19 再びプレザントの王宮へ
天井はまだ崩れ落ちないでいた。ジョナは、呼び込んだクロスアラベスクのコックピットにミランダを乗せると、ナデジダを抱き上げて機体に乗り込んだ。それと同時に天井の柱や壁が落ちてきた。もうすぐ天井全体が完全に崩れ落ちるタイミングだった。
ジョナは、ゆっくりとその機体を神殿の奥へと突き進ませた。スラーバ達が進んだ神殿の奥にアンヘルがいると考えたからだった。
だが、そこには部屋はなく、大きな車両の搭乗口があった。
「待て、スラーバ。逃げるのか?」
スラーバはジョナの大声に振り向き、呪いの言葉を吐いた。まさに、それは詛読術だった。
「「オナアボキャベイロシャノウマカボダラ マニハンドマジンバラハラバリタヤ」
「下がれ、サタン。僕にその術は効かない」
ジョナはその言葉とともに殺到していたスラーバの配下たちから剣を奪い、スラーバに集中させた。
「またしても、その操術を......確かだ、その操術は古代の帝国の国術……なぜおまえが」
「それを知ってどうする? そんな質問に答える前に、アンヘルを返してもらう」
「ほほう、此処にはアンヘルはいないぞ」
「そうか、ここに居ないのはお前が連れ去ったんだな?」
「そうだ、ここに彼女がいるはずがないではないか。彼女はわれらが帰依するベラ様への捧げものだ」
「『ベラ』だと? ソドムの王、ベラだと?」
ベラにアンヘルがささげられると聞き、半狂乱となったジョナは、機体をそのまま車両のハッチに激突させた。だがそれ以上突き進ませることができなかった。その状況を察したのか、スラーバは瓦礫に挟まれて動かなくなったクロスアラベスクの機体を一瞥すると、壊された王族車両の大型ハッチから姿を見せて嘲笑しつつ、神殿を離脱していった。
クロスアラベスクの機体はその上部に神殿の柱や壁などの瓦礫が山積し、すっかり動けなくなっていた。ジョナは、瓦礫からクロスアラベスクの機体を脱出させるために、コックピットから身を乗り出してひとつづつがれきを取り除く必要があった。
やがて、がれきのほとんどを取り除いたとき、ジョナの首に下げていた鎌の金具から声がかかった。
「クロスアラベスクの取り扱い説明 その18のはじめ 機体上の遺物の排除と掃除の仕方について 異物を期待が検出し、その後使用者の指示が2時間以上ない時、自発的な排除・装置機構を発動。それゆえ、使用者はコックピットの中に退避すること。今より警告、使用者はコックピットへ退避せよ」
ジョナは首に下げていた鎌の金具がまた何かの詠唱を始めたのかと焦り、わからないままにミランダとナデジダの乗るコックピットに飛び込んだ。機体はそれを確認したかのように、微弱な振動、そして大きな振動で機体を震わせ、最後に大きく機体を震わすと、ジョナが重すぎて動かすことが出来なかった瓦礫と岩を一瞬にして弾き飛ばしていた。
機体の大震動が治まった時、コックピットから出たジョナが目にした情景は、神殿のすべてが振動によって粉々に粉砕され崩された跡だった。それを待っていたかのように、神殿の周囲はスラーバ国軍の大規模な戦闘布陣が待っていた。
上空には浮動要塞、街の周囲には機械獣の戦列が広がっていた。それらの砲身は全て、神殿に向けられていた。いや、すでに神殿は崩れ去っていたことから見て、スラーバ黒軍の目来はクロスアラベスクの機体そのものに違いなかった。
神殿が崩れ去った際のほこりが消えると、おもむろに砲撃が始まった。それも、かつての衝角を有した槍砲撃重装甲車両に対して用いられた徹甲弾だった。おそらくコックピットの中以外の生物、魑魅魍魎など動く者は全て粉砕されるほどの苛烈で濃厚な鉄の雨だった。周囲で煌めく先行と爆裂音の中、クロスアラベスクの機体は鉄の雨の中をゆっくり動き出した。
王国車両は、ジョナの乗っている機体から見て、トフアの外輪山の反対側に位置していた。王国車両を見出したジョナは、機体をそのままゆっくりとその方向へ進ませた。すると、黒軍の砲撃はトフアの都市まで巻き込んだじゅうたん爆撃の様相を呈し始めていた。閃光と爆裂は、ジョナの周囲ばかりでなくトフアの都市全体を巻き込み始めていた。スラーバ黒軍はトフアの全滅と引き換えにクロスアラベスクの機体ごとジョナと王女たちを抹殺しようとしていた。
