とある真面目な主婦が人生をやり直そうとしたら、異世界の悪役令嬢に転生しちゃったお話。
(ここは……どこ? 私は……だれ?)
目覚めたら、あたりは真っ暗。
見覚えのない場所。
身体が動かない……
私は眼だけを開けて、暗い天井を見つめる。
そして、考える。
(私は一体、どうしたのだろう? ……あれ? 確か――そうだ!)
私は四十歳の平凡な主婦。
初めて付き合った彼とそのまま結婚し、二人の息子に恵まれた。その子どもたちも上は高校生、下も中学生になった。
最近は人生を振り返ることが多くなっていた。
夫とは恋愛結婚だ。
男性に対してあまり免疫のなかった私は、大学に入って初めて彼ができた。
真面目過ぎて結婚できる人でないと恋愛できないと頑なに信じていた。
初めて付き合った彼はとても優しかった。私を大切にしてくれ、ケンカというケンカなどしたこともなかった。
愛されていた。そう感じていた。
だから、彼の愛に見合う愛を返そうと彼を好きになる努力をした。愛されてばかりでは申し訳ないと思っていた。
いつしか、彼の愛を私の愛が上回る。
――でも、素直に言えなかった。
そのうち結婚し、子どもができた。夫となった彼は子どもをとても可愛がった。
上の息子が一歳半になった頃、二人目の息子が生まれた。
ワンオペ育児に疲れていた。
一人目のオムツもとれず、離乳食もミルクも……三時間おきの二人目の授乳。怒涛のオムツ替え。
もう、ボロボロだった。
子どもたちを愛してはくれたが私には思いやりの欠片もなかった。
夫は言った。
『いいじゃん。家にいるだけなんだから』
心が……みしり、と音をたてた。
『同じことがあなたにできるの?』
そう言うと、
『じゃあ同じ仕事をあなたはできるの?』
と言い返された。
――育児やるから働いてこいよ、と。
心の亀裂にある起爆剤に着火した。どす黒い感情が煙を上げた。
夫との心からの会話がなくなった。そして、身体の関係もなくなった。
毎年、惰性で祝っていた結婚記念日も、私がレストランを予約しなくなった十五年目から話題にすらならなくなった。
いつの間にか、愛すらなくなった。
そのまま月日が流れ、四十歳になった。このまま人生を終えてもいいのかと。洗面台の鏡に映る自分を見て、不意にそう思った。
――離婚しよう。
私は私の人生を楽しむ権利がある。私の人生は私のものだ。
たった一度の人生なのに、我慢して、もう愛してもいない人の元にいるのは馬鹿馬鹿しい。
夫以外の男性と恋愛したことがない。もっと恋愛してみたい。
でも結婚はもうしたくない。子どもを二人生んだ。育てて、大きくなるのを見届けた。これからは孫を愛でることが出来るだろう。
怖いものなど何もない。
若い頃は色々な事が怖かった。未知な事が多かったからだ。
仕事も恋愛も経験も出産も育児も。
一通り経験した私には、もう怖いものなんてなくなっていた。
おばちゃんは強いのだ。
離婚して、仕事をして、一人暮らしする。
子どもたちのフォローをしつつ。
そう心に決めた。
――その矢先。
そうだった。私は死んだのだ。
思い出した。
涙が溢れた。次から次へと。止めどなく。
真っ暗な部屋はいつしか、薄明るくなっていた。
~・~・~
「お嬢様?」
ノック音と共に声をかけられた。私はただ眼を開き、涙を流していた。
「お目覚めになられたのですね! 今、医師を呼んで参ります!」
侍女と思わしき女性はそういうとパタパタと急ぎ足でドアの向こうに消えた。
間もなくして、医師と三十代くらいの男女が慌ただしく部屋に入ってくる。
「「サラ!!」」
その男女は私を見るなりそう呼び、抱きついた。私は声も出せず、抱き締め返すこともできずにただ眼を瞬かせた。
「お嬢様は身体が自由に動かせないようです」
医師からそう言われた。
私は一生このままか――と、そう絶望しかけた時、
「あと一日もすれば毒は消えて、動けるようになるでしょう」
医師はそう続けた。
その場の誰もがホッと息をつく。
「よかった……よかったよ、サラ」
安堵した表情の男女を見つめる。
(この人たちは誰だろう? そして、ここは何処なのだろう?)
気がつかなかった。
まさか自分が異世界に転生しているなんて。
~・~・~
翌朝、身体が動くようになった。
ベッドから起き上がる。
大きな姿見を見ると、十代の少女が立っていた。
綺麗なホワイトブロンドの髪、アクアマリンの様な瞳、真っ白な肌。そして何より整った顔と姿。
「誰……これ?」
声も私の声じゃない。
そして、知った。――というか、思い出した。
私はサラ・フローレス。十六歳。あの三十代の男女が父と母であることを。
サラは毒殺されかけた。そして、私が転生したのだ。
一体、誰に? そして、何故?
それが思い出せない。
とにかく、もう一度、人生をやり直すチャンスが廻ってきたのだ。今度は絶対楽しんでやる!!
