23 ムハージルーン(muhajirun)の街 イズ・ムア(Izmur)
ジョナは縛られたナナを抱えたまま、神殿から逃げ出していた。止まってナナの縄や猿轡を解く暇はなかった。すぐ後をスラーバ黒軍の兵士や神官たちが追いかけて来ていた。
「ヤーサン、あんたが教えてくれた詠唱をまねさせてもらうよ」
ジョナはそう言いながら霊剣操を唱え、追ってきている兵士たちの剣をすべて奪い取った。同時にジョナは後ろを振り返り、ナナを自由にした。その足元に奪い取った剣が全て集まった。ナナはジョナに助けられながらやっと立ち上がった。ナナは再び二人を追ってきた兵士たちを睨みつけ、縛っていた縄を手に取って嗄れた声を出した。
「あんたたち、よくもこんなことをしてくれたね。十分に贖罪をしてもらうよ」
ナナは小声で霊剣操を詠唱した。それに合わせてジョナは大声で合唱した。そららのなした共鳴によってすべての剣と槍、ヘルメットに至るまで全ての武具が瞬時に持ち主の元から飛び去った。次の瞬間にそれらは、それぞれのもとの持ち主に向かって飛んでいった。それらに追われるように、兵士たちは這う這うの体でもと来た道を逃げて行った。
ナナは疲れ切った身体をジョナに預けながら小声で囁いた。
「へえ、グミーユ。僕の真似にしては、あんなに長いフレーズを少しも間違いなく詠唱できるね。どこで覚えてきたの?」
「だから、ヤーサンの真似だよ」
「それ、嘘だよね」
次の日の朝、ジョナは休息の必要なナナを置いて、神殿から森を抜け、「神聖域」とされた先史人類たちの居住地へ向かった。その時、すでにスラーバ黒軍は「神聖域」のさらに南の「禁域」と呼ばれたイズ・ムア(Izmur)を攻略しおわっており、占領を進めていたころだった。
森を抜けると、行手には二本の柱の頭頂部間に二本の横棒を渡した神聖域ゲートが見えてきた。他の境界は聳え立つ有刺鉄線の塀で囲まれており、入り口はそこだけだった。そのゲートの前には火炎族の兵士たちが長い列を作り、神妙な表情で立ち並んでいた。ジョナも火炎族に扮してその列に加わると、兵士一人一人が神官から何かを受け取って中へ入って行くのだった。
「お前たち、良いか。ここからはお前たちが帰依するベラ様たちの清いお住まい、神聖域となるぞ。神聖なところゆえに、黙って進んで行け。お前たちはここを通過することで、特別な力を得られる」
ジョナも兵士の一人のような顔をして、先行する火炎族兵士が受け取ったものと同じ物を受け取った。
「我ら、ベラ様のため、戦うぞ」
兵士たちはそう繰り返しながら進んでいった。ジョナもまた、先行する火炎族兵士たちとともに、神聖域を進んでいた。ふと、ジョナは、辺りがしばらく感じたことの無い見覚えのある風景、秋の夕暮れの風景であることに気づいた。今まで、ジョナが動き回った領域は赤道に近かった。それゆえに肌寒いなどという季節感を感じたことはなかった。だが、ここでは、肌寒さとともに秋の夕暮れの赤い色どりが空気を満たしていた。そして、向かう方向に見えてきたのは、燃料タンク群、そしてさらに向こうには高層ビル群が聳えていた。
火炎族の兵士たちは、高層ビル群を貫く幅の広い道を、ひたすら進んでいっていた。その光景を周囲から見つめる人間たちは、平然と軍の隊列を見つめていた。彼らは、ジョナが太平洋王国で見て来た火炎族、土塊族、木精族、水明族のいずれとも異なった華奢な体つきだった。
「先史人類!」
そこは、詛読巫の民たちの領域だった。彼らは、太古の時代からトンガの谷底に住み、トンガの詛読巫の民として、生きてきた、しかも、離れているはずのマリアナの詛読巫の民たちと同じ外見と話している言葉から、彼らと共通の古代煬帝国の末裔だった。
