22 トンガの谷の異端審問官
二人が樹上で夜明けを待つ払暁、ナナは左腕のブレスレッドの呼び出し音に反射的に応対した。
「えっ、イズ・ムア(Izmur)に奇襲? どういうこと?」
ジョナは、耳に挟んだこのフレーズだけで、大体の状況を把握していた。おそらく、昨夜行われていたアンヘル女王の即位式に高まった機運に酔ったベラやビルシャナと彼らに帰依するスラーバ達火炎族・土塊族の軍が、夜明け前に、トンガとケルマディックに位置するイズ・ムアに奇襲攻撃をかけたのだろう。
「ヤーサン、そちらは本国が危ないんじゃないのか?」
「グミーユに聞かれちゃったね」
ナナはそう答えると、何かを考えながらジョナにさらに言葉を告げた。
「彼らは、まるで狂人の集団らしい」
「それはどういうことだろうか?」
「彼らは口々に叫びながら攻めてきているらしい。『イズ・ムアを滅ぼせ』「邪悪な禁域イズ・ムアを滅ぼせ』『スラーバのために』とか、『今までイズ・ムアから我らを守ってくださった神聖域のベラ様たちのために』とか、ね」
「スラーバの名前は、捨て置けないね。だから、様子を見に行かないといけない」
ジョナのその言葉に、ナナは思わず顔を上げた。
「グミーユ、あんた、僕たちの味方をしてくれるのかい?」
「そうだね、僕はアンヘルを取り戻すためにスラーバ達と戦わなければいけない。そう、ちょうど、それがヤーサン達のためにもなるのだね」
こうして、ジョナとナナは日の出とともに神域の奥、森の中へ続く道を南へ進んでいった。
二人が目指すのは、イズ・ムア。だが、そう簡単に到達できなかった。
二人が森を進むと、後方支援の役を担っている神殿衛士たちが、主のいない本陣を守っていた。
「お前たち、遅れて来たのか」
彼らは、ジョナとナナが遅れて参戦しに来たスラーバ黒軍の兵士である、と考えたらしい。
「さあ、さっさと行きやがれ」
衛士たちは、ほとんどジョナとナナに注意を払わなかった。それをジョナたちは利用した。
「先陣はどこまで達しているでしょうか?」
「すでにトンガ谷とケルマディック谷との間の峠を目指していると聞く」
「それでは、僕たちがこれから行けば活躍できるね」
ジョナはナナとともに疑われないように積極性を演じた。だが、それを兵士たちは逆にとった。
「お前たち、後から参戦して手柄を取ろうというのか。俺たちはこの後衛で守るだけで、活躍の場を与えられていないんだぞ。お前たち、まずは俺たちを手伝え」
このままでは、ジョナとナナは足止めされかねなかった。
「僕たちは、手伝っている暇はないんですが」
「なんだと。神殿衛士の指示に従えぬというのか」
「僕たちは先頭に向かう兵士です。神殿衛士とは命令系統が異なります。従う必要はないと思いますが?」
「だが、お前たちが先陣へ加わってよい者かどうか試す必要があるぞ。なぜなら、遅れているということは、昨夜の儀式に参加していなかったということだからな」
その途端、ジョナとナナは拘束されてしまった。
「儀式に参加しないということは、教えを理解していない恐れがあるな。じゃが、それを確かめにすぐに異端審問官が来る」
その言葉は、ジョナとナナに衝撃を与えた。このままではジョナとナナの思想と正体がばれてしまう恐れがあった。だが、拘束されている二人には、今逃げる隙を見出すことが出来なかった。
「私は、異端審問官である」
駆けつけて来た神官は、そう言ってジョナとナナとを睨みつけた。
「へえ、あんたが? で、どんなことを審問するんだい?」
ジョナは喧嘩腰で審問官を刺激した。
「ほお、私が誰だかわからないのかね。私は、ビルシャナ審問官長の一番任官ガルシャであるぞ」
「じゃあ、そういうあんたがこれから何をしようとするんだ?」
「そうか、それならさっそくお前たちの審問を開始する」
ナナは何が始まるのかと身構えたが、ジョナは不貞腐れたように横目でガルシャを睨みつけていた。ガルシャはその視線に気づき、怒ったような顔をしながら、審問を開始した。
「我々は、詛読巫だ。われら全員が詛読巫の民であるなら、知っているはずだ。詛読とは何か?」