それにはまず、私が毒殺されそうになった原因を特定し、排除すること。
そこから始めよう。
ノック音が響く。
「サラ、起きているかい?」
「ええ。どうぞ」
控えめに扉が開くと、父と母が入ってきた。
「もう起き上がっていいのか? 体調はどうだ?」
「無理しなくてもいいのよ」
そう声をかけてきた両親に話を聞く。
「私はどうして毒殺されそうになったのでしょうか。誰が毒を盛ったのか、もうお分かりですか?」
そう言うと、両親は顔を歪ませた。
その顔は怒りを含んでいる。
「……調査はしている」
先程とは違う低い声で父が言う。
「王家が主催の夜会で起こったことなのだ。腹立たしいが、難航している」
「そうですか……」
「しばらくは学園を休んでもよいのだよ? 学園の関係者もいたのだから。学園でサラが襲われたら、それこそ私たちの身がもたない」
「いいえ、お父様。私は学園に参ります」
「……でも、サラ……!」
母が苦しそうな顔をして首を振る。
「お母様。私、見つけたいの。私を殺そうとした人を。このままでは、ずっと逃げてばかりになってしまうもの。私は逃げずに、これからの私の人生を楽しみたいの!」
両親は顔を見合せ、驚愕した。
――そう。だって転生する前の私は『悪役令嬢』そのものだったのだから。
婚約者の第一王子。側室の息子第二王子。
側近で宰相の息子。隠密を担う家の息子。
騎士団団長の息子。教会に身を置く聖女。
私の関係者、すべては学園にいる。
~・~・~
「やぁ、サラ。体調はもういいのかい?」
久しぶりに登園してきた婚約者に美しい所作で話しかけてきたのは第一王子のシリル・ゴールドスタイン。
傍らには聖女ミア・サヴァリンがいる。
目の前に婚約者がいるのを分かっていて腕を絡めている。
所作はともかく、神経を疑う。
今までの私なら、激しく怒り散らしてたなぁ……と思い返しながら、サラリと答える。
「ええ。もうすっかり良くなりましたわ。第一王子殿下。それでは私、こちらで失礼いたしますわね」
(今までのように名前でなんて呼んでやるものか。馴れ馴れしくしないでもらおう!)
隣の聖女などには目もくれず、スタスタと教室に向かう。
そんな私の後ろ姿を呆気に取られた第一王子と聖女の顔が見つめているのにも気がつかずに。
「ぷっはははははっ!」
何処からともなく笑い声が聞こえる。
その声の主は私の対応を見ていたらしく、後ろから声をかけてきた。
私はムッとした気持ちを顔に出さずに振り返る。
「そのように笑われるのは、あまり良い気分ではありませんわ」
「ごめん、ごめん。いや、兄上にそんなふうに返すなんて思ってもみなかったからさ」
「左様でございましたか。私、早く教室に参りたいので、失礼いたしますね。第二王子殿下」
もう声をかけてきてほしくない。
すぐに視線をそらし、教室に向かって歩き出す。
第二王子オズウェル・ゴールドスタインはそれでもお構いなしに隣を歩く。
「俺にもそんな態度なの? 何で?」
「……」
「ねぇ。俺、何か悪いことしたかな?」
「……」
私は人生を十代の学生からやり直せるチャンスをもらったのだ。こんな馬鹿げたことに時間を費やすのは勿体無い。
本当は無視して歩き去りたい。でもそうもいかない。相手は王族。しかも、彼は私と同じクラスだ。
第一王子は一つ年上だが、第二王子は側室の息子、第一王子の異母弟で私と同じ歳なのだ。
「私がどうして休んでいたか、ご存知ですか?」
王族が何処まで把握しているかを見極めるために質問してみる。まぁ、こう見えても王子だ。どんな質問も顔色一つ変えずに難なく対応する。
「うーん。病気療養だったんだろう?」
私はチラリと向けた目線を外す。
(建前で話すなら、いらないわ)
止めた足を踏み出そうとすると、第二王子は私の耳元に顔を近づけて、小声で耳打ちする。
「――っていうのは表向きで。王家主催の夜会で倒れたんだろう? まぁ俺はあまり関わっていないから詳しくは分からないけど」
こういう正直なところが彼の良いところである。
「そうですね。毒殺されそうになりました」
サラリと答えると彼は吃驚した表情で私を見る。
思いがけない返答だったのだろう。まったく取り繕えていない。
「いけませんよ。王族ともあろう御方が、そのように感情をお顔に出してしまっては」
「わっ、悪い。まさか、そんなことが……」
「私を殺したいほどの感情をお持ちの方がいらっしゃるようです。今の時点でどなたが、どうして私を殺したかったのか、分かっておりませんの。ですから、これから私はすべての関わりをやり直そうと思いまして」
「……やり直す?」
「はい。生死の淵から、せっかく舞い戻ったのですもの。他の方々の煩わしい感情に流されるのはご容赦いただきたいわ。ですから関わるのを止めようと思いまして。そういうことですので、第二王子殿下とも――」
そこまで話すと急に私の目の前に第二王子が立ち塞がる。私は彼と視線を合わせた。
するといきなりガシッと私の両肩を掴む。
吃驚して少し睨んでしまったが、そんなの気にもせずに第二王子が小声で耳打ちする。
(ちょっ、ちょっと待って! この体勢で耳打ちだと何処かの角度から見たら……誤解されるじゃない!! 何考えてるの?!)
ぷるぷると怒りに震える私に囁いた。
「犯人、見つけるの、手伝うよ」
「えっ?」
驚いて、すぐ横に彼の顔があることも忘れ、そちらに顔を向けてしまった。一気にゼロ距離になった顔にどちらとも熱が上がる。
しかし、私は一瞬で青ざめた。
(いやぁあぁあぁ!!! これって絶対、誤解されるヤツじゃない!! 何してくれてんだ!!)
