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夢から醒めて

作者: あさな

「マリーウェザー様」


 貴族の子息令嬢が通う学院。

 放課後、サロンへ移動しようとする色とりどりのドレスを纏った華やかな集団に向かい、ローズは声をかけた。

 その先頭にいるのがマリーウェザーだ。ひときわ目を引く深紅のドレスが、ややつり上がった勝気そうな目をした彼女には良く似合っている。

 マリーウェザーが足を止めて、ローズを振り返った。


「わたくし、ダムライト男爵家のローズと申します。突然のお声がけ失礼と存じますが、少しお時間よろしいでしょうか?」


 ローズは男爵家で下級貴族、マリーウェザーは公爵家で上級貴族。

 平民にとって貴族は一括りで畏怖を抱く存在だが、貴族の中には細かく序列が存在し、下級貴族が上級貴族へ声をかけるなど無礼と罰されてもおかしくはない。もし、どうしても話す必要があるなら、コネクションを伝い紹介してもらうという手順を踏む。

 しかし、ローズは直接話しかけた。

 マリーウェザーの周囲にいた令嬢は眉をひそめたが、マリーウェザー本人はおっとりと微笑んだ。流石は公爵家のご令嬢。少々のことでは表情を崩さない。ただ、その目はひんやりとした光を宿している。笑みに込められた感情を察するのも大切な能力だが、ローズは怯まずにカーテシーをした。

 それは、とても美しいカーテシーだった。

 マリーウェザーは第一王子のアイザック殿下と婚約中で王妃教育を受けている。挨拶は基本中の基本だが、美しいカーテシーというのは難しい。マリーウェザーも苦労した。ローズのそれはおおよそ完璧なカーテシーだった。

 マリーウェザーは目をすがめた。


「……ローズ様とおっしゃったわね。わたくしのサロンにお招きするわ」


 ローズは内心でにんまりとした。

 自分のカーテシーを見ても何も感じずに無礼な男爵家の娘としか思わないのであれば、この計画は諦めるつもりだったが、マリーウェザーには意図がきちんと伝わったらしい。

 だが生憎と、周囲の令嬢の中には意図を理解しきれない者もいて、「まぁ」と小さな声が上がりもした。マリーウェザーのサロンに男爵家の令嬢があっさりと招かれたことが気に食わないのだろう。


(こういう反応をする者たちほど、いざというとき蜘蛛の子を散らすみたいに掌を返すのよね)


 自分を、その背後にある家を取り立ててもらいたくて傍に侍っているだけ。それが悪いとは言わないが、信頼はできない。けれど、身分意識が顕著であるのはよい。ローズにとって有力な味方になるだろうと、鋭い眼差しを返してくる令嬢の顔を心にとどめ、サロンでの約束の時間を決めてその場を辞した。




 

 学内にはサロンと呼ばれる建物がいくつかある。

 貴族の令嬢は茶会を催し社交をするという習慣があり、練習ができるようにと施設が完備されている。そのうちの一つ、敷地内の最南端にある通称「薔薇の園」と呼ばれるサロンは学内で一番身分が高い令嬢が独占して使用するという暗黙のルールが存在した。

 現在の薔薇の園の主がマリーウェザーだ。

 第一王子の婚約者で、公爵令嬢。誰の目から見ても相応しい主だった。誰を主にするか頭を悩ませなければならない状況に陥り、派閥闘争へと発展することもあるので、マリーウェザーの存在は表面上の平和を保っている。

 

 ローズは約束の時刻が近づいてきたので薔薇の園に向かっていた。

 途中、中庭を横切ったら、とある集団が目に飛び込んでくる。

 第一王子・アイザック殿下、宰相子息のルドルフ、騎士団長子息のバルバトス、他国への強いパイプを持つ豪商子息のポール。そして、男爵令嬢のリリス。

 彼らは芝生の上に車座になっていた。


「ねぇ、芝生の上に座るのって気持ちいいでしょう? 嫌なことがあったときとか、よく寝そべって空を見上げたりするの。そしたら自分の悩みなんて全部ちっぽけに思えて、気づいたら元気になるの」


 うふふ、と笑うリリスの声が風に乗ってローズの耳に届く。


 なるほど、たしかに芝生の上は気持ちがいいし、寝ころび伸びの一つでもすれば世界の広さに壮大な気持ちになる。それはよい気分転換だろう。

 ローズは彼女の発言の内容には共感を覚えはしたが、それを学院内の誰もが通る中庭で実践しているところに呆れた。ここは貴族の子息令嬢が礼儀を学ぶ場である。地面に直に座るなどもってのほかだ。それを止めることも咎めることもなく、本来であれば率先して皆の手本になるべき殿下や上級貴族たちが一緒になってしていることにも失望する。

 彼らが眉を顰める行動をとるのは、ここしばらく見かける光景だ。

 相手が相手だけに注意できる者はいない。唯一それをしているのがマリーウェザーだった。

 今も、目撃したのがマリーウェザーであれば厳しく注意するだろう。とりわけリリスを強く糾弾する。するとリリスは怯えた顔をし、殿下たちは「いじめるな」と反論する。マリーウェザーは悪者になる。


(見苦しいったらないわ)


 ローズは不愉快さをにじませながら、だが笑い声をあげる彼女たちを一瞥するだけにとどめて先を急いだ。




 薔薇の園は温室だ。

 名前の表す通り室内は薔薇の花で満たされている。今の時期はアルトリアと名付けられた黄色い薔薇が咲き誇っている。種類によっては匂いが強すぎるものもあるが、アルトリアは控えめな香りで茶会の花に向いていた。

