22話
部屋で一人、漫画を読んでいた。少年漫画だったと思う。
敵として巨人が出てきて、主人公たちは協力してその巨人に立ち向かっていく。有名な少年漫画雑誌に連載されていた作品だった。
俺はその漫画を買い集めていた。すごく好きだったわけでは無いが、発売日を調べて新刊を買いに行くくらいには好きだった。
そんな漫画を読んでいると、無遠慮に俺の部屋に一人の少女が入ってきた。ノックもせずに勢いよくドアを開けたのは俺の幼なじみだ。そのままズカズカとベッドに寝転んで漫画を読んでいた俺の目の前にまでやってきた。
「大穴、見に行くわよ」
そう言って入ってきたのと同じくらい勢いよく出て行った。
大穴って、最近できたあの底の見えないくらい深くて、湖くらいでかいあの穴のことか?
……あんまり行きたくないんだよな、いい予感がしないし。
まぁでも、一度言い出したら聞かない奴だし、俺が何を言っても無駄だろう。大人しく従って早々に満足してもらうに限る。
俺は机の上に置いていたバイクの鍵を手に取ると、自分の部屋から出て行った。
「今回の作戦目標は市街で暴れ回っている怪物。仮コードネームは『壊獣』。神話に登場する巨大な怪物と同じ名前を付けられたわ。まぁ、あんなもの神話の世界からやってきたとしか思えないものね。少なくとも人の世界にいていいものじゃないわ」
出撃する直前、ナオミ先生からそんな話をされた。
「いくら軍事大国の帝国だって、通常兵器の効かないあんな怪物の相手をするには荷が重いわ。……あんた達子供にこんなことをやらせるなんて、大人として間違っているとは思うけど」
ナオミ先生は俺たち二人に向かって頭を下げた。
「この国を、この街を……私たちの家族を守って。お願い」
頭を下げているせいでその表情は伺えないが、悔しそうな声音から何を思っているかは伝わってくる。
「……まぁ、最善を尽くします」
大丈夫、とは言えなかった。あんなものを相手にして、大丈夫と言えるほど俺のメンタルは強くない。喧嘩だって今までろくにしたことないのに、いきなり巨大な怪物の相手をするのだ。自分で志願したこととはいえ、怖いものは怖い。
「ええ、お願い。必ず無事に帰ってくるのよ。……アインスタインさんもそれを望んでるわ」
顔を上げたナオミ先生は、俺と目を合わせてそんンなことを言ってきた。
「あいつがヴァルハラまで追いかけて文句を言いにくることがないようにしないといけませんね」
そこまで言葉を交わした後、俺とラドフォードは出撃した。
エンペドクレスを起動し、飛行術式を発動する。実験で何度も行った工程だからとてもスムーズだ。
俺たちはそのまま高度を上げると、建物がないところまで軍によって誘導された壊獣の元へ向かう。この街の建物は未だ高層建築が発達していないので、良く見通しが効く。壊獣を視認するのは早かった。
壊獣は街から少し外れた山の麓にいた。周りの木々をが薙ぎ倒され、壊獣のいる場所だけぽっかりと穴が空いているようだった。
壊獣は手足を振りまわし、周りを飛んでいる軍の魔法使いを打ち落とそうとしていた。
魔法使い達は器用に空中を飛び、壊獣の手足を交わしている。下からは帝国陸軍が戦車を出動させ砲撃しているが、壊獣は全く意に介した様子はない。通常兵器が効かないというのは本当らしい。
魔法使いはうまくかわしながら時々魔法を放っていた。こちらも壊獣に傷をつけることはできていない。
帝国軍は壊獣に対して有効打を与えられていないが、今のところ壊獣も帝国軍に大した損害を与えることができていない。壊獣と帝国軍で均衡しているように見えるが、このままいけば疲労が溜まって武器弾薬が無くなる帝国軍のジリ貧だ。
「あれ、本当に俺たちにどうにかできるのか?」
思わずつぶやく。確かに通常兵器とか普通の魔法使いにはどうにもできないとサクライ先輩が言っていたが、だからといって本当に俺たちの持つエンペドクレスでもどうにかできるのだろうか。アインスタイン少将はエンペドクレスでしか対処できないと言っていたが、そもそも何故そんなことがわかるのか。あんなものが出てきたのは、今日が初めてだろ?
