【99.あの日⑤】
暗闇の地下室に逃れた二人は、侵略者たちの好き勝手な話し声を、膝を抱えたままで耳にした――
「おい、お前ら」
「あ、デクラン隊長」
「ここには、誰もいなかったか?」
「はい」
「外に、厩がありました。逃げたのでは?」
「北へ向かった形跡があったから、追わせた」
「ウチらの馬より速いのなんて、そうは居ませんよ」
「そうだな…」
「隠れてる奴もいるだろうからな。くまなく探せ。夜は、ここで過ごす」
「は!」
「ところでお前ら、ほどほどにしとけよ。程度ってもんを知れ」
「あ、はい…」
嗜めるような声が聞こえて、一つの足音は離れていった――
それから10分くらいだろうか。
家屋を物色する物音や足音が遠ざかると、やがて人の気配も消え去って、地下室に静寂がやってきた。
「……」
傍らで膝を抱えて丸くなっているリアを確認すると、ロイズは改めて部屋の中を見回した。
全面が灰白色の、無機質な長方形の空間。
壁には細かな凹凸が認められるが、表面は固められていて、触っても砂が生まれる事は無かった。
採光口は三方向。
指を二本、上下に並べた程の大きさではあったが、それが短辺には二か所、長辺には4つが設けられていた。
当然ながら視界は悪い。恐らく地上では、人工物があるとバレないように、石や草木で覆っているのだろう。
昼間だというのに、三日月の夜に降り注ぐ星明りほどの光度しか無かった――
(これを、造ったんだな…)
ぽつりと、過去を描いた――
つまりは、予測をしていたのだ。
作業場から続く地下室は、外気温の変化を受けにくい。砥石や修理品の保管場所として使われていた。
ロイズの知る限りでは、部屋の広さは十分で、保管庫をもう一つ造る必要は無さそうに思えた。
「ごめんなさい…」
隣から、ふいに小さな声音が漏れ出した。
ロイズが視線を移すと、膝を抱えたままの状態で、リアの華奢な身体が小刻みに震えていた。
「言えば、よかった…」
「何を?」
見当もつかない言葉がやってきて、何気にロイズが聞き返す。
「分かってたのに…」
「……」
続いた発言に、少年は現在直面している事態を指しているのだと悟った。
「なんで…分かったの?」
叱責する訳でもなく、ロイズは普段通りを装って、優しい声音で促した。
塞いだ心を解すには、言葉のやりとりは重要な過程である。
当然ロイズにそんな意図は無かったが、結果として僅かであっても、リアの心に風穴を開けられた――
「鳥がね…」
「とり?」
「うん…鳥さんが、飛んで行ったの。夕方に…」
膝を抱えたままの体勢で、リアは訥々と口を開いた。
懺悔をするように。加えて、赦しを求めるように――
「お父さんが、教えてくれたの…鳥がみんなで飛んで行く時は、注意しろって…」
「いつ?」
「狩りに行った時。動物が一番怖がるのは、人間だって…その向こうには、人が居るかもしれないって」
「……」
耳に届いた思い出話に、そういえばと少年は一つを思い起こした――
父さんも昨日、外の様子を窺っていた気がする…
ロイズの父親は、農作業の傍ら、都市部へと足を延ばしては日用品の買い付けなんかも行っていた。
付近の住民から頼まれた品を市場で買ってくるのだが、その度に家を空ける事になる。
物心がついた頃から、ロイズに母親らしき人は居なかった。
故に父親が出掛ける際には、リアの家に泊まりに行くという習慣が出来上がっていたのだ。
そんな父であったから、当然新しい情報を受け取る機会が増える。
もしかしたら、確信は持てないまでも、不穏な動きを察知していた可能性がある。
「ごめんなさい…」
静かな灰色の空間に、沈んだ声が吐き出された――
「リアは、悪くないよ?」
父にとってもまさかだった出来事を、小さな身体が抱え込む必要はない…
例えそれが、痛恨の極みだったとしても…
「……」
しかしながら、慙愧を想い起こしてしまっては、簡単に心を戻す事など出来よう筈もない。
塞いだ少女は、ひたすらに沈黙の時間を垂れ流した――
夜を迎えると、地階の暖炉に火が入り、寝室は数人の男たちが集う場所となった。
「隊長、楽勝でしたね」
「まあ、そうだな」
「この辺りは、鍛冶屋が多いのですかね」
「この家も、そうみたいだな。目ぼしいモノは献上するから、残しておけよ。それ以外は、好きにしろ」
「そうでなくっちゃ!」
「でも、驚きましたよ。この辺りを襲うって聞いた時は」
「反乱分子が育ちつつあるって事でな。併合するって話だ」
「確かに、それは分かりますわ。ここの奴ら、士気が低かったですもん」
「食料の供出も、渋ったみたいですよ?」
「そりゃあダメだ。俺たちが守ってやってんのに」
「……」
静寂な夜の会話は、当然ながら階下の二人にも聞こえている。
徴兵に加えて、度重なる食料の供出。
カティニの住民の疲弊は明らかで、父の元を訪れる不満の声は、日に日に増していた――
それが、襲撃の理由らしい。
子供のロイズに善悪の判断は付かなかったが、地下室へと避難して、震えている状況だけは揺るぎようがない。
それでも彼らの言い分に、黙って耳を傾けるしかなかった――
「そういえば、赤い髪をした女が、居なかったか?」
突然の発言に、ピクと膝を抱えたリアの身体が反応をした。
「東の方へ逃げた連中の中に、居ましたよ?」
「どうした? 若かったか?」
「そりゃあ、殺しましたよ。24くらいってとこですかね」
「そうか…」
「なんか、ありましたか?」
「いや、上の連中でな、赤髪の女を欲しがってる奴がいるらしくてな」
「それって、ロスラヴリの城主じゃないですか?」
「なんだ、知ってるのか?」
「髪色の違う女を集めてるって話ですよ。どんな趣味してるんだか…先に教えてくれたら、捕まえましたのに」
「いや、それでは、取り逃がす可能性が出る」
「確かに…」
「ここら一帯の奴らを粛清しろってのが、そもそもの指令だからな」
「……」
そこまでを耳にして、恐る恐る、ロイズは右側に座る少女へと静かに首を回した。
ぎょっとした――
膝は抱えたままで、しかし顔だけは正面を向いていた。
大きな瞳は茫然となって、瞼は開いたままで、零れ出る涙は湧き水の如く、とめどなく溢れ出していた。
明かりは階段の上。
暖炉へと通じる隙間から覗く揺らぎを含んだオレンジ色が、灰白色の壁に反射して届くのみである。
そんな仄かな明るさは、無情にも絶望を表現する、二つの大きな濡れた瞳だけを映し出していた――
声は勿論のこと、音や気配すらも起こす事は許されない。
気持ちが僅かでも緩んだなら、止められない。
少女の根底に備わる理性が、泣き声、嗚咽、鼻水、歯ぎしり、荒い呼吸までもを一つに凝縮させた結果、大きな瞳からのみ、悲愴を溢す事態となったのだ――
「……」
なにもしてやれない。
手を触れる。何らかの声を掛ける事も、意識を向ける事すらも…
必死になって抑え込んでいる希薄な膜を、揺らす事などできよう筈もない。
無力となったロイズは、それでも側にいるだけでも彼女の助けになるだろうかと、持ち堪えてくれと祈りながら、ただただ膝の間に頬を埋めるのだった――
朝を迎えた――
気張っていた神経が休息を求め、硬直した筋肉が弛緩を欲したのだろうか。
右肩に重みを感じて首だけを動かすと、リアが半身を預けつつ、こてんと首を傾げて静かな寝息を立てていた。
「……」
助かった――
目が覚めた… 息をしている… 命がある…
心の底から無事に一晩を越えたと安堵して、少年は大きく一息を吐き出した。
採光口から淡い光が落下して、階上からの会話は消えていた――
「……」
警戒を解く前に、暫くの時間を置いてみる。
微かな会話、草を踏む音、呼吸の一つすら逃がす事がないように、静寂の中で耳の感覚を研ぎ澄ました――
「ふう…」
どうやら、人の気配は無いようだ。
少年は意識して、溜息交じりに喉からの声を出してみた。
「むにゃ…」
届いたのは、リアの呑気な声だった。
寝るのが得意で、遊びに行った先でも河原や木陰で転がると、いつの間にか寝息を立てている…
そんな自慢にもならない特技が、今は大いに役立っていた。
「ね…」
少しの安堵を胸にして、しばらくは彼女の軽い身体を支えてやろうと決したところで、漏れ出た声を鼓膜が拾う。
「マ…マ…」
視線をリアに戻すと、あどけない顔つきはそのままで、一筋の涙がすうっと頬を伝って零れ落ちていった――
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