【63.弔いの酒】
生死の境を彷徨う者がいる一方で、戦いの後始末は続いていく。
過去に倣うよう、グレンとライエルに大まかな指示は送ったが、節目での視察と最終確認は、優秀な伴侶に引継ぐために、国王自らで為さなければならない。
ロイズの姿を求めて城へとやってきた美将軍は、話し掛けられて頬を赤くした女中から居住区へ向かわれたと耳にして、地階の廊下で背中を壁に預けて待機した。
整った顔立ちにも疲労の色は隠せなかったが、前髪を後ろに縛って、それでも凛々しくあろうとする立ち姿は、通り掛かった女中が思わず見惚れて、手にしたお盆を落としてしまう程であった。
「捕虜は、北の練兵場に集めました。また、リャザンからの援軍が、城外の監視を行っております」
螺旋階段から降りてきたロイズの姿を認めると、美将軍は足を進めて報告をした。
「分かった。是非とも礼を伝えたいが……城外には出れるかな?」
「それは……難しそうです」
「だろうね……」
二人は並び立って西の城門から夜空を見上げると、先ずは北へと向かった。
「捕虜の数は?」
「およそ、40名といったところです。うち半数が、負傷兵です」
「多いな」
トゥーラは小さな要塞国家。数十人の捕虜を幽閉できるような牢屋など、備えてはいない。
リャザンの軍勢が迫ると知って、再び城外へと戻る事を諦めた兵士が予想以上に多かった。
城外へと逃げ出して、負け戦の撤退戦を強いられるくらいなら、大人しく投降した方が良い――
極限の状態で選び取った行動は、賢明な判断とも言えよう。
北の練兵場が見えてくる。河川敷にあるような、通りから2メートルほど下がった乾いた土の広場。
四方を囲うように焚かれた篝火の内側で、麻縄によって両の手首を前で、足首をそれぞれ隣の者の足首と繋がれた捕虜達が、鎧を外した軽装の姿で腰を下ろし、寡黙を貫いて、沙汰が下りるのを待っていた。
「ロイズ様」
宵闇の中にロイズの姿を認めると、グレンが駆け寄ってきた。
夜となり、姿を現した満天の星たちが、戦いの終わりを粛然と見守っている――
「すまない。遅れた」
「いえ、負傷兵は24名。動ける者は、18名です」
「負傷兵は?」
視界に映るのは、見たところ軽傷までの者たちだ。焦りを含んでロイズが尋ねた。
「あちらです」
篝火に四角い顔を浮かべたグレンが指で示すと、トゥーラ城の北側の壁、射撃訓練によってボロボロになった的の下で、背中を壁に付け、或いは大地に横たわっている兵士たちの姿が視界に入った。
「治療は?」
「応急処置は済んでおります。幸い、命に関わるようなケガを負っている者は、おりません」
「そうか……」
安心したように呟くと、端正な顔立ちが、居並ぶ捕虜たちへと向けられた。
「ブランヒルさん」
彼らの先頭。足元で、一人だけ手首と足首同士を縛られた、見るからに強靭な肉体を覗かせる男に声を掛ける。
「先ずは、私を信用してください。必ず全員、スモレンスクへ帰します。ですが、少しの間、労役をお願いできますか?」
「…好きにしろ」
膝を曲げ、目線を等しくしてから願い出たロイズに対して、ブランヒルは視線を逸らしながら、素っ気ない一言を返した。
「ありがとうございます」
「……」
了承を手に入れて、微笑みを作ったロイズが膝を伸ばすと、捕虜となった副将は一つを思った――
この男は、国王ではないのか?
敵国の捕虜に対して頭を下げるなど、相応しくない行動として咎める者は居ないのか?
「……」
しかしながら、親子ほど歳の離れた四角い顔の将軍は、明るい表情で若い男と談笑を重ねている……
改めてロイズを見上げたブランヒルは、訝しそうに眉を寄せ、彼の一連の振る舞いに対して一層の警戒心を起こすのだった――
トゥーラの都市城壁の外側。南西の方角に一つだけ、小さな篝火が焚かれていた。
篝火を囲うようにして、周辺の監視役を買って出たリャザンの騎馬隊の面々が、あくまで外から感じた、この凄惨なる戦いの精査を始めようとしていた。
援軍としてやってきたリャザンの本隊は、明日には引き返すとの報告を受