デルタエル公爵家にて5
利き手になかなかの怪我をしておりました。
だいぶんよくなったので、再び更新していきます。
執務室から退室するアティアを見送ったあと、エイドが扉を閉めてアティアの姿を消してしまった。閉まりきるその隙間からアティアを見つめるエイドの眼差しを垣間見て、あの子がこの家で孤立することはないだろうと確信した。
幼い頃から3人一緒に育った身の上で、ギッター伯爵家の次男であるエイドリアンは、腹心の部下だが兄弟同然の存在だ。エイドが妹のように大事にしていたカティアの忘れ形見であり、幼い頃のあれと瓜二つのアティアをないがしろにするはずはない。
アティアの元を訪れる前に寄った共同墓地でカティアとエドモンド殿の墓前に立ち、残されたアティアを必ず幸せすると誓ったのだ。別れから15年、再び会うことは結局叶わなかった悔いは残るが、わたしにアティアを遺してくれたことを心から感謝している。
執務机に座ってらしくもない感傷に耽っていると、扉がノックされた。
「旦那様、お呼びの者を連れてまいりました」
入室を促すと、メイドの先導でアティアと共に連れてきた少年、ケイシャが現れた。薄汚れていた体は湯で清められ、粗末な身なりは与えられた執事見習い用のシャツとズボンに変えられて、幾分か見られる姿になっている。黒い髪に黒い瞳の、よく整った容貌の少年だった。そっとメイドに背を押されて彼女から一歩前に出た彼は、緊張を顕わにしつつも私を見つめている。
「茶の用意を。あとは下がっていい。ケイシャ、こちらへ」
「かしこまりました」
「……はい」
メイドが一礼して続きの間へ茶の用意をしに行くと、ケイシャは緊張した面持ちで歩いてくる。さきほどアティアが深々と体を沈めて慌てていたソファへ腰かけるよう促すと、彼は思った以上に沈むソファに驚きはしたもののすぐに気を取り直し、アティアのように慌てるでもなく座りを整えた。
茶の支度が整うまでどちらも口を開かず、メイドが退室してようやく、わたしは胸ポケットから折りたたまれた紙片を取り出し、指で挟んだそれをひらひらと振って見せる。
「君のことは調べさせてもらったよ。気を悪くしないでほしい」
「いえ、当然だと思います」
アティアを迎えに行ったリベルタ家から公爵家へ戻る馬車へ乗る前に、護衛でついていた騎士のひとりに諜報部へつなぎを取らせてケイシャの調査を命じ、帰宅からほどなく報告がなされていた。
「ケイシャ・グルリッド、12歳か。私の息子のジルバルトと同い年だね。王都で販路を広げていたグルリッド商会の一人息子。ご両親を6年前に馬車の事故で失い、祖母君も間もなく身まかられ、商会を継いだ叔父により教会へ預けられる、か――――」
「間違いありません」
「そうか。君の面倒を放棄して教会へ押しやった叔父に思うところはないのかい?」
敢えてそう訊ねれば、少年の黒い瞳に剣呑な輝きが浮かんだ。ぎゅっと引き結んだ唇が言葉を発するのをためらうように震えるも、呟くような言葉が低く響く。
「あの事故は、叔父の仕業です」
「ほう、どういうことかね?」
「あの事故の日、俺は商談に向かう両親と馬車に乗っていましたが、途中の祖母の家で降ろされました。俺がいつものように両親の馬車を見送っているとき、一台の馬車が両親の馬車を追うように走っていくのを見たのです。そしてそのキャリッジに、叔父の……姿を――――」
「そうか……辛いことを聞いてすまなかったね」
「いいえ……叔父の手に渡った商会も、商才のない叔父ではもはや数年も保てないでしょう。すでに支店は半分以下になっているようですし」
「商会に未練はないということかい? 公爵令嬢となったアティアに一言言えば、グルリッド商会を買収して君の手に戻すことも可能だよ」
「俺は、そんなことのためにここへ来たんじゃありません!」
激昂して立ち上がったケイシャの首筋に、背後からひたりとナイフが当てがわれる。冷たく硬いその感触に、彼がひっと息を飲んだ。
「エイド、か弱き少年を脅かすのはよせ」
人払いをしていたはずの執務室で音もなくケイシャの背後に忍び寄ったエイドは、アティアへ向けていたそれとはまったく正反対の、温度を感じさせない眼差しでケイシャを見下ろす。ここまで冷徹なエイドも久しぶりに見る。
「旦那様への狼藉を許すわけにはまいりません」
「いいから、彼を放してやりなさい」
「かしこまりました」
そう言って素直にナイフを降ろすと、手品のように袖へ消してしまう。へなへなとソファへ座り込んだケイシャは背もたれに身を沈め、青ざめた顔を俯かせて浅い呼吸を繰り返す。その体は小刻みに震えていた。エイドめ、彼とアティアの関係を穿っているのだろうがやりすぎだ。我が公爵家暗部の統括でもあるエイドの殺気を浴びた彼には、同情を禁じ得ない。私はゆったりと紅茶を飲んでケイシャの様子が落ち着くまで待ち、頃合いをみて話を再開した。
「さて、ならば君がここへ来た理由はなにかな。君はここでどうしたい?」
「俺、は、アティアを守りたい……です」
「ほう、大きくでたものですね」
エイドの眼差しがいっそう冷たくなるが、おまえその顔を絶対アティアやリタクリスに見せるなよ。
「お願いです、俺をあなたの弟子にしてください!」
「――――は?」
再びソファから立ち上がったケイシャは、さきほど命の危機をもたらした張本人のエイドへ深々と頭を下げる。警戒こそ解いた気配はないが、あの駄々漏れの殺気は鎮まったようだった。
「お願いします。俺は、俺はただ、アティアをずっと何からも守ってやりたいんです!」
あまりに必死な訴えに面食らった私とエイドは、ぱちぱちと目を瞬きながら互いの顔を見つめあった。