6 見えない敵
村の秩序悪化に伴い、狩猟農林学校は一時休校となり、代官所はホニアラの村の警戒を強化することとなった。そればかりでなく、総督府までもがソロモン低地一帯を重警戒区域として神経質なまでの警戒を開始していた。それらの状況を注意深く観察したジョナにとっては、その光景は先のオサオロチや吸血童子たちの来襲騒ぎを警戒するにしても、大げさに感じられた。ジョナがそれらのことをもとに、頭の中で様々なことを思いめぐらして感じられたことは、王国が何かに不必要におびえているとしか思えなかった。ジョナはそれをクラスメートのサンに伝えると、代官でもあるサンは、上官のモスタル・キーン総督にそれを伝えた。
「よいか。皆の者。今の我々は浮足立っているようだ。我々ばかりではない。おそらく王国全体が、浮足立っているようだ。だから、冷静に事態を分析し、行動しなければならない。この村のある知恵者によると、この地域を襲った火炎族の吸血童子はこの一帯を退廃させようと感化するつもりだったらしい。だが、それが阻止された今、彼らはもう一度感化のために来襲するか、もしくはこの地区ごと破壊するために来ることになる。したがって、我々は火炎族の吸血童子が此処に必ず来ると予想すればよい。どのように彼らが襲い来ても、対抗できるよう警戒を怠るな」
総督はそういうと、ソロモン低地やホニアラ一帯の警戒を厳しくするように指令を出した。
そんな警戒の中、敵は思わぬ形で再来した。
水明族の地主チュアが小作人や使用人の話題に関連させてこぼしていた。
「最近、土地の農作物を荒らしにくる奴がいるんだ。まだ、誰も見たことがない。夜の闇に紛れて出没していると噂されているだけなんだ。薄気味悪くて」
村長のテムジンは村人たちからなる自警団を編成した。
「ジョナ、あんたがこの情勢を客観的に分析したんだぜ。だから、あんたも参加してくれないか」
「僕は予測しただけで、今後のことは僕に関係ないよ」
ジョナは、一連の吸血童子の騒ぎで事態を冷静に分析して解決策を提示で来た人間であり、アンヘルが襲われたことがあったのにもかかわらず、今回の警備に自分が加わることには後ろ向きだった。
「なあ、ジョナ。以前の火炎族の吸血童子たちが起こした事件を忘れたわけではあるまい。この度の事件でもみんなで共に戦わなければ、また誰かに被害が集中してしまう。それがあんたの愛するアンヘルに集中するかもしれないぜ」
「僕は、いやだ」
ジョナはそういうと、自分の家に引きこもってしまった。それでも気になったのか、ジョナはその日の夜から開始された自警団による見回りを後から見守るようについていくようになった。そして、自警団はほどなく、農作物ばかりではなく村の家畜が襲われ引きずられた痕跡を発見したのだった。
深夜の山の中へ。深夜2時ごろともなると人里さえ暗闇に閉ざされた。山の中では、周囲の木々によって星空がほとんど隠され、星明りも頼りにならない文字通り暗中模索の世界になった。自警団は、昼間に印をつけておいた道筋に沿って登っていった。奥深く入り込んだと考えられたところで、彼らは村から別のルートで引きずられてきた家畜の残骸を見つけた。予想とは異なって、かじられた、もしくはひっかかれたような跡ではなく、明らかに鋭利な刃物で人為的に分断されていた。しかも、とらえて食べるということではなく、単に分断されて放置されており、殺すことが目的であるかのようだった。そして、そのような家畜の残骸は、そのほか多数残されていた。
「これは、狩りをする俺たちの仕事じゃないぜ。代官所に連絡して、人為的な犯罪かどうかを調べてもらう必要がある」
そう指摘したのは、哈把狗だった。その時だった。自警団全員に一斉にとびかかっていたのは、異形のホムンクルス、いや魑魅魍魎といったほうがよかった。
魑魅魍魎たちは、防戦一方の自警団の一人一人を集団で襲っていた。悲鳴を聞いてジョナが駆けつけた時、ジョナの周囲にさらに何人かの男の悲鳴が聞こえた。彼が悲鳴の聞こえたそれぞれの場所に行ってみると、哈破狗以外の仲間たちはすべて地に倒れて動かなくなっていた。哈巴哈だけは、折れそうな細い枝の先にかじりつき、とりあえず逃げることができただけだった。
「哈破狗、だいじょうぶか?」
「ジョナ、助けてくれ、化け物だ」
そうしているうちに、ジョナの周りには今まで見たことのない四本腕に二本の足の怪物が多数集まってきていた。
「そいつら、まるでアリが人間になったようないでたちで、一匹が剣を4本使って集団で襲ってくるぞ」
哈巴狗が警告した。彼の指摘の通り、ジョナの周りの怪物たちは昆虫が人間型になった姿で襲ってきた。ジョナは、哈破狗には見えない位置にまで走ると、それらの怪物を一撃で粉砕した。だが暗闇で与えた一撃は、すべての敵を蒸発させており、残骸すら目にすることができなかった。ジョナは、自らの力にいまさらながらに驚いていた。
「こんな力、ほかの人に見られたら大変だったな。でも、見られてないし、痕跡もないよな。じゃあ、帰ろうかな」
ジョナはそう言うと、哈巴狗を枝先から抱き下ろした。哈巴狗はまだ怯えながら地上に降り立つと、周囲が全て蒸発したように薙ぎ払われているのを見て、驚いていた。
