アンシュという青年
ラーヒズヤが公爵邸へ向かったので、俺はひとまずニシャの元へ戻った。
「体はどうだ?痛いところはないか」
「はい。ルドラさまのおかげです」
ベッドから起き上がっていたニシャはヒーリング魔法のおかげか随分と顔色も良くなっているようだ。もしかしたら彼女にぴったり寄り添っている双子のちびっ子狼たちのおかげかもしれないが。
「それで、何があった」
俺がベッドの傍らに腰掛けると、ニシャは躊躇いがちに口を開いた。
「屋敷に・・・ルドラさまからの贈り物が届いたんです。きっと仰っていたドレスと宝石だと思い、それは私のですと言ったんです」
そこまでは普通だな・・・
「・・・けど・・・無理矢理盗られてしまって・・・それで、折檻を・・・」
「いや、何故そこで折檻が出てくる」
「それは・・・」
ニシャが辛そうに視線を外す。
「ここからは、俺が」
声をあげたのは異母兄のアンシュだった。
「でも、兄さま」
“兄さま”と呼ぶニシャの斜め上目線がかわいすぎる。ぐ・・・っ!何か負けた気分っ!
「大丈夫だ、ニシャ」
アンシュがニシャの手を握る。
「3秒!」
俺は思わず立ち上がった。
「は、はいっ!」
俺が告げるとアンシュが慌ててその手を放す。
「こら」
ぺしっとシロナに頭を叩かれ大人しく席に着く。もはや条件反射になってないか?俺。
「わかった。聞こう」
俺がそう答えると、ゆっくりとアンシュが語りだした。
「あの家では、ダーシャが1番偉いんです」
は・・・?たかだか公爵令嬢・・・しかも次女だろ?
「物もドレスも宝石も、全てダーシャのもので、ダーシャに最優先に与えられます。命令も食べたいものも、使用人もダーシャが最優先。表向きは王子の婚約者として恥ずかしくないものを揃えるため・・・です」
いや・・・王子の婚約者だからって家を牛耳っていいわけじゃないし、王子の婚約者として必要なものならば王子が揃えろよと言いたいのだが。
「だから、侯爵さまからニシャに贈り物が届いた時、ニシャが自分のものだと主張して公爵夫人が激昂したんです」
「“それ”はニシャの実母じゃなかったか?」
継子のアンシュだけではなく、何故実子のニシャまで・・・?
「えぇ・・・ですが、公爵夫人がかわいがっているのは・・・ダーシャと、跡取りのアニクだけです。理由はわかりません」
「ますますわけがわからないな」
「えぇ。本当に・・・。それで公爵夫人が激昂し、ニシャを殴り他の使用人たちも加わりました。俺は使用人たちにとり押さえられ、ニシャを助けることもできず・・・。ニシャは地下牢に幽閉されました。その時の公爵夫人の怒りようはひどいもので・・・ニシャを早く助けなければ命の危険があると直感しました・・・けれど俺は逃げられなくて・・・。逃げればまたニシャに躾をすると・・・」
躾・・・ねぇ・・・?
「俺はその牢の場所を教えてはもらえません。かといって使用人たちに捕まって逃げられませんでした。けど・・・ダーシャがドレスを着て宝石を身に着けると、突然ネックレスが首を絞めつけ屋敷中がパニックになりました」
あぁ・・・俺が付けた防犯魔法が発動したのか。バカな女だ。
「その瞬間、使用人たちの拘束が外れて今しかないと思ったんです。けど、俺は地下牢の場所を知らない・・・だから侯爵さまの元へ向かう方が早いと思ったんです。妹からは侯爵さまがとても良い方だと伺っていましたから・・・妹を助けてくれるのではないかと・・・」
そりゃぁ・・・ニシャのためなら俺はすぐに行くし・・・実際行ったしな。
「どうやってウチの屋敷まで?外は土砂降りだっただろう?」
「えぇ・・・でもたまたま見回りの騎士の方がいらっしゃって、すぐに侯爵邸まで行かないと妹の命が危ないと言うと馬で送ってくださったんです」
そうか・・・その騎士はなかなかできる奴だな。
「そして侯爵さまは妹を助けてくださって・・・何と礼を言っていいか・・・」
「いや、婚約者としてニシャを守ることは大切なことだ。しかし、ひとついいか」
「はい」
「このことを公爵は?」
「・・・あのひとは・・・ほぼ領地や出張で家を空けています。母が亡くなる前までは年に何度か別邸に帰ってきて母と食事をとってはいましたが・・・」
やはり横恋慕して公爵夫人の座におさまった女よりも、元伯爵令嬢を選んでいたということか。
「お前は一緒ではなかったのか」
それほどまでに大事にしているのなら、その実子であるアンシュは・・・?