 ガラス張りの天井から午後の少し柔らかい日差しが降り注ぐ中に、テーブルが用意されている。

 側仕えに案内されて奥へ進むと、マリーウェザーは既に席についていた。


「お招きくださりありがとう存じます」


 ローズはカーテシーをして、勧められるままマリーウェザーの前に座った。

 振る舞われたのは近頃貿易を始めたオーリドル国のルート茶というものだ。この国で一般的に知られている茶は濃い蜂蜜色をしているが、ルート茶は薄緑をしている。

 珍しい茶葉だが、味はさっぱりとしていて飲みやすい。

 ローズがカップに口をつけて飲む様を、マリーウェザーが真贋を見極めるようにじっと見つめる。ローズはその視線に真正面から挑む。

 ふぅ、とマリーウェザーが息を吐いた。

 

「あなたは、何者ですの?」

 

 礼儀作法については学院でも学ぶ。だが、学んだからできるようになるかといえばそのような単純なものではない。優雅さ、品格というものは一朝一夕で身につくものではない。

 ローズのそれは、完璧だ。厳しく躾けられてきた公爵令嬢であるマリーウェザーから見ても、うっとりするほど。男爵令嬢ができるようなものではけしてない。


「わたくしが何者か。はい、まずはそこからお話ししなくてはなりません。ただ、あまりに荒唐無稽にも思えますでしょうから、最後までお聞きになった上でご判断いただくことをご了承願えますでしょうか?」

 

 途中で話の腰を折るな、と平たくいえばそういうことである。

 それほど突飛な内容なのかと却って興味をそそられて、マリーウェザーは頷いた。


「ではお話しいたしましょう。……わたくしには、別の人生の記憶があるのです」


 そう、ローズはただの男爵令嬢ではない。彼女にはこの人生とは別の人生の記憶があった。


 元々、ローズは市井で育った。最愛の母を失い、これから先どうやって生きていけばいいのかと途方に暮れていたとき、突然やってきたダムライト男爵の使いにより「貴方は旦那様のご息女です」と連れていかれ、屋敷の門扉をくぐった瞬間、その記憶を思い出したのだ。


(まぁ、なんという皮肉)


 湧いてきた記憶に、混乱や困惑よりもまずローズが抱いた感想がこれだ。

 というのも、もう一つの人生ではローズは公爵令嬢だった。

 有力な上級貴族で、第一王子の婚約者、貴族の中の貴族のお嬢様。

 しかし、その人生は順風満帆とはいかなかった。十六歳を迎えたとき、通っていた学院に一人の令嬢が編入してきた。市井で育ったが母が病死し身寄りを失ったところへ、実の父であると男爵が名乗り出て家に引き取られたのだ。――今のローズと同じように。

 その令嬢は、学院内で悪目立ちした。貴族のマナーを無視し、一市民の様な振る舞いをとる。当然、ローズは不快に感じたが、こともあろうにローズの婚約者、即ち第一王子は物珍しさからか彼女を構いはじめ、どんどん親しくなっていった。自分の婚約者が別の女性と親しくしているなど耐えられない。ローズは殿下と令嬢に注意をした。しかし、殿下は「貴族の社会に慣れないので教えているだけだ。妙な勘繰りはするな」と侮蔑の目で見てきた。まるでローズが悪いと言わんばかりに。

 何故そのような目で見られねばならないのか――あれは正当な主張だ。

 それからも、貴族の令嬢らしからぬ言動、国家の後継ぎとなる殿下へ、婚約者のいる異性へ、とってはならない態度をとり続けその都度やめるようにと注意をした。だが、態度が改められることはなく、それどころかローズが悪者として目の敵にされるようになっていった。

 過ぎてしまった別の人生の記憶であっても、わなわなと指先が震えてしまうほど憤りを感じる。憎んでも憎んでも足りない疎ましい相手。その令嬢と、今の自分が、似た状況になっている。

 これを皮肉と言わずして何というのだろう。

 一体、何の因果でこのようなことになったのか。

 無知は罪。件の令嬢の立場になれば別の見方もある。ただ、記憶の中では憎み腹を立てるばかりだったが、そうではなく視野を広げて悔い改めろとでもいうのか。

 そう思えば、苛立ちは増したが、それでも時間が経過すれば多少の落ち着きを取り戻す。記憶は記憶。今生でローズは平民として暮らしていたというのもあって、貴族という選民意識がない分、やはり件の令嬢を必要以上に蔑んでいたのかもしれないと考えるようになった。

 が、それもさらに時間が経過すると再び変わっていく。

 引き取られた男爵家で厳しく貴族の作法を学ばされたからだ。

 義母と後継ぎとなる異母兄はローズを受け入れてはくれない。平民の血が混ざった者を引き取るなど何を考えているのかと不満が透けて見えた。それでも引き取った以上は教育をする。ローズはダムライト家の一員となったのだ。無作法をされては家名に泥を塗られる。外側の人間に、「一応引き取ってはいるが、我が家の者とは認めていませんので」なんて言い分は通用しない。貴族は何より体裁を気にする生き物だ。

 幸いにも公爵令嬢としての記憶があるおかげで、マナーについては教えられたら勘を取り戻し、すぐにできるようになった。

 そして、思ったのだ。

 真面な貴族の家に引き取られたならばマナーを教え込まれるものだが、何故、件の令嬢は少しも貴族の振る舞いができていなかったのか。

 真面な家に引き取られなかった? 

 家の恥になろうが構わない、貴族の中で恥をかけばいいと見捨てられていた? 