「第二王子殿下!!」
「ごっ……ごめん!!」
「誤解を招くような行為は止めてくださいっ!」
「ほんっとうに申し訳ない!」
私はムッとした顔を隠さずスタスタと教室に向かって歩いた。
口元を自身の掌で覆い、顔を真っ赤にした第二王子をその場に残して。
(私はね、その程度ではときめかないもーん。中身は、おばちゃんだからね! ふふっ)
そんな私たちのやり取りを、後ろで見ていた人物たちに気がつかなかった。
教室に入るとクラス中の視線を受ける。
(……うん。まぁ、そうだよな。私、すっごく態度悪かったし。うん。大丈夫だよ。もう私、精神年齢かなり大人だから。君たちは私からしたら上の息子と同じ歳だよ。……あ!! そうだった! 息子と同じ歳になっちゃったんだ!! 気がついたら変な感じ……)
そんなことを心の中で考えながら、席に着く。後から来ているはずの第二王子が来ていない。
軽く首を捻るが気にせず、教科の用意を始める。
私の登園で静かになった教室が一瞬、ざわっとざわめく。第二王子の登場かなと思っていると、私の机に影がかかる。ふと顔を上げて、そこにいるはずのない人物に眼を見開いた。
「――サラ。さっきのオズウェルとのこと、どういうことか説明してくれるかな?」
「――第一王子殿下。説明とは、どういうことでしょうか? ご説明差し上げるような事をしてはおりませんが」
「親しげに話していたではないか。私という婚約者がありながら」
「あら? 親しげに見えましたこと? おかしいですわね。別に親しくもありませんわ」
「でも、親しげに見えたよ」
「私には殿下と聖女様の方がよっぽど親しげに見えますことよ? 今朝も仲良く腕を取っていらっしゃいましたし」
「君は……私に不服を申すのか?」
「いいえ。ただもし殿下が私の行動をお気に召さないようでしたら、いつでも婚約解消していただいて構いませんので」
「え? サラ……?」
「私は殿下にそれをお伝えしたかっただけですわ。さぁ、もう始まりますわよ。殿下も教室へ」
「あ……あぁ。」
第一王子と入れ替わるように、第二王子が教室に入ってきた。そこにいるはずのない第一王子を見ると吃驚して、眼を瞬かせる。
「兄上? どうしてここに?」
「あ、いや……」
「私に会いにいらっしゃったのですわ」
私がそう答えると二人とも私に視線を向ける。
「私と第二王子殿下が親しげに見えたようですわ。そんなことあり得ませんのに……ねぇ?」
そう言って口元を手で隠し、ふふっと微笑むとクラスの皆がすぅっと息を吸った。
(私、何か変なこと言ったかしら?)
でも気にせずに続ける。
これが一番大事なコトだから!
「聖女様と仲良くされたいようでしたら、いつでも婚約解消いたしますので、おっしゃってくださいませ」
「サ、サラ……本気なの?」
「ええ。聖女様とご婚約されたらよろしいかと。とてもお似合いですわ」
もう一度、微笑んでみせる。
(私は怒ってませんよー。本気ですよー。本当に私と婚約解消してください!)
――と、願いを込めて。
その場の全員が息を呑んだ。
そのまま授業が始まり、平穏な時間が過ぎる。
お昼の時間になり、持参した昼食を持って中庭のベンチへと向かおうと席を立つと、すぐ横に人影があった。
「その荷物、持とう」
「えっ?」
意外すぎる人物に声をかけられ、私は唖然とした。
この国の宰相の息子で、第一王子の側近のメルヴィン・ロイドだ。その後ろには騎士団団長の息子、アラン・ハワードもいる。
(いや、いや、いや。何、このメンツ? 今までは嫌な顔して、話しかけてくることもしなかったというのに。――あぁ! そうか! 第一王子に、何か頼まれたな……はぁ。ホント面倒くさい)
「結構ですわ。私は一人でゆっくりランチを楽しみたいので。失礼いたします」
「それでは、ご一緒させていただこう」
「――ロイド様。私のお話、聞いていらした?」
「サラ嬢。貴女こそ、どうなさったのですか?」
「はい?」
聞き返されて、つい変な返事が出てしまった。
「いつもなら、私の事をメル様と愛称で呼ばれていたではありませんか。シリル様も第一王子殿下と呼んでいたと伺いましたが、どのような心境の変化かと思いまして。お伺い出来れば、と」
断る事は許さないというかのような圧で話す。
はぁとため息……とバレないようにそっと一呼吸すると、にっこり笑って返答する。
「では、お話しさせていただきますね」
その言葉を聞くと、ロイド様とハワード様が驚いた顔をし、その後すぐ顔を赤く変える。
(怒らせるような態度だっただろうか?)
何が地雷だったのか考えながら、中庭まで先頭で歩く。後からロイド様、ハワード様、そして何故か第二王子殿下もついてきた。
(嫌だ……すごく目立つ!! この人たち、ただでさえ見目麗しく、人気があって視線が集中するのに!)