ジョナは、同じような質問をされたことがあった。
「この問いは、民たちが参加した昨夜の儀式の意味を問うことだね」
「ああ、そういうことだ」
「やはり、ここは古代の煬帝国の末裔たちが建設した都市『詛読巫』だ」
「何を言っている?」
ジョナの独り言のような口ぶりに、ガルシャは戸惑っていた。それに気づいたジョナは、改めて答えを言った。
「昨夜の儀式の意味......。あの儀式のようなものは、世界において普遍の意味を持つんだよ。それは、民衆を見守り導く崇高な存在への帰依だろ?」
「へえ、だが、その質問のような答えでは、完全な説明じゃないだろ?」
「その儀式は数人で喜びを分かち合い、盛り上がっているよな」
ジョナはそう言いながら、昨夜儀式に参加していた数人が組を作り、組ごとに恍惚と快感に身をゆだねていた光景を思い出し、吐き気を催していた。だがそれを我慢しながらジョナは説明を続けなければならなかった。
「単なる盛り上がりじゃないね。その恍惚の時こそ、崇拝している神邇と一体化している気持になるそうだ。帰依と言っていいのだろうね」
それを聞いたガルシャは驚いたような顔をした。
「ほほう、よく知っているね。だが、先ほどの吐き気のような態度は何だね」
ガルシャはジョナの吐き気に気づいていた。
「お前の先ほどの反応は、吐き気だな。お前は儀式の意味を知っているはずだ。それなのに、なぜ儀式に吐き気を覚えたのかね?」
「だとしたらどうするんだよ」
ジョナは挑戦的な態度で挑発していた。ナナはせっかくうまく答えたのに......とでも言いたげな顔をしながら、残念そうにジョナを眺めていた。
「お前たち、審問ではなく尋問をした方がよさそうだな」
ガルシャはそう言って、縛られた二人に錫杖で打撃罰を与え始めた。しかし、打撃は何の意味もなく、ただ打撃を与えた皮膚が瞬時に結晶化硬化して、錫杖をそのまま跳ね返していた。ガルシャはその光景に驚き、しばらくジョナとナナの顔を見つめていた。
「お前たち、金剛族なのか。今までお目に掛かったことはなかったが………」
「そうだな。お前たちが僕たちをそう呼ぶのなら、その通りなのだろうね」
涼しい顔でジョナはそう言い返すと、ガルシャはさらに打撃を加え続けた。拘束する縄まで切ってしまうほどだった。
やがて、二人を打ち続ける事に疲れたガルシャは、二人を衛士たちに見張らせたままで帰って行ってしまった。
次の日の朝、ガルシャはビルシャナを連れてきた。ジョナとナナはビルシャナを一目見て、それぞれ反射的に憎しみに体を震わせた。
「へえ、お前たちが審問の対象者なのか。さて、お前たち、何処から来たのかね」
ふたりともその言葉を待つことなく、ビルシャナに打ち掛かって行った。ビルシャナもそれを警戒していたのか、撃ちかかる二人の腕をその剣で軽く打ち払った。途端に、ナナは霊剣を奏する詠唱を初め、ビルシャナや部下たちの持つ剣を空中に引き上げた。瞬時のことだったか、ナナの行動に一番驚いたのはジョナだった。
「ヤーサン、その技を何処で?」
「話は後だよ。あんたも、僕の真似をしなさいな」
真似をするも何も、ナナが用いている技は、ジョナもよく知っているものだった。彼もまた躊躇せずに詠唱を始めると、ナナが驚いてジョナを見つめた。
「それって僕の真似をしているつもりなの? いや、そうじゃないね。何処で体得したんだい?」
「いや、あんたの真似だよ」
「見えすいた嘘を!」
そう言い合いながら、二人はビルシャナをおいつめていた。ビルシャナは驚き、声を上げた。
「お前たちも、霊剣操を......古代煬帝国の国術を、なぜおまえたちが......。それならば」
ビルシャナは追い詰められながら、一瞬笑いを浮かめると、彼もまた霊剣を操する詠唱を始めた。すると、ナナとビルシャナとの間に共鳴が生じた。
「そういうあんたこそ。つまり、ビルシャナ、あんたがここに居るということは、此処もまた、マリアナの谷の都市と同様の都市だったのか。つまりは、古代の煬帝国の末裔たちが建設した都市「詛読巫」だったのだな」