 だが、件の令嬢のドレスは普通だった。殿下と親しくなるにつれ高価なドレスを贈られたりして派手になったが、最初の頃はごく一般的な、下級貴族の装いだった。極端に流行おくれや襤褸でなく、それなりに流行を取り入れたもの。身なりだけはきちんとしていた。恥をかけばいいと思っているなら、ドレスも古着のようなものにするのではないか。きちんとした衣装を用意する家がマナーは学ばせないなどあるのか? 

 それに、貴族とはいえ下級貴族の中にはほとんど平民と変わらぬような貧しい者もいて、そういう者はあまりマナーも知らない。だからこそ、学園に入学して教師から必死に学ぶのだ。だが、あの令嬢は学院に入学してからも少しも態度を改めず平民のときのままだった。

 殿下たちは彼女を「まだ不慣れなだけ」と庇っていたが、不慣れであれ貴族らしい礼節をとろうとしているならばわかる。だがあの令嬢はそうではなかった。

 自身が同じ立場になってみれば、努力していないだけの怠慢であったと改めてそのことがよくわかった。

 故に、なおのこと許せるものではない。

 学ぶべきことを学ばず、勝手気ままに自分だけ甘やかされていたのだから。

 

「……とはいえ、そのように腹を立てたところで今更どうしようもないものです。あれは過去の記憶。わたくしは諦念するよりありませんでした」


 そこまで話を終えると、ローズは一度言葉を切り、ティーカップに口をつけた。

 こくりと喉を下るルート茶。少し冷めてしまっているが、冷めた方が香りが立った。

 

「ですが、三度、わたくしの怒りを燃え上がらせることがおきたのです。ビヤード男爵家のご令嬢リリス様の存在ですわ。あの方、そっくりですの」


 誰にとは言わずもがな、記憶の中のあの忌々しい令嬢である。

 ローズは先程の中庭でのことを思い出しながら、苦々しく吐き出した。


 リリスもまた市井で暮らしてきた。ただし、ローズたちとは違い身分違いの恋に落ちた両親が駆け落ちして市井で暮らしていたのだ。ところが、慣れない暮らしの中で両親がローズの母親と同じく流行病に罹り死亡し、残されたリリスを祖父母であるビヤード男爵家が引き取った。

 男爵は娘の忘れ形見であるリリスを溺愛しているという。

 溺愛しているなら、貴族の嗜みをきっちりと教えるべきだが「平民だから貴族だからなんて考えは間違っています。お父様とお母様は平民となっても幸せに暮らしていたんです」というリリスの言葉に、男爵は自分の過ちを認めてリリスをリリスのまま受け入れているらしい。


 選民意識で凝り固まった貴族に愛を教えてその心を開かせる。――そういうことである。


 その出来事に対しては反論する気はない。好きにしたらいい。ただ、その感じをそのまま学院でもしていることは大問題だ。


「人は、成功した方法を繰り返してしまうもの。リリス様は祖父母との関係を出自を恥じないことで改善された。だから、いつまでもそのままでいいと思っていらっしゃるのではないかしら? とわたくしは推測しますの。そうでなければ、マリーウェザー様や他の令嬢の方からの忠告に少しは耳を傾けるものです。けれど、あの方はまったくそうなさらない。自分の愛こそ正しいものだと思っていらっしゃるのだわ。傲慢ですわよね。けれど、無知なる者に怒りをぶつけても仕方ありません。それよりも問題があるのは彼女を受け入れている方がいるということだと思いませんか?」


 ローズの発言に、それまで平静を保っていたマリーウェザーの目元がピクリと動いた。

 彼女を受け入れている者が問題とは即ち殿下たちへの批難でもある。マリーウェザーがこれまでの話の流れを聞いていても尚も公爵令嬢として正しい発言――殿下を悪く言うのはよくないと主張するならこの話はここでおしまいだったが、マリーウェザーは沈黙で答えた。

 それを見てローズは更に続けた。


「貴族社会に不慣れで困っている者にいろいろと教えてやることの何が悪い。お前こそ、妙な勘繰りをして恥を知れ」

「……」

「申し訳ございません。盗み聞きするつもりはありませんでしたが、先日、中庭での出来事を目にしてしまいました。まっとうな忠告をされているのにマリーウェザー様を殿下はそう批難されました。たしかに、困っている者を助けることは悪いことではないですから、殿下にそう告げられマリーウェザー様はそれ以上言葉を紡げませんでしたでしょう。でも、殿下のお言葉は本心でしょうか? ただあの娘を構いたいだけなのにそのように自分を正当化し、本当に正当な主張をしているマリーウェザー様を悪者にする卑怯な言い訳ではないか。ですから、わたくしが、真実を炙り出すお手伝いをしたく、本日このような機会を作っていただきましたの」


 今度は、マリーウェザーがティカップを持ち上げた。

 感情が揺れているのを落ち着かせようとしているのだろうとローズは思った。

 ローズは返答を待った。


「真実というものにわたくしは興味があります。あなたは本当にそれを見せてくれますの?」


 やがて、静かな声が返ってきた。


「ええ、お約束いたします。ですから、どうか、わたくしにマリーウェザー様の庇護をくださいませ」


 それからローズは計画の全容を話した。

 何も難しいことではない。

 マリーウェザーからアイザック殿下にローズを紹介してもらう。ローズもまた、市井で育ち、貴族社会に不慣れな令嬢。リリスを教えるなら一緒にローズも教えてほしいと。

 彼らの建前を真正面から受け入れての頼みごと、嫌とは言わさない。

 それで、本当にローズにもリリスと同じく対応をするならこちらの負けだが、リリスに贈っているような品物などをローズに贈るとは到底思えない。リリスとの時間に割って入ってきたとしてきっと邪険にするだろう。