抱えたくなる頭を少し振って、心の中で『よしっ!』と気合いを入れ直す。
中庭のガゼボまで来るとようやく人気が収まってきた。ここは穴場だ。大抵の生徒はカフェテリアや中庭のベンチ、解放スペースなどを利用している。
少し離れたこのガゼボは少々年季が入っており、綺麗に清掃されているが、あまり使われてはいなかった。
「へぇ。こんな場所があったんだなぁ」
「私の秘密の場所ですの。内緒にしてくださいね。ハワード様」
そう言って、しっと人差し指を唇にあてる。
それを聞いたハワード様がまた少し顔を赤らめ、頭を掻きながら返事をした。
「その……アランでいいよ」
「今までは嫌がっていらしたではないですか」
「いや、嫌がってなど……」
「お顔に出ておりましたわ」
「……っ!!」
ふふっと笑うと、ハワード様は顔を真っ赤にして俯いてしまった。――意地悪しすぎたかしら?
「――コホン。それで……どんな心境の変化が?」
「そうですわね……」
ロイド様が一つ咳払いをすると切り出した。
「呼び名や態度だけではない。その外見もだ」
――そう。外見も。
私は我儘で、傲慢で、嫌味ったらしくて、人を見下している最低な悪役令嬢だった、だけでなく。外見も着飾り、ゴッテゴテのギラギラ、化粧も厚く、マジ香水臭くて吐きそうなほどだった――スメハラ案件だよ。
一方、おばちゃんだった私は全くといっていいほど化粧っ気もなく。地味に真面目に! 生きてきたもので。急にお金持ちになったからって、贅沢三昧出来るはずもなく、質素を追求している。
制服だから着飾るといってもアクセサリー類だと思うが、時計以外はしていない。髪をハーフアップにするために留めているバレッタのみ。香水はつけず、気持ちを落ち着かせるためにラベンダーの香油をうすーくつけているくらい。――自分が落ち着ければいいので! 自己満足で、自分にしか香らない程度。
まぁ、今までの私からしたら、吃驚するのは当然のこと。返す言葉は、もう決めてある。
「私、生死の淵を彷徨ったら気づいたのですわ! 自分の一度きりの人生を、今の自分が楽しまなければ、勿体無いって!」
「「「へっ?」」」
三人とも口を開けたまま、ポカンとしている。
私はそれに構わず続ける。だって本当のコトだもの。
「時間を他人に割くなんて、無駄。私は私を自分で幸せにするの。まぁ考え方が変わったってことね。だから、誰が誰とくっつこうが、仲良くしようが、私がそこに絡まないなら、全然、気にならない。ただそれならそれでキッチリ私との関係は断ってもらう。中途半端なことは許さない」
三人はジッと私を見つめ、真剣に私の話に耳を傾けている。
「サラ嬢。君が倒れたあの夜会、覚えているか?」
不意にハワード様が呟いた。私はハワード様に視線を移す。
彼は視線が交わると、少し俯いた。
「あの日、俺はあのすぐ近くにいたんだ」
他の二人がハッと彼を見る。
「あれは――毒だったのだろう?」
「なっ、何??」
ロイド様が驚く。先に話してすでにその事実を知っていた第二王子と、私自身は驚かない。
「ええ。それで私は二週間、生死を彷徨いました。回復してからもリハビリは必要で。復帰するのに一ヶ月かかってしまいましたわ」
「それで『生死の淵を彷徨った』と言ったのか」
やっと繋がった、というようにロイド様が呟く。
「犯人は捕まったのか?」
「いいえ。まだですわ」
「狙いはサラ嬢、本当に君だったのか?」
「えっ? それは……どういうことでしょうか?」
「例えば誰でも良かった、とか。あれは王家の夜会だから王家の失態を狙っていた、とかだな」
(そうか! その可能性もあったのか。私一人では出てこなかった発想だ。――さすが将来有望な宰相の息子!)
「そうですね。その可能性は考えておりませんでした。ありがとうございます、ロイド様」
ニコリと笑ってみせると彼は右腕を顔に充てた。また逆鱗に触れてしまったのだろうか? ――年頃の男の子は分からない。
ロイド様もハワード様も第一王子と同じ歳で私の一つ上である。十八歳で卒業して、婚約者と結婚することが決まっているこの世界では充分大人扱いなのだけれど。
――あの夜会で倒れる前に口にしたもの。
それは――第一王子から渡されたグラスの飲み物だけだった。
彼が犯人でないなら、狙いは彼だったのかもしれない。そう考えたら背筋がぞくっとした。
両腕を自分の手で抱き締める。
思っていたより少し青い顔をしていたのかもしれない。第二王子が『触れるよ』と一言おいて、優しく背中を擦ってくれた。
きっと私が毒を飲まされたことの恐怖を思い出したと思っているのだろう。
しかし実際は違っている。
もしもあれが第一王子を狙ったものだとしたら、また彼を狙ってくるのでは? という恐怖だ。
あんなに無関心だった男に、同情しているのか?
それともまだ前の心が何処かに残っているから?
王族である第一王子が狙われたという事実にか?
もし本当にまた狙われるなら、次は――
(――明日の舞踏会!!)
それに気がつくと三人に話し始めていた。
私の立てた計画を。
~・~・~
舞踏会の日。
エスコートはもちろん、今でも絶賛婚約継続中の第一王子シリル殿下である。会場の前に着き、馬車を降りようとすると、スッと手を差し伸べてきた。
「今日も綺麗だね。サラ」
「今日はエスコートしてくださるのね。第一王子殿下」
私の嫌味に少々引きつってはいるが、にっこりと微笑んで『もちろんだよ』と言う。
さすがは王子。心の中で拍手を贈ろう。
会場が近づくにつれて、緊張が増す。
だって私が死ぬかもしれなかった場所に再度、足を踏み入れるのだから。
あの時の光景を思い出してしまう。少し震えていたのだろうか。第一王子が私の顔を覗き込んできた。
「サラ? 大丈夫? 気分が悪い?」
「大丈夫ですわ。ご心配おかけしました」
私は彼を安心させるようにふわっと笑ってみせた。すると彼は大きく顔を背けた。
(ん? 何か粗相でも?)
