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あなたは私が守ります!  作者: 神代ちまき
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デルタエル公爵家にて6

 アティアと出会ったのは、5年前の教会。父親を事故で亡くしたばかりで、教会で奉仕活動をする事で寄進されたり教会で育てている野菜などの食料を分けてもらえると聞いたとやってきた。初めて見たアティアは天使が顕現したのかと見紛うばかりの美しさで、蜂蜜色のくせのない髪にぱっちりとした翡翠の瞳は吸い込まれそうなほど輝いていた。

 4歳になったばかりだというアティアだが、時々妙に大人びた空気を纏い、その並外れた美しさで周囲の子供たちから浮いた存在だった。物静かで頭がよく、言いつけられた作業はまじめにとり組む。しかしまだ4歳の彼女に、任せられることは少ない。俺はいつしか、奉仕活動にやってくる彼女の面倒を見るようになっていた。


「おかあさんね、おとうさんが死んじゃってからずっとげんきないの」


 それは冬のある日、アティアが教会へやってきてから半年が過ぎたころだった。裏庭の掃除をしていた時に白い息とともにぽつりと漏らした言葉は、どことなく大人びていた彼女を年相応に幼く見せた。

 アティアの母親は腕のいい刺繍職人で、その繊細な刺繍は王侯貴族にも評判がいいのだと神父様から聞いたことがある。しかし夫を亡くしてからは気鬱を患い、刺繍針を持つことすらないという。

 なんと言葉をかけてやればよかったのだろうか。たった7歳の自分が言葉を探して沈黙していると、アティアは振り払うように笑顔を見せた。


「わたし、がんばるね! またおかあさんが笑ってくれるように、がんばるね!」


 アティアはずっと、その時自分にできることを精一杯の力で取り組んでいた。自ら食事を取ろうともしない母親のために毎日スープを作っては食べさせ、6歳くらいになった頃には、教会の奉仕の後で市場へ働きに出ているという。あちこちの店で様々な雑用を引き受けては、わずかな駄賃や店の残り物をもらう日々。

 母親の笑顔を取り戻すために、毎日必死で働いて、弱音などけっして吐いたりしなかった。そんなアティアだからこそ、神父様や市場のみんなは彼女を可愛がったし、あの愛らしさと美しさで不埒者の興味をひかせないようなるべく裏方の仕事をさせて、出歩くときは夏でもフードを目深に被らせていた。

 アティアと出会って5年、彼女が遊んでいるところを一度たりとて見たことはなかった。成長してできることが増え、市場のみんなの心配をよそに店番なども引き受けるようになると、彼女を養女に迎えたいという話も多くあった。けれどアティアはそのどれにも頑として応えることはなかった。療養しているアティアの母親も、相当な美人であるという噂を聞き、母子ともに囲い込もうとする輩がほとんどだったからだ。

 アティアの母親がついに床に臥せるようになると、彼女はさらに仕事を増やした。教会の奉仕活動に市場の雑用に加え、夜は自宅で母から習っていたと刺繍の仕事もはじめた。さすがに母親のような腕利きの職人技とまでは到底及ばないが、繊細で丁寧な刺繍は評判がよく、教会で特別に寄付と引き換えられるまでになる。

 俺は命をすり減らすような日々を送るアティアを見ているのがつらく、せめて食事だけはと週に何度か、アティアの家を訪ねて料理を作るようになった。

 孤児の身で教会に養われているだけの自分には、アティアを守ってやるだけの、寄りかかって貰えるだけの力などなにもなくて、それが何より悔しかった。


 そして数か月前の夜、いつものようにアティアを家まで送って教会へ帰っていたとき。一台の馬車とすれ違い、俺がやってきた方向へ向かって走っていく。それをなんとなしに振り返って見送っているうちに妙な胸騒ぎを覚えた俺は、急いで元来た道を引き返して走った。角を曲がればアティアの家だというところで、彼女の悲鳴が聞こえた。


「アティアあああああ!!!!」


 声の限りに叫んで全力で走れば、先ほどすれ違った馬車へアティアと彼女の母親が馬車へ押し込められようとしているところだった。アティアは両手足を激しくばたつかせて必死の抵抗をしていたが、母親は無反応でまんじりとも動かない。ついに強硬手段へ出るやつが現れたのかと頭に血が上り、無我夢中でアティアを担ぎ上げている男の腕に飛びついた。