「同じ境遇なのに不平等にされたら、わたくしは傷つきますわ。たとえお相手が殿下であれ、錯乱して大勢の見ている前で泣き叫んでしまうかもしれません」

「……そこでわたくしの庇護が必要ですのね。ええ、もちろんよ。わたくしが殿下にわざわざお願いして頼んだ令嬢を差別していたなんて、放ってはおけませんもの。あなたの身の保障、それから幸せになれるようにわたくしが尽力することをお約束いたしますわ」


 マリーウェザーはにっこりと答えた。



 

 マリーウェザーは意外とせっかちなのか、それとも余程鬱憤が溜まっていたのか、話を終えた翌日にローズをアイザックに紹介した。


「殿下、わたくしが間違っておりましたわ。これまでの数々の振る舞いを謝罪いたします。殿下は、貴族社会に不慣れな令嬢に親切にしているだけであることがようやくわかりましたの。それで殿下のお考えに少しでも賛同したいと思い、こちら、ローズ・ダムライト男爵令嬢をご紹介させていただきますわ。リリス様と同じく長らく市井で暮らしておりましたが、この学院に入学しました。リリス様と同じように貴族のルールには不慣れ、どうぞ彼女にもリリス様と同じように教えてさしあげてください」


「はじめまして、アイザック様。よろしくお願いします!」


 ローズはちょこっと膝を折って挨拶をした。

 にっこりと、殿下の名前を呼びながら。


「ローズ様、殿下のことをお名前でお呼びするのは不敬になりますのよ」


 ピシリッとマリーウェザーが注意するとローズは身が縮みあがったといわんばかりに姿勢を正して「申し訳ございません」と謝罪した。


「……あら、ごめんなさい。わたくしったらまた厳しいことを申し上げてしまったようですわ。貴族社会に不慣れですから仕方ないですわね。リリス様も今もって殿下ではなくアイザック様と呼びますし……。わたくしは王妃教育を幼い頃から受けて、その辺は厳しく躾けられてきましたから、もう十五歳にもなる者が一度の注意でそれを聞き入れられないというのはおかしいのではないか、とこれまでもついつい強い口調で注意をしてしまったのです。けれど、長年かけて培ったものだからこそ訂正が難しいのかもしれないと、近頃理解しましたのよ。とはいえ、やはりどうしても厳しくなってしまいますの。ええ、ですから殿下にローズ様のこともお任せしたいのです。わたくしでは今のように萎縮させてしまいますでしょう? どうぞ、殿下の寛大なお心でローズ様のこともよろしくお願いいたしますわね」


 マリーウェザーに謝罪されての頼みごととなれば否とは言えず、アイザックたちは苦笑いをしながらも頷いた。

 

 これで作戦の第一段階は終了である。

 あとは、じわじわと彼らの輪の中で仲間外れにされていくだけ。

 殿下たち自らが告げた「建前」がある以上は最初はそれなりに受け入れる姿勢を見せるだろうが、時間が経てばローズを追い出そうとするに違いない。それまでじっくりとやっていく。そう考えていたのだが……。


(呆れたものね)


 ローズは内心で毒づいた。

 なんと彼らは初日からローズを邪険にした。


 彼らにしかわからない話をして会話に入れないようにする。

 話しかけてもそっけなく返す。

 ローズが、彼らの名前を呼ぶと不愉快そうにする。


 あからさまなお前はお呼びではないという態度。ローズが自ら離れていくようにという目論見だろう。

 少しは受け入れる姿勢を見せると思っていたローズはここまで彼らが愚かであることに驚き、それだけリリスに逆上せ上がって、彼女との時間を邪魔されたくないということだろうと思えば軽蔑もした。  

 だが、それは同時に計画が成功することを意味する。呆れながらもローズは彼らの本心を炙り出すように努めた。


「アイザック様、本日のお昼も、ご一緒させていただきますね」

「ルドルフ様、ここの問題がわからないのですが教えてください」

「バルバトス様の練習の応援に行きますわ」

「ポール様、今度お店に行ってもいいですか?」


 にこにこと話しかけるほど、彼らの態度は冷たくなる。

 それは日に日にひどくなり、ローズの前でリリスにだけ贈り物をし、「リリスはこれほど素晴らしいのに君は同じ市井で育っても……まぁ、リリスは特別なのかな。比べるのが可哀想そうだね」と侮蔑するなんて真似もし始めた。彼らの態度にリリスはまんざらでもない顔で「あなた、辛いでしょう? もう近寄ってこない方がいいと思うわ」など親切ぶってローズに言ってくる。

 そんなことが繰り返されて一月。

 そろそろかとローズはリリスと二人だけのときにぼそりと「どうしてリリス様ばかり……」とつぶやいてみた。無論、故意である。

 すると、リリスはそれをアイザックたちに言いつけた。

 彼女もまた早くローズを追い出そうとして、


「ローズ様がわたしばかりいい目をしてと言ってわたしを虐めるのです……」


 と脚色し、か弱くウルウルと涙を流しながら訴えたのだ。

 当然、アイザックたちは怒った。

 このまま放ってはおけない。リリスのためにローズを処罰しなければならない。

 だが、ただ処罰するだけではダメだ。今後、似たような令嬢が送り込まれないようにと大勢の前で最後通牒し、か弱いリリスを守る大義名分を打ち立てる――そのような気持ちから昼休みの人が多いカフェで行動に移すことを決めた。

