20話
「よく来たな」
作戦司令室、と書かれたネームプレートの掲げられた部屋に入ると、黒い髪の男性が机越しにこちらを待ち構えていた。
黒い髪に、目は赤い。厳しく細められた表情は、どこかフィオナの面影を感じさせる。
ナオミ先生に駐屯地に連れてこられた俺たちは、そのまままっすぐこの部屋に連れてこられた。駐屯地は出撃準備に沸き立つ人たちで騒々しかったが、この部屋は一転、打って変わって静寂に包まれていた。
「パパ……」
部屋で待ち構えていた人物が、フィオナの父親だった。名前は確か、ハリー・アインスタイン。軍の関係者だと聞いていたが、どうしてここに? さっきナオミ先生もフィオナの父親が説明してくれると言っていたが、今回のことについて事情を知っているということなのだろうか。
「アインスタイン少将、お待たせいたしました。フィオナ・アインスタイン以下、同部隊員4名お連れしました」
ナオミ先生がフィオナの父親に敬礼をしながら報告をする。
少将だって? めちゃくちゃ偉い人じゃないか。関係者どころの話ではない。軍のトップで、何千何万という人を指揮する立場の人間だ。全然知らなかった。
「ご苦労だった。下がってよろしい」
「はっ。……ですが、私はこの子達の指導教官ですので、残って一緒に話を聞きます」
ナオミ先生はそう言うと、俺たちの後ろに立った。
「好きにしたまえ」
……フィオナとフィオナの父親——アインスタイン少将は仲が良くない。喧嘩をするとか、そういう意味ではなく、そもそもこの二人はほとんど一緒にいない。幼いころフィオナの母親が亡くなってから、アインスタイン少将はほとんど家に帰ってこなくなった。フィオナの世話も親戚の人に任せっきりで、俺はこ二人が会話らしい会話をしている姿をもう数年サッパリ見たことがない。だからこそフィオナは父親の話は全くしないし、俺はフィオナの父親が軍でめちゃくちゃ偉い人だなんて知らなかった。
母親が死んでから家に寄り付かなくなった父親に、フィオナは苦手意識を持っている。捨てられた、と思ってもいただろう。口には出さなかったが。
そんなアインスタイン少将が、今回俺たちを招集した。
フィオナは大丈夫なのだろうか。
「今回の件について、お前たちに任務を言い渡す」
アインスタイン少将が言った。
「フィオナ・アインスタインとカレナ・ラドフォードは現在市街を破壊している壊獣の撃破に出撃。他、同部隊員三名は別命あるまで待機だ」
感情を感じさせないアインスタイン少将の声。
俺は一瞬、何を言われたのか理解できなかった。言葉は耳に入っていたが、言われた内容が信じられなかったからだ。
俺たちが招集された理由は、外の怪物のことに関してだろうなとは考えていた。だが、今アインスタイン少将はなんと言った? フィオナとラドフォードで怪物の撃破をしろと言ったのか。
……徐々に頭の中に浸透していく。——いや、率直に言って死ぬだろう、それは。よしんば死ななくても無事では済みそうもない。人間の何十倍あると思ってるんだ? 大きさはわかりやすい力だ。それに加えてあの光線。正直、近づく前に消し炭にされそうな気がする。
「パパ、何を言っているの……?」
フィオナが力無くこぼした。普段の様子とは全く違う。
「壊獣の相手をすることができるのは、エンペドクレスに適性のある者だけだ。そして現状、エンペドクレスを扱える適正のある者はお前たち4人だけであり、万が一に備えて二名は待機。実験の成績の良かった二名に迎撃に出てもらう」
「あんなのの相手をしろっていうの!? どうにかできるわけないじゃない!」
フィオナが叫んだ。
「フィオナ。これは命令だ」
アインスタイン少将の冷たい声音に、フィオナが怯む。そこに親子の情のようなものを感じ取ることはできなかった。
エンペドクレスを使う人間にしか倒せない? 正直に言って、意味がわからない。どうしてそんな縛りプレイじみた行動を強要されなければならないのか。普通の兵器や魔法使いでは駄目なのか?
