12話
海だった。
鼻につく潮の香りと、サラサラと流れるような小さな粒が集まった海岸。
あたりにはバラバラになった何か用途のよくわからないものが散乱していて、海は不気味に赤黒く染まっていた。
あたりに人気はなくて、俺は何故か学校の制服のようなものを着ていた。
全く見覚えがない光景なのに、どこか見覚えのあるその景色の中に、動くものを一つ見つけた。人影だ。
それは今までなぜ気づかなかったのか、俺の下に組み伏せるようにいて、空虚な瞳で俺を見つめていた。
とてもよく見知った顔で、俺の中に「何故?」が湧いては消える。
頭は混乱の極地で全く思考がまとまらないのに、どこか別のところでは酷く冷静に現状を分析していた。
俺の下に組み伏せられるように転がっている人——フィオナは、徐に口を開いた。
つぶやいたその言葉が耳に入ったと同時に、俺は発狂した。
雲ひとつない快晴の空に、噴煙が一筋立ち登る。不思議なことにその噴煙は地面からではなく、空中からさらに上に向かって伸びていた。
よくよくその噴煙の発生源を見ていると、今度は火花が散り始めた。花火なんてものはこの世界にはないが、それを彷彿とさせるように激しく燃え上がり始める。
と同時に、この世界に生まれて、両親以上によく聞いている声が怒り爆発といった叫び声を上げたのが聞こえてきた。
「あのマッドアルケミスト、今度会ったらヴァルハラに送ってやるわッ!」
空中で爆発音とともに火花と新型ディスクの破片が飛び散り、少し離れたところでパラシュートが開くのが見えた。パラシュートにぶら下がっているのは、爆発の余波を受けてボロボロになった軍服を着たフィオナだ。頬に煤もついていたりして、結構悲惨な感じになっている。怪我がないだけマシだな、こりゃ。
実験場の地面に降り立ったフィオナは、パラシュートを外すとそのまま怒り心頭と言った具合に地面に叩きつけた。
「どうやらお怒りのようですね」
そう隣から話しかけてきたのは、線の細そうに見える明るい茶色の髪の少年だ。背丈は俺と同じくらいで、少し大人びて見える見た目で非常に女子ウケの良さそうな外見だ。
「まぁ、いつもいつもああなるんじゃキレるだろ、そりゃ。フィオナじゃなくたってキレる。あいつは初回からキレてたが」
「失敗続きですからね。今回も怪我がなくて何よりです」
「次はフルトの番だろ。せいぜい怪我しないように頑張ってくれ」
「ええ、そうしますよ」
俺の隣にいる少年--ハルキ・フルトは肩をすくめると、飛行試験のスタート地点に向かって歩き始めた。
それと入れ替わるようにフィオナが俺の隣に来た。
「シャン、今日こそはあのマッドをヴァルハラ行きにするわよ。着いてきなさい」
「そんなことしたら逆にお前が銃殺刑になるだろうが。我慢しとけ我慢」
額に青筋を浮かべ、今にも実験棟に突撃していきそうなフィオナの両肩を掴み抑える。ていうか服ボロボロなんだからまず着替えに行けよな。色々見えそうになってるだろうが。
「あのマッドの味方するっていうの!? あんたでも容赦しないわよ、シャン!」
「お前が俺に容赦したことなんてあったか!?」
そんな俺たちを、少し離れたところでラドフォードが我関せずといった感じに、渡された新型ディスクをいじり回していた。
俺たちは今、ナオミ先生に渡された初任務を遂行するため、軍の実験スペースにきていた。
「こんにちは、ドクター。連れてきましたよ」
明くる日、ナオミ先生に着いてやってきたのは軍の実験スペース、その観測所だった。
俺には使い方のよくわからない観測機器が所狭しと並べられていて、この時代で初めて目にしたモニターらしきものが壁にかけられていた。残念ながら今は何も映されていないので、それが本当にモニターなのかはわからなかったが。
ナオミ先生が声をかけたのは、白髪に白い髭、度のキツそうな丸眼鏡をかけた初老の男性だった。常に眉間に皺がよってるような気難しそうな顔をしている。
「ケンジット少佐。その子達が追加の人員かね?」
「ええ、そうです。よろしくお願いしますわね」
忙しなく白衣を纏った研究員らしき人たちが動き回っている。