 すべてローズの手の上で転がされているとも知らず。


 そして、その翌日。

 カフェテリアにて、いつものように昼食をとる彼らのもとにローズも交ざろうと近寄れば、


「ローズ! 君は、心優しいリリスに嫉妬して虐めたな。君のような者の面倒はこれ以上見られない! 今日限り私たちに近付かないでもらおう」


 高らかに宣言するアイザック。

 突然のことに、何が起きたのかと周囲が静まり返った。

 一方で糾弾されたローズは計画通り過ぎて笑いだしたいのをこらえ、くわっと目を見開いて、


「ひどいわ!! そうやってリリスさんばかり贔屓して! あんまりよー! うわぁぁぁぁん」


 これでもかと大声を上げて泣きわめいた。

 絶叫と言っていいほどの泣き声に、周囲はざわめいた。

 その姿に、先程の威勢はどこへやらアイザックたちは硬直した。貴族とは平静を装うように躾けられて育つのだ。このように感情をあらわにするなど幼子でなければありえない。思っても見ない反応にどうしてよいのかわからなかった。

 

「いったい、何の騒ぎですの?」


 そこへ登場したのは、マリーウェザーとその友人たちだった。


「マリーウェザー様! 聞いてください。みなさんが、わたしばかりをいじめるんですぅ~」

「まぁ、それはどういうことですの?」


 泣きつくローズにマリーウェザーは心配そうに何が起きたのかを尋ねた。


「それが! アイザック様をはじめ、こちらにいらっしゃる方々は、貴族社会に不慣れな令嬢にいろいろ教えてくださるというお話で、マリーウェザー様からご紹介をしていただきましたでしょう。ですが、あの日から今日までずっと仲間外れにされてきたのです。わたしは、先にみなさんに世話をしてもらっているリリスさんを見習っていましたが、同じように振る舞ってもわたしだけ無視されていました。それから、リリスさんには高価な品々の贈り物をするのに、わたしにはそのようなものを下さったこともなく、それだけならまだしも、わたしの目の前で贈り物をして見せつけ、リリスさんは素晴らしいから贈り物をする甲斐があるけれど、それに比べて同じ市井で育ったわたしはダメだと馬鹿にするのです。わたしはとても辛かったですが、それでもマリーウェザー様にご紹介していただきましたので、頑張って少しでも立派になれるようにと努めてきました。ですが、先程、アイザック様が、わたしがリリスさんに嫉妬して虐めていると言って、もう自分たちには近づくなと……わたしは虐めたりしていません。わたしこそ虐められていたのに!!!!」


 おんおんと泣きながら訴えるローズの肩を、マリーウェザーは優しくなでる。


「……今のお話は本当ですの殿下? 何故、そのような差別をするのです? 礼儀を知らない令嬢にそれを教えているというのでわたくしはローズ様をお任せしましたのよ」


 それから、アイザックに詰め寄った。


「……わ、私たちを非難する前に、その令嬢がリリスを虐めていたことはどうなのだ! リリスに嫉妬して虐めるような心根の者に親切になどできまい」

「ええ、たしかに、人を虐めるのはよくないですわ。ですが、リリス様の虐められたという発言の真偽はどのように確認されましたの? ローズ様は虐めてないとおっしゃっていますわ。見たところ、いきなりローズ様を糾弾されたようですが、こういう出来事は慎重に判断するべき事柄ですのに、ローズ様のお話を聞くことなく、リリス様のいい分だけを信じて行動するなど信じられません。あまりにも一方的ではありませんこと?」

「リリスが嘘を言うというのか!? そんなことするはずがない」

「それならば、ローズ様が嘘を言うとおっしゃるの? 彼女が嘘をいう理由もありません」

「だから! それはリリスに嫉妬して!」

「何故、リリス様にローズ様が嫉妬しますの? 百歩譲って、リリス様の発言が正しかったとしても、嫉妬して虐めるというからには、リリス様に嫉妬するような状況だったということですわよね? つまり、先程のローズ様の発言は真実ということになりますが。ならば、話は違ってくるのではないでしょうか? 自分と同じ立場のリリス様だけがよくされていることに不満を抱くのは当然です。贈り物をするならリリス様にもローズ様にも同じように贈るか、片方にしか贈らないならば贈らない方に配慮してこっそり渡すべきですわ。それをこれ見よがしに目の前で渡されて、自分だけないとわかれば傷つくのは当たり前ではありませんか。先に殿下たちがローズ様をないがしろにしたことがそもそもの原因なら、虐められたというリリス様はお可哀想ですが、そうさせた殿下たちにこそ非があるではないですか? どうして差別されたのです?」

「……いや、それは……」


 マリーウェザーの糾弾にアイザックは口籠った。

 代わりに反論したのは宰相子息のルドルフだ。


「リリスに贈り物をしたのは彼女が頑張っていたからですよ、マリーウェザー嬢。頑張っている者によくするのは当然では? それとも頑張らなかった人間にも頑張った人間と同様の扱いをしろとおっしゃるのか? 貴方は、平等をはき違えているのでは?」


 ルドルフの発言にアイザックやバルバトス、ポールがそうだそうだと同調する。

 それをマリーウェザーはひんやりとした眼差しで見つめ返し、


「頑張ったとおっしゃいますが、リリス様は何をどう頑張って、ローズ様は何をどう頑張らなかったのかしら? どのように判断されましたの? 努力の成果など測りようがないではないですか」