だが、ジョナの機体はかすり傷一つ負うことなく、炎上するトフアの都市の上空を進み、黒軍の戦列に徐々に近づいていった。黒軍は、その前進を留めようと、浮動要塞と黒機械獣の全火器のみならずすべての機体の本体ごとをクロスアラベスクにぶつけてきた。衝角を有した槍砲撃重装甲車両であれば、この体当たり攻撃に対抗することが出来たであろうが、クロスアラベスクは浮動要塞と黒機械獣に押しつぶされるようにして動きを留めざるを得なかった。
そして、スラーバ一世を乗せた王族車両は、黒軍の残党とともにトフアを去っていった。ジョナはというと、彼は疲れ切ってしまい、彼らを追うことをあきらめなければならなかった。
さて、ジョナは、王女たちをクロスアラベスクの機体に搭乗させたままスラーバを追うことはできなかった。それよりも、ジョナがこれからスラーバを追っていくことを考えると、どこかで彼女たちを保護しなければならなかった。だが、ジョナは王女たちに味方する者たちがどこにいるかを知らず、王女たちにそのことを問わざるを得なかった。だが、ミランダは話すことが出来なくなっていた。代わりにナデジダ王女に問いかけるしかなかった。
「これからどうする。どこにいこうか?」
「ジョナ、もう私たちの親衛隊は全滅させられたわ」
「親衛隊がいなければ、どうやって生きていくんだ?」
「もう、私たちが戻るのはプレザントしかないわ。見知らぬ土地では、私たち王族は暮らしていけないよ」
「そこに誰か残っているのかい? 誰もいないのに生きて行けるのか?」
「水さえあれば。王宮には庭があるわ。ミランダ姉さんと食べて行けるくらいの園芸はできるわ」
「園芸? 農業?」
「そう、私たちでもできるんじゃないかと思って」
「そんな簡単なことじゃないんだが」
ジョナはプレザントに向かいながら飛行は機体に任せ、ホニアラでアンヘルから修行させられたことを思い出していた。
「栽培、採取、清掃、料理、狩猟術......」
プレザントを頂上に擁するピナクル山は孤立峰だった。山麓から周囲の平野に降りてもすべては荒れ野だった。ジョナたち3人は、ナデジダ王女の案内に従って乗っていたクロスアラベスクの機体をピナクル山の深い谷あいに隠した。ただ、以前のピナクル山周囲の激戦によって、地下の井戸施設も破壊されているはずだった。それでも用水路の跡が残っていれば、なんとか山体を穿つ地下道を使えるのではないかと考えていた。
地下の用水路はまだ水が流れていた。水源である井戸施設さえも壊れた外観をそのままに偽装しながら、実質的には修理されていた。それは、居城の後に誰かが生活していることを示していた。だが、修繕された水路には側道がなく、ジョナは、動けないミランダ王女を抱き、ナデジダ王女を負ぶいながら、膝上の水につかりながら水路を進んでいった。
水の流れる方向から、誰かが向かってくる気配が感じられた。おそらく、ジョナが水を汚していることで異変に気付いた者が調査に来ているに違いなかった。ジョナは途中のトンネルジョイント部の隙間を見つけ、ジョナたちに近づいてくる者たちがを隠れながら待つことにした。ジョナは暗がりながら、目の前に男たちの一人の横顔が目の前に現れ、その見覚えのある顔に非常に驚いた。
「サン・ゲルタン!」
呼びかけられた男は暗がりの中から呼びかけられたことに非常に驚いた。
「だ、誰だ?」
「僕だ! あんた死んだはずじゃないのか?」
「なに? 俺が死んだだと? そんなことを言う奴は誰だ?」
「僕だ! わからないのか?」
サンから見て、暗がりにいるジョナの顔は見えなかった。また、ミランダ王女を抱きナデジダ王女を負ぶっているままのジョナは、ナデジダが恐怖のためにジョナの首に掛けている腕に力を込めていたために、しわがれ声だった。
「だから、お前は誰だ?」
「サン、僕だ!」
ジョナはそういいながら暗がりからサンの顔のすぐ近くに自分の顔を近づけた。その時、サンとともにいたほかの男たちが大声を上げた。
「ミランダ王女殿下!、ナデジダ王女殿下! ご無事で何より」
「お前がお連れしたのか」
男たちは口々にそんなことを言いながら、ミランダ王女とナデジダ王女をジョナから受け取ろうとした。動けないミランダ王女は彼らが受け取れたものの、恐怖にかられたナデジダ王女はジョナに強く抱き着いたまま離れようとはしなかった。そして、ようやくサンはジョナを誰であるかを確認できていた。
「なんだ、何だ、お前だったのか」
「だから、僕だ」
「名前を言えよ」