「壊獣に通常兵器は効果がない。壊獣の胸にある菱形の青いコア。あれを破壊することで壊獣は生命活動を停止する。そして、あの青いコアは同じ性質を持つ物質からしか影響を受けない。エンペドクレスはあの青いコアと同じ性質を持つ。だから、大丈夫」
俺の呟きが聞こえたのか、ラドフォードからそんな回答がきた。
ラドフォードが長々と喋ったことに驚いて、ラドフォードの方を向く。ラドフォードは俺が向いたのに気づいたのか、俺と目を合わせてきた。
「なんでそんなこと知ってるんだ?」
確かに、壊獣の胸元には菱形の青い物体がある。あれがラドフォードの言うコアなのだろう。あれを壊せば生命活動を停止する、ということはあの青いコアが壊獣の心臓みたいなものなのだろう。
だが、何故ラドフォードはあのコアのことであるとか、コアとエンペドクレスが同じ性質を持つと知っているのだろうか。アインスタイン少将は万物の元に関係しているとは言っていたが、ここまで詳しい話をしてくれたわけではない。
「私は、壊獣の撃滅を目的に設計され、三千年前に製造されたアンドロイド。型番は2025QA1。名称はカレナ・ラドフォード。製造されて以降、最新アップデートまでに記録された壊獣のデータは全てインストールされている」
「……は?」
え、いきなり何言ってんのこの子は。こんな、生死の狭間に今から突っ込んでいくようなタイミングで、そんなこといきなり言われましても。
「このタイミングでいきなり冗談はよせ。言うならさっきの待機時間にしてくれ」
「冗談ではない。今までは聞かれていなかったから伝えていなかっただけ」
いつもの無機質な瞳でこちらを覗き込むように見てくる。表情がかわらないから本当に冗談じゃないのか、冗談なのかわからない。こんな場面でこんなこと言われたって困る。
「……いや、わかった。その話はこれが終わった後、改めて詳しく教えてくれ。今はあの壊獣のことだ」
この話は一旦置いておこう。今ここでする話じゃない。そんな話が始まったら俺は壊獣に集中できなくなって確実に死ぬと思う。なんだよアンドロイドって。ループしてる人も異世界人もあくまで人だったのに、ここにきて人じゃなくなるとか勘弁してくれ。せめて心の準備をさせてくれ。
「わかった」
俺の心の声が聞こえたわけではないだろうが、ラドフォードは頷くと壊獣の方に顔を向け直した。
「それで、あの青いコアを壊せばいいんだな」
壊獣に集中するために、ラドフォードが言っていたことを再確認する。まぁこの場面で嘘を吐くようなこともないだろうし、言ってることは本当なんだろう。
「そう。ただ、普通に魔法術式を撃っても、壊獣全体を包んでいる位相をずらすフィールドに阻まれて届かない。一人がフィールドを中和させている間に、もう一人がコアを攻撃する必要がある」
「位相をずらすフィールド? なんだそりゃ」
「壊獣は体全体に、この世界とはほんの少しだけ位相のずれた空間を発生させるフィールドを常に身に纏っている。このフィールドのおかげで通常兵器による攻撃は意味をなさなくなる。このフィールド自体は通常の魔法を扱うディスクでも中和することは可能だが、現在の技術で作成された通常のディスクでは出力が足りないため、中和を行うことは非常に困難。だから、私かあなた、どちらかがフィールドを中和し、どちらかがコアを攻撃する必要がある」
スラスラと説明してくれるラドフォード。……本当に壊獣のことを知ってるっっぽいな、こいつ。
しかし、位相をずらすフィールド、ねぇ……。完全にSFとかファンタジーの世界だな。いや、魔法使いなんて存在がいたんだから元からファンタジーじみた世界ではあるのだが。
「フィールドの中和ってどうやるんだ?」
「言語で説明するのは難しい」
「じゃあ俺がコアを攻撃する方をやる。中和の方はラドフォードに頼んだ」
「わかった」
言語で説明するのが難しいってなんだ。じゃあ何で説明できるんだ。
なんて思ったから、俺は迷わず攻撃する方を選んだ。言語で説明するのが難しい事柄を俺が理解できるかなんてわからないしな。できないことをこんな大一番でやる必要もないし、説明することが難しいって言ってるってことは、説明できるほどに理解してるってことなんだから、理解しているラドフォードがやった方が確実だろう。
なんてやりとりをしていると、近づきすぎた戦車が暴れていた壊獣に踏み潰され、爆発する。爆風に煽られた一人の魔法使いが体制を崩し、振り回された壊獣の腕に当たり吹き飛ばされた。
「……!」
声にならない悲鳴をなんとか飲み込む。壊獣の腕に当たった魔法使いが、手足をちぎれさせながら吹き飛ばされるのが目に見えた。あれではおそらく助からないだろう。……いや、おそらくではなく、助からない。
……ああ、くそ。目の前で人が死んだ。さっきの街中で光線を放った時だって大勢の人が死んでいただろう。でもそれは俺の目には入らなかった。だから意識していなかった。
だが、今目の前で人が死んだ。爆発した戦車の中にも人が乗っていただろう。
……死ぬのは怖い。出撃する前だってそう思っていた。そして、今も改めてそう思う。これから、一歩間違えれば俺もああやって手足をちぎれさせながら死ぬかもしれないのだ。