「そ、れは……せ、成績が上がったのですよ。リリスはこの間の中間テストで前のときから比べて随分と順位が上がったのです」

「まぁ、それは何位から何位に?」

「百二十番から九十九番ですよ。二十位以上もあがったのだから随分と努力しているといえるでしょう」


 ルドルフは自信満々に答える。

 全部で百三十人中の順位だ。リリスは自身の成績が暴露されたことに顔を赤らめた。そのような羞恥心はあるらしい。


「なるほど、それは頑張ったといえるかもしれません」


 マリーウェザーが頷くと、アイザックたちはしたり顔をした。

 しかし、


「ですが、それならばローズ様だって頑張ったと言えるでしょう。彼女は五十番から九番になりましたのよ? これほど成績を上げたローズ様を努力していないと判断された理由はなんですか?」

「え?」

「百二十番から九十九番になったリリス様が努力をされていると言われ、五十番から九番になったローズ様が努力をしていないと言われる。これはどういうことですか?」

「……そ、それは……知らなかった……」


 語るに落ちるとはこのことだ。

 彼らはローズがそれほどの成績を収めているなど僅かも考えていなかった。どうせ底辺をうろうろしていると決めてかかってリリスの成績を口にしたのだ。

 しかし、リリスといるために「貴族社会に不慣れな令嬢の世話をしている」という大義名分をかかげ、いかにも誰にでも親切にしている自分たちとアピールしておきながら、ローズのことを何も知らないくせにここまで馬鹿にして下に見るとは、どのような神経をしているのか。

 狼狽える彼らにマリーウェザーは続ける。


「知らない? おかしいですわね。十位以内は成績が公表されるのですから見ていればわかりますでしょう? 掲示板に張り出されているというのに知らないなんて、よほどローズ様に無関心だったということですわね。まぁ、掲示板を見ていなかったとしても、リリス様の成績が上がったから頑張ったと贈り物をするなら、ローズ様にも贈るかどうか考えるために成績を聞くのが平等というものでしょう。ローズ様の成績さえお知りにならないというのはそれをしていなかったということです。つまり、やはり殿下たちが先にローズ様をないがしろにして虐めていらしたのね」


 マリーウェザーはローズの背を撫でていた手を自身の頬に移動させて、ふぅっとため息を吐いた。


「……ローズ様、わたくしはとんでもないことをしてしまったようですわね。

 わたくしは、殿下がリリス様に構いすぎること、リリス様が殿下に不敬な態度をとることを好ましく思わず注意いたしました。そのときに殿下からは『貴族社会に不慣れで困っている者にいろいろと教えてやることの何が悪い。お前こそ、妙な勘繰りをして恥を知れ』と叱られましたの。そこで、わたくしは反省しました。そして、殿下のお心に賛同し、リリス様と同じく貴族社会に不慣れなローズ様のことも親切にしてあげてほしいと殿下にお願いしたのです。ですが、どうやら殿下のお言葉は嘘だったようですわ。貴族社会に不慣れな令嬢に親切にしていたのではなく、リリス様だけを特別扱いしていただけ。そのせいでローズ様にはお辛い目に遭わせてしまい、本当に申し訳なく思います。改めて償いをさせていただきますわね。

 それから殿下。わたくしをお責めになったあの立派なお言葉はすべて嘘で、ご自身を正当化するための建前であると分かった以上、わたくしも黙ってはおられません。これは立派な不貞です。それなのによくもまぁわたくしを批難できたことですこと。とても悪質ですわ。父に報告し、しかるべき判断を仰ぎます」


 マリーウェザーは凛として告げた。

 言いながら彼女の心は晴れやかだった。

 そう、アイザックとマリーウェザーの婚約はアイザックの後ろ盾を得るために王家から頼み込んで成立したものだ。マリーウェザーの父はこの婚約に反対していたぐらいである。故に、アイザックに瑕疵があればすぐさま婚約を破棄に乗り出すだろう。

 それがわかっていたので、マリーウェザーは辛い現状を黙って耐えていた。アイザックを好きでいたので、彼が困る状況にならないようにと我慢した。だが、この婚約が破棄になったとして、マリーウェザーは何も困らない。いや、理由はどうであれ婚約破棄になったという事実は体裁がよろしくはないが、それでも彼女の家柄を考えれば大したものではない。つまり、本来困ることになるアイザックこそがマリーウェザーに気を遣わねばならない立場なのである。惚れた弱みで逆転していたが、それがたった今、正常に戻ったのだ。


「さぁ、参りましょうローズ様」


 マリーウェザーはローズに声をかけて、アイザックたちに背を向けた。

 颯爽と去っていく姿に、彼らは声をかけることもできずに蒼白になって呆然としている。

 その顔にローズの溜飲も下がった。












 目が覚めると、見慣れた天蓋。

 少し頭痛がする額を押さえた。


「わたし……わたくしは……」


 ぼんやりしている。何もかもがぼんやりと。

 夢、を見ていた。

 長い、長い、とても長い夢。

 

(ああ、そう……あれはすべて夢だったのね。わたくし……)


 ローズ・ダムライト()()()()はゆっくりと身体を起こした。

 それから、両手で顔を覆いながら、先程まで見ていた夢を思い出しては、ふふふっと笑いをこぼした。


 ローズは苦しんでいた。

 彼女の婚約者である第一王子・グレイ殿下とのことだ。

 夢の中でのマリーウェザーとアイザックがそうであったように、ローズとグレイの婚約も王室からの懇願で結ばれたものだった。

 現在、この国には二人の王子がいる。

 第一王子グレイ殿下と、第二王子セリオス殿下。

 グレイは正妃の、セリオスは側妃の子。

 しかし、正妃の実家は男爵家、側妃の実家は侯爵家、後ろ盾は圧倒的にセリオスの方が上だった。いくらこの国の王位継承権が生まれた順番であるとはいえ、危機感を持った正妃が陛下に泣きついて強い後ろ盾を得るためにダムライト公爵家のローズとの婚約を成立させた。