「みなさん、まだ息があります。助けてあげてください。僕は疲れたので帰ります」
ジョナはそう言うと、一人で帰ってしまった。
次の日、哈破狗からの報告を聞いた代官所の役人たちは、自警団のたどったルートや巡回のルートを中心に広範囲に展開し、森林地帯を登っていった。その時も、やはり悲鳴が聞こえ、駆けつけた役人たちの目の前には、惨殺された複数の仲間の姿があった。
「これは、まるで役人たちが来るのを待ち構えていた罠のように見える」
役人たちは警戒や疑問の言葉を口にした。だが、彼らはまだ森林地帯だけに注意しているだけだった。だが、この日を境に、人里の中でさえ、村人が次々に襲われるようになった。それがいつしか拡大して、数人単位で活動する村人たちでさえ、次々に殺される事態が続いた。警戒する役人たちも人里の中で襲われるようになり、例えば三人の隊列が三人とも殺された。そこで五人にすると五人とも.......。ついには、三十人の隊列全体が一挙に全滅する事態にまで発展した。もはや、警戒すればよいということではなく、代官所役人の側も、物陰に隠れながら数人単位による偵察活動に切り替えざるを得なくなった。それは、ホニアラの人里の中でも安全ではなくなったことは、日ごろ他人に干渉をしたがらないジョナにとっても、アンヘルを再び失いかねない事態だった。
なんとか襲い来る敵の正体をつかむため、ジョナは代官所の偵察隊の後を追うことにした。
この日の代官所では、偵察部隊を複数編成していた。一部の部隊には公然と行動をさせ、周囲に隠れつつ警戒する部隊を配置する作戦のようだった。
「よいか、本日の作戦は、犠牲を払ってでも敵の正体を捕獲することを目的としている。公然と行動する部隊はおとりであり、その周囲にはいつでも駆け付けられる距離で警戒部隊を配置する。よいか。敵が出現したら、撃滅するのではない。とらえるのだ」
だが今まで撃滅や捕獲はおろか、自らを守り切ることさえできていなかった彼らが、作戦を成功させることは容易ではなかった。
代官所から出発したおとり部隊は、三十人で隊列を組んでの巡回を始めた。その両翼には、隠れながら警戒する合計100人の部隊が配列されていた。ジョナは彼らを観察できる距離で、あとを追っていった。
この日に限って、なかなか敵は現れなかった。それでも、人里から一歩林の中に入り込んだ時だった。
待ち構えていたのは、両翼に展開した部隊群を挟撃する敵の包囲陣形だった。彼らは、代官所は県の先頭囮集団をやり過ごしたのちに、後衛両翼の隠密警戒部隊を急襲した。代官所の作戦は完全に敵に見透かされていた。
不意打ちを食らった後衛部隊は背後を突かれて大混乱に陥った。だが、敵には一瞬の油断があったのだろうか。包囲した直後に襲撃速度にゆるみが生じ、後ろからジョナが駆けつける猶予を与えていた。一瞬にして全滅させられると思われたとき、奇襲部隊をさらに後ろからジョナが奇襲をかけた。それが、敵急襲部隊の動きを止め、それが代官所の部隊に応戦する陣形を形成する猶予を与えた。それにより、ジョナや代官所の部隊の前に敵の姿があらわになった。
集団を構成する一人一人は、虫のように頭と胸と腹とがくびれ、二本の足と四本の腕が胸から長く伸びていた。戦闘の準備のためか、荒い呼吸をする下部の腹が呼吸とともに膨張収縮を繰り返し、そのために、槍を持つ四本の腕が上下に揺れている。しかも、集団を構成する全員が同じリズムで呼吸の揺れを繰り返していた。
「全員が同じ動きをしている。まるで何かに一斉に従って動き、4本の長槍で一気に襲っていたのか。それなら、どこかにいる指令者から、何かで信号を受け取っているのか?」
高木の枝から両陣営を見下ろしていたジョナは、そう独り言ちると周囲を観察し始めた。
周囲と敵部隊の全体とを交互に観察していると、敵部隊は襲撃の構えを一斉にとった。その時、敵陣中央背後に腹から何かを噴霧している指令者の姿が見えた。噴霧されたガスは衝撃波のように周りに波及し、それに合わせて敵部隊が動いていた。
「あれはフェロモン?」
だが、そう見えたのはジョナにだけだった。ジョナがそう疑問を口にした時、アラベスク模様が小声で指摘した。
「あれは太極から発する念波と重力波の力場。すなわち彼らは我々の敵......」
アラベスクが指摘したとおり、それらは実際は物質の霧などではなかった。霧のように見えたのは、太極と呼ばれる渦の場が広がる際に光をゆがめて波及する光景だった。ジョナはそれを認めると、渦の真ん中に指令者を発見して切りかかって両断し、力場を粉砕してしまった。すると、敵部隊の全体は動きを完全に止めてしまい、対峙していた代官所の役人たちが突いたりたたいたりしても、もう動くことはなかった。
後日、ジョナが聞いた代官所の捜査分析によれば、彼らは自動化された魑魅魍魎の類だということだった。外からの指令に基づいて動くものではなく、部隊内の指令者が有する機械脳によって全体集団で動き、効果的な破壊活動を繰り返す仕組みだったという。ただ、誰が背後で動かしているのかは、不明なままだった。