大公令息・イシャン
―――そして夕刻
「ほら、イシャン。みなさんにご挨拶しないと」
腰まである長い黒髪を右側に一つに束ねて前に流した、和風美人な女性が優しく微笑みかける。因みに前髪はぱっつん、色白の肌に思慮深げなアプリコットオレンジの瞳。
その女性は、騎士団長ドゥルーヴの妻で、大公夫人のアデラさんだ。
そしてそんなアデラさんに付き添われているのは・・・
跳ねっ毛のある銀髪に本来なら思慮深げなアプリコットオレンジの瞳を持つ美しい顔立ちの青年・イシャンだが・・・現在は狼狽えるように目の焦点が合っておらず、何だかかわいそうになってくるくらいだ。
「あ・・・ああああぁぁぁぁっっ!!!嫌だっ!!ぼくはもう帰るうううぅぅぅ―――っっ!!!」
「あらあら・・・やっぱり知らない女性に会わせるのはまだ早かったかしら」
のほほんと答える、大公夫人。
「ん・・・わふたんセラピーはいいと思ったのだが」
真面目な顔でそう答える大公・ドゥルーヴ。確かにわふたんセラピーは最高だ。だがしかし、いきなり外に連れ出され、わふたん以外の女性・・・ニシャとディクーシャを見るなり発狂する、ドゥルーヴとアデラさんの息子・・・大公令息のイシャン。
ニシャに発狂するとは許せんが・・・まぁ、事情が事情なので今日は見逃そう。
「ほぅ~ら、イシャンが大好きなシロナお姉さんですよ~」
アデラさんはウチのふわもふ白い毛並みのわふたんお姉さん・シロナを示すが・・・
「いやぁ~~~っっ!!!女なんて嫌だあああぁぁぁぁっっ!!!」
・・・よくもまぁ、こんなになるまで追い詰めたな・・・。あのダーシャと言う女・・・一体何をしたら、こんなにまで・・・。
「このににだれ?」
「へんなとおぼえ」
と、きょとんとしながらドゥルーヴの足元で様子を窺っているのは・・・
ウチのちびっ子狼双子のソラとシエル。シエルは女の子だが・・・大丈夫だろうか?
ドゥルーヴはウチのアイドルの前で跪く。
「おじさんの息子なんだ。仲良くしてやってくれ」
「ああああああ――――――っっ!!!」
よくもまぁ、ちびっ子に発狂している息子を普通に紹介できるな。逆にすごい。やっぱり騎士団長は桁違いだ。・・・いろんな意味で。
「ふーん」
「べつにいーよ」
いいのか・・・。ウチのちびっ子狼たちは優しい子だな。
「にに、だいじょぉぶ?」
「とおぼえはね、こやってやるんだよ?」
ちびっ子狼たちがとてとてとイシャンに近づき、ぽふぽふと頭を抱えてうずくまるイシャンの腕に触れる。
「え・・・わふたん・・・?」
女性恐怖症で錯乱しようとも犬科・・・わふたんへの愛を忘れていないとは・・・まぁ、そこは感心してやろう。うん。
『わっふあおおおおおぉぉぉぉぉんっっ!!!』
「ん・・・めんげぇ」
2匹のちびっ子狼たちのとてもかわいらしい遠吠えに父親狼のクロが満足げに頷き、俺はクロとすかさずハイタッチする。
「わふ・・・わふわふ・・・あおぉん・・・」
「わふわふ?わふぅ」
「あおぉんっ」
・・・何とか平静を取り戻した様子のイシャンだが・・・何故かちびっ子狼たちとわふたん語で会話しだした。
「あらあら、会話までできるようになるなんて・・・シエルちゃんは女の子だから・・・これって一歩前進かしらね」
呑気に微笑むアデラさんだが・・・
「えっと・・・わふたん語になっているのは・・・前進しているのか・・・?むしろ後退していないか・・・?」
ラーヒズヤのごもっともな指摘が入る。
「え?面白いしいいんじゃない?」
ハリカは相変わらず能天気だ。
「ほらほら、イシャンくん。クリシュナくんだよ!初めましてだよね」
そう言ってハリカがクリシュナの両肩に手を添え、イシャンの前に連れて行く。
「・・・っ!」
そしてクリシュナを見上げたた瞬間、イシャンは目を見開く。
「なんて・・・可憐な子・・・なんだ」
「は、初めまして。大公令息さま。ナディー魔法伯爵家のクリシュナと申します」
クリシュナは初対面の大公令息に対し、とても丁寧なあいさつをする。さすがは元公爵令息。そして今は魔法伯令息だ。
「・・・っ!君は・・・く、クリシュナ・・・と、言うんだね」
「はい」
「き・・・君となら・・・ぼくも・・・っ!」
ゆっくりと立ち上がり、イシャンがクリシュナの手を取る。そして頬を赤らめて・・・
「あらあら、イシャン。ダメよ。クリシュナちゃんはディクーシャちゃんの婚約者なんだから」
と、アデラさん。まぁ、そこは尤もな指摘なのだが・・・
ハッとしてイシャンが周囲を見渡す。
「こちらがディクーシャちゃん。とってもかわいいご令嬢でしょう?」
アデラさんがディクーシャを紹介すれば、ディクーシャが優雅にカテーシーをする。
「え・・・でも・・・女の子・・・どうし・・・?その・・・男?」
イシャンは混乱しているのか、ディクーシャを見ながら首を傾げる。
「あらあら、ディクーシャちゃんは女の子。クリシュナちゃんは男の子よ?」
「え・・・」
イシャンはピタッと固まり、ギギギギギ・・・っとロボットのように首を動かしクリシュナを見やる。
「お・・・おとこ・・・の、こ?」
「・・・はい、ぼくは・・・男・・・ですよ・・・?」
「・・・そん・・・な・・・」
イシャンはまるで100年の恋が突如として崩壊したように絶望した顔で崩れ落ちる。
そして・・・
「もう男も女も信用できない――――――っっ!!!」
「悪化しましたけど」
アデラさんを見やれば・・・
「あらあら・・・でも、大公令息として、そこら辺の分別はしっかりと持っていただかないと」
アデラさんはのほほんとはしているものの、女性恐怖症の息子に対しても容赦がなかった。まぁ、あの元バカ王子やダーシャのようになられても困るからなぁ・・・。
「うわああああぁぁぁぁぁんっっ!!!」
「わふわふ」
「にに、げんきだちて」
「うわっふううううううぅぅぅぅっっ!!!」
失意のどん底でちびっ子狼たちに励まされたイシャンは、最早わふたんの世界に身を落とすしか道はなかったのである・・・ってんなわけあるかいっ!!