 ダムライト公爵は最初この婚約に難色を示した。

 というのも、元々陛下は公爵令嬢と婚約していたのだが、学生時代に正妃と恋に落ち、公爵令嬢と婚約を破棄して、正妃と強引に婚姻を結んだ経緯があるからだ。

 男爵家の娘が正妃になったことで一時は貴族間の派閥争いが激化した。それを鎮めるために侯爵家から側妃を迎え入れたのだ。

 異例ではあるが、側妃に先に子を産ませ、その子に跡目を継がせる。そういう手筈だったはずが、陛下は側妃が妊娠したあとすぐに正妃も妊娠させた。本来であれば無事に誕生するまで正妃を妊娠させないことになっていたのも関わらずだ。そして、不幸にも側妃は流産し、先に正妃の子が生まれてしまった。

 国の法で定められている以上は第一王位継承権は正妃の子になった。

 そのような不義理につぐ不義理を重ねて生まれたグレイと、可愛い娘の婚姻を結ばせたいわけがない。だが、もしダムライト公爵家がグレイの後ろ盾にならなければ間違いなく国は荒れるだろう。国家の安寧のため、渋々とこの婚約を受け入れたのだ。

 幸いというべきは、ローズがグレイを好いたことである。

 ローズはこの婚約の意味を深く理解し、グレイを支えていくのだと懸命だった。

 しかし、当のグレイは陛下同様に学院内で出会った男爵令嬢レイラを寵愛しはじめた。ローズは動揺しながら、もし自分との婚約を破棄するなんてことになったら、今度こそこの国の貴族たちは許さないだろうし、確実に国は荒れる。何より愛するグレイが酷い目に遭うと思えば、どうにかしなければと必死になっていた。

 すべてはグレイを愛していたからである。

 だが、だんだんと不満が募っていった。

 何故、ローズばかりが必死になっているのか。

 一番必死にならなければならないグレイ本人が好き勝手しているのに、困ることになるのはローズではないのに、何故なのか。


 その結果が、あの夢だったのだろうとローズは思った。

 ローズは心の奥底ではずっと誰かに助けてほしかった。だから夢の中で自分がそうしてほしかったようにマリーウェザーを助けた。助けながら、抱いていた不満を、本当は言いたかったこと、疑っていたことをすべてぶちまけて、ローズの考えの通りだったと証明して、やり込めてやった。

 もちろん、現実ならあんなにうまくはいかないだろう。あれはローズの願望がなしえた夢だ。だが、そのおかげで気持ちはさっぱりとしていた。現実ではできなかった、悪意も、怒りも、憎しみも、すべてを出し尽くし、達成感まで感じている。

 それはローズにとって劇的な変化をもたらしていた。

 あれだけあった不満がなくなって、同時に殿下への執着も綺麗に消えてしまったのだ。

 ローズはようやく恋という夢から醒めたのである。


 そうなれば、もう我慢しているのも馬鹿らしい。

 責任を負うべき人物にきちんと負わせるために適切な方法をとることにした。

 具体的には、ローズは朝食前にダムライト公爵の元に行き、グレイの動向についてすべてを打ち明けた。それは国家が荒れることを意味したが、これまでローズはローズの背負うべき以上の責務は果たしてきた。これ以上は背負えない。ならば、倒れきる前に次の手立てを求めるべきだと今はそう思えた。

 ダムライト公爵は、これまで黙っていたことを怒りはしたが、ローズの気持ちを考えれば仕方ない、よく今まで頑張ったと最後は慰め、あとのことは任せなさいと告げた。


 ダムライト公爵の行動は早かった。

 ローズの話を聞いたすぐその足で城へ向かい、グレイとローズは婚約破棄を申し出、ダムライト家は第二王子側に付くと宣言した。

 それを皮切りに貴族たちは決起し陛下の退位と王位継承権の順番について変更を求めた。

 陛下は抵抗を試みるもダムライト公爵まで敵に回ってしまっては勝ち目はない。最後は退位を受け入れ正妃と共に北の離宮に移居した。そして、建国より続いていた国法の改正が行われて、第二王子セリオスを王位継承一位に、彼が即位可能の年齢になるまで王弟であるランスロット公が後見人として王の座についた。

 また、第一王子グレイは完全に継承権は剥奪され王家を出され、卒業と同時にレイラの家に婿に入る予定だ。それは娘を苦しめられたダムライト公爵の意向が強く反映された形であり異例の処置だった。

 だが、当然のようにグレイはこの決定に異議を申し立てた。

 というのもグレイが即位した場合、セリオスは公爵の位を賜り王家を出ることになっていたからである。自分も同じように公爵の位を寄越せと恥知らずにも訴えてきた。

 それには、


「兄さんは本当にご自身の立場をご理解されていないようだ。この一連の出来事も、兄さんが立場を理解してローズ嬢を大切にしていれば起きなかったというのに…… まぁ、そのおかげで私は王位につけましたし、半分とはいえ血の繋がった兄ですからこれ以上を求めるつもりはありませんでした。しかし、まだかように恥知らずな申し出ができるとは度し難い。兄さんのような人が貴族でいれば誰かに担がれて王位に返り咲こうとするなんてことも考えられます。残念です」


 とセリオスは告げた。

 それはつまるところ死刑宣告だった。

 粛々と処罰を受け入れていれば命までは取らずにいたのに……血濡れのない形で即位したかったが異分子は処分するにこしたことはない。或る意味では丁度良かった。それに、これには苦労してきたローズとダムライト公爵への償いの意味もあった。彼らがいくら権力を持っているとはいえ流石に王族の命を取ることはできなかった。それはセリオスの役割だった。



