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小さな国だった物語~  作者: よち


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92/218

【92.最善手】

「……」


城の地階。石畳が敷かれた廊下の最深部。

重たい空気の漂う倉庫で、やつれ果てた薄い顔立ちに悲壮を纏った間抜けな男が、臀部を床につき、膝を曲げ、虚空を見上げるような表情で腑抜けになっていた――


ほんとに… マルマの言う通り…


感情だけを凝視して、立場を顧みなかった…


彼女からの好意などというものを仄かに灯して、なにを浮かれていたのだろうか…


「……」


年下の女中から叱責を受けたラッセルは、暗澹たる表情を両膝の間に(うず)めた――


戦いが終わってからの数日間。

ベッドで心に巡るのは、己の後悔であったり、今後の処遇の事ばかり…


屋上での誤った選択と、無様に気絶させられた武芸の練度。

そして、守ると誓った王妃様への謝罪を如何に行うか…


ちがうだろ?


尚書の立場であれば、執務室に居場所を望むなら、考えるべきは、この国の前途を描いた現在(いま)なのだ――


「……」


一介の女中という立場でありながら、マルマはいつだって未来を向いていた。


彼女と比較して、自分の心はいったいどこに在ったというのか――


「ははっ」


ラッセルの口元が、可笑しくなって思わぬ声を発した。


異性としての憧れ、敬愛、恋慕…

そんなものを総て顕わにしたようなあの方には、そもそも相手が居るではないか――


リア様と…彼女が慕う、ロイズ様…

二人の側から、離れる道などありえない。


そうであるならば、一人が脆くなっている今、支えるべきは…いったい誰だ?


それを、誰が為すんだ?