「待ってください。何故エンペドクレスに適性のある人間しか相手にできないのでしょうか。国民を守るために軍がいるのでは? 俺たちは士官学校に在籍しているとはいえ、まだ学生です。いきなり呼び出されて、怪物の相手をしろと言われても意味がわかりません」
父親の様子に怯んで二の句の告げられなくなってしまったフィオナに代わり、俺が思ったことをぶつける。何故学生である俺たちがいきなり命をかけて怪物の相手をしなければならないのか。あんなものの相手をするのなんてごめんだ。できることなら誰かに代わりにやってもらいたい。俺は平穏無事に生きていたいのだ。そのために俺の家族とか友達とかの誰かが死ぬのなんていうのも、もちろんごめんだが。
そんな俺の内心なんて知る由もないだろうが、アインスタイン少将は少しだけ理由を話してくれた。
「あの壊獣も、エンペドクレス同様『万物のもと』に関係している。故に同じ万物のもとに関係しているエンペドクレスでしか対処することはできない。現在、エンペドクレスはお前たち4人専用に調整された四機しか存在しない。理解したのなら出撃の準備をしろ」
怪物が万物のもとに関係している? なんだそれは。
……いや待て、何か引っかかる。俺の記憶の片隅に何かがある気がする。
いつも通りに過ごしていた日常。慣れ親しんだ我が家に帰って、たまたまテレビで見た緊急ニュース。巨大な黒い大きな穴。幼なじみとともに覗き込んだ。街に現れた巨大な影。特撮とか、SFやファンタジーの世界に迷い込んだのかと見紛う光景。壊獣。
あの怪物には、壊獣には何か目的があって、それを阻止しなければ大変なことになる。ボロボロに崩れ落ちたビルに、潰れた虫けらみたいに踏みにじられた日常。俺たちはこれ以上どうにかさせまいと、その壊獣の目的を阻止しようとして、何度も何度もどうにかしようとして、それで——
「あんなのの相手をして、無事でいられるわけないわ。パパは、久々に会った娘に死ねっていうの……?」
絞り出したようなフィオナの声に、記憶を掘り起こそうとして飲まれそうになっていた俺の意識が現実に帰ってくる。
なんだったんだ、今のは。あれは……俺の記憶なのだろうか? いったいいつの? 前世の記憶とはあまりに似つかない。
「お前が戦わなければ、大勢の人間が死ぬのだ」
「いきなりそんなこと言われてもわかんないわよ!」
……サクライ先輩が、フィオナのことを常識的だと言っていたことを思い出す。小さい頃は魔王だとかなんだとか言っていたし、つい最近も似たようなことを言っていた。
けれども、内心ではそんなものは『あり得ない』とも思っていたのだろう。常識的に考えて、そんなものがいるはずがない。そう考えていたから、今この状況で抵抗しているのだ。ありえないはずの現実が突然のしかかってきて、どうしたらいいのかわからないのだ。
フルトは何も言わない。どうするかということについて、おそらくはフィオナに任せるつもりなのだろう。ナオミ先生も見ているだけだ。
「アインスタイン少将の言ってることは本当だぜ? あの壊獣は僕含め、普通のディスクしか使えない魔法使いにはどうしようもないし、もちろん軍の通常兵器も役には立たない。せいぜい時間稼ぎが関の山さ。どうする? シャン君」
俺にだけ聞こえる声で、サクライ先輩が耳打ちをしてきた。
……実は、最初にフィオナが出撃を命じられた時から俺がどうしたいかは決まっていたのだ。——ああ、確かに俺の方がフィオナよりも常識がないかもしれないな。
「俺がフィオナの代わりに出撃します」
アインスタイン少将に向けてそう告げた。
俺の言葉に、フィオナが勢いよく俺の方に振り向く。信じられないとでも言いたげな顔だ。
「何バカなこと言ってんのよ!?」
「バカとはなんだよ」
少将という軍の中でも高い地位にいる人からの命令だ。最初に言われた時から断ることはできないだろうなと思ってはいた。
「バカだからバカって言ってんの! あんなのの相手をしろって言われてるのよ! あたしたちまだ学生で軍人じゃないのに……絶対無事じゃ済まないわ。最悪死んじゃうかもしれないのよ!?」
「そうだな」
「そうだな、じゃないわよ! あんた本当にわかってんの!?」
「わかってるさ」
「わかってない! 死んだらおしまいなのよ! 二度と会えなくなるのよ!?」
フィオナに詰め寄られ、襟首を掴まれる。いつもはフィオナの思いつきに付き合わされるために突然掴まれていたが、今回掴まれたのは……まぁ俺が悪いな。
「だからだよ。今のお前が出たって何ができるか怪しいもんだ。俺はお前に死んでほしくない。俺たちにしかどうにもできないっていうなら、お前の代わりに俺が出る」
俺はそう言って、襟首を掴んでいたフィオナの手を外す。
俺は俺が平穏無事に過ごすことが大事だが、幼い頃にそばにいてやりたいと思ったフィオナが傷つく姿を見るのも嫌なのだ。
俺の言葉に、フィオナは口を閉ざした。その顔は全く納得いっていない、という顔だったが、同時に自分がどうしようもなく怯えているのも理解していて、自分ではどうにもできないということもわかっているような、複雑な表情をしていた。
「……それでも、なんであんたが出なきゃいけないのよ。代わりが……代わり——」
そこで、フィオナがチラッとフルトに目を向けた。
口を開こうとした瞬間、俺が言葉を被せた。
「フィオナ、それ以上は言うなよ。それは最低なことだぞ。わかるだろ」
俺にそう言われて、フィオナは開きかけた口をキュッと閉じた。
フィオナは長く息を吸って、吸った時間と同じくらい時間をかけて息を吐いた。それから何度か瞬きをして、俺と目を合わせてきた。
「——わかったわ。あんたの言う通り、あたしはたぶん今何もできない。あんたが代わりに出るって言うなら、それを受け入れる。でも、これだけは言わせてもらうわ」
そこでフィオナは俺に人差し指を突きつけてきた。
「隊長命令よ。絶対に死ぬんじゃないわよ! あんたも、カレナもね。無事に戻ってこなかったら承知しないからね!」
「わかってるよ。もともと死ぬつもりなんてないしな。ラドフォードもそうだろ?」
そばにずっと立っていたラドフォードを見る。俺と目があうとひとつ頷いた。
「あんたたち……それでいいのね?」
それまで話を聞いているだけだったナオミ先生が問いかけてくる。
『問題ありません』
俺とフィオナが同時に答える。
「そう……そうね、わかったわ。アインスタイン少将、今の話の通りです。アインスタインさんではなく、彼が代わりに出撃するということでよいでしょうか」
「壊獣を撃破することができるならば問題はない。すぐに準備したまえ」
アインスタイン少将の言葉を受けて、俺たちは壊獣撃破の準備を始めた。