よく見ると耳が真っ赤だ。首元もうっすら赤い。少しふるふると震えている。
気分が悪くなったと言えば良かっただろうか?
心配してくれたのを無下にしてしまったから?
怒っているのだろうか?
「あの……殿下?」
「すまない。大丈夫だ」
「……ええ。それは何よりです」
何だったのだろう?
今は何でもなかったような顔をしている。
結局、殿下が謝ったのだから、私が悪かった訳ではなさそうだ。よかった、よかった。
私たちは最後の登場。大きな扉が開く。
キラキラのダンス会場が眼に飛び込んでくる。
――何て世界だ。
おばちゃんには場違いな所に来てしまった。
「では、婚約者殿。お手をどうぞ」
「ええ、殿下。お願いいたします」
よかった。身体がしっかり覚えていた。私はちゃんと踊れたことに安堵する。
そして、この後の計画が無事に終わるようにと願いを込めながら舞った。
「殿下」
「何だい? サラ」
「殿下は私が倒れた夜会でのことを覚えていらっしゃいますか?」
第一王子は眼を見開く。そして私の顔をジッと見つめた。
「……ああ。覚えているよ」
「殿下は、あのお飲み物をどちらからお手にされましたか?」
「……え?」
少し驚いた顔をする。
それは一瞬で、次の瞬間には何かを思い返すように斜め上に目線を上げた。
「確か……ミアから受け取った」
「……え?」
今度は私が驚いた。
(給仕から受け取ったものではなかった? しかも聖女からって――)
会場の何処かにいるであろう聖女を目線で探す。一際目立つ彼女は容易に見つけられた。
チラリと眼をやる。目線が合った彼女はニコリと笑った。
――背筋が凍った。
「サラ?」
「あ、あのっ……聖女様はそのお飲み物を私に渡すように仰ったのでしょうか?」
「いや? 特に何も言わずにただ私に渡してくれただけだよ」
もはや立っているのもやっとな状態で踊る。ほとんど王子に寄りかかってしまっていた。
運良く曲が終わり、休憩スペースへと移ることができた。
第一王子は踊り終わるのを待ちわびていた聖女に連れられ、再度、ダンスの輪の中に消えていった。
――何か話したそうな顔を私に向けながら。
すでに予定通り、休憩スペースにスタンバイしていた第二王子、ロイド様、ハワード様に今の会話の内容を伝える。
三人とも驚愕した。
思いがけない第一王子の証言に、私たちの計画は一時中断を余儀なくされた。
「ミア様が関わっているのですか?」
「もしくは聖女様が狙われていた?」
ただ私は思い出したのだ。
あの時――私が倒れたあの時。彼女は小さく呟いていた。
――『こんなはずじゃなかったのに』、と。
それが私が倒れる前、最後に聞いた言葉だった。
そして、もう一つ思い出した。
第一王子が私にグラスを手渡した時、聖女が慌てた顔をしていたのを。
「そうでしたか……」
私の言うことなど今までは信じても貰えなかっただろうに――何故か今はすんなり信用されている。
不思議なものだ。
私の言葉を疑っていないようなロイド様の言葉に首を傾げそうになると、
「ん? どうかしたか?」
その様子に気がついたハワード様が私の顔を覗き込む。こちらは心配しているようだ。以前ならそんな顔もしなかったし、そんな台詞も言わなかったでしょうに。――何て、調子の良い……
ご心配には及びません、と微笑むと覗き込む体勢からバッと顔を上げ、大きな掌を自分の顔に押し付けていた。
「すまない」
「? ……いえ」
顔が近すぎたことに気がついたのだろう。
何を今さら、だ。
ずっと黙って私たちの話を聞いていた第二王子が口を開いた。
「アイツに任せるかな……」
「?」
――アイツとは?
「ラッセル家の次男だよ」
ウォーレン・ラッセル。
ラッセル家は我が国の隠密機関を取り仕切る家。裏から調査したり、色々な揉め事を揉み消したり、排除したり――という御家。
普段は滅多にその姿を拝見しない。
色々な変装も得意らしいので、実際の姿がどれなのかも分からないらしい。
私の疑問をすぐに理解し、説明するところはさすが。わざと相手の様子を窺うという意味もあるのだ。まんまと読まれた私はまだまだだと思う。
「おーい、ウォー。いるんだろう?」
「こちらに」
ふわっと風が吹き抜けると、シュタッと給仕係が横に並ぶ。真っ黒な長髪を後ろで一つに纏め、夜空のような濃紺の瞳を私に向けた。
その綺麗な瞳に吸い込まれ、私は瞬きも忘れ、その瞳を凝視した。
「あー、そんなに見つめ合わないでくれないか?」
横から呆れたような第二王子の声にハッと我に返る。――お恥ずかしい。
私は両手で顔を隠した。
そんな私の様子に周囲が息を呑んだ。
(はぁあ、やってしまった……)
隠した顔を引き締め、ふっと一呼吸すると、バッと顔を上げて、少し微笑んでみせた。
「失礼いたしました」
周囲を見回すと一様に顔が赤かったり、視線をそらしたり、口元や顔を覆い隠したりしていた。
もう諦めて、目の前にいるウォーレン・ラッセル様に視線を合わせる。
「サラ・フローレスでございます。はじめまして、ですわよね? ラッセル様」
「ええ。御初に御目にかかります。ウォーレン・ラッセルでございます。サラ様」
恭しく礼をし、手の甲にキスを落とす。
姿こそ給仕係だが所作は一流の貴族だ。
不覚にも少しときめいてしまった。
(手の甲のキスなんて生まれて初めてだよ!! 免疫なんてないんだから。 あっ! 私の未経験、発見!!)
