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“誰もお前に興味がないんだよ”という言葉は、こう言い換えると受けとめやすくなる

作者: 堀田真裏

誰もがみな (というと語弊があるかな?多くの人はくらいにしておきましょうか)


多くの人は、相手のことも思わなくもないけれども、やっぱり自分が可愛いものだ。

それぞれの都合を抱えながら、それぞれの人生を、いっしょうけんめい、生きている。


だからこそ、目の前のあなたに限らず、ほかの人の事情……立場や思いを汲み取るというのはなかなか難しいときもある。

何よりも、出会ったすべての人に合わせていたら、その人の身がもたない。


無限のキャパシティなんて持っていない。

時間も体力も精神力も、限界ってあるし、余力が少ないときはなおさらそう。


みんなどこかで線を引いている。優先順位を決めている。


「誰もお前に興味がない」は間違いというか、どこか不正確な表現のように思える。


数限りない人がいるなかで、プラス方向での興味をもってもらえることは、そもそも簡単ではない。

子どものときは、それでもけっこう周りは合わせてくれるものだけど、大人になるほど、そういうわけにもいかなくなってくる。


でもそれは、「子どもだからね」って目では見られなくなったという意味では、対等な土俵に立てるようになったからだと捉えることもできるのだけど。


まあ、「あなた」に「興味を示されるかどうか」というのは、


「その人にとって、その人が欲しいと考えている何かしらの利益、メリットをもたらしてくれる存在だ」

と、相手から認識されるかどうかという話なんだ。


*****

これは就活等でも同じではないだろうか。

あなたがどれだけ素敵な人間だとしても、相手が見るのは「この人を採用することでどんなことが期待できるだろうか」ということだ。


期待値だ。期待(・・)と真実は必ずしも一致しない。相手は神様やなんでも見透かせる超能力者じゃない。なぜ、しばしばスポーツ経験者が有利になるのかという話にも通じる部分があるかもしれない。


スポーツ経験者が魅力的な人材と見なされやすい傾向がある、とはどういうことか。それは、「体力がありそう」「厳しいことに向き合ってもつぶれにくいメンタルをしてそう」「上下関係や人間関係にもタフでうまくやれそう」「うちの会社のスポーツで貢献してくれそう」などの期待がそこに見出だされるためだ。

そういうものも、「利益をもたらしてくれそうだ」と「期待」されることと繋がっている。


だが運動部出身者だからといって本当に利益をもたらす人材かどうかなんてわからないし、なんなら、体育会系じゃなくてもそういう人材だっているだろうという話だ。


それでも、人はそういう分かりやすい肩書きや経歴をもとに相手に推論をはたらかせて、判断しているということを伝えているだけだ。


それが、「そのように認識されるかどうかだ」という意味だ。


*****

たとえ、そのように相手から認識されなかったとしても。それはけっして、「あなたに価値があるかどうか」という話じゃない。



そんな風に大雑把にまとめて、話をへんに大きくしてはいけない。プラスのことはそれでもいいけれど、人や自分を傷つけうるネガティブなことほど、情報をキチッと限定することは、精神衛生上、非常に重要なことだ。


イメージするなら、手術で悪いところを切り取る必要があるとする。悪いところやリスクがあるところを切るのは仕方ないとして、その周りの健康な組織まで大きくくりぬくのは不必要だし、「悪くないところまで切らないでくれよ!」と誰でも思うんじゃないだろうか。


じゃあどうして、心のことで同じようなことをするんだ。

大雑把にするから、傷つけなくていい部分まで傷つけてしまうんだ。事実をちゃんと限定することは、考え方に慣れるまではまどろっこしくて難しく思えるかもしれないけれど、自分の心を守るため、あるいは、自分が誰かを不本意に不必要に傷つけてしまわないために、とても大切なことだ。


*****

相手から、相手にとって利益をもたらす人だとは認識されなかったとしても、それは、あなたに価値がないということを意味している訳じゃない。


ここは重要だ。ここを取り違えるから、大雑把に不正確に考えてしまっているから、過剰に傷ついてしまうんだ。


私の話は、まどろっこしく思えるかもしれない。けれども正確に認識してほしい。そうすることで、不必要に傷つくことからは解放されるはずだ。


相手にとっての利益やメリットというのは、物質的なこととは限らない。むしろ精神的なことだったり、あるいは目の保養とか安らぎとか形のないものの場合のほうが多いだろう。あるいは有益な情報を与えてくれる人脈を得られるというのもある。


