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恋する聖パトリック  作者: 牧場のばら


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2/2

後編

 青空亭に着くと既にエレンは店の前で待っていた。

 黒布にカラフルな色糸でこの国の伝統的な刺繍を施したスカートに編み上げブーツ、ブラウスはスモッキングと刺繍で飾られていた。寒さしのぎに厚手の羊毛のストールを肩からかけている。いつも一纏めの髪は下ろして、エレンの肩先でくるくると緩やかなカールを作っていた。


「やあエレン、よく似合ってる」


「おかみさんが用意してくださったんです」  


 アレックスはエレンが眩しくて気恥ずかしさもあって、照れ隠しにさっと手を出した。

「離れないように手を繋いでいこう」

 差し出された手に、エレンはおずおずと小さな手を重ねた。

 アレックスはにっこり笑った。

「エレン。今日は俺に全部任せて。今日のためにちゃんと下調べしてきたから!」




(やべぇ、かわいい。胸の動悸が止まらない。この地方の独特の衣装をまとったエレンは、いつもより数倍、いや100倍くらい可愛いぞ)


 はぐれないように繋いだ手からお互いの熱が伝わってくる。

 街はお祭りにやってきた人たちでごった返していた。うっかり手を離すと、エレンがそのままどこかへ飛んで行ってしまいそうで、アレックスはエレンの手をぎゅっと握り直した。


 アレックスは広場に並んだ屋台から、果物水と肉炒めを詰めた揚げパン、串焼きを買ってきた。誰も座っていないベンチを見つけて座り買ってきたものを分けながら食べる。


「美味しい…!」

「そうだろ。青空亭も旨いけどこうやって外で食べると、ちょっと違うんだ。

 外の空気もせいもあるし、それから誰と一緒に食べるかで旨さが変わってくるんだ。

 俺は今、生まれてきて一番美味しいもんを食べてる」

  

 揚げパンを脇に置いたアレックスは、エレンと向き合った。


「エレン、俺の話を聞いてもらえますか?」



 実家の伯爵家は兄と俺の2人兄弟なんだ。

 兄は勉強が出来る上にすごく綺麗な顔をしていて、だから子どもの頃から、お兄さんとちっとも似てないって言われ続けてた。俺は体がでかいし、こんな赤毛をしていて顔だって怖い。

 実際、母親が違うんだ。兄は正妻の息子で、俺の母は屋敷のメイド。つまり愛人の子ってことさ。

母のことは知らない。出産後すぐに亡くなったんだ。


 そんな顔しないで。虐められたりしてないから。 

 俺の義母上は優しい人で、俺を次男として愛して育ててくれたんだ。兄とも仲良しだよ。だから子どもの頃は、本当の母親だと思ってた。

 でもやっぱり学校へ行くと貴族ってやつは嫌らしくて、妾の息子のくせに、とかいう奴がいて、家族のことまで笑って貶めようとするんだ。そいつらとたくさん喧嘩もした。誰にも負けないくらい強くなりたくて、俺は剣術に打ち込んできた。家族を悪意から守るんだって思ってたんだ。


「マーロン部隊に配属されて、この街にやってきてエレンに出会った。生まれて初めてこの人を大切にしたいと思ったんだ。

 あー、だめだ、花火と一緒にこの気持ちをパーッと打ち上げようと思ってたけど花火まで待てないな」


「アレックスさん、待って。わたしはこの祭りが終わったら叔父が迎えに来るんです。祖父母はわたしと従兄弟、叔父の息子結婚させてを後を継がせるつもりなんです。だから」

「待たないよ。エレン、好きだ。初めて会った時からずっと。でも君はいつも見えない壁を作っていた。だから、これは片思いだってわかってるんだ。

 花火と一緒にパーッと打ち上げて気持ちを整理したかったんだ」


 言葉を被せたアレックスは一気に想いを告げた。



 母が亡くなってから一か月後、青空亭を尋ねてきた紳士がいた。エレンの叔父だと言う。

「妹にそっくりだよ」とその人は言った。

 