これからこうやって未経験を経験していけるのかと思うと頬が緩む。
その顔にその場の全員が眼を見開いた。
私がラッセル様の敬愛のキスに絆されてしまったと思ったのだろうか。
――いやいや、違うから! 誤解だよ!?
「――ところで、第二王子殿下」
その場の空気を変えるべく、話しかける。ハッと我に返った第二王子も私に向き直る。
「場所を変えてお話ししませんこと?」
「ああ、そうだね。談話室が使えるか見てきてくれないか?」
「畏まりました」
ラッセル様がサッと動く。
しばらくしてラッセル様が戻ると、第二王子の後をロイド様、ハワード様が続いて歩く。見目麗しい集団は何処に行っても目立つ。――本当にもう勘弁してほしい。
部屋に入るとラッセル様が再度、確認し廻っていた。こくんと一つ頷くとソファに腰掛けた第二王子が話し始める。
「まぁ王族の婚約者だから知っているとは思うけど、一応。ウォーレンは俺付きの隠密だから」
確か第一王子には長男が付いていたと記憶する。姿は見えないが今日も彼に付いているはずだ。
こくりと一つ頷く。
「それで、さっきの。調査を頼もうと思う」
「はい。伺っておりました」
「聖女が狙ったのは兄上だったのか。と、裏で誰が動いているのか。だね。あとは念のため、この後の兄上の警備強化も」
「仰せのままに」
そう返事が聞こえたかと思うと同時にシュンと風が吹き、一瞬でラッセル様の姿が見えなくなった。
(え? この世界って、魔法あったっけ? チートなスキルをお持ちとか?)
まぁ……深く考えるのは止めよう。とにかく今は協力者がいる。
犯人を突き止めて、人生をやり直すのだ!
無事に終わった舞踏会から数日。
登園すると、第二王子と見知らぬ男子生徒から話しかけられた。
「サラ嬢、ちょっと話せるかな?」
「ええ」
例のガゼボへ移動する。
「あの……そちらの方は?」
「ああ、ウォーレンだよ」
「えっ? ラッセル様?」
「あ、はい。この姿でお会いしておりませんでしたね。申し訳ありません」
「いえ……あの、こちらの姿が本当のラッセル様?」
「瞳の色、以外は」
真っ赤な長髪を後ろで一つに縛り、先日とは少し違う顔だ。しかしとても整っている。元がいいと変装しても格好良くなってしまうのだろうか。少し太めの黒縁メガネは伊達だろう。その奥の瞳はこの前と変わらず、夜空のような濃紺。この瞳は色を変えているということか。
「本当の瞳の色は?」
「……真っ黒ですが」
「素敵ね。見てみたいわ」
そう言われると思ってもいなかったのだろうか。驚いたように眼を丸くして、パチパチと瞬かせている。
「あー、話してもいいかな?」
「「えっ?」」
(また見つめ合ってしまった……しかも返事、被った!)
大きく息を吸って、気持ちを入れ替える。
「どうぞ」
「ウォーレンが調査したところ、聖女が使ったのは毒ではなく、媚薬」
「へ?」
変な返事をしてしまった。
(媚薬? あの……それって誰かを誘惑的な?)
「兄上に盛って、婚約破棄させるための既成事実を作りたかったようだね」
「へぇ……」
「その媚薬を用意したのが、教会の司祭」
「何ですって!?」
「今の国王になって教会の力が弱くなっている。司祭は聖女を未来の王妃にすることで教会の力を取り戻したかったようだよ」
「それで……何で媚薬が毒に?」
「そこが問題なんだ」
「実は司祭の裏にも貴族がおりまして。そこからは私だけの力では調査しきれませんでした」
ラッセル様が『申し訳ありません』と項垂れた。
「ですが、私の父が動いております。まもなくその貴族も判明することでしょう」
ラッセル家総動員で調査しているなら、間違いないだろう。
これで繋がった。
何故、聖女が王子に渡したグラスが私に渡ったときに慌てた顔をしたのか。そしてあの時、呟いた『こんなはずじゃなかったのに』の言葉の意味が。
――ん? あれあれ? ちょっと待って。ということは……
(やだやだやだやだ! これが公になれば婚約解消なんてしてもらえないじゃない! 聖女と婚約してほしかったのに!)