「アティアを放せ!」

「ちっ ガキが邪魔すんじゃねえ!」


 あっけなく振り払われた俺は家の壁に強か体を打ち、そのまま気を失ってしまった。


「――――ケイシャ、しっかりして。ねえ、ケイシャ――――」


 嗚咽交じりのアティアの声がして、泣くなよアティア。泣かないでくれよ。そう願いながら目を覚ますと、そこには攫われようとしていたアティアが、ぼろぼろと大粒の涙を流しながら俺に縋りついていた。


「アティ、ア、無事だったのか……?」

「うん。あの後助けてくれた人がいて、襲ってきた人たちは警備隊に連れていかれたの。ごめんねケイシャ、ごめんね……」

「なんでお前が謝るんだよ……俺こそ、お前を助けてやれなくてごめんな……。無事でよかった。だから泣くなよ」


 思えばアティアの涙を見たのはそれが初めてだった。どんな時も気丈で前向きだったアティア。肝心な時に守ってやれなかった非力な自分には、つくづく嫌気が差す。今回は助けがあったからよかったものの、アティアがこのまま成長すれば、こういった事はまた起きる恐れがある。俺の腕の中で泣きじゃくる小さな体を抱きしめて、強く強く誓った。

 アティア、俺は必ず、お前を何からも守ってやれるだけの力を身に着けてみせる――――と。


 いきさつを話し終えた俺が改めて公爵様と師匠を見れば、ふたりとも凄まじい殺気交じりの魔力を放ち、部屋の温度がみるみる急低下していく。指先や耳が冷えで痛みを感じ始めたのは錯覚ではない。


「あ、あの……」

「話はわかった。父だな」

「え?」


 公爵様の言葉に話が見えず訊ねれば、彼は深いため息をついてソファへ背を沈めた。


「アティアとカティアを攫おうとした者たちを制圧したのは、父直属の部下たちだ。おそらくそういった襲撃は一度や二度ではあるまい。父上め、私には手出し無用と一切関わらせず話もしなかったが……」

「カティア様のお薬の事もありますから、間違いなく大旦那様が庇護しておられたのでしょう」

「薬って、アティアが母親のためにっていつも買っていたものの事ですか?」

「そうだ。カティアは肺を患い、それが死因となった。だがその治療薬は本来とても高額でな。アティアがどれだけ必死に稼いだところで、毎日続けて飲ませてやれるようなものではない。あの子が一年休まず働いて、ようやく一包手に入るくらいのものだ」


 公爵様の言葉に衝撃を受ける俺の耳に、師匠が続けた。


「カティア様の主治医からも大旦那様の指示と聞いております。アティア様にはくれぐれもご内密にとのことで」

「待ってください! 大旦那様って、アティアのおじいさんですよね!? それならどうして……どうして大旦那様はアティアたちを引き取ってくれなかったんですか!それだけの支援をしてくれていたなら、どうしてアティアがあんなにも働かないといけなかったんですか!」


 小さくて細い指先がぼろぼろになっても、冬の寒さを暖める服を買う金すら母のためにと惜しんだ。家があるだけ、おかあさんがいてくれるだけで、それでいいと笑う幼い彼女を思い浮かべるだけで、胸が引き裂かれそうだった。


「王家も関わる事情があってな。そのためカティアの名はもはや王国記録である、貴族名鑑にすらない。存在の抹消という貴族として最悪の不名誉を負い、最初からいなかったことにされているあれを、引き取ることはできんのだ。それをしてしまえば、今度こそ王家の怒りを買うことになる。だが、アティアは違う。平民のあの子を、いかなる貴族が召し上げるのも自由だ。ケイシャ、私はね、アティアにはカティアの分も淑女として幸せになってもらいたいと思っているんだ」


 公爵の怜悧な眼差しが、俺の隠した本心を見透かす。俺がアティアを守りたいと願う、本当の理由を。


「……わかっています。俺は、アティアを守りたいだけです。気持ちを打ち明けるようなことはしません」

「結構、話は決まった。エイド、彼をおまえに任せる。三年で使えるようにしろ。それまでアティアに会うことは許さん。いいな、ケイシャ。おまえは今日これより、アティアのためだけに生きる影となれ」

「はい。それこそ望むところです。お聞き入れいただき、ありがとうございます。師匠、どうかよろしくお願いいたします」

「師匠………」

「いい弟子が出来てよかったな、エイド師匠」

「はははお戯れを」


 これからずっと傍でアティアを守るために、たった三年会えないくらいなんてことない。どんな厳しい鍛錬にも、勉強にも、決して弱音を吐いたりはしない。

 乾いた笑いを漏らす師匠へ頭を下げた俺は、ようやく道を見つけた喜びに胸が震えた。



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