19話
赤い髪の少女が叫んでいる。街はボロボロに崩れ落ちていて、無事なものは何一つとして残っていない。
俺はひび割れて地面が露出したアスファルトの上に倒れ込んでいた。
巨大な怪物が歩くたびに地震のような振動が響く。
それまで、当たり前のように享受していた日常が崩れ去った。あっけない終わりかただった。
残されたのは破壊された街と、悲嘆と絶望に暮れる人間だけだった。
全てを壊す巨大な獣は、一心不乱に何かを目指して進んでいく。
「——なんなんだ、これは」
つぶやきが漏れた。
俺たちが何をしたというのだろうか。こんな訳のわからない理不尽なことがあっていいのか。
——この世界は、間違っているのだろうか。
軍からの緊急招集なんてものは、生まれて初めて聞いた。まぁ普通に生活してたらまず聞くことのない音だし、そもそも俺たちはまだ学生だ。学生に緊急招集をかける意味がわからない。本職の軍人ならわかるが。学生を集めたところで何ができるというのだろう。
俺とフルトは、談話室で合流したフィオナたちと一緒に軍の駐屯地を目指していた。どうやら俺たちの部隊全員に緊急招集のアラームが鳴ったらしい。
「あたしたちみたいな学生を呼び出して、軍は一体何を考えてるのかしら。任務とかならわかるけど、緊急招集のアラームが鳴ったのよ? これって他国から攻撃を受けた時とか、とんでもない災害が起きた時とかになるやつでしょ」
「わからん。でも無視するわけにもいかないし、とりあえず行くしかないだろ」
「わかってるわよ、そんなこと」
突然の呼び出しの理由は、どうやらフィオナにもわからないらしい。
「もう少し行ったところに、どうやら迎えの車を送ってくれるらしいですよ」
士官学校から軍の駐屯地はそこまで離れてはいない。が、そんな距離も惜しいらしいということだろう。
「じゃあさっさと車の所まで行くわよ」
そう言ってフィオナはフルトが示した方向にズンズンと歩いて行った。
そんなフィオナに俺たちもついて行く。と、サクライ先輩がすっと俺に近づいてきて、耳打ちをしてきた。
「すぐにでもわかるって言っただろ?」
「サクライ先輩は、今日のこの緊急招集がなんのためなのか知ってるんですか?」
思わず聞き返す。サクライ先輩の言い方だと、なんのためなのかを知っている口ぶりだ。確かに、ループしているという話が本当なら、知っていても不思議ではない。
「ほら、もう見えてる」
そう言ってサクライ先輩はある方向を指さした。
それは俺たちが向かう軍の駐屯地のさらに先の方。俺の記憶では、住宅地と多少の商業施設が並ぶ区画だったはずだ。
——はずだった。
「なんだ、あれ……」
そこには、1匹の巨大な獣が佇んでいた。
大きさは、まだ高層建築が普及していないこの世界においては何よりも大きい。普通の家なら足で踏み潰してしまえるほどで、そんな巨大な獣はあろうことか人型をしていた。
顔の部分に当たるところは、猪ともライオンとも取れるような複雑な形をしていて、全身にびっしりと毛が生えていた。尾骶骨のあたりからは長い尾が生えている。
——つい先日、遺跡の映像で見た巨大な怪物がそこにはいた。
「何よ、あれ……!」
その巨大な怪物にフィオナも気がつく。
足を止め、怪物の方を凝視していた。
怪物はまるでおもちゃの家のように、足元の家や建物を踏み潰していく。
「ほら、言っただろ? 壊獣は実在するんだぜ」
あんなものを見て何故そんなに余裕そうに笑っていられるのだろうか。
巨大なものは、恐ろしい。根源的な恐怖を感じるものだろう。よしんば恐怖を感じていなくても、圧倒されるはずだ。
フルトは怪物を見て、絶句していた。
ラドフォードは……こっちはいつも通り何を考えてるかわからない無機質な瞳を向けているだけだった。
——いや、なんかいつも通りのやつが二人もいて、なんか俺も落ち着いた気がする。