「お前たちは、誰だ」
「さあ、誰だろうね」
ジョナは「ヤーサン」と名乗る女やビルシャナの前で名乗る気はなかった。もちろん、ナナも「グミーユ」と名乗る謎の男の前で名乗るつもりはなかった。だが、ビルシャナはそれには気も留めず、別のことを指摘した。
「お前たちと僕との間の共鳴には、快感を伴わないぞ。やはりな......。お前たち二人はわれわれの敵だ」
彼はそう言うと外へ逃げ、二人は彼を追って走り出した。外には、異端審問官たちや、神殿衛士たちばかりでなく、スラーバ黒兵士たちが、二人を待ち構えていた。
「グミーユ、どうしようか?」
「ヤーサン、一刻も早く突破したいんだろ?」
「だが、進路はスラーバ黒軍兵士たちが構えているぞ」
「でも、手元にはこの数本の剣があるねえ」
だが、進路の兵士たちは簡単に退くことはできそうになかった。それどころか、ジョナとナナめがけて襲いかかってくることは時間の問題だった。それは、彼らがその決意を口にしていたことに現れていた。
「われら、スラーバ黒軍の勇士だ。われらが帰依するベラ様のため、この共鳴をベラ様に捧げよう」
「全員、銃剣を構えろ。前進せよ」
「隊列を乱すな。前衛、全戦闘隊形のままで突撃開始」
スラーバ国軍は、猛烈な物量で発砲を始めた。それとともに、彼らは次第に走り足を速めて二人めがけて殺到して来た。それに応じて、ジョナとナナもまた、両手に剣を構えて敵めがけて走り出した。集中砲火によって、二人はハチの巣になると思われた。
確かに、集中砲火は二人の前進を阻止した。彼らの表皮前面が集中砲火の弾丸と爆風によって結晶硬化して動けなくなったためだったが、ジョナもナナも無傷で済んでいた。
「やったぞ」
「この異端者どもの死体をさらし者にしろ」
こうして兵士たちは、固まって動かなくなった二人の体を運び出し始めた。その間に、ジョナとナナのスキンスーツは結晶から融解し始めていた。彼らを担ぐ手がジョナやナナにとっては少々こそばゆかった。特にナナはそのような扱いに慣れていないせいか、妙に高い声を漏らしていた。その反応が二人を運ぶ者たちの手に伝わると、兵士たちは驚いて路面に二人を置いて後退った。
「こ、こいつら、まだ生きているぞ」
「それなら、二人を縛り上げろ」
「生きているなら、アンヘル女王による捧げの儀式の直後だ、アンヘル女王に付け足した「おまけ」として捧げればいいんだ」
「そうだな、じゃあ、今夜から追加の儀式ということで、我々も楽しませてもらおう」
「そうだな、幸い審問官が神官として儀式をしてくれるそうだ」
こうして、縛られたジョナとナナはそのまま神殿まで戻されてしまった。
まだ未明の中、紫と黒の神官装束を身に着けた審問官たちが白亜の道を奥へ進んでいった。そのあとをジョナとナナを運ぶ兵士たちが続いた。神殿とその祭壇には、周囲が柔らかいマットの上に座り込んでいる兵士たちがいた。ジョナとナナは縛られたまま、祭壇の柔らかいマットの上に寝かされた。こうして、再び儀式が始まった。
「ヤーサン、そちらも硬く縛られているのか」
「そうさ。でも、このままじゃあ動けない」
「この後どうなるか想像できるよな」
「もうやめてくれ」
ナナは暴れ出した。だがしっかりと締められたロープは、緩まず、逆に強く締まる一方だった。スキンスーツの表皮は結晶化するはずなのだが、あまりにゆっくりと締まっていくせいか、スキンスーツは硬化せず、通常の皮膚のようにロープを受け止めていた。ロープはその役目をしっかりと果し、ナナの胸と手足の自由を奪い、神官役の審問官たちがナナの体を愛撫し始め、ナナは身もだえ、猿轡をされた口からは聞くに堪えないうめき声を上げ始めた。同時に周囲の参加者たちも、呪詛と詛読術によって快感におぼれ始めていた。ジョナは、意識的にスキンスーツに衝撃を与えることで要所を硬化させて、涼しい顔をしていた。だが、すぐにナナの異変に気付き、ロープを一瞬にして切り捨て、立ち上がった。
「ヤーサン、さあ、逃げよう」
ジョナは、縛られたナナを抱えて逃げ出すのがやっとだった。