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小さな国だった物語~  作者: よち


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【8.誓いの日】



「ラッセル」

「何でしょう?」


トゥーラで一番の駿馬が二人を乗せて、10分も走った頃。鞍の前方で跨るリアが思い立ったように口を開いた。


「寄ってほしいところがあるの」

「今からですか?」

「ごめん……」


ラッセルの渋った声が、リアの後頭部から飛んできた。

無理もない。出発が遅れた上に、寄り道などをしていては、到着が大幅に遅れるのは当然の帰結である。


「わかりました」


それでもラッセルは、王妃の言葉に従った。


帰りを待つ伴侶の心配が、分からぬ筈はない。

それでも掛かる指令なら、従うのが臣下の務め。


声が明るくなったのは、手綱を取った両腕の中で収まる女性との時間が伸びる事も無関係ではなかった――



「この辺りね……」


南に走ってしばらく経つと、およその目的地に達したのか、リアは周囲を確認しながら口を開いた。


「よっと」

「……」


続いて手綱を強く絞って、馬が止まるや(たてがみ)を掴んで、青草の大地へ鮮やかに滑り降りた。

想像以上の身軽さに、ラッセルが思わず舌を巻く。


「え?」


そのまま細い(まなこ)が華奢な背中を追いかけると、続いた彼女の仕草に驚きの声を発した。


「……」


二人の居る場所は、十日ほど前。勝敗の決した場所である。


ぽつんぽつんと目に()まる、動物に食い荒らされた名もなき兵の残骸が、尽きた命を大地に捧げようとしていた。


小さな王妃は麦わら帽子を外して胸に抱えると、片膝を地面に落として、そっと右手を土に置き、頭を下げて静かな祈りを捧げた――


描いた絵図で、倒れた命。敵味方は関係ない。


白樺が生み出す木漏れ日は、白い濃淡の筋を生み出して、スポットライトのように小さな身体を照らした。


静かな草原で、一人だけが執り行う純粋な祈りは、神事すらを遥かに凌ぐ、神々しいものに映った――


(リア様……あなたはきっと、この世界では優しすぎる……)


この先も、どうしたって戦いは続いていくに違いない。

未来を思ったラッセルが、嘆きを胸に灯した――


冷たい風が吹き抜ける。

視線の先では柔らかな赤い髪が靡いて、周囲の短い青草が、踊るように揺れていた――


<支えてやってください>


同時に、あの日の言葉が蘇る。


小さな身体が(まと)う業……

そんなものを、少しでも(はら)えるなら……


青い空を眺めると、細身の尚書は一層の忠誠を誓うのだった――



短い青草の大地を駆って、トゥーラで一番の駿馬は再び東に向かった。


王妃は駆ける愛馬の背の上で、両手で手綱を握ったまま、ウトウトとした眠りに誘われていた――


「……」


眼前で幾らか丸まった、か細い背中に愛しさを感じると、ラッセルは落馬をしないように、手綱を短くして、小さな王妃を庇うために身体を前にした。


自然と白いうなじが近付いて、彼女の産毛までもが瞳に映る。


「……」


触れないようにしながらも、跳ねる馬上。細い(まなこ)は瞑れない。

畏れ多いと理解しながらも、彼は貴重な時間を甘受した――



案の定、トゥーラの都市城門を潜る頃には、すっかりと夜の帳が下りていた。


「リア!」

「ごめん……ちょっと寝かせて」


居住区に入るなり、待ち侘びた犬となったロイズを、リアが冷たくあしらった。

ふらふらとした足取りでそのまま寝室の扉を開けると、ドサッと空気を震わせて、ベッドへと重力のままに身体を任せた。


「あれ……」

「ロイズ様! 遅くなりました!」


肩透かし。

倒れたリアの細い足首を認めると、背後からラッセルが息を切らして現れた。


「遅いぞ!」

「申し訳ありません!」


王妃の外遊は当然極秘。随分と心配をした。


振り向いたロイズが語気を強めると、薄い顔の尚書は石床に片膝を落として視線を下にした。


「……無事に戻ってきたなら良い。ご苦労でした」


無理を言ったのはこちらである。

真摯な態度のラッセルに、ロイズは詫びを含めて労った。


「はい」


応えると、ラッセルは姿勢をそのままに、顔だけを上げてロイズを見やった。


「何だ?」

「言い訳をするつもりは、ございませんが……」

「何か、あったか?」

「はい……」


促されたラッセルは、帰りが遅くなった理由と共に、感じた懸念を簡潔に伝えた。


「それはもう、苦労をかける……」


行いを耳にして、顎を上げたロイズは瞼を閉じた――


「いえ。お二人に仕えることを、私は、幸せに思っております」


ラッセルの、偽りない本心が、国王居住区の石壁に染み込んだ――




(ん…)


仄かな暖炉の明かりが灯る中、小さな王妃はベッドの上で目を覚ました。


外には星明り。カルーガから戻ってきて早々に寝たのだから、決して早起きというわけではない。


(あれ?)