それで、その人にとって、その人がほしいものをあなたが持っていた。あるいは、将来的にもたらす可能性があった、としても、与えてくれる人だと認識されなければ関心を向けられることはないし、第一印象だけではねられて、「興味ない」と見なされるかもしれない。


ただ、それは相手から「自分に素晴らしいことをもたらしてくれそうな人」とは見なされなかったし「特別扱いするにふさわしい」とまでは認識できなかった、それだけのことに過ぎない。


べつに、あなた自身に価値がないということを意味しないし、

まして「誰も」あなたに興味がないかどうかは別問題だということだ。


******

少なくともわたしは、けっこう見境なく人に興味を抱くタイプだ。相手に強い嫌悪感を抱かない限り、「興味がない」ことはない。どんな人のなかにも私が知らない世界があるから。


強いて言うなら、ありきたりなご挨拶はいらない。そこには、その人だからこそ、という部分が欠けているから。私は他者の「自分語り」や「自慢話(武勇伝)」も嫌いじゃない。たまたまバス停で隣に座ったおじいちゃんおばあちゃんとそういう話になってもけっこう楽しく聞いている。時には、この人麻薬中毒者ではないかなぁ(^_^;)痩せかたとか、目の窪みかたとか目線とか身なりとか色々ヤバいし言ってること(英語だったから)半分くらい分かんないけど妄想入ってるよね? というような相手の話さえ一時間近く聴いていたことがあるほどだ(別に仕事じゃなく呼び止められて立ち話になっただけ)。


でも、そんな相手からだって、自分が知らないキラキラ光る世界の断片を見せてもらえる瞬間があったりするんだ。だから少なくとも、私には、私が嫌いなことを、私にとって嫌なことをその人がしていない限り興味がない人は存在しない。


極端かもしれないが、世の中にはそういうやつもたまにいる。

なので、「誰も」あなたに興味ない、なんてありえない(笑)


あなたはつまらない人間なんかじゃない。

あなたに価値を見出だしてくれる人間と出会えていないだけ。あるいは、上手には伝えることができていないだけで。


*****

相手の心を思いどおりに変えようというのは難しい。人の心は縛れないから。


もちろん、相手が求めるなにかを提供できるような自分になるべく、努力を重ねていくことはできるかもしれない。そういう生き方は多くの場合「前向きなこと」として、周囲に好ましく映るだろう。


ただ、これは注意も必要だ。


その「自分のどこかを変えようとする」努力が「こうなりたいと思っていたんだ」と、もとまと自分が望んだことに、うまく合致している場合は良いと思う。


結果的に、相手に興味を示されようと示されまいと(※どんなに頑張って変わったって、相手から興味を示されないこともある。これは前提に行動した方がいい)、自分自身のなかに満足感や達成感、プラスが舞い込んでくるなら万々歳のはずだ。


特定の誰か、あるいは、不特定多数の気を引きたいあまりに「自分で自分を変えることはできるはず!」と安易に飛びつくのは危険だし、考えものだから気を付けてほしい。ということを書いている。


就活に必要だからというような種類のことはともかく(これは生きる糧を得る上である程度割りきらないと自分が困ることだから)、たとえば相手に好かれたいからと、無理やり自分のキャラクターを変えても、

いつかは、無理がきてしまう。あるいは、うまくいっても自分自身が傷ついてボロボロになる。


変わる努力、というのは、具体的に改善したいところがある場合は、おおいいにけっこうだと思うけど、自分という軸があること、「自分もそうなりたいと思ったから」が基本にあることが重要だと思う。


でないと、やがて、手段と目的を取り違えるようになって自分を見失う。

あるいは、「あなたのためにここまでやったのに、なんで振り向いてくれないの」と、ストーカーめいたことになりかねない。


あるいは、「どうがんばっても、やっぱり自分みたいなやつには、誰も――(振り向いてくれない。好きになってもらえない。やっぱり自分は無価値だ)」などと、絶望感を深めることにもつながりかねない。


後者はちがう。たぶん、まだ結果が出てないか、努力する方向性を、結果が出やすいやり方に修正する必要があるだけだ。


誰かに気に入られたいと思う、それは別に良いと思う。好かれたい。自然な感情じゃないだろうか?

