4話
俺たちが住んでる世界は、産業革命くらいの時代っぽいって感じだったけど、俺はそういう歴史には詳しくないから実際のところどれくらいかは正確にはわからない。産業革命の後、どれくらい経って車ができたとか全然知らないんだが、少なくとも今この街には車っぽいものが走っていたりする。四輪じゃなくて三輪だけど。なんか昭和初期とかのドラマとかで走ってそうな三輪自動車。
でも、自動車とかは走ってるけど、まだ街がそれに合わせて整備されてないから、自動車はめちゃくちゃ走りづらい。なんたって車道と歩道の概念がまだほとんどないから、歩行者が縦横無尽に行き来する中を走らなきゃいけないのだ。
一応メインストリートとかは車道と歩道が分けられてはいるけど、街全体がまだそうなっているわけではないのだ。何年もかかる一大事業だろうな、道路の整備なんてものは。
そんな車と歩行者と、ついでに馬車(まだまだ現役で走ってる)なんかも走っている道をフィオナと二人で歩く。目的地はもちろん軍事基地だ。
子供二人で行ったってどうにもならないと思うが、一度言い出したフィオナは止まったりしない。満足するまで付き合うのが処世術なのだ。処世術を語る十歳児って嫌だな。
「この地図によると、次の交差点を右に曲がって、それから三つ目の交差点を左に曲がって、しばらくしたら基地があるわね」
この間学校で配られたこの街の地図を見ながらフィオナがそう言った。もらってすぐの地図をしっかり読めるあたり、フィオナの頭は結構よろしいらしい。俺? 俺は読めるよ。別に地図音痴ってわけじゃなかったし。
「着いたらどうするんだ?」
交差点を曲がりながらフィオナに聞く。メインストリートから少し外れた道だからか、人通りは結構少ない。
「まずは守衛? さんに話しかけるわ」
「なんて」
「こんにちはー! って。挨拶は大事よ」
「挨拶は大事だな」
まあ常識も大事だと思うが。
「その後、私たち魔法使いに憧れてるんです。だから本物の魔法使いを見てみたいなって思って……みたいな感じで話を続けるわ」
「追い返されて終わりだと思うが」
「やってみなくちゃわかんないじゃない」
「それもそうだけど」
結果は見るまでもなく見えてると思うんだけどなぁ。まあ、実際やってみないことにはわからないのも確かだが。
そのまままっすぐ歩いて、交差点を二つ過ぎた。正直俺としてはこんなことせずにさっさと家に帰りたいんだが。でもフィオナを一人にすると何するかわからないし。何もしないかもしれないし、何かしでかすかもしれない。シュレディンガーの猫みたいな奴だな。可能性はフィフティーフィフティーだ。蓋を開けてみるまでわからない。
「次の交差点を左よ」
「なぁ、やっぱ帰らないか?」
なんとなく最後の抵抗を試みてみる。返事なんていうのは分かりきっているが、一応な。何かの間違いやら天変地異が起きて帰るって言い出すかもしれないし。
「ここまできて帰るわけないじゃない」
予想通りの答えで、俺はそれ以上言う気になれなかった。
そもそもなんで俺が付き合う必要があるんだとか、そう言うのは抜きにしても、あんまり基地っていうところには近づきたくないのだ。
あんまりいいイメージがないというか、別に何かされたわけでもないんだけど、何かをしてくれたわけでもないし。日本じゃ基地っていうのは基本的にマイナスイメージで語られることが多かったような場所だ。
厳つい軍人が闊歩してるようなところって感じがするし。苦手なんだよな、そういう人。まあただのイメージだから実際にはもっと違った場所なのかもしれないけどさ。行ったことないから知らないし。
でも、俺がそんなイメージを持ってるところにフィオナだけを行かせるっていうのも、やっぱり憚られるんだよな。シュレディンガーの猫って言ったけど、もちろんそれもあるんだけど、それ以上に心配だ。俺が守ってやるとかそんなことを思ってるわけではないが、こいつだって一応十歳の女の子なわけで。
軍人が乱暴するなんてことはないと思うが、きつい言葉で追い返されたりするかもしれないし。そこで俺が何かできるわけでもないけど、そばにいるだけでも多少はマシになったりするかなって。
これでも一応成人するまでは生きてた? 人間だったかもしれないし? 別にフィオナがわがまま放題の人間だからといって、それで嫌っているかというとそうでも無いしな。そもそも子供のやることにいちいちめくじらなんて立ててないし。まあ俺も子供だけど。そういう話はなしにして。
そんなこんなを考えていると、どうやら基地の目の前に着いたらしい。
鉄の門扉があって、その脇に受付? みたいなものがある。受付でいいんだろうか……? 守衛さんの詰所みたいなものかな。その門から左右にぐるっと基地を取り囲むように、成人男性よりも頭二つ分くらい高い塀が立っている。
まあ、受付に行くまでもなく、門の前に軍人さんが立っているのだが。
ピシッと軍服を着こなしていて、キリッとした表情で前を向いている。俺たちのことも視界に入っているはずだが、まあ通りすがりの子供としか見られてないだろうから特に何かを言われることもない。
軍人さんは、俺が想像してたよりも優しそうな顔をしていた。普通の人っぽいと言い換えてもいい。まあ厳つい人ばっかじゃないわな、普通に考えたら。