こうして、ジョナと王女たちは再び居城の中に入っていくことができた。
ピナクル山の頂にある居城と周辺の城郭都市は、大幅に改造されていた。赤道直下であることから、破壊され尽くした城郭都市の廃墟は、城郭に使われていたフォスフォライトを肥料としながら、ある程度の規模のすべて農場にされていた。ただ、蛋白源である動物を捕らえる機会がほとんどないためか、彼らは絶望的な狩猟の旅を何回も繰り返しているらしかった。
「サン、あんたは狩猟が下手だったよな」
「何を言うか ここでは俺が一番狩猟が上手なんだぜ」
「へえ、でも、ほとんど動物をとらえたことがないんだろ?」
「何を言う! 俺は突撃猪を追い込んだことがあるんだぜ」
「突撃猪がこの辺りに来るのか?」
「そうだ、太平洋王国が崩壊しつつある今、彼らを追い払う手段が無くなってしまったからなあ」
「じゃあ、あんたは彼らをを追い込んだことがあるのか? ああ、そういうことか、あんたは彼らをとらえたことがないんだな」
「まあ......そういうことだ」
「じゃあ、ほかには?」
「他は......ない。見たこともない」
その返事は、ピナクル山周辺での狩猟がほとんど絶望的であることを示唆していた。
こうしてジョナは、王女たちや木精族純血党の残党たちとともに、プレザントの居城と城郭都市の廃墟の中でしばらく暮らすこととなった。
ある日、ジョナは崩れた城郭の一角から、砂嵐のように吹き上がる砂が近づいてきていることに気づいた。ジョナは、特徴的な進行の仕方と速度の様子を過去の経験に照らして、それが突撃猪がであると見抜いた。
「突撃猪がこちらに向かってくるぞ。獲物だ!」
ジョナは、廃墟の一角で作業をしていたサンを捕まえて、そういった。
「突撃猪? だが、捕まえたことはないぞ」
「追い込んだことがあるんだろ? それで十分だ」
ジョナは、ためらいがちなサンを引っ張り出し、突撃猪をピナクル山さんの深い谷へ追い込むことを提案した。
「谷あいには僕だけが待ち構えている。サンたちは追い込んでくれればいいんだ」
突撃猪は、追い込まれて谷の奥まで入ってきた。だが、追い込まれたというよりは、進路に邪魔なものがあったので避けたという印象だった。いずれにしても、突撃猪はジョナが一人待ち構えている谷の奥へ達したのだった。
ジョナは誰も見ていないことを確認すると、突撃猪たちが谷の底を通過するのを見下ろしながら、自分の口で霊刀操を詠唱し始めた。
突撃猪とのこの出会いは、貴重な霊刀操の詠唱練習の機会となった。すると、普段は首に下げが鎌の金具から発せられる疑似声音による詠唱ではなく、ジョナ自らの声による詠唱で右の手と左の手とに実体化した巨大な刀と実体化していないが握っている感覚の確かな空刀とが現れた。ジョナはそれをゆっくりと振り上げ、通過していく突撃猪の最後尾の一頭に振り下げた。
頭部を切られた突撃猪は、仲間たちを追うことができず、谷の片側の崖に激突した。それとともに大きな山体崩壊が起き、先行していった突撃猪たちが閉じ込められる結果になった。
ジョナは激突して横転している突撃猪の鼠径部から血抜き処理を行いつつ、協働者たちを呼び寄せた。
「こ、これは」
「ひっくり返った胴体から血抜きがされている」
「胴体がひっくり返るように計算して倒したのか?」
「それより、どうやってこいつを両断したのか?」
ジョナは一切やり方を言わなかった。だが、これによって居城に残っていた者たちは肉にありつくことができ、また、閉じ込めた突撃猪を従わせる訓練をする機会を得たのだった。
突撃猪を従わせることができるようになったころ、ジョナはアンヘルを助けに向かうことを決意した。それをサンに話した時、仲間たちから意外な話を聞いた。
過去にアイアサン またはヤーサンと呼ばれる女の旅人が、城郭の用水路を直してくれたことがあったという。それ故に用水路がいまだ健在なのだという。だが、純血党と彼女とでは相容れぬことがあった。それは、純血党が努力していた兵力の増強について、それでは戦いが戦いを呼ぶと反対していたことだった。特に目立ったのは、帰ってくるであろう王女たちを助けた人物が、ある女に迷っているために積極的に武力蜂起をするであろうこと、そして、その際王女たちの戦力が彼に力を与えてしまうだろうという洞察だった。
確かに、居城には財宝が隠されており、それは後々、王国再建の時の軍資金となるであろうということだった。




