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20 トンガの谷底への道

 南北に横たわるトンガ山脈。その山脈に沿ってトンガの谷筋はあった。ジョナはまずトンガ谷の北側、マタウチュの南麓から谷へ入っていった。歩いていくほどに、谷は深くなっていった。右肩にはトンガ山脈が既に高くそびえており、左側藻谷が深くなるとともに険しい断崖を見せるようになった。ただ、そのあたりは太平洋平原と同じような荒れ地の傾斜が谷底へと連なっているだけだった。朝だというのに日光は谷底にまでは届いておらず、何があるかが分かりにくかった。


 昼過ぎになってからは、周囲に日光が差し込むようになっていた。行く手には、ソロモン低地で見たようなブナなどの林があった。おそらく昼の一定時間日が差し込むのであろうか。

 一晩、用心のために樹上で一夜を明かすと、谷あいの上の部分だけが朝日に照らされ、朝が来たことが分かった。頭上の崖のヘリが明るく照らされているのとは正反対に、これから下って進もうとする方向は薄暗かった。また同時に大気が濃くなっていくようにも感じられた。日光が差し込むころには、ジョナの周囲は、かすかな記憶の中にあったクリなどの林が広がり、それが谷底全部を占めていた。

 日光に照らされた谷底で見つけたもの、それは、その場所を訪れた別の者がいた痕跡だった。ジョナの見つけたものは、メモ類のほかに、衣類、肉類とナッツ類、ドライフルーツなどの食料の残りかすだった。

「この組み合わせは記憶がある」

 だがジョナには思い出せなかった。しかし、明白なことがあった。ここにたった一人で何かを調査しに来た者がいるということだった。


 そんなキャンプ跡がこの谷底への下り道にいくつも見出された。やはり一人だけ、この谷を見に来ている者がいた。ジョナはそう感じた。次の4日間かけてさらにどんどん下っていったのだが、行きついた谷底には、文明を感じさせる設備などはついぞ見つけることができなかった。また、キャンプ跡も見つけることがなくなった。誰かが訪れ、何も発見できずに帰還したと考えるのが妥当だった。ジョナもまた、同じように何も発見することもなく、引き上げざるを得ないと結論付けていた。気がはやったせいか、しっかりした分析もせず、闇雲にすすんだことがこの結果を招いていた。

 作業は振出しに戻ってしまった。


 ジョナは、トフアの廃墟に戻ってみた。そこへ行けば何かヒントがある。そう考えたのだった。トフアはジョナとスラーバ国軍との激しい戦闘の後、誰も住まない単なる火山になっていた。まだ新しい廃墟をめぐってみると、戦闘の跡から逃げ出したスラーバ軍団の行軍の後がまだはっきり残っていた。特に王族車両は車輪の数の割には重量が重く、轍ははっきり残りやすかった。

 トフアを離れると、そこは火炎族の国の外縁部となった。すでに目の前にトンガ山脈がそびえていた。ところどころに火炎族の村が点在しているものの、彼らの生活は栽培ではなく主に狩猟採取によるものらしかった。

 スラーバ黒軍の転戦路は、トンガ山脈のパンガイ山を北に見ながらトンガ山脈の山越えを図るものだった。轍は峠を越え、まっすぐにトンガ谷へ向かっていた。途中、岩陰のような場所で車両を中心にして野宿をしている様子もあったが、おおむねとどまった様子もなく進んでいった様子だった。こうして荒れ地のトンガ山脈の峠を抜けると、一気に谷底への道となった。

 道はまっすぐに暗黒の谷底に向かっているように見えた。だが、簡単に前に進むことが出来ない仕掛けがなされていた。


 谷へ下り始める辺りには、薄く茜色が褪せた石門のようなものが設けられていた。ジョナは半分朽ちた石の柱の間を通ると、心に働きかけてくる声を聞いた。

「空腹か? 腹が減っているのではないか? なに? 喉が渇いたのか? 」 

 石を積み上げただけの門が声を出している。門番がいるのかと思って、ジョナは門の周囲を入念に調べた。だが、声は頭の中に響いていた。そうしている意\うちに、その囁きがいつのまにかはっきりとした言葉となってジョナの頭の中に響いた。

「それなら先ずは飲み食いをすれば良いではないか?」

 ジョナは空腹を意識した。

「そうだ。空腹だろ。それなら今お前が願えば、これらの石ころがナンに変わるぞ」

 ジョナは危うくその言葉に従って、自分の欲のままに口を動かそうとした。

「口を動かすべきでない」

 そう告げたのは、首に下げた鎌の金具だった。その途端、ジョナはハッとした。

「人はパンのみで生きるものではない。僕は、それよりも大切な啓典の言葉の一つ一つで生きる者だ」

 その言葉を発すると、疑似声音はやんだ。石の門は今まで朱色に見えたものが薄汚れた灰色に変わっていた。ジョナはそのまままっすぐな坂を降り始めた。周囲は荒涼とした岩が道の両側にそそり立つような風景に変わっていた。