天蓋ベッドの天井が覗いて、リアは起きたままの姿勢を保ち、ゆっくりと記憶を辿った。


(帰って来て、そのまま寝た……よね?)


自身の状況は、普段の朝と変わらずに、裸であった。

麻の衣服が柔肌の上に被せられ、更にはシーツと毛布が何枚も重ねられている。


「……」


月明かりが注ぐ中、王妃はそっと上半身を起こすと、左腕を掲げて自身を嗅いでみた。


(臭くない……)


振り向くと、ベッドの端の方で、ロイズが端正な顔をこちらに向けて眠っていた。


起こさないようにと気遣いながら、服を脱がせ、身体を拭いてくれたのだ。

しかしながら、全く記憶にない。それほどに、疲れていたという事だろうか……


(髪は……()いてないわね)


たらんと力なく下がった癖のある髪に触れ、ざんねんを想う。


(まあ、いいか……)


梳くのは起きてから。それよりも、今は身体を寄せたかった――


起こさぬようにと気遣いながら、静かに眠るロイズに寄り添うと、リアは伴侶の胸元へ、潜り込むように頬を(うず)めた――




「あれ?」


それから、数時間は眠ったか。リアが目を覚ますと、ロイズの姿は既に無かった。

結局、いつもの朝である。


「おはよう。早いね」


別に、皮肉ではない。

麻の衣服に着替えて扉を開けた伴侶に、紅茶が注がれた木製のカップを手にしたロイズが、いつもの席から爽やかな微笑みを浮かべた。


「昨日は、ありがと」

「何が?」

「ううん…なんでもない」


伏し目となったリアが椅子をそっと引き、向かい合って座った。


「変わりなかった?」


ロイズが口を開いた。

主語は無くとも、当然ながら故郷の話。


「うん。ルシードさんも、元気だった。ウィルもね」

「ウィルか……」


リアが穏やかに答えると、届いた名前を、ロイズが懐かしそうに繰り返した。


「昔はよく、突っかかってきたな……」


続いて端正な顔を窓へ向け、長い睫毛の下の澄んだ瞳で空を眺めると、ロイズは記憶を辿った。


「そういえば、そうだったわね……」


河原の石を使った水切り競争。玉葱掘り。山菜採り。なんでも競った。

子供の頃を思い出し、リアも懐かしそうに微笑んだ。


「木登りだけは、勝てなかったな」

「そうだね……」


リアは伴侶の発言に、青空を向こうにしたオークの木の上で、得意げに自分を見下ろす少年の姿を思い起こした――



「そういえば、伝言があるわ」


ロイズから、スッと差し出された紅茶で唇を濡らすと、リアが改まって口を開いた。


「誰から?」

「ウィルから」

「なんて?」


身を乗り出したロイズが、左肘をテーブルに預けると、続きを期待するように尋ねた。


「『私を泣かせたら殺す』。 だってさ」

「えぇ……」


予想外の返答に、ロイズは思わず腐ったベリーを吐き出すような顔をした。


「冗談よ。でも、覚悟しとけって言ってた」

「そっか……」


伴侶の発言は、一人の男が託した重しである――


敗北宣言とまでは行かぬとも、彼なりの承認が窺える。


小さなテーブルの向こう側。

両手で支えた木製のカップを口元に運ぶのは、共に遊んだ少女の頃の面影を残したままの、かけがえのない女性である。


寝起きの彼女を眺めながら、少年の心を汲んだロイズは、背中を椅子に預けて瞼を閉じると、口角を少しだけ緩めてみせるのだった――



「あれ、早いですね」


ふいに扉が開くと、しっかり梳いた、それでも癖の残る赤い髪を背中に流したリアを認めて、ラッセルが驚きの声を発した。


「さすがにね……」


昨日は一日、苦労をかけた。

元々の原因を辿るなら、養父のルシードに起こされるまで寝ていた事に起因する。


ラッセルの皮肉に対しても、リアは恐縮するしかなかった――


「ところで昨日でしたか、リャザンから書状が届いたそうで」

「ああ。そこに置いてある」


尚書の発言に、ロイズは右の人差し指で背後に備わる机を指差した。


政治の話はリア任せ――