急に頭を抱えて、首を振る私に2人が狼狽える。
「っ!! サラ嬢? どうした!?」
「ああ……婚約解消が……」
「「え??」」
第二王子とラッセル様の声が重なる。
「どういうこと?」
第二王子の声が低くなる。
私は顔を上げて、第二王子と視線を合わせた。
「言いましたわよね? 私、第一王子殿下に婚約解消してほしいのですわ」
「だから、何で? それ、この前から言っているよね?」
「結婚したくないからです!!」
「「は?」」
「婚約解消のためならば、国外追放でも何でもドンと来いですわ!」
「……ドン? ……国外追放……そこまでして?」
「ええ。何なら、平民落ちでも構いませんわ」
「平民――貴女が? ……生きていけるの?」
「もちろんですわ!」
両手を合わせて、ふふっと笑う。
そんな私の様子を見て、二人は顔を見合わせた。
「むしろ王族になった方が生きていけませんわ」
「えぇ……あんなに聖女に突っ掛かってたのに」
今度は第二王子が頭を抱えた。
~・~・~
「調査の結果、ザッカリー・ドイル伯爵を拘束いたしました。彼は側室派で第二王子を次期国王にと考えていたようです」
「参ったなぁ。俺、別に国王になりたいわけじゃないし」
「そもそも王妃様も側室様も対立などしておりませんからね。貴族たちが勝手に派閥を作っているだけですから。しかしこれは派閥を一掃する好機かと。国王陛下にご報告し、速やかに処罰いたします」
「頼んだよ」
俺は執務室で報告を受け、ふぅと、ひと息つく。
次期王位争いで第一王子の暗殺など。
異母兄弟とはいえ、仲は良い方だ。王妃様も母上も争ってなどいない。
自分たちの知らぬところで起こっている事態に何ともいえない気持ち悪さを感じる。
サラ嬢がいなければ、きっとまた狙われていただろう。そう考えれば感謝しかない。彼女は代わりに死ぬところだったのだ。そして幸運にも助かった。さらには性格や思考まで変えて。
「性格が良い方に変わったのはいいが……思考まで変わってしまうとは。兄上はあの婚約者を一体どうするのだろう」
執務室に一人。つい、そう呟いていた。
~・~・~
聖女の件は伏せられたが国王陛下の教会への信頼は地の底に落ちた。聖女を唆した司祭は追放され、新しい司祭には王族の分家の者を迎えた。
そして貴族の派閥は一掃され、問題のあった家は爵位を返上させられた。例外なく。
今回の件で第一王子の命を救ったとして、その婚約者サラ・フローレスは国王陛下に呼び出されていた。
「この度の出来事の褒美を授ける。サラ嬢、そなたの望みは何か、申してみよ」
「勿体無いお言葉、有り難き幸せにございます」
私は深く礼をする。そして顔を上げる。
「では第一王子殿下との婚約を白紙に戻して頂けますでしょうか」
「……なに?」
陛下の顔が強張る。
「私はあの時、一度死んだのです。殿下と婚約していた私はいなくなりました。理由はそれだけではありません。服毒の影響も少なからずあるでしょう。将来の王を産めるかどうかも分かりません。ですから今のうちに婚約を白紙に戻し、第一王子殿下にとってより良い婚約者をお選びくださいませ」
もう一度、深く深ーく、礼をする。
「それが『褒美』か?」
「左様にございます。この国の繁栄こそが私の褒美でございます」
「分かった――そなたに褒美を取らせよう。今をもってシリル・ゴールドスタイン第一王子とサラ・フローレスの婚約を解消し、白紙に戻す」
「畏まりました」
(や……やった!! ついに、ついに!!)
嬉しくてプルプルと震えてしまう。
ダメだ! 屋敷まで我慢だ。
此処で喜びを爆発させる訳にはいかない。
白紙が白紙になる前に。
王城を出て、屋敷に戻る。
自室に籠り、歓喜に沸く。
私が落ち着きを取り戻したのは両親が王家からの通達を受け、慌てて私の部屋に駆け込んで来てからだった。
次の日。
学園に登園すると第一王子と私の婚約解消はすでに広まっていた。
周囲からの可哀想な子を見るような視線を感じながら、それでも緩みそうな口元を引き締めて教室までの道程を急ぐ。
(気を抜いたらスキップしそうだわ……)
そんなことを考えながら早歩きしていると、後ろから呼び止められた。
今、一番会いたくない人、その人に。
「サラ!」
「第一王子殿下。おはようございます」
「なんで? ……なんで急に婚約解消なの?」
「理由は国王陛下にお伝えしましたわ」
「それは聞いた! でも違う! 私が聞きたいのはそんなことではない!」
「では、どのようなことですの?」
「君は……私の事を好きなのだろう?」
(え? 今、なんて? ――散々、嫌そうにしていて、見せつけるように聖女とラブラブだったのに? いやいや。そもそも好ましくない態度とってたじゃない! どうしたらそんな人、好きになれるのよ? 容姿と家柄が良いからって、調子に乗るなよ?)
「えっと……好き、ではないですわね」
「え?」
「婚約者以上の気持ちはありませんし、どう考えても、殿下の態度を好ましくは思えません。考えてもみてください。私が殿下と同じように他の異性と腕を組んで歩いていたら、婚約者として好ましいと思いますでしょうか?」
「うっ。それは……」
「ご理解いただけたようですわね。では、私はこちらで失礼いたしますわ」
「……サラ……」
振り返らずに歩く。
教室に着くといつもと変わらず、やっぱり静まり返ってしまった。
(大丈夫。きっとそのうち落ち着く)
そう思いながら、ゆっくり席に着いた。
「やってくれたね」
「えっ?」
目の前に立った影に顔を上げると、クスリと笑う第二王子がいた。
「願いを叶えたんだ? スゴいね」
「ありがとうございます」
「どう? 気分は?」
「最っっっ高です!」
満面の笑みで答えると、一瞬、呆気に取られていたがすぐにお腹を抱えて笑い声を上げた。
「やっぱ最高だよ、サラ嬢。俺と婚約しない?」
「お断りいたしますわ」
「即答! ……結構、本気なんだけどなぁ?」
「王家に嫁ぎたくないのになんでわざわざ第二王子殿下と婚約しなければならないのですか?」
「えぇ。サラ嬢のためなら婿に入るよ?」
「何を仰っているのか、理解出来ませんわ」
「まぁ時間はまだまだあるし。気長に口説くから覚悟してね」
そう言って、第二王子はひらひらと手を振りながら自分の席に戻っていった。
(誰が折角手に入れた独身チャンスを無下にするというのか! ないない!)