「とりあえず、駐屯地に行こう。俺たちが呼ばれたのもあれが関係してるのかもしれない」
というか、十中八九そうだろう。あんなものが街に出現しているタイミングでの呼び出しだ。むしろ関係してないと考える方が難しい。具体的に何をしろと言われるかはわからないが。
「……そうね」
なんとか現状を飲み込みました、と言った感じでフィオナは頷いて、再び歩き出した。
……不謹慎ではあるが、正直フィオナはああいうのを見たら喜びそうなもんだと思ったんだが。全くそんなそぶりもなく、むしろ人並みに感じるものがあるようで、柄にもなく顔を強ばらせている。魔王がどうとか言っていた面影は感じられなかった。
もう一度怪物を見る。サクライ先輩はあれが壊獣だと言っている。確かに壊獣の研究をしていたという遺跡で見た映像の中の怪物とそっくりだ。ということは、本当に壊獣は実在していたということなのだろう。そう思うと、何故だか少しドキドキした。
——ふと、壊獣と目があった気がした。
瞬間、見たこともない「壊獣が口から光線を放つビジョン」が思い浮かび、俺は咄嗟に叫んだ。
「今すぐ地面に伏せろ!」
「は?」
俺が叫んだことに呆気に取られるフィオナの肩を掴み無理やり地面に伏せさせる。
直後、俺たちの頭上を一筋の光が通りすぎ、少し遅れて建物が崩れ、何かが爆発するような轟音が響いた。強烈な爆風が俺たちのところまで届いて、飛んできた建物のかけらが近くにゴロゴロと転がった。
爆風が収まったところで、伏せていた顔を上げて周りを見る。
崩れ落ちる建物。上がる火の手。響き渡る悲鳴。
さっきまで日常を過ごしていた街は、一瞬にして地獄のような場所に変わっていた。
「な、何よこれ……」
俺に遅れて顔を上げたフィオナが、周りを見てつぶやく。声に力はなく、掴んだままだった肩から震えが伝わってきた。
いきなり光線を放った怪物は、あいも変わらずそこに立っていた。
「おい、フィオナ、大丈夫か」
俺の言葉に、フィオナはハッとなって俺を見た後頷いた。その後「みんな大丈夫?」と他の3人にも声をかけ始めた。
「僕は大丈夫ですよ」
「僕も平気だぜ」
ラドフォードは頷きで返事をした。
「みんな無事みたいね。よかったわ」
そうフィオナが安堵した瞬間、前方から車の急ブレーキ音と、タイヤが地面を擦る音と匂いが襲いかかってきた。
「今度はなんだよ!」
思わず声を上げた直後、軍用車が見事なドリフトを決めて俺たちの鼻先を掠めそうなほど目の前に停車した。派手な音をたてて運転席のドアが開くと、中からナオミ先生が飛び出てきた。
「あんたたち、大丈夫なの!?」
「今の先生のドリフトで死にかけました」
「冗談が言えるなら大丈夫そうね!」
「冗談じゃないんですが」
いや、たぶん俺が後一歩前にいたら車に跳ね飛ばされてたと思うんだが。……まぁいいか。本当は良くないが、いいことにしないと話が進まないしな。
「軍が車を迎えに来させるという話でしたが、ナオミ先生が迎えだったのですね」
「そうよ。さぁ、さっさと車に乗りなさい。すぐに向かうわよ」
そう言って落ち着く間も無く車のドアを開けるナオミ先生。そんなナオミ先生にフィオナが食ってかかる。
「待ってよナオミ。ナオミはあの怪物がなんなのか知ってるの? あたしたちがなんのために呼び出されたのかも」
「駐屯地に着いたら、あなたのお父様から詳しい説明があるわ、アインスタインさん。今は一刻も早く駐屯地に向かうことを考えて頂戴」
「パパから……?」
ナオミ先生の言葉に、フィオナの顔から感情が少し色を消した。
「そうよ。さ、乗って乗って」
ナオミ先生に押し込まれるようにフィオナが車に乗ると、俺たちも続けて車に乗った。
「パパがあたしたちを……?」
そうつぶやくフィオナの顔は、さっき以上に強ばっていた。
怪物の移動する振動が、車ごしに俺たちに響いてきた。