「……」


自らに問い掛けて、答えを探す。


そんなもの…

既に自覚しているだろうに…


外堀を埋めて、土台を築いて、確固たる意志を宿して、ようやくラッセルは浮ついた心を固めることができた。


ライエルは勿論。グレン将軍でもない。

マルマやアンジェさんに、何が出来ると言うのか。


それならば、あの日リャザンで直接請われた、自分が支えるしか無いではないか――


「ふふっ」


確かな意志を宿して、ラッセルは薄い顔の表皮に含み笑いを浮かべた――


無駄な時間を過ごしたか… いや、そうではない…

愚者にとっては、必要な時間であったのだ――


今を見て、前を往く――


ただ、それだけでいい…


「仕方ないですね…」


強がりを吐き出して、ゆっくりと立ち上がったラッセルは、おもむろに眼前を見据えた。


「……」


三段に作られた木枠の棚が、左右に並んでいる。

一番下には大きな壺が並べて置かれ、食器や水筒が二段目、三段目が水袋だ。

掃除は行き届き、壁の上、採光口から降り注ぐ陽光が、それらの一部を優しく照らしていた――


ここから、もう一度…


部屋に残ったマルマの残響を改めて背に受けて、ラッセルは口元を結んで物置部屋の厚い扉を押し開けた――



前を見据えるにも、手順というものがある。

ラッセルの足はそれを為すために、先ずは食堂へと向かった。


「あの…」

「はい」


廊下に立って細い瞳を向けるも、探す対象は見当たらず、薄い顔の尚書は目の前を通り過ぎた黒髪ポニーテールの女中におずおずと声を掛けてみた。


「ラッセルさんですよね? なにか?」

「あ、マルマを呼んで欲しいんだけど…」


名前を認識されている――

耳を疑うも、大広間で女中を束ねるアンジェに責められた一件を思い出し、納得をした。

国王付きの立場でありながら、影の薄かった彼ではあるが、顔と名前が一致するようになった事は前進であるに違いない。


尤も、蔑視の眼差しが優勢ではあるのだが…


「マルマですか? 分かりました。伝えておきます。どちらに向かわせれば?」

「あ、大広間で」

「分かりました」


最近のアビリの日課は、都市城壁の外で労役を課せられている囚人たちに、昼食を運ぶことである。

空になったお盆を片付けていたアビリが背中を向けると、黒髪のポニーテールが日焼けをした健康的なうなじを前に揺れ動いた――


「……」


彼女がラッセルを認識したのは、大広間の一件ではない。

都市城壁の外で労役を課せられている囚人たちに、初めて昼食を持って行った時である。


将軍グレンとライエル。後輩のライラ。背後に続いた三人の会話の中で、出てきた名前だ。


二人の将軍が心配する程に官位の高い人からも、名指しで頼られる後輩の名…


重ねたお盆を支えるアビリの指先には、自然と力が入るのだった――




「何か、御用ですか?」


二時間後。大広間のベッドに腰掛けて、この国の未来に耽っていたラッセルの背中に対して、ぶっきらぼうなマルマの声が掛けられた。


数日は目を合わさないつもりだった彼女だが、先輩からの言伝を、無下にすることはできなかったのだ。


「あ、ごめん…イテテ」


思わず振り向いて、折れているあばら骨の痛みに襲われた。

それでもラッセルは、真顔を保持してマルマへと真摯な細い瞳を預けた。


「ごめん」

「は?」


冷たい視線を投げやって、夏にも関わらず氷像のような風貌を纏ったマルマに、男は(ひたい)が膝へと接するほどになって頭を下げた。

脇腹には(えぐ)るような痛みが生まれたが、詫びへの思いが断ち切った。


「わざわざ呼び出して、悪かったと思うけど、先ずは、謝らなくちゃ。そうでなきゃ、先に進めないから…」

「……」


頭は垂れ下がっている。


何事かと周囲から注がれる好奇な視線は、やがて真摯な態度を受け取るマルマへと向けられた。


「は、恥ずかしいですよ! 頭を上げてください!」


視線を左右に振って、羞恥に頬を赤らめて、肩身が狭くなったマルマが声を返した。


「許してくれ!」

「は? 許しますから。やめて下さい」


脅されているようなものである。

左手を前にして、オロオロと動揺を隠せないマルマが要求通りに口を開いた。


「ありがとう」

「……」


頭を起こすと、目を無くし、ラッセルの薄い顔立ちは泣き顔のようになっていて、それでも感謝を表した。


「これからも、よろしく」


言いながら、彼の頭は再び下がった。


「わ、分かりましたから。私はもう、行きますからね!」

「うん」


半身になって、一刻も早くこの場を立ち去りたいマルマの声に、ラッセルが瞳を上にした。


「……」


そそくさと去っていく頼もしい背中を眺めながら、ラッセルは温かなものが胸に宿るのを、確かに自覚するのだった――




「ロイズ様。いろいろと、申し訳ありませんでした」


夕刻になり、国王が城内に戻って落ち着くのを待ってから、ラッセルは臨時の執務室へと足を運んで両膝を石床に預けると、丁重なる謝罪を口にした。


「もう、いいのか?」

「……」


壁に沿って置かれた机に向かい、羽根ペンを走らせながら放ったロイズの一声は、普段と変わらないものだった。


大広間の一件、王妃様とのやり取り…


総ての出来事は、耳に入っているに違いない。

その上で、全部を受け止めて、この方は次を求めてくれるのだ。


「……」


随分と、無様な真似をした――

嘲笑されるのは、覚悟の上だ。


それでも、目の前の男を支えるために、前を向くために、顔を上げなければ――


「はい」


左膝を立てたラッセルが決意を表すと、狭い執務室の空気が引き締まった――



「とりあえず、お前の意見を聞こうか」


どこまで知っている? という切り出しで、先ずはロイズが口を開いた。

国家の未来を論じる前に、お互いが(いだ)いている認識を、正しておこうという訳だ――


「このまま、王妃様の回復を待たれるのですか?」

「……」


躊躇なく、一番の肝に尚書が踏み込んだ。


あくまでも、彼女の代理を貫くおつもりですか?