ジョナはそう分析しながら、先行する火炎族兵士たちとともに真っ直ぐにその都市を通過していった。周囲の人間たちの反応からすると、すでに大勢の軍がこの道を通過していったに違いなかった。
先ほどまでの詛読巫の民たちの領域を超えると、焦土の痕が荒地となって広がっていた。ジョナが紛れ込んでいる後続部隊は、ここで野営をすることになった。
ジョナは夕闇に隠れてナナの元に戻ってきた。
「ヤーサン、元気になったか?」
「グミーユ、戻ってきたんだね」
「どうやら、スラーバ黒軍はすでにイズ・ムアを占領しているようだ。あんたはあんたの本国を救いたいんだろ? 僕はベラやスラーバ黒軍たちに祭り上げられているアンヘルを取り戻さないといけない。急いだほうがいい」
ジョナは、まだ疲れの残るナナを抱え、野営地へ戻った。野営地で兵士たちに紛れ込んで休むと、二人の目には星明りに暗く照らされた峠道、トンガ谷からケルマディックの谷へ至る峠道が見えた。
朝の行動開始の指令とともに、兵士たちは再び進み始めた。その行手には、おそらく黒機械獣と重装甲突撃砲撃車輌の大群を伴ったスラーバ黒軍の大軍勢が進撃して行ったはずだった。たしかに、轍が荒地の上にいくつも続いていた。おそらく彼らは目標とするイズ・ムアを占領して10日ほどが経っているに違いなかった。
荒地の向こうにまで続く轍は、荒地いっぱいに広がっていた。そのいずれもが平行に、トンガ谷とケルマディック谷の間の峠を目指していた。ナナの言うには、イズ・ムアはかつてトンガ谷の南にあったのだが、その後トンガ谷北側に残存していた詛読巫に追われたために峠を穿つトンネルの両側に開発された都市だという。ジョナとナナは、スラーバ黒軍を追ってその兵士に扮して占領下のイズ・ムアに入り込んだ。
占領されたイズ・ムアには、「真の愛」を謳うアンヘル女王をかたどった旗が揺らめいていた。
「誰とでも愛を交換するこそ、正しい真の愛。だれかれ差別することなく愛を交換しよう」
そんなフレーズが謳われていた。占領から間もないはずなのに、街中にそのようなキャンペーンが張られていた。
しばらく二人が進んでいくと、抵抗する市民たちを糾弾者が厳しく取り締まっている姿があった。ジョナにとって驚きだったのは、やり取りをしている市民も糾弾者も両方が華奢な身体の先史人類だったことである。取り締まられている市民は、ナナと似た外見からおそらくイズ・ムアの住人であり、糾弾者はトンガ谷の北部に残存していた詛読巫の民、つまり古代煬帝国の末裔だった。そして、糾弾者を守り支えるように火炎族とその配下らしい土塊族が後ろに立っているのだった。
「あんたたちが言っている愛は、爛れた欲望にすぎないじゃないか。あんたらは異端審問官らしいが、あんたらの儀式は単なる神殿娼婦を使った快楽のむさぼり、不潔な営みじゃないか」
イズ・ムアの市民は、不潔な行為を糾弾しながら抗議をしていた。だが、詛読巫の糾弾者たちは、抗議する市民たちに怒りをぶつけていた。
「なんという冒涜!。お前たち新参者のイズ・ムアの住民たちは、地上における真の愛とは何かを知らず、われらの神聖な儀式を、そして我らの帰依する神邇様を冒涜するのか。それは、懸命に我らと我らの王ベラ様に帰依するこの百鬼たちを愚弄することでもあるぞ」
「冒涜だと。何が冒涜か。我らが崇める啓典の主こそ、帰依すべき御方だ。それを伝えるために、われらはムハージルーン(muhajirun)として地上に帰ってきたのだ。悪いことは言わない。今からでも啓典の主に立ち返れ」