 さらにその二ヶ月後、長い手紙がエレンの元に届いた。

 エレンの母の実家は隣国の由緒正しい伯爵家。母の兄が跡を継いでいるが残念ながら子どもには恵まれなかった。

 家の存続のために叔父は養子を迎えていたが、最近になってエレンの母の忘れ形見の存在を知った。

 どうかその養子と一緒になって伯爵家の後を継いで欲しい、聖パトリック祭の後迎えに行くと、手紙にはそう記されてあった。身寄りのないエレンには断る術はなかった。


「アレックスさん、だから貴方のお気持ちを受け取れないんです。」


「そっか。エレンには何か事情があるってわかってはいたが、そうだったのか。

 悔しいな。俺、もっと早くこっちに来たかった。そしたらそんな話が出る前にプロポーズして、エレンを幸せにしてやれたのに」


 エレンの翡翠色の瞳がみるみる間に涙でいっぱいになる。

 アレックスはハンカチを出そうとポケットを探ったら手製の首飾りに触れた。


「これ。迷惑かもしれないけど、エレンを想って作った。こんなもの要らないかな。これから貴族となるエレンにふさわしくないな」自嘲気味に捨てようとするアレックスをエレンは止めた。


「今日はまだ、アレックスさんと一緒に祭りを楽しんでいる青空亭のエレンです。この街で過ごしてアレックスさんと出会えたこと忘れたくない。離れたくないです」

 そう言ってアレックスの手から翡翠の首飾りをひったくるように奪って首から下げた。

 そしておずおずと差し出したものをアレックスに握らせた。


「これは?」

 アレックスの黒い瞳に似た黒曜石とエレンの瞳の翡翠を編み込んだ剣の房飾りだった。


「アレックスさんが怪我をしないようお守りです。いつも親切にしてくださるお礼です」

 エレンは恥ずかしいから早口で告げる。身につけるものではないが必ず手に取るものだ。


「ありがとう」

 時が止まればいいのに、そう思った。


 あと少しで花火があがる。聖パトリックを祀った教会には人だかりが出来ている。

 アレックスとエレンもその場にいた。二人はただお互いの幸せを願っていた。


(聖パトリック様、どうかエレンが幸せに過ごせるようお願いします。彼女を幸せにするのは俺でありたかった。俺のこれから先の一生分の幸運を全部エレンにあげます。

 だから、結婚する相手の男から愛されて、、、エレンの母上の身内からも愛されて、そしてエレンにそっくりな子どもを産んで……)


「アレックスさん?」


 アレックスは涙腺が緩んできたのを誤魔化すように笑った、その時。

 教会の周りで大きな悲鳴があがる。

「花火が暴発して引火してる!!」

 火事だー!逃げろー!叫び声と悲鳴が上がった。


 アレックスはエレンの手を引いてその場から離れた。そしてエレンを安全な場所に座らせると、行ってくると言い残して混乱する現場へ向かった。


 そこには既に軍の仲間が数人いて、集まった全員で人々の避難誘導と鎮火活動を始めた。

 お祭りとあって、燃えやすい木や紙や可燃物が大量にある為か、火の勢いはなかなからおさまらない。

 火はついに教会にまで及んだ。


 アレックスは取り残された人々を助ける為に教会に飛び込んだ。幼い子どもを両腕に抱えて出てくると、もう一度中に向かう。まだ司祭様が残ってる。

 教会に残るという司祭を抱き抱えた。「司祭様、ここは火で落ちます。早く逃げましょう」


 あと一息で出口に辿り着くと言う時に、後ろで大きな火の手が上がった。振り返ると聖パトリック像が燃えていた。アレックスは黒曜石と翡翠の房飾りを握りしめた。


 「アレックスーーー!!!」

 最後に耳にしたのは、愛しいエレンの声だった。


 俺は暗闇の中にいた。ここはどこだ?