ただ、相手を絶対的なものとしてむやみに上に奉ってはいけない。

相手だって、おんなじ人間なんだって視点を大切にすることは、一番最初にお伝えした話とも繋がってくる。

神様みたいに完璧な人間なんて存在しない(いないはずなのに完璧に見えたとしたら、


それで、痛ましいほどの努力を重ねてものすごく無理をしているか

あるいはとっても優秀だけど、自分が相手にどういうイメージを与えればよいか、完璧に計算できるなど ちょっと怖い側面を持っているか、どちらかのような気がする。


長所と短所は紙一重だったり表裏一体だったりする。都合の良い側面ばかりを持ちわせているなんて、ちょっと不自然だ)。


何者にたいしても、心の中まで隷属する必要はないし、

それは自分自身が、誰かを隷属させるかのように蔑んでもならないということも意味していると思う。


自分の上に誰かを作るから、下を作りたくなる。人間の本質に、上も下もあるものか、そう信じていれば、自然と人を蔑むこともなくなっていく。


誰かを尊敬することや、見上げて憧れることを、ああこの人を目標にしたいとか理想にしたいと感じることそのものを否定している訳じゃない。逆に、ああいうことはしたくない、と反面教師にすることもあるだろう。


なんと言えば良いのか。――尊厳、という意味でだ。


どんな人にも価値がある。

あなたにも。

うーん、これ、分かる人からすると


めちゃくちゃ当たり前の話を、細かく細かく言っているだけの話なんですよ。


でもたぶん、「わけわかんね!」と投げちゃう人は「え、普通の人間は利益をもたらしてくれる相手と見なす、とかいちいちそんなこと考えて誰かと接したりしないだろ!?」って思うだろうし

「利益をもたらしてくれる相手って認識されなかった」ってこと=「価値がない」ってことだろ?


と思うかもしれませんf(^_^;


そう!諸悪の根元っていうか、

最大の問題はここなんですよ( ノД`)…


価値がある、価値がない、って、そもそも、「こういうものがあることを価値があると見なす」って前提基準があってはじめて、「価値がない」って決められることなんですよ。


この前提基準って、無限に作れるんですよ。

誰かが「こういうのも価値があるって認めて良いと思うな!」って言ったらその時点で「ある」ことになるし、言い出したらたぶん、どんな相手でも、誰かの価値の基準には引っかかります。


ついでにいえば、どんな恐ろしい感染症にもおよそ5%の人は耐性があるそうです。これはからだが強い弱いとは全く関係ない話です。病弱だったとしても遺伝子の問題でたまたまその人は、その感染症には強かった、ということはあり得ます。


もし、人類存亡の危機とも呼べるほど恐ろしい感染症が世界中に蔓延したとします。多くの人が命を落としていくなかで生き残ることができた5%はやはり大きな意味があるのではないでしょうか?誰にも分からない。ですが、そういう可能性は、ただ私が繰り広げている持論に基づく説得でもなんでもなくて科学的根拠に基づく事実です。


読んでくださったかたを、余計に混乱させていないといいのですが、「価値」ということを判定する基準は無限にあることだけ伝わるといいなと思います。


では、「目の前の人間から、利益をもたらす人材とは認識できない」と見なされたとします。

この利益は、「一緒にいると楽しい」「会話が弾む」「テンションが上がる」「気が合う」といった無形のものも含んでいます(物質的なことだけじゃない、とふれたのはそういうことです)。


それは、その人からは「求めるものが得られそうにないな」と判断されたってだけだ。と言っているのです。


その判断は間違っているかもしれませんよね?それにその人が求めるものなんて、無限にある価値基準のなかの、ごく一部に過ぎないんです。だから、それだけで、「価値がないって思われたんだ……」とか嘆くのは、


「○○からフラれた。もう自分には男(女)(それ以外)としての魅力がないんだ(人生真っ暗だ)!」って言っているのによく似ていると思います。


そんな相手にどんな言葉を掛けますか?

そうだね、確かに魅力はないかもしれないね、なんて言いませんよね!?