「お前たち、まだ理解しないようだ。百鬼よ、こいつらを捕らえろ」
百鬼と呼ばれた火炎族と土塊族とは互いに合図を交わし、彼らはイズ・ムアの住民たちを逮捕してしまった。
占領から十日たったところで、各地でそのような住民検挙の動きが起きていた。そして、彼らはケルマディックの谷のイズ・ムアの街から離れた谷底に設けられた、アル・マディーナと呼ばれる施設に放り込まれたという。
「ヤーサン、あんたの本国には先史人類がいるのか? いや、あんた自身が先史人類の末裔なのか? 金剛族と言うのは、あんたが着ているようなスキンスーツを着た先史人類なのか。しかもあんたの本国の先史人類は、新参者と呼ばれたり、地上に帰って来たものだ、とか言っていたぞ」
ジョナは先ほど見た検挙騒ぎから、疑問を口にした。ナナは慎重に言葉を選んで答えた。
「グミーユ、あんたは先史人類を知らないのか?」
「知ってはいる。僕はある深い谷の底で育った。だから、先史人類は知っている。今はそれしか言えない」
「そう、僕の本国はここ、イズ・ムアだよ。そう教えられたのさ。でも、ここは僕が育ったところではない」
「どういう意味だい?」
「僕の言えることは、ここまでだ」
ジョナとナナは互いに相手を探るように問答を繰り返したが、今までの会話以上のことは互いに悟ることはなかった。
「ヤーサン、わかったよ。あんたにも知られたくない事情があるんだろうね。まあ、僕はアンヘル女王を取り戻すことが目的だし、あんたはこの本国を救いたい。それだけで、今は十分だ」
「そうだね。お互いに、それだけで協力できるなら、協力しよう」
その夜、ジョナとナナはケルマディックの谷底に設けられたアル・マディーナ収容所に忍び込んだ。その収容所は、二人が想像した以上に大規模で、イズ・ムアの住人たちをほとんど収容していた。その収容所は、もともとがアル・マディーナ・アル・ムナウワラ(Al Madinah Al Munawwarah)と呼ばれる小さな遺跡の町だったところを、スラーバ黒軍が急遽収容所に改造したところだった。だが、警備しているはずの土塊族や彼らを使役する火炎族の姿は見えず、ただ、その市民センターだった中心施設に、イズ・ムアを占領した詛読巫の民たちが控えているだけだった。
「ヤーサン。アル・マディーナの民たちをどうやって解放しようか」
「この遺跡は、もともとが地上に展開するための基地だったほどの規模を有するところ。そうだね、いわばイズ・ムアが建設される際に基となった街だ。今は火炎族や土塊族も見えないようだし、警備しているのはきゃしゃな先史人類だけらしいから、彼らをここから追い出す方が手っ取り早いね」
「だが、おかしいよ。火炎族も土塊族もいないんだぞ。これは罠じゃないのか?」
「でも、ここを解放しなければならない」
「わかった。やるしかないね。但し、気付かれた場合にはスラーバ黒軍がここまで押し寄せて来るぞ」
「そうだね、その時は戦うしかない」
「そうならないように、まず、市民センターに陣取る詛読巫の民たちを処理しよう」
二人は相談し合いながら旧市民センターの中へと忍び込んだ。同時に、二人は油断しきっていた詛読巫の先史人類を静かに一人づつ仕留め、旧市民センターの外への通信を遮断した。だが、二人も油断していたのかもしれない。二人が襲い来た異変に気付いた民の一人が、市民センターの掃除用具庫に潜んでいたのだった。そして、彼が掃除用具庫の中で汗を流し、慌てながらも、ある詠唱を口にした。
「この邪気、退けむ。五星変転、壇よりいでよ、わが眷属たち」