 エレンの泣き顔が見えた。青空亭のおかみもいる。

マーロン部隊の仲間もいた。

 あ、俺、死んだのか?そっか。

 司祭様は? そこにいらっしゃるな、良かった。だけど、聖パトリック像は燃えちまったな。パトリック様、許してくれるかな。エレンの事だけが心配だけど。

 どうかエレンが幸せでありますように。どうかエレンの望みが叶いますように。


 暗闇の向こうに光が見えた。

 誰かが微笑んだ。望みを叶えよう、そう聞こえた気がした。俺はそっと目を開けた。



「アレックスが目を覚ました!」

 

 誰かの声がして、そろそろと開いた目に飛び込んできたのはエレンの泣き顔だった。

「おお!アレックス!生き返ったか!!」

 ジョージの泣き笑いが見える。マーロン部隊の上司もいる。


「アレックスさんは三日間意識不明だったんだよ。全くこの人は、エレンをこんなに泣かせて」と言って号泣したのは青空亭のおかみだった。


「アレックス、君が私を助けてくれた。君にパトリックの加護があらんことを」

 アレックスに助け出された司祭は、天を仰いで祈りを捧げた。




 どうやら俺は助かったらしい。

 教会で意識を失った瞬間に、仲間たちが入ってきて俺と司祭様は助けられた。

 しかし教会は跡形もなく焼け落ちた。聖パトリック像の形も残らなかったようだ。



 エレンは迎えに来た叔父に、隣国へは行かないと告げた。

「愛している人がいます。今、彼は生死の境を彷徨ってる。彼の側から離れたくありません」

 きっぱりそう言うと、深くお辞儀をした。


 叔父は言葉もなくエレンを見つめていたがやがて微笑んだ。

「全く、母娘でそっくりなんだから。頑固なところも」


 アレックスが目を覚ました後、叔父は二人に会った。

 祖父母への報告は自分に任せなさい、悪いようにしないから。そう約束して叔父は隣国へ帰っていった。

 


 奇跡的にどこにも怪我がなく、火傷もなく回復した俺は、青空亭の前でエレンと向き合っていた。


「あの日の返事をします。」というエレンに、俺は緊張する。


「アレックスさんが教会から助け出されて意識が戻らない間、ずっと聖パトリック様に祈っていました。

どうかアレックスさんをお助けください、と。

アレックスさんと一緒に過ごすこと、それがわたしの願いなのだと気がついたんです」


 俺は息を飲んだ。

 エレンの気持ちが少しは自分に向いてると自惚れてはいたけど、実際彼女の口からは答えを貰っていなかった。


「お慕いしています。どうかわたしを」

「待って。それから先は俺に言わせて?」


 俺は跪いてエレンの手を取った。小さくて白くて柔らかい手だ。

「エレン、わたしと結婚してください。貴女を愛しています。一生大切にします。」

 

 もっと格好よくスマートに結婚を申し込みたかったが、貴族的なあれこれはすっ飛んでしまった。


 エレンは目を潤ませると、「はい、わたしもアレックスさんを、アレックスを愛しています」と答えてくれた。

 聖パトリック様は、俺の願いもエレンの願いも叶えてくれたんだ。



 アレックスはそっとエレンを抱き寄せると、おでこに小さなキスを落とした。

 エレンは胸にかけたアレックスのお手製のペンダントを、アレックスは胸元にしまった剣の房飾りを示してふたりで笑った。


 優しい一陣の風が吹いて、小鳥の囀りが聞こえてきた。光が降り注ぐ中に二人はいる。

 アレックスとエレンは二人で空を見上げた。


 聖パトリック祭で身につける物を交換しあった恋人たちは必ず結ばれる。その言い伝えはアレックスとエレンにとって真実になった。





 


 

お読みいただきありがとうございました。

2年前の作品の手直しをしました。


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