国王という立場になっても徹底するのは彼なりの考えがあるのか。


机の上に無造作に置かれた書状を手に取ると、ラッセルは広げることなくリアへと手渡した。


「同盟の件でしょうか?」

「でしょうね……」


括られた麻紐を丁寧に解くと、リアが書状を開いた。


「うーん……」

「なんと?」


書状の内容に、紅い口元が締まって、困惑が飛び出した。

動きが止まったリアの瞳を認めると、ラッセルが書状の内容を尋ねた。


「面倒は必要ないと思っていたのに……無理みたいね」


呆れた声を発しつつ、王妃が書状をラッセルに戻した。


「……これはつまり、同盟の調印式をやるから、来いという事ですね」


細い目で文字を追ったラッセルが、簡潔に内容を語った。


「そう。完全に上から目線ね。そりゃあ向こうにしてみれば、トゥーラなんて属国なんでしょうけど……」

「では、ロイズ様が向かう事に?」

「……あなた、行きたい?」


王妃は肩を落とすと、ラッセルの問いかけに、僅かな時間を稼いで訊いてみた。


「え? どっちでもいいよ……」


唐突に問われると、ロイズは無関心に答えた。


示された選択の放棄は、決した事に従うのと同義である――


当然ながら、彼は承知の上で発言をしている。


「ラッセルは、どう思う?」

「そうですね……形だけとはいえ、要請されましたからね……」

「属国としては、メンツを潰す訳にも行かないか」


細い瞳が具申する。

小さな背中全部を椅子に預けた新米王妃は、ため息交じりに卑屈な物言いを吐き出した――


「あ、私は行かないからね!」

「……え?」


続いたリアの発言に、一呼吸を置いたラッセルが、思わず声を発した。


「なんとでも理由を付けて、二人で行って。私は、最初からそのつもりだからね」


反論は受け付けないとばかりに、ピシャリとリアが言い切った。


「向こうだって、草案からワルフがやってるんでしょ? 交渉は、卑屈になっちゃダメ。対等に向き合わなきゃね」


リャザンの動向を図るなら、国王(グレプ)が自ら指揮を執っている筈はない。

調印式には国王同士が必須でも、同席するのは臣下で十分という算段だ。


実権を握る王妃までが出向いては、宗主国の言いなりになりかねない。


「あなたには、カルーガに向かう道中で、話しておいたでしょ?」

「……」


明確なる発言は無かったが、麦わら帽子の下から覗いた憂いの表情が脳裏に浮かんだ――


「畏まりました」


ラッセルは、従わざるを得なかった――



それから数日後。昼下がりのティータイム。

王妃は窓際のいつもの席に腰を置いていた。


「それで、同盟の件は煮詰まった?」

「はい。大筋では」

「ご苦労様。内容は大丈夫?」

「特に、悪い条件は無いと思います」


同盟についての詳細を、傍らに立つ細身の尚書が語った――


「無茶を言ってくるかと思ったけど、そうでも無かったわね……」


リアにとっては独立を果たしたというよりも、()()()()()という認識だ。


相手も負い目があるのだろうか、「貢ぎ物をしろ」「平時でも兵を貸せ」といった条件もなかった。


「ワルフの事だけど…」


ふいに、王妃が口を開く。


「はい」

「私が絡んでるって考えてると思うの。まあ、実際そうなんだけど……」

「……でしょうね」


ラッセルが、呆れたように肩を竦めた。

国力差があるにも関わらず、対等な条件で同盟を結ぶのは、二人の関係が考慮されているに違いない。


「あまり……思われるのもね。だから、あなたに任せるのよ?」


麦わら帽子から覗いたあの時の憂いの表情そのままに、上目遣いがラッセルを射抜いた。


「お任せください」


期待に応える事が、彼女を守る事に繋がる――


誓ってラッセルは、胸の中央に右手をやって、深く頭を下げるのだった――

お読みいただきありがとうございました。

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