「あのひとは俺を怨んでいましたから。俺を産んだことで母は体を悪くして・・・それを俺のせいだと思っていましたから。あのひとが愛しているのはあくまでも・・・母ひとりだったんです。その証拠に、母が亡くなってからは一度も別邸には帰ってきませんでした」
「それで放ったらかしか」
「・・・はい」
それでも、ニシャとアンシュは仲が良かったことはニシャから聞いている。アンシュが今回俺に助けを求めたのなら、ニシャは送り迎えの馬車以外はいつもひとりで俺の屋敷に入ってきた。だから俺にその現状を訴える機会はあったはず・・・何故、ニシャがそれを俺に言えなかったのか・・・
「・・・アンシュを人質に取られてたのか」
その言葉を呟いた途端、ニシャの目から涙がこぼれおちた。
「ニシャ・・・」
「だって・・・兄さまが・・・」
「俺のことはいいから・・・ニシャだけでも侯爵さまに保護してもらおうと思っていました・・・侯爵さまの話をするニシャはとても嬉しそうで・・・だから・・・」
「でも、兄さまをおいていくことなんて・・・」
互いに手を握り合うふたり・・・。
何故かシロナに肩へ手を添えられる俺。
いや、さすがにこの場で3秒とかは言わないからな!?さすがに!!
「お前は・・・ダーシャの側に置かれていたのか?」
「・・・はい・・・ダーシャの側で使用人として仕えていればニシャの身の安全は保障すると。夜にはさすがに別邸に返してもらい、ニシャと過ごせましたが・・・。最近は夜になってもなかなか解放してくれなくて、日々帰るのが遅くなっていって・・・。他の使用人もいるので逃げることもできず・・・」
何と言うか・・・異様な執着だな・・・。そして俺がアンシュの顔を見て徐々に思い出したことがある。
アンシュは隠し攻略対象だ。まさかとは思うが・・・ヒロインも転生者というよくあるパターンじゃないよな・・・?それならばアンシュに執着する理由もわかる気がする。
彼女がアンシュ推しか・・・それとも逆ハー狙いか・・・どちらかはわからないが。
しかしながら、ここで妙な点に気が付かないだろうか・・・?
アンシュはヒロインとニシャの異母とはいえ兄なのである。
前世の原作ゲームでは表向きはアンシュは異母兄ではなく、あくまでも遠縁の子で公爵が理由あって屋敷に置いておく・・・と言う設定である。
しかし現実は異母兄と言う立ち位置なのだ。だからもしもヒロインとアンシュが結ばれれば兄妹婚となってしまう。しかしながらこの話には裏がある。実は公爵とくだんの元伯爵令嬢・・・つまりはアンシュの母は異父兄妹なのだ。元伯爵令嬢は公爵が溺愛する妹。しかもアンシュの父親が・・・国王陛下の父・・・つまりは陛下の異母弟でもある。こんな事実は公にはできないため、彼らが兄妹と言うことも伏せられ、アンシュの父は公爵となったのだ。
そして異父妹が妊娠させられたことで先王を怨み、そしてその命を奪うきっかけとなったアンシュに冷たくあたる・・・。
そしてこれは原作ゲームにおける裏設定でもある。
・・・忘れてた。てか、いまさっき唐突に思い出した・・・。
原作ゲームと現実には少しだけ差異があるものの、この裏設定は共通だと思う。アンシュは国王陛下によく似ている・・・いや、似すぎだ。
公爵がアンシュを隠し、外に出さぬようにしたのもそこが根本的な原因ではなかろうか。
彼らはこの事実を知っているのだろうか。いや・・・知っているものは王太后と公爵だけの機密。国王陛下すらその事実を知らされていないのだ。だが、それはあくまでゲームの設定であり、あの陛下なら知ってるかもしれないが・・・。