 道が折れ曲がる踊り場に出ると、まっすぐに未知の行方を見下ろせる場所になっていた。そこからは、谷筋に沿っておりている道が見え、その道に沿ってぽつりぽつりといくつもの門が延々と続いて見えた。門は、先ほどの医師の門と同じ形であり、踊り場から見ても薄い朱色の石が積み上げられている構造が見て取れた。

 二百メートルほど下ったところだろうか、次の石門が近づいていた。やはり先ほどの石門と同じデザインだった。

 次の石門に近づくとやはり先ほどと同じような疑似声音がジョナの頭の中に響いた。

「後ろに、お前を追ってくる奴がいるぞ」

 ジョナは思わず振り向いた。

「そうだ。今は見えないが、お前を追ってくる謎の奴らがいるぞ」

 再び首に下げた鎌の金具が言葉を発した。

「逃げたいと思うのか」

 その言葉と同時にジョナは啓典の言葉を口にした。

「おまえたちは「速い馬に乗ろう」と言ったゆえにお前たちを追う者は速いであろう」

 その言葉とともに、疑似声音はやんだ。


 次の石門に近づくと、再び疑似声音が響いた。

「ここから飛び降りてみよ」

 ジョナはわが意を得たりと思ってその声に向かって誇らしく答えた。

「僕は守られているんだ。そんなことをしても平気だ」

「そうだ、お前は守られているんだろう。それならば、ここから飛び降りても、お前は守られるはずだ。さあ、飛び降りてみろ」

 その時、誇らしく構えていたジョナに冷や水をかぶせるように、組から下げた鎌の金具が口を開いた。

「そのように啓典の主の力を使うのか」

 ジョナはハッとして自分が足をかけた崖のヘリから飛びのいた。

「そうか、啓典の主を試してはならない」

 その言葉とともに疑似声音はやみ、石門は薄汚れた黒に色を変えてしまった。


 こうしていくつもの朱色の石門をやり過ごしていくと、やがて谷全体を俯瞰できる踊り場に出た。そこにもまた、朱色の石門が見えた。

 そこは、風が強く当たる場所でもあった。その風や、呼吸の調子から、今までよりも圧力が高く、濃密な大気を感じた。

 その踊り場から見える光景は、谷全体ばかりではなかった。ジョナにはまた別の者が見え始めていた。

 ジョナは気圧の高い濃密な大気のせいだと思っていた。それを強く意識していたはずだった。その意識を持ってジョナは谷全体を見ているつもりだったが、いつしか上空の暗黒の空に、今まで見たことの無い都市、農場、村、山々、湖の清い水、未来の理想都市、人々の満ち足りた笑顔。それらが次々に浮かんでは消え、ついにはそれらを一望するような高み立たされているような幻を見ていた。

「すごい。世界はこんなに豊かで広いのか」

 ジョナが感嘆の声を上げると、それを捕らえて疑似声音が響いた。

「そうだ、世界は広く、豊かであり、それは空の上、宇宙の果て、時空の果てまで広がっているぞ」

 息をのむジョナは圧倒されて声が出なかった。

「そうだ、この時空をすべてお前にやろう。お前はすべてを手に入れ、お前が治めればよい。そうすれば、お前が救おうとしているアンヘルはもちろん、すべての仲間、すべての者たちが豊かになれるんだぞ。ただし...」

 ジョナはもうすべてが自分のものになるのだという高揚感とともに、話しかけてくる疑似声音に感謝し始めていた。疑似声音はその反応を楽しみながら続けた。

「ただし、私を拝むのだ。私に帰依するのだ。」

 その途端、首から下げた鎌の金具がジョナに冷や水をかけた。

「ほほう、その豊かさが幸せなのかね」

 ジョナは見上げていた幻から首を振るようにして自分の足元を見た。

「そうだ、お前は自分の思い、自分が正しいと思い込んでいることを実現するのかね」

 ジョナはやっと思い出していた。自分が是としていることを。

「啓典の主のみ、経典の主のみを礼拝せよとされている。お前は誰だ」

 そのジョナの厳しい拒絶の声に、疑似声音はやんだ。あたりは、谷を見下ろす殺風景な岩場に戻っていた。

 だが、ジョナに対する最後の罠がまだ残っていた。


 いよいよ谷底が近づきつつあった。さらに高度が下がり、今まで感じたことのない気圧の高い濃密な大気となっていた。周囲の岩場は、見慣れない高山植物が目立つようになり、針葉樹の中の道となり、そしてブナ林の中をに広がる湖水に出た。やや高緯度地方であるにもかかわらず、ソロモン低地のような気候であり、そこには、朱色の石が積みあがった見晴らし台が、湖水を見下ろすちょうどよいところに築かれていた。

