18 トフアの迷宮、無限回廊と幻影の奥 閉じ込めの王女の奪還
トフアの丘の周囲は、元は外輪山であった。その山を基盤に頑強な黄金色の城壁が築かれている。その中に黒色の都市群とが広がり、その中央に黒と紫の神殿が高く聳えていた。
ジョナはクロスアラベスクの機体を外輪山の地中に隠し、外輪山からかつての鉄道跡の登坂を伝い、神殿を抱く山頂部に移動した。
目の前には、暗闇の中に星明りを紫色に反射するアーチが迫ってきた。そのアーチを支える柱は漆黒。暗闇のせいではなく黒い金属の光沢をまとっている。そのアーチと柱が神殿の奥にずっと続いていた。
ホールへ入って行くと、ひたひたと踏む足の下の床はなめらかで冷たい。おそらくきれいに拭き清められているのだろう。やはり何かの儀式が行われている施設なのだろう。いや、間もなく儀式が行われるために清められている、と考えた方が妥当なのだろう。とすれば、どこかに身を潜ませる必要があった。
ホールを見渡すと、西、つまりトンガ山脈を眺める方向に、カウンターキッチンのような台が設けられており、ちょうどその下に隠れる隙間があった。
がやがやと遠くから声が響き始めていた。多くの人間たちがこのホールに集まり始めていた。そのがやがやとした声はやがてホールいっぱいに響き渡るほどになった。そして、ドラの音とともにそれらが一斉にやみ、参列者たちが身じろぎして姿勢を正す様子がうかがわれた。
「皆の者、これより式に進む。口を閉じ、心を清めて神邇様の前に進むのだ」
この声にジョナは聞き覚えがあった。スラーバ陛下の声だった。そして、彼の掛け声とともに、ホール内の全員が声をそろえて不思議な言葉を言い始めていた。それは過去、ジョナが12歳のころ、詛読術高等専門学校で学んだ呪詛、そして詛読術だった。
過去、ジョナが学んだ詛読巫の儀式では、呪詛と詛読術とが活用されていた。儀式における呪詛では、全ての信徒たちが、崇める者に向けて心と精神、意識によって働きかけるものだった。他方、儀式における詛読術では、信徒たちが互いに詛の念を掛け合うと同時に、互いに心の中の思いや詛を読み合って絡み合わせ、相手が術者に向けて心と体を解放し、喜んで奉仕し尽くすように仕向け、同時に互いに快感に至って一体感を作り上げ、共鳴と言われる状態になるものだった。
だが、ジョナの記憶では、これらは不浄、忌むべき儀式だった。これら呪詛と詛読術とが構成する儀式では、それによっ彼らの不浄の快感が崇める者との一体感が作り上げられるものだった。一体感が講じると、その不浄の快感中の複数の心に共鳴が生じ、それが崇められる者への捧げものとされ、崇められる者すなわち礼拝対象がむさぼっているはずだった。
ここには、彼ら信徒たちが帰依する神邇と呼ばれる礼拝対象がおり、おそらく神邇は捧げられた共鳴をむさぼる代わりに貪欲な住民たちが呪詛で伝えた願いを達成するのだろうと思われた。すなわち、はるかな過去、煬帝国の国術と言われた霊剣操の共鳴がこの時代に至って、神邇と呼ばれる礼拝対象ががむさぼり食す共鳴へと変質していたのだった。
「では、皆の者、王女様たちの前へ神邇様を伴っていきましょう。これで王女様の戴冠式をすることが出来ます。神邇様の助けによって、王女様は皇帝となられるのです」
王女にやっと会える。ジョナはそう言いつつも、王女たちがどこにいるのかが気になった。
「幽閉か?」
ホニアラ村からトフアまで王女たちが連れ出されているのであれば、在りうることだった。
「助け出さなければ」
そう考えているうちに、ジョナのいた台が突然スライドし、下へ下る階段が露出した。
「よいか、皆の者、ここからの迷路は、神邇様を伴っていることを念じながら進めば迷いなく進める。ほどなく、再び階段を見つける。そうだ、階段を下り続けられる間は迷っていないことを意味する。だが、その一念を忘れるとすぐに迷うぞ。迷う先は永遠の迷路。出てこられなくなる迷路だ。よいか、心して降りて行くのだぞ」
スラーバの声が響き、ぞろぞろと降りて行く足音が響いた。それをやり過ごして距離を置いて、ジョナもまた、階段を降りて行った。
すぐ降りたつもりなのだが、すでに前を行く信者たちの姿は見えなくなっていた。まっすぐに行ってすぐに振り返ったのだが、すでに降りてきた会談は見えなくなっており、先立っていたはずの足音も聞こえなくなっていた。進むことも変えることもできないと思った時、ジョナは迷宮に囚われていた。
迷うと同時に、迷宮の番人のような怪物たちが歩き回っていることに気づいた。魑魅魍魎の類なのだが、動き方はまるで自動機械のようなものに見えた。おそらくは警備と外敵侵入者排除とを目的に、巡回しているのだろうと思われた。