ちなみにここにきているのは俺とフィオナとラドフォードで、サクライ先輩は用事があるとかできていなかった。
「こんにちは、ドクター・サーティス。あたしはフィオナ・アインスタインと言います。新型ディスクの起動実験と伺いました。どんなものが出てくるかとても楽しみです。よろしくお願いします!」
フィオナが一歩出て自己紹介をする。それに続いて俺も自己紹介を済ませた。ラドフォードは最低限自分の名前だけを名乗った。
「私はジェームズ・サーティス。アインスタイン候補生以下二名、並びにもう一名には私が開発している新型ディスク——仮称エンペドクレスの起動実験に従事してもらう」
初老の男性——ジェームズ・サーティスは、この国の国民なら誰もが知っている超有名人だ。なんならこの国以外の人も知ってるかもしれない。なにせ、魔力をエネルギーとして活用する技術を作り出したのはこの人なのだから。前世の記憶でいえば、トーマス・エジソンのような天才発明家だ。ちなみに俺たち魔法使いが魔法を使うために必要なネブラ・ディスクを開発したのもこの人だ。
今回の任務先にドクター・サーティスがいることは事前に聞いていたので驚くことはないが、本物を見たのは初めてだったので内心少し感動していた。
「早速実験を始めたい。外の実験スペースに移動してもらおう。そこにすでに一人、実験参加者が待機している」
「了解しました!」
そう言って歩き出したドクターの後ろをついて行く。
俺たち以外の実験参加者……? 俺たちが受けた任務なのに俺たち以外の人がいることに少し気が引かれたが、それよりも俺はもっと気になることがあった。
「フィオナ、お前……敬語使えたのか」
「あんたあたしをどういう目で見てるわけ?」
そういえば小さい頃敬語使ってたな。今のいままで忘れてたが。
実験場に着くと、そこには先客が一人いた。
「ハルキ・フルトです。どうぞよろしくお願いします」
同年代っぽい茶髪の少し大人びた少年だ。柔和そうな笑みを浮かべてこちらに友好的な態度で接してくる。
俺に握手を求められたので、素直に応じる。
「フィオナ・アインスタインよ。こっちはシャン。この子はカレナよ。こちらこそよろしく!」
おい、なんでお前が俺たちの紹介をするんだよ。そしてなぜ俺は名前の紹介をしないんだ。
なんて思っていると、フィオナにぐいっと引っ張られて顔を寄せられる。
「あたしたちが受けた依頼になぜか先んじている同級生っぽい男子……何か面白い事情がありそうじゃない?」
「面白いかどうかはともかく、事情はあるんだろ。どんなのかは知らんけど、あんまり藪を突くなよ」
なんて俺の忠告を無視して、フィオナは早速フルトに突撃していた。
「この実験の依頼はあたしたちの部隊が正式に受理したものなんだけど、フルト君はなんでこの実験に参加しているのかしら?」
いかにも楽しげに質問するフィオナを見てため息をつく。たまには俺の言うことも聞いて欲しいものだが……まぁいいか。俺に被害がなければ。
フィオナの質問にフルトは特に表情を崩すことなく答えた。
「ちょっと事情がありまして……本来なら先に士官学校に入学してあなたたちの部隊に配属されてから、という手順を踏むべきだったのでしょうが、なにぶん折り合いがつかなくて。先にこちらの実験に参加して、その後に入学という手順になったんです」
「ちょっと、答えになってないじゃない……って、その言い方だとあたしの部隊に参加するのかしら?」
「サクライさんから聞いていませんか?」
「何も聞いてないわ!」
サクライ先輩、多分わざと伝えてないんだろうな。あの人、そうやって面白がるところがあるだろ、絶対。短い付き合いだけどなんとなくそんな感じがするわ。
「この実験が終わり次第、正式に書類が行くはずです。なので、これからよろしくお願いしますね、アインスタインさん」
「ニノちゃんには後で話を聞いておくわね。とりあえずよろしく、フルト君」
自分の知らないところで起きていたことだからか、いささか不満げではあったが、フィオナはフルトを歓迎した。