その途端、今まで見えていなかった火炎族・土塊族が、市民センターの上空を満たすようにして出現し始めた。それを見定めたように、彼は言葉をつづけた。
「金鬼は水鬼を映し、水鬼は木鬼をもたらし、木鬼は火鬼を燃やし、火鬼は土鬼を再生せし、土鬼は金鬼を産む。五星の百鬼、夜行せよ」
その声とともに、火炎族と土塊族が一斉に市民センターの天空から地上の周囲を囲み、グルグルと飛行し始めた。さらに呪詛は続いた。
「オン、マリシエン、ソワカ。東の鬼門、西の鬼門、南の鬼門、北の鬼門、全う。サン、ウン、タラク きりくわく」
これらの詠唱が終わった途端、火炎族と土塊族が一斉に市民センターの中へと殺到してきた。二人はやむなくごみ箱の中に隠れるしかなかった。やがて、司令官らしい火炎族の男が玄関ホールに現れ、言葉をかけている声が響いた。
「ビルシャナ様、御無事でしたか。おい、お前たち、アサシンはまだ逃げていない。必ずこの建物の中にいる。必ず見つけ出せ」
その声におびえたのか、火炎族や土塊族の駆け足の音がより激しくなったように感じられた。
「オサオロチ様、アサシンらしき姿はどこにも見当たりません」
「すべて探したのか。食糧庫、食堂、キッチン、貴賓室、......全部探したか?」
「はい、おっしゃられたところは全部探し終えております」
「おかしいな。逃げた姿が見えない。それにこの場所から我々を追い出すということは、ここに収容している囚人たちがあまりに多すぎて、脱出させることが難しいからだろう。ということは、必ずこの市民センターの中にいるはずなんだ」
オサオロチと呼ばれた司令官はそう言うとしばらく黙って建物を眺めていた。
「ゴミ箱を開けてみろ」
そう聞いたとたん、ジョナとナナは外へ飛び出して、オサオロチにとびかかって馬乗りになったった。
「あ、お前はオサオロチ!」
。ジョナがそう言うと、オサオロチはジョナを睨みつけ、ジョナの横に立つナナを一瞥した。
「お前たちは誰だ? 金剛族か? いや違うな。金剛族なら我々の味方のはずだ......、あ、男、お前には見覚えがあるぞ。たしか、ホニアラ村の下男だったな」
「そうだ、僕の名前はグミーユだ」
「グミーユ? そんな名前だったか?」
オサオロチのそんな返事に、ナナがジョナを見つめて謎のほほえみを浮かべた。
「へえ、グミーユという名前じゃないんだね。じゃあ誰なんだ?」
ジョナにとっては、これ以上オサオロチにしゃべらせてはならなかった。ジョナは容赦なくオサオロチを黙らせ、ためらいがちにナナに話しかけた。
「僕は、グミーユだからね」
ジョナとナナとの間のこのやり取りで、隙をついたビルシャナは外へ逃げだしていた。二人は慌ててビルシャナを追って外へ出ると、火炎族や土塊族に守られながらビルシャナは振り返り、二人を睨みつけた。
「全員、あの二人をやってしまえ。それから、スラーバ黒軍に援助を乞え。アサシンがアル・マディーナを襲撃してきた、と連絡せよ」
ジョナはどうすべきかを考えながらナナへ振り返った。
「ヤーサン、こうなると間もなくここにスラーバ黒軍の大軍が迫ってくるぞ。逃げよう」
「そうだね、でも、どこに逃げようというのさ? ここに収容されている人たちも、イズ・ムアに隠れて残っている人たちも、皆、月世界からのムハージルーンの末裔なんだよ。僕もね。そして、僕たちに地上ではここイズ・ムア以外に居場所はない。だから、ここで戦う」
「でもどうやって?」
「わからない」
「そんなあ」
そうしているうちに、思ったよりも早く目の前には黒機械獣の密集体形が現れたのだった。