ジョナは徘徊する魑魅魍魎たちから逃げるようにして、歩き回った。不思議なことに魑魅魍魎たちの数が少ない領域があった。さらに進むと、通路が四方を囲むようにして巡っている場所に出た。壁の向こうには空間がある。通路が囲んでいるその壁の向こうは、まるで部屋があるように感じられた。だが、どこにも入り口はない。周囲を探しても何もなかった。
どのくらいその壁を探し回り、試しただろうか。さすがに歩き疲れてしまい、ジョナはその通路の片隅に横たわった。時間も居場所もわからなかった。わかったことは、周囲をめぐる通路の近くには、下がる階段を見出すことがなかったことだった。
横になると、壁伝いに通奏低音のような響きがかすかに聞こえて来た。明らかに壁の向こうで反響していた。壁の向こうは空間が下に続いていると思われた。通奏低音と思われた音は、男たちの詠歌の響きだった。もぐりこむ前のホールでは男女の詠唱が響いていたのだが、それらの言葉がここでは何らかの旋律に乗せた詠歌として、謳われていた。と同時に、一瞬、何かの苦痛に耐えるような声がかすかに聞こえた。二回、三回と。それは、苦悶に耐えるような声、しかも聞き覚えのあるミランダ王女の声だった。
その声を聴いた途端、ジョナはちゅうちょせずに目の前の壁を崩した。そのはるか下には、閉じ込められ仰向けに固定されたミランダ王女が、低い声の詠唱者たちに囲まれて苦悶している姿があった。また、そこから少し離れたところに、天井と周りをにらみつけるスラーバの姿があった。だが、天井は照明の明るさゆえにみることが出来ず、スラーバは天井の崩れた場所を見ることが出来なかった。
「何者だ!」
その声が儀式を中断させた。そして、詠唱が中断した時、ミランダ王女の汗だくの顔から、彼女の苦しさに耐え続けつつ気品を保とうとする声が聞こえた。
「これ.......以上.......私を辱めると......いうのですか」
「まだ、そんな言葉を述べられるのですかな? ミランダ王女殿下。もうすぐ陛下となられるのですから、黙っていらっしゃるべきではないですか」
スラーバの慇懃無礼な言葉がミランダ王女にぶつけられた。だが、彼女は言葉をつづけ、その気高さがジョナを引き付けた。
「私はこのように.......汚されることを......潔しとはしま......せん。こんな恥辱!......、こんな堕落の儀式が......捧げものだというのですか。あなた方が帰依している者がどんな汚らわしいものであるかわかるわ。汚らわしい侮辱......いいえ、単なる恥辱以外の何物でもないわ」
スラーバは嘲笑を浮かべつつ王女の太ももに触れつつ、仰向けになっている王女を見下ろしていた。
「神聖な戴冠の儀式をそのようにおっしゃるとは」
「これ以上、私を貶めるなら、私は舌を噛んで死にます」
いたたまれなくなったミランダ王女の叫びが響いた。しかし、スラーバは動じずに儀式の再開を指示した。
「ほほう、そんな自由があるとお思いですか。死なれては困るし、少々うるさくなってきた。殿下に猿轡をはめろ」
「ぐ」
短い声とともに、ミランダ王女は舌を噛んでいた。
「やめろ!」
ジョナは思わず叫んだ。さすがにスラーバは、儀式場の天井からの砕石とともに落ちてきたジョナを睨みつけた。
「王女が大人となって皇帝陛下となられる大切な神聖な儀式。それを邪魔するとは」
大人にする儀式。ジョナはその言葉を聞いて思い出した。12歳のころに目に焼き付いた詛読巫の儀式だった。帰依する神邇に向けて王女を神殿娼婦のように捧げる儀式に違いなかった。
「スラーバ陛下。ミランダ王女をそのように扱って許されると?」
ジョナはそう言うと、スラーバや従卒の剣を空中に舞いあがらせた。そしてミランダ王女を閉じ込めている檻を破壊し、その戒めを解いた。するとミランダの横に隠れていた幼女が大声を上げた。
「ジョナ!」
「ミランダ王女陛下、そして、ナデジダ王女!、あんたもそこにいたのか」
ジョナはすかさず織の中へと飛び込み、ナデジダの拘束を解いた。一瞬のことに、スラーバはあっけに取られていたが、すぐにジョナを追い詰めるように檻の前に立ちはだかった。
「その操術は、まさか?! ジョナ、お前は何者だ?」
「僕はジョナだ。それ以上でもそれ以下でもない」
そう言うと、ジョナはミランダ王女をだきあげた。だが、彼女はすでに意識を失っていた。
「お前たち、何をしたかわかっているんだろうな」
ジョナはミランダ王女を抱えながらスラーバの方を振り返った。だが、スラーバ達はすでに儀式場から逃げ出しつつあり、儀式場の天井はもうすぐくずれおちそうだった。