俺としては男女比の偏りまくったこの部隊に、俺と同じ男が入ってくれるなら歓迎だ。肩身が狭い思いをしなくて済む。……よくよく考えたら、別に肩身の狭い思いとかあんまりしてなかったな。まぁいいか。メンバーが増えるなら。
「はいはい、挨拶は終わったわね? それじゃ早速実験を始めていきましょう」
俺たちのやりとりを見ていたナオミ先生が近づいてきて、実験の準備を始めた。まぁ元々実験をしにきているわけだからな。
テキパキと実験の準備を進めていくナオミ先生。普段からそういう有能なところを見せて欲しいな。ソファーに寝っ転がってお菓子を食べる姿とかじゃなくて。
「ねぇ、ナオミ」
そんなナオミ先生にフィオナが声をかける。
「何かしら、アインスタインさん?」
どことなく他人行儀なナオミ先生にフィオナが近づく。
「ナオミはフルト君がうちに来るって知ってたんじゃないかしら?」
「そ、そんなことないわよ〜」
「忘れてたんじゃないでしょうね」
「そ、そんなことないわよ〜おほほほほ!」
そんなわけでフルトを加えて、俺、フィオナ、ラドフォード、フルトの四人で実験をすることになったのだが。
「ま、た、か、ね! 君は、またなのかねっ!?」
サーティス博士の声が実験場に響き渡る。
この実験のために貸切になっている実験場には他に遮るものがなく、博士の声はハウリングして俺たちの耳にまで届いてきた。
「お言葉ですが、ドクター! またかと言いたいのはこちらの方なのですが!」
ギリギリ飛行体制を維持しながら、俺は暴走を始めて熱を持ち始めたエンペドクレスの安全機構を作動させる。
このエンペドクレス、扱いがとにかく難しい。
通常のディスクならば俺でも問題なく操作することができる。だが、このエンペドクレスは正直言って人間が操作できるような代物ではないと思う。
どう例えることが適切かはわからないが、他人の手足を同時に操作している感覚とでも言うのだろうか。両手足で全く別の行動を取っていると言うような感覚だろうか。
ぶっちゃけ無理。俺にはそんな器用な操作はできない。ていうかできるやついるのか? これ。なんて思っていたのだが。
「ラドフォード嬢は扱えているではないか! 理論値を叩き出している! それに比べて君は何故操作できない!?」
そう。何故かラドフォードだけはこのとんでもディスクを完璧に扱うことができていた。フィオナも俺もフルトも扱えていないこのディスクを、何故かラドフォードだけ。
何かコツのようなものでもあるのだろうかと思って聞いたこともあるが、いまいち俺にはよくわからなかった。「核の四機同調を自ら操作しようとするから難しい。四機の核の中央に核の同調を制御する機構があるから、操作するのはそこだけ。あとは勝手に同調してくれる」なんてことを言っていたが、俺にはその核の同調を制御する機構自体がわからないんだが。
「ドクター、それはラドフォードが特別なだけです!」
「私の理論では誰もが同じように扱えるはずなのだ! 誰もが同じように扱え、誰もが同じ結果を出す! 軍用規格品とはそうあらねばならんのだ!」
「そりゃ理想論の想の部分を抜いた理論ってやつじゃないですか! 現状四人中三人が扱えないなら、ドクターの軍用規格品の考えから言ったら欠陥品じゃないですかね!」
「私の発明を! 一介の学生が! 欠陥品扱いだと!」
「そう思いますね!」
飛行魔法の術式を起動するのをやめ、エンペドクレスを手放す。それと同時にパラシュートを開く。
いや、普段の俺ならここまで言ったりはしないと思うのだが、如何せん失敗しすぎた。このパラシュート降下も何度目になるだろうか。パラシュート降下に慣れすぎた自分が恐ろしい。パラシュート降下にもそのうち失敗して、死ぬか大怪我を負うのではないだろうか。マーフィーの法則だ。失敗する余地があれば失敗する。
俺か、俺以外の二人が失敗して大怪我を負う前に、この実験を終わらせなければ。
地上に降り立ってパラシュートを取り外す。近くにいたフィオナが声をかけてきた。
「シャン、あんたも言うようになったわね」
「そりゃ、言わなきゃ俺が死にそうだからな」
「あのマッド、絶対いつか痛い目を見せてやるわ」
「……そうだな」
流石にもう、フィオナの言うことを否定する気は起きなかった。