そんな軍人さんに、フィオナは臆することなく近づいていった。
持っていた地図は折りたたんでポケットに突っ込んでいた。
流石に目の前まで子供が近づいてきた軍人さんは、若干不思議そうな顔をしてフィオナの方を向いた。
「どうしたんだい、お嬢ちゃん。何か用かな?」
腰を下り、フィオナの目線に合わせている軍人さんを見て、見た目通りの優しい人なんだろうな、なんて思ったりした。
「突然すみません。私たち、ちょっとお願い事があってきたんです!」
普段よりも丁寧な言葉で喋るフィオナ。俺は別に魔法使いを見たいわけではなかったが、まあ別にいいか。二人で来てるんだし、私たちって言わないと不自然だよな。
「お願い?」
不思議そうな顔をさらに深める軍人さん。まあ子供が軍人さんにするお願いなんてあんまり思いつかないわな。俺だって思いつかないし。
「魔法使いにすっごく興味があるんです! だから魔法使いに会わせてくれないかなーって思ってここに来ました!」
丁寧な言葉使いヨシ! じゃねぇけど、普段俺にもそれくらい丁寧に接してくれないかな。何かあるたびに詰め寄られるのもなかなか疲れるんだが。
「君たち、お父さんとお母さんは?」
「お家にいます!」
「そっかぁ……うーん……」
なんて軍人さんが悩み始める。あれは俺たちを基地の中の魔法使いに会わせるかどうか悩んでるんじゃなくて、どうやって追い返そうかなって悩んでるな、きっと。
普通子供だけで基地なんて来ないしな。ましてや中になんて入れないだろ。
まあ俺の予想が違っていて、中に入れてもいいけどなーなんて考えている可能性もなくはない。人の頭の中なんてわかんねぇしな。
でも、案の定というか、やっぱり軍人さんが次に口にしたのは断りの言葉だった。
「ごめんけど、ちょっと難しいかなぁ。子供だけでくるにはここは危なすぎるし。どうしてもって言うんだったら、お父さんやお母さんともう一度話し合ってからまた来てくれないかな」
申し訳なさそうな顔をしてそう言う軍人さん。めちゃくちゃいい人じゃないか? 「ここは子供の来るところではない。帰れ!」みたいな感じで追い返されるのを予想してた俺としては、この対応にはびっくりだ。いや、俺の中の軍人のイメージどうなってんだよって自分でも思うけど。
「……そうですか。分かりました」
フィオナは駄々をこねて粘るのかと思いきや、意外や意外。すっと引いて引き返し始めた。ちなみにここまで俺は一言も喋っていないのはよく見なくてもお分かりだと思うが。
俺も軍人さんに少しだけ頭を下げてからフィオナに続いて引き返す。軍人さんは最後までちょっと困ったような顔をしていた。まあ子供だけでこんなところに来るなんてあんまりないだろうしな。
「お前にしてはやけに物分かりがいいな」
フィオナの背中に声をかける。俺としてはこのまま引き返して帰ることになんの異存もないが、普段のフィオナを見ている俺からしたら拍子抜けもいいところなのも確かだ。
なんて思っていたが、どうやらフィオナの考えはまた違ったらしいと俺が気付かされたのは、このすぐ後だった。
「何言ってんのよ。誰もこのまま帰るなんて言ってないわ」
そう言うと、フィオナは来た道を戻るのではなく、基地の周りをぐるりと歩くように道を進み始めた。
「……? ならどこに行くんだよ」
「魔法使いに会いに行くに決まってるじゃない。そのためにここまで来たんだから」
「いや、それはさっき断られたじゃん」
「いいのよ、そんなこと。重要なことじゃないわ。そもそも断られると思ってたし」
ええ……。さっきはいけるって言ってたじゃん。子供には甘いかもしれない的な。
「じゃあどうするんだ。別に他に何か当てがあるわけじゃないんだろ?」
あったら正面からじゃなくてそっち方面から行ってるだろうしな。まあそもそもフィオナに軍隊への当てなんてあるとは思ってないけど。ずっと一緒にいる俺が知らないんだし。フィオナの父親? あの人はちょっとな……。
「そんなの決まってるじゃない。正面がダメなら裏から行けばいいだけよ」
「裏からって……裏も同じように門があるか、この塀がぐるっと囲んでるだけだと思うぞ」
「そうね」
「そうねって……」
じゃあどうするんだよ。まさか登るなんて言い出さないよな?
「登るのよ」
登るのか。……登る?
聞き間違いかな? まさか登るなんて言い出さないよな? さっきも思ったけどさ。
「なんて言ったんだ? もう一回言ってくれ」
「登るのよ」
登るのか。
――聞き間違いじゃなかったかー!
登るってなんだよ! いや登るって言葉の意味はわかるけどさ! 読んで字の如くだよな!
「そうか、じゃあ頑張ってくれ」
さっきは心配って言ったけど、こんなことには付き合いきれん! 俺は帰らせてもらう!
「あんたも来るのよ! 当然でしょ!」
「はなせ! 俺はまだ死にたくねぇ!」
くぉ!? 首! 首はやめて! 締まるから!
フィオナさん!? よく考え直してください! 流石に基地によじ登るって言うのはまずいですよ! 深く考えない人生は生きるに値しないってソクラテス先生も言ってますよ!?
そんな俺の抵抗も虚しく、俺はドナドナされる仔牛だか子豚だかよろしくフィオナに引きずられて行ったのだった。