 ジョナはここまで一気に下ってきていた。そのためか、この場所に来て疲れを覚えたのか、石の台の上に野営をすることにした。


 深夜となり、ジョナはふと目覚めた。周りには狭い星空からの光のみが見え、木々の枝や葉が風にゆすられこすれあう音だけが響いていた、

 次に目覚めた時、ジョナの野営地の近くを歩き回る二対の足の音が聞こえた。足音から、細い足がニ本であることが分かった。それもまた、森に生息する草食動物たちのように感じられた

 三度目のまどろみの時、遠くでかすかに聞き覚えのある声が聞こえて来た。しかもそれは共鳴、いや嬌鳴といったほうがよいだろうか、ジョナの知っているはずの声が卑猥な声となっていた。違う、それは悲鳴のはずだった。

 ジョナは反射的に野営地を飛び出し、その声のする方向へ走り出した。前を行く怪物が抵抗するアンヘルを抱えてジョナから逃げていた。

「まて」

 そう声をかけるごとに、怪物は跳躍し、ジョナはついに見失ってしまった。ジョナはアンヘルの名を繰り返しながら追うのだが、むなしく声が響くだけだった。


 この時、走り出したジョナを捕まえて揺り動かすものがいた。

「あんた、大丈夫なのか」

「僕を身代わりにしろ。女をはなせ」

 ジョナはまだ寝ぼけていた。ジョナを揺り動かす者はジョナの声を確かめながら、さらにジョナを目覚めさせようと揺り動かし続けていた。

「あんた、大丈夫か」

「あ、僕はどこへ行こうとしていたんだろうか?」

「あんたは湖にまっすぐ飛び込もうとしていたんだよ。あのままだったら、寝ぼけておぼれて死んでしまうところだった」

 そいつはジョナをなだめながら野営地に戻った。いつの間にかそいつのテントがジョナの隣に設置されていた。そして、その点とのあたりに、メモ類、衣類、肉類とナッツ類、ドライフルーツなどの食料の残りかすが散乱していた。

「この散らかしようは、どこかで見たことがある」

 ジョナは独り言ちていると、そいつが話しかけてきた。

「あんたはすべての関門を僕たちよりもはるかに速く突破出来ていたのに、あんなところで引っかかったのか?」

「なぜ助けたんだ?」

 ジョナは、また何かの罠なのだろうと思って、そいつを警戒した。そいつは、目の部分だけ網掛になっている装束を着ている。その網掛越しの目線で、ジョナを見つめているのが感じられた。

「あの関門に僕は引っかからなかったのに、あんたが引っ掛かったからだよ。あの最後の関門は、ここを訪れるためのある切羽詰まった思いがある者だけが引っ掛かるようにできているのさ。僕のかつて知っていた男もあんたに似ている」

 そいつが「知っていた男」と言ったことで、思わず質問をした。

「へえ、あんたの家族かい?」

「いいや。僕のひそかに愛している男だけど、あいつは気づいていないのさ」

 僕の密かに愛している男、という答えに、ジョナは男同士の恋人関係であると解釈し、皮肉めいた言葉を返してしまった。

「へえ。男同士で好き合っているのか?」

「なんだよ。変か? でも、あの男は幼すぎた。だから彼は、使命のために働くことをやめたのさ。こんなところへ来るわけはないね」

 そいつはジョナを見つめて何かを考えながら言葉をつづけた。

「もしかして、あんたが僕の探している男なのかもね......でもあんたはとても背が高いし......」

「あんた、トンガの谷を探りに来たのか?」

「僕は、この谷を探るために潜入したのさ。スパイだよ」

「どこからのスパイ?」

「そう、この南に隣接するケルマディックの工作員といえばいいかな」

「ケルマディック? そんな谷があるのか」

「ケルマディックも知らないのか? やっぱりあの男とは違うね」

「あんたはトンガを探りに来たのなら、僕と同じ目的を持っているわけだな」

 ジョナはそう言って探りを入れた。そいつはそれを訂正するように答えてきた。

「正確にいうと、僕たちはトンガの谷底に新たに動きがあるから、それを探りに来たのさ。あんたもそうなのか? でも、さっきの関門に引っ掛かったということは、あんたはトンガの谷が警戒している人間なんだね」

「僕は、ここに連れ込まれた最愛の女を取り戻しに来たんだ」

 その女は網掛越しの目からは感じられないほどの心の動揺を見せた。ただ、ジョナは気づいていなかった。

「あんたの最愛の人? そう。それならこれから一緒に探してあげるよ」

 そいつ、読者には知らせておこう、そいつの名はナナだった。彼女はそう言って、明らかに微笑んでいた。

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