デルタエル公爵家にて2-アティアー
その後もお父様の話は続き、わたしを紹介するため学園の次の休みに長男のジルバルトを館へ帰らせると言った。王都から馬車で5日かかる領都に住むお母様と次男のリドルフィンには、手紙をしたためたが実際に対面するのはまだ未定だという。
お父様の話がひと段落したところで、わたしはずっと気になっていたことを訊ねる事にした。
「あの、お父様」
「なんだい? アティア」
母にそっくりな美しい容貌が、蕩けるような笑みでわたしを見つめる。2度も失ってしまった母を想起させて胸が絞られるような痛みが走り、慌てて目に力を入れて溢れそうになった涙をせき止めた。
あまりに嬉しそうなその笑顔は、前世でついぞ見た覚えがない。確か前世では、これら諸々の事柄は執事長のエイドさんが話してくれたはずだった。公爵家へ引き取られるのが前世より1年近く早いので、全てが前世をなぞることはないのかもしれない。
「あの、わたしと一緒にお館にきたケイシャなんですけど………彼は……」
そう、ケイシャは馬車に乗って一緒にここまで来たが、玄関前の車寄せで数人のメイドたちと出迎えていた執事長のエイドさんに連れられてどこかへ行ってしまったのだ。前世ではお父様が迎えに来たとき、家にはわたし1人しかいなかったのでケイシャは立ち会っておらず、そのままお別れとなっていて、その後の彼の様子は全くわからなかった。さよならさえ言えなかった前世とは違いすぎて、彼が今後どうなっていくのかが予想もつかず、心配が募る。
「アティア。俺はおまえのためにここにいる。それだけは忘れるなよ」
決意に満ちた黒い瞳がわたしを見つめ、両手でわたしの手をしっかりと握りしめて彼はそう言った。おそらく、そうやってわたしに触れられる日はもう来ないであろうと解っているかのように、わずか数秒の触れ合いがとても長く感じて、彼のぬくもりがまだ手に残っているかのような気がした。
「ケイシャとは、このあと私が面談を行う予定だ。なに、おまえの大事な友人を無碍にしたりはしない。安心しているといい」
「は、はい。よろしくお願いします。あの、ケイシャは教会でもわたしをいつも気にかけてくれて、子供たちの面倒もしっかり見ていた優しいお兄さんなんです。頭もよくて、魔力もけっこうあると思います。だから――――」
「大丈夫だよ。落ち着きなさい、アティア」
心配のあまりに早口でまくしたててしまったわたしを落ち着かせようと、お父様が対面のソファから立ち上がってわたしの隣に座り、優しく背を撫でる。温かくて大きな手が背を撫でるたびに、焦りが鎮まっていくのを感じた。
「す、すみません……」
「構わないよ。今日1日でおまえには大変な心労があったことだろう。もうそろそろ部屋の用意が整うはずだから、今夜はゆっくりと休むといい。夕食は部屋へ運ばせよう」
お父様が優しくそう言うと、その言葉を待っていたかのように執務室の扉がノックされた。入室の許しを得て開かれた扉からは執事長のエイドさんが現れて頭を下げる。
「旦那様、アティアお嬢様のお部屋の支度が整いました」
「わかった、ご苦労。エイド、アティアの案内を頼む。それと、ケイシャをここへ呼べ」
「かしこまりました。では、アティアお嬢様まいりましょう」
前世の記憶は朧気なことが多いので、彼の事も覚えていることは多くない。確かエイドさんはお父様が公爵を継いだと同時に執事長となった有能な人だった。お父様と同い年で、元は幼いころからお父様の従僕として仕えていたので重職にありながら若い。お父様に促されてソファから立ち上がったわたしは、手を引かれてエイドさんの所へ向かった。
「改めましてご挨拶申し上げます。デルタエル公爵家の執事長を拝命しております、エイドリアン・ギッターと申します。どうぞ、エイドとお呼びください」
幼いわたしの目線に合わせ、エイドさんは片膝をつくと恭しく頭を垂れる。わたしはカーテシーでそれに応え、静かに慎重に頭を垂れた。
「はじめまして、アティアです。どうぞこれからよろしくお願いします」
「丁寧なご挨拶をいただき、恐れ入ります。それではお嬢様のお部屋へご案内いたします」
端正な容貌でにっこりと微笑んだエイドさんは、立ち上がるとわたしを廊下へと促す。廊下へと進めかけた足を止め、慌てて振り向いたわたしは、今度はお父様へカーテシーと共に退室の挨拶を述べた。
「それではお父様、失礼いたします」
「ああ、ゆっくりお休み。頼んだぞ、エイド」
「はい、旦那様」
今度こそ執務室を辞したわたしは、エイドさんの先導に従って廊下を進む。するとメイドに連れられたケイシャが下の階から階段を上がってくる小さな姿が見えた。声をかけたかったけれど、わたしの言わんとしていることを察したエイドさんが首を振る。
「ケイシャくんは旦那様からの呼び出しを受けているのです。いくらお嬢様でもその足を止めてはいけません」
「そ、そう……ですよね。ごめんなさい、エイドリアンさん」
「エイドとお呼びください。大丈夫ですよ、アティアお嬢様。あなたを案じてここまでやってきた勇気のある少年を、旦那様が悪いようになさるはずがありません」
「そうですよね。ありがとうございます、エ……エイド……」
「はい、結構です。それでは参りましょうか」
ためらいがちにエイドを呼び捨てると、彼は満足そうに笑みを深めて見せたのだった。