いいところや好きなところ誉めること、そういうプラスのことは、大雑把でアバウトでもそれでいい!と私は思います。

でも、ネガティブな否定関連は、悪いところだけにメスをいれるように、慎重にすることが大事なんです


大事なことなのに、なぜわからないか。

それは、多くの人が感覚的にやっちゃっていることだからではないでしょうか。


自分自身のことも、突き放して客観視する。これは視点の話です。後天的に身につけることです。そんなんはじめからできてる子供なんていないし、いたら怖いです。


大人になっても自分を客観視することが不得意な人も少なからずいますし、できないからって劣等感を抱える必要はないと思うけれど。



自分の内面の動きをきちんと把握できるようになると、私の話したことは、

「ものすごく当たり前のことを細かく話しただけの話」だと理解できると思いますし、


その頃には、上のようなセリフに傷つくことからは解放されていると思います(*^^*)


せっかくですので、私が「これ麻薬中毒者ではないかなぁ、妄想じゃ……」と感じたカナダ人のおじさんから聞いた素敵な話を。


日本よりも園芸関連で進んだ文化があるようです。で、街路樹の根元なんかに、石ころみたいにも見えるものが敷き詰められていたりすることがあるんですけど、それ、「景観を損なわず(ナチュラルに見せる)」「太陽光を遮ることで、生えて欲しくない草が生えてくることを、除草剤散布なしに防止する」「かつ、土壌の乾燥を防いで(緩めて)くれる」やがて自然に還っていく素材で作られていたものらしいです。人の手を頻繁にいれることができない場所でもそういうものを利用することで、自然のような雰囲気のまま、管理された美観を維持するそうです。


麻薬中毒者ではないかなぁという外見のおじさんです。手も震えていたし、自分は最高の○○だ、それゆえに重大な機密を知ってしまい狙われている(そんな重要人物が、英語もうまく扱えない外国人に声掛けて立ち話するわけがない)、でもUFOと交信できるのでいずれ助けが来る、とかとんでもない話もしていたし、通りすがりの普通っぽいカナダ人のかたがたが、遠目に心配そうに何度も振り返っていました。


明らかにヤバいやつにつかまっている、彼らから見れば小柄で童顔で幼く見えた私を「あのアジア人の子、大丈夫かな」と心配したのでしょう。私も一時間弱も聞き続けたのは、刺激したらどういう反応するかちょっと怖かったので、満足させてからうまく立ち去ろうと期をうかがっていたのもあります。


考えてみてほください。どんなにヤバそうななりをしていても、ガリガリだとしてもです。自分より三十センチ以上でかくて肩幅もある、何をするか分からない相手から捕まったら普通に怖いですよ。

見境なくした人間はナチュラルに「火事場のばか力」発揮したりします。

リミッターが外れている状態といえば伝わるでしょうか。介護施設の認知症のおばあちゃんが重たいソファーをぶん投げちゃうとかそういう信じられないことが起きるのと同じ理屈です。私たちは無意識に自分の筋力に制限を掛けています。怪我をしないためにです。


少なくともその筋力が物理的限界まで引き出されることは本人が望んでも滅多にありません。例外は、認知症や、なんらかの中毒症状などで理性のたががはずれている場合――


ほんとに怖いですよ。なめてはいけませんよ。

しかも会話に明らかに妄想が入っているんですよ!?。刺激してとんでもない行動に出られたら怪我するかもしれないし命に危険が生じるかもしれないじゃありませんか!

私がいた街はそれくらい薬物汚染も深刻だったので。


ともかくです。


それでも、そんなおじさんでも、その人から聞いた話は私に新しい視点をくれたのは確かなことなんです。その人との会話のお陰で、わたしは、知らない世界の片鱗を覗くことができました。

私には一生の宝物です。怖かったですけどね!Σ(×_×;)!


そういうことってあるんですよ。相手が誰でもどんな身なりをしていてもね。


※ただ、危険なので 見境なく話を聴いてしまうのはやめることをお薦めします。この性格のせいで、「今までよく無事に生きてこれたね……」というヤバい経験を複数しているのも本当です。

私も、そういう場合は別に好き好んでそうなったわけではないのですが。なんとなく好意的な相手は断れないんですよね。

「人を見かけで判断してはいけない」意識が邪魔をして、つい、へらっと会話に応じてしまうんですよね……。


危険もあるので、真似はしないでくださいね(それであなたが大変なめに遭遇しても私には責任を取ることも償うこともできないから)

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