一瞬、逃げ出してしまおうか、なんて思いが湧き出て、それを頭を振って心から追い払う。今更の話だ。俺はフィオナに死んでほしくないからここに来たのだ。俺が逃げ出すなりなんなりしてしまうと、結局フィオナがここに来てしまうことになる。普段の勝ち気で強引で成績優秀なフィオナならなんとかなるかもしれないが、今日のあいつはダメだ。
……自分で選んだんだろ、俺。
「さっきも言った。あなたを死なせたりはしない」
隣から声がかかった。
「……ありがとう」
……もうここまできてしまったのだ。後はできることをするしかない。心強いし、情けないことでもあるが、ラドフォードが二回も死なせたりしないといってくれている。これ以上怯えたってどうしようもない。
俺とラドフォードは壊獣に近づいていく。俺たちが近づいてきたことに気づいたのか、連絡が入ったのか、それまで壊獣を激しく攻撃していた帝国軍の攻撃が散発的になった。俺たちを巻き込まないようにするためだろう。壊獣の足元を中心に、妨害するような形に切り替わった。
だいぶ壊獣に近づいたところで、俺は改めて壊獣をじっくりと見定めた。
猪とライオンを足して割ったような頭部。口からは牙が覗いている。全身にびっしりと黄土色のような毛が生えていて、手足の指はそれぞれ五本ずつある。立ち上がった姿は人型の巨大な化け物だ。俺の身長なんて壊獣の手のひらよりも小さい。握り潰されたら一発で死ぬな、あれは。
よくよく見ると、時々体がずれて見える。棒を水の中に刺したときに、水の外と中で見え方が違う。ああ言う感じに、何か隔てているかのような見え方をする。たぶん、あれがラドフォードの言っていた位相のずれを発生させているフィールドとかいうやつだろう。
「では、私は中和を開始する。あなたは壊獣のコアを貫けるよう、魔法術式を組んでおいて」
「了解。中和が終わったら教えてくれ」
「わかった。中和が終わり次第合図をする。私は中和の精度を上げるためにもっと壊獣に近づく。あなたは私が合図を送ったらコアに向けて魔法術式を打ち込んで」
「それも了解。俺はここで魔法術式を組んでるから、気をつけて近づいてくれよ」
ラドフォードは頷くと、一人で壊獣まで飛んで行った。
魔法使いたちが牽制を続けているおかげで、壊獣はいまだに手をブンブン振っている。顔の前に飛んできた羽虫を追い払うような動きだ。まぁ、あの壊獣にとって俺たちは羽虫みたいな存在かもしれないが。あの中に近づいていくには、相当の勇気と飛行技術が必要だろう。
……それにしても、なんだろう。俺はあの壊獣の凶悪な面を見たことがある気がする。サクライ先輩と行った遺跡の地下にあったモニターでの映像ではなく、直にこの目で見たような。すごい既視感がある気がするのだ。
だが、それはおかしいだろう。あいつは今日初めて俺たちの目の前に現れたのだ。それ以前は音沙汰なんてなかった。こんなものが出てきてたら一大ニュースになって国中を駆け巡るはずだ。しかしこれまでそんなことは一度もなかった。だから、この壊獣を見たのは今日が初めてで間違いない。
俺は魔法術式を起動する。士官学校の授業の一環で習った、貫通力の高い術式だ。本来は装甲車のようなものを貫くために用いるような術式。
ラドフォードが壊獣に肉薄する。壊獣に向かって手をかざすと、胸の青いコアが光だした。おそらくフィールドの中和を始めたのだろう。
胸元が光ったからか、自らのフィールドが中和されていることに気づいたからか。壊獣は口を大きく開けると、地鳴りのような咆哮を上げた。ブンブンと振り回すだけだった腕を一旦止め、視線を目の前にいるラドフォードに固定する。自分のフィールドを中和しているのがラドフォードだと気づいたのだろう。
羽虫を追い払うように適当に振り回されていた腕が、明確にラドフォードを狙って振るわれるようになった。ラドフォードは壊獣の腕を避けながら、中和を途切れさせずに続けている。
その光景に、やっぱり俺はどこか見覚えがある気がしていた。暴れる怪獣と、応戦する人。あの壊獣は確か『哺乳類型』とか呼ばれていて、様々な哺乳類としての特徴を持っているらしい……なんて、俺はどこで聞いたんだ? ここに来るまでに、そんな話は聞いたことがないはずだ。
何度も感じる既視感に、知らないはずの知識を知っている。サクライ先輩と遺蹟に行った時からだ。
一体なんだというんだ。俺は、俺の知らないところで何を知っている? 何を見たことがある? サクライ先輩の言う、ループの話にまつわることか? 俺にもループの記憶が断片的にあるとか? ……いや、そういうことではないということも、なんとなくだがわかる。
俺は確信を持って『壊獣を見たことがある』と言える。何故だかはわからない。わからないが、そう確信できる。だが、どこで? どこで見たんだ、俺は。
今生の記憶ではありえない。では前世の記憶か? いや、前世の記憶にも壊獣の記憶なんてものはない。でも、確かにどこかで見たんだ。
——そうやって、考え込んでいたのが悪かったのだろう。俺の知らない、俺の知っている事柄に混乱して、ここがどこなのかということが頭からすっかり抜け落ちていたのが。
「避けて!」




