことをそういう対象として見たことがない。だから、ごめん。お前とは付き合えない」
やけに周りが静かだ。さっきまで車の音とかスズメの鳴き声とかしていたはずなのに、耳に入ってくるのは自分の心臓の音だけだ。
気まずくて外していた視線を彼女に戻す。
彼女は依然として俺をまっすぐに見つめていた。
「ご、ごめん……」
思わず口からそう溢れた。完全に無意識だった。
「そっか……残念」
諦めたかのように苦笑する鳴依。少なからずその顔に罪悪感を覚えてしまう。鳴依と恋仲になる想像は出来ないが友人としてこれからも関われていければいいなと思う。
そうだ、何もこの関係性を辞めなければならないわけではない。友人として親友としての距離感で関わっていけばよいのだ。きっと俺よりも素晴らしい人は見つかるし、お互いにいい人を見つけて大人になったときにこんな事もあったな、なんて笑い会える日がくれば良いじゃないか。
ムニュ。
唐突に左腕に違和感が。やけに柔らかいような。
視線を移すと何故か腕が絡みついてる。さらには、俺の腕にそれなりの大きさをした柔らかい物体が押し付けるように触れている。
この状況を見ればそれが何なのかハッキリと分かるし、その正体も判明している。
「おおおおおお、オマエぇ…………!?」
それは、紛れもなく八木鳴依で。俺の腕を抱くようにして押し付けられているものは制服の上からでもハッキリと感じ取れる鳴依の胸であった。
「な、何してんだ! 離れろ!?」
振りほどこうとするが中々に力が強い。本気で振りほどくわけにも行かずあたふたしていると、
「私、決めたのよ」
「何を!!」
「私を好きになってもらうって」
「はぁ!?」
「まずは色仕掛けでどうかしら? 年頃の男子には効果的でしょ。最近また大きくなってるのよ? 未だに成長の一歩を辿っているわ。将来有望ね」
「んなこと言ってる場合か!! 早く離れろ」
鳴依は、真っ直ぐに俺と視線を重ねる。
そこには、絶対的な自信と決意に満ちていた。
「私、諦めが悪いのよ」
満面の笑みでそう言い放ち学校への道を歩き出す。
どうやら灰原士狼は、とんでもない八木鳴依に狙われているみたいだ。