昼休みになり、第二王子から逃れるようにガゼボへと向かう。
人気のないそこに着くと綺麗に掃除された椅子に腰掛ける。身軽になった心とガゼボに吹き抜ける風が心地よい。
「やはりここでしたか」
(え?)
「――ロイド様?」
思いがけない人物の登場に吃驚していると、
「隣、いいか?」
「ハワード様?」
答えなど待たずにハワード様は私の隣に腰掛けた。向かいに座ったロイド様が口を開く。
「シリル様との婚約を解消したと聞いた」
「ええ。しましたわ」
「それは、貴女の望みだったとも聞いた」
「ええ。そうですわ」
「本心か?」
「え? ええ。もちろん」
「毒の副作用を気にしていたとも聞いた」
「はい。でもそれは、一因に過ぎません」
「では、本当に殿下と結婚したくなかったのか?」
「ええ」
そこまで聞くと、二人は黙った。
私は止めていた手を動かし、ランチを続ける。
不意に手を掴まれた。隣に座る人物を見る。
「ハワード様? これでは昼食が取れませんわ」
「俺では駄目だろうか?」
「は?」
(何が?)
「うちは兄も妹もいる。子どもが出来なくても気にする必要はない」
「……え?」
「アラン。それを言えば、私の家も同じだ。跡取りなど、どうにでもなる」
「えっと? 何のお話ですの?」
「「貴女の新しい婚約者の話だ」」
「はぁ?」
(なに言ってるの? だ・か・ら! 婚約解消から昨日の今日で、どうしたらそんな前向きな話になるのよ?)
「婚約する気はありません!!」
さっさとお昼を食べ終え、教室に戻ろうとゆっくりする間もなくガゼボを後にした。
帰り道、怒涛の今日一日を振り返る。
ゆったり歩いていると屋敷の塀に寄りかかる一人の青年がいた。
私を見つけると壁から背中を離し、近づいてくる。
「こんにちは、サラ様」
聞き覚えのある声に少しホッとする。
「こんにちは、ラッセル様」
「少しお話しても宜しいですか?」
「ええ。喜んで」
立ち話も何なので、うちのサロンを案内する。
「どうかなさったの?」
「少し心配しておりました」
「え?」
「先日、貴女からあのような話を聞いて……もしかしたら貴女がいなくなってしまうのではないか、と」
「……そう、でしたか」
今日、初めて視線が合う。
「――あっ!」
「え? どうかいたしましたか?」
「その瞳……」
「えっ、あっ!」
ラッセル様は今、気がついたようにハッとした。
そして少し眼を伏せて、頭を掻く。
「そのまま、来てしまいました……」
気まずそうにするラッセル様が少し可愛くて、ふふっと笑ってしまった。
それを見たラッセル様も安心したように笑った。
(ラッセル様の笑った顔、初めて見るわ)
「思った通り、綺麗な瞳ですね」
正直に感想を言うとラッセル様が顔を赤らめた。しかしすぐに私に向き直ると、真剣な顔をした。
「サラ様。貴女にお話があります」
「何でしょうか?」
「今すぐではなくていいので……どうか私の婚約者になることを貴女の選択肢に加えていただけませんか?」
「え?」
「急に驚かれますよね。そして婚約解消して間もないのに、こんな話をしてしまって……申し訳ありません。ただ、今、言わなければ後悔すると思いました」
「何故?」
ラッセル様は、ふっと笑って言った。
「私は隠密ですよ?」
(……ん? 何の関係が?)
私が首を傾げると、いつもは無表情に近い顔をニコニコさせながらラッセル様が答える。
「今日だけで何人に求婚されました?」
「……あっ!」
「そういうことです」
ラッセル様はふわりと笑う。そんな優しい笑顔に見惚れてしまった。
(ラッセル様! 調子が狂います! 私の心を掻き乱さないで欲しい)
「かっ、考えておきますわ……」
そう返すだけで精一杯の私。そんな私を愛おしそうな瞳で見つめるラッセル様。
「はい。よろしくお願いします」
彼はまた私に優しく笑いかけた。
ラッセル様だけは私に挨拶から話かけてくれた。押し付けじゃなく、私に寄り添った話し方で。
当たり前の言葉たちは私の前世には失くなってしまったものばかりだった。
おはようも、おやすみも、いってきますも、いってらっしゃいも、ただいまも、おかえりも、いただきますも、ごちそうさまも、ありがとうも、ごめんねも。
全部、何もかも失くなっていた。
夫だった彼は私の名前すら呼ばなかった。
でも……きっと、これからは。
素敵な恋が出来る予感がする。
何といっても、経験値二倍、だからね!!
二回目の人生、楽しませていただきます!
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続編、出来ました!
『悪役令嬢に転生した真面目な主婦のお相手は隠密組織の貴族様?』
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