 そして、ローズである。

 


 ローズには新たな縁談がきた。

 お相手は、隣国の第二王子キーラ殿下。先方から是非にと言われ、とりあえず会ってみるだけでもとダムライド公爵にも薦められた。

 隣国は魔術が盛んな国で、ローズはかねてより興味があった。それにどうしても確かめておきたいことがあり従うことにした。

 馬車で二週間の長旅を終えた翌日、キーラは待ちかねたとばかりにローズの仮住まいとして宛てがわれた離宮へと会いに来てくれた。

 穏やかそうで優しそうな人柄の良さがにじみ出た笑顔に、ローズは懐かしいような気持ちになった。

 以降、二人は時間の許す限り一緒に過ごした。互いにおしゃべりなたちではないので会話はそれほど多くはなかったが、黙っていても少しも苦痛ではなく、心地よくさえあった。それはこれまで経験したことのない不思議な感覚だった。

 そうして一週間が過ぎ、本日はローズの歓迎の夜会が催される。

 その前に、キーラ殿下の母君、つまりは王妃殿下とのお茶会に誘われている。

 定刻になり王妃殿下のサロンへと案内されるローズの顔は緊張していた。


「お招きいただき、ありがとう存じます」


 ローズはカーテシーをした。

 王妃殿下はその様子をじっと見つめていたが、やがてにっこりと微笑み


「ああ、()()()あなたのカーテシーはとてもきれいだわ」

「……ありがとう存じます。()()()()()()()()()殿()()


 マリーウェザー王妃殿下。それが隣国の王妃の名前。

 彼女はかつてローズの国に暮らしていた公爵令嬢であり、アイザック陛下の婚約者でもあった。だが陛下はリリス男爵令嬢と恋に落ち、マリーウェザーは婚約破棄をされた。その後、隣国へと嫁いだのだ。

 ローズはずっと引っかかっていた。あの夢のことである。登場人物たちの名前――アイザック、リリス、マリーウェザー。それらはすべて実在の人物と同じだった。かつての彼らの関係性が、今のローズの関係性と似ているから夢の中で変換されていたのだろうかと最初は思っていた。だが、キーラ殿下からあまりにもタイミングよく婚約の申し込みが届き疑問が生じた。

 あれはローズが勝手に観た夢ではなかったのではないか?


「お座りなさい」


 言われて、ローズは席についた。

 側仕えがお茶を持ってくる。――()()()()()()()()()()()

 これはつまり、そういうことなのだろう。


「王妃殿下。どうして、わたくしにあの夢を?」


 ローズは真っ直ぐに尋ねた。

 マリーウェザーはおっとりと笑う。その目は柔らかい。


「あなたはわたくしに似ていると思ったのです。だから放ってはおけなかった。それでこの国で開発された特別な魔術を使って夢を見せることにしました。自身の姿を客観視することで見えてくるものもあるでしょう」


 その通りだった。あの夢を見たおかげで、ローズは何故自分だけがこれほど我慢をしているのか。そのおかしさに気付く事ができた。こちらから、婚約破棄できただけでも良かったのだと思う。

 マリーウェザーは、それができなかった。陛下は卒業パーティーで高らかにマリーウェザーに婚約破棄を突きつけて大恥をかかせたと聞いている。あのままずるずると長引いていればローズもそうなっていたかもしれない。

 それだけでも感謝してもしきれないのに、マリーウェザーは更には自身の息子であるキーラとの婚約の打診までしてくれた。

 どうしてここまでよくしてくれるのかローズには不思議だった。


「約束をしたからです」

「約束ですか?」

「ええ、わたくしのために真実を明らかにする代わりに、わたくしはあなたの身の保障と幸せになれるように尽力すると約束をしたでしょう」


 それは、たしかに夢の中で交わした約束だ。

 アイザックの本心を炙り出す代わりに庇護してほしいと告げると、マリーウェザーはローズが幸せになれるよう尽力すると言ってくれた。

 しかし、あれはアイザックに不敬な態度をとるので、それで咎を受けないよう取り計らってほしいという意味だった。現実での話ではない。というより、あのときは夢を現実だと思っていた。


「そうね。けれど、わたくしは嬉しかったのよ。最初は夢を見せるだけであとはあなたに判断を委ねて静観するつもりだったの。だけれど思いがけず、あなたがあのような申し出をしてくれ、夢の中とはいえ、おかげで、わたくしの悔しかった気持ちも昇華することができたわ。だから、わたくしは、あなたのために現実でも尽力しようと思ったの」


 マリーウェザーはいつのまにか少し砕けた口調になっていた。

 そして話された内容も……誰にも言わずにきたマリーウェザーの悔恨だ。

 アイザックとのことはもう十数年も昔の話になるが、マリーウェザーの中ではずっとわだかまるものがあった。一方的に非難され否定され、まだ年若かったマリーウェザーはうまく言い返すこともできずに、心の中にくすぶり続けていた。だが、あの夢の中でローズと共にアイザックをやり込めて心の汚泥が綺麗になったのだと。


「ね、だからこれはお礼。親馬鹿と言われるかもしれないけれどキーラは自慢の息子。結婚相手としてもおすすめよ。それにあなたが義娘になってくれたらわたくしも嬉しいわ。だからね、わたくしのためにもお嫁に来てちょうだい」


 まさかのマリーウェザーからの代理プロポーズと、そう言って微笑む顔があまりに晴々としていたのとで、ローズは面食らいながらもたまらずに笑った。

読んでくださりありがとうございました。


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