今後の国王としての振る舞いを、先ずは確認しなければならない――


「そのつもりだ」


ぶれる事はない。

左肘を机に置いた国王は、右膝を床に落として真っ直ぐに視線を預けるラッセルを見下ろした。


「ですが、あの状態では…」

「……」


忸怩たる思いを宿して、ラッセルが懇願するように口を開く。


「スモレンスクとの交渉を、直ちに始めなければなりません。我々は、勝ったのです。当然強気に、こちらから、日時と場所を早急に伝えるべきです」

「……」

「総大将が(くだ)ったのです。捕虜を早々に国へ帰すことも、考えなければなりません。時間の経過は、不信感を与える事にもなりましょう」

「……」

「ロイズ様…」

「わかってるよ!」


ラッセルの言い分は、動けないリアを退けて、自らで動けというものだ――


言いたいことは分かる。

しかしながら、それはロイズにとっては険しい選択だったのだ――


「何故ですか?」


強い意志が示されて、ロイズの苦しみを悟って、ラッセルが不可解そうに尋ねた。

傍から見ている限りでは、聡明な王妃様と比較をしても、遜色のない指示を発している。


不安があれば、補えばよい。

そのために、臣下は存在するのだ――


「あいつと違って、割り切れない…」


両手を膝に置いた男の苦悩が、ラッセルの鼓膜を揺らした。


「あいつとは、視野が違うんだよ…ここまでは、なんとかなった。あいつならこうするだろうって、考えられた。でも、ここからは違う。相手が居たら、間違いは許されない」

「……」


内政問題とは違うのだ。

右の拳を強く握って、ロイズが悔しそうに訴えた――


やがて訪れる、スモレンスクとの交渉。

恐らく聡明な王妃は、会談の内容すら描いているに違いない――


しかしながらロイズには、どんな条件が相手から飛び出すか、或いは示すべきなのか、見当すら付かない。


なによりも、初手を間違えたなら、彼女の描いた絵図をいきなり破ってしまうのではないだろうか…

経験の浅い恐怖心が、鎖となって身体を縛るのだ…


「あの方も、普段から悩んでいる筈です」


諭すようなラッセルの静かな声色が、仕える国王の苛立ちを僅かにでも和らげた。


「ロイズ様も、それを知っておいででしょう?」

「……」


続いて、同意を促した。

語尾を上にして、まるで退路を断つように…


「……」


その通りである。


お気に入りの小さなテーブルで、彼女は小窓からの景色を眺めながら、常々考える事を止めなかった――


食事の席では、現場の意見も取り入れようと、パンを持つ手が何度も止まった…


重い決断を下した後には、ベッドの中で、胸の中で、小さな身体はいつでも震えていた――


「ロイズ様」


ラッセルが、諭すように、それでも心の奥で慕う彼女の存在を想いながら、一つを吐き出した。


「あなたが出来ないからと、あの方にやらせるのですか?」

「……」

「今の、あの方に?」


顔を上げたままのラッセルは、問い詰めるように口を開いた。


「…仕方ないんだよ」


それでも、ロイズは抗った。


残酷なことは、百も承知なのだ――


しかしながら、私情は捨てなければならない。

今、この国が為すべき一番は、最善手を盤上に叩き込むことなのだ――


「……」


勘弁してくれ…


そんな哀願を含んだ表情で、ロイズは国を想って言葉を吐いた。


「僕では、浮かぶ策が少なすぎるんだよ。わかるだろ?」

「……」


リアにはなれない…


数日前の事である。僅かに回復を果たした彼女との会話。

ワルフを頼って侵略者を滅ぼすという案が飛び出して、痛切に思い知ったこと――


多くの選択肢を紡ぎ出す事ができなければ、最善手は打てない。


彼女が盤前に戻る可能性が残るなら、絶対に排除するべきではないのだ――


「……」


絞り出した結論は、やがて小さな執務室に、停滞という名の静寂を連れてくるのだった――

お読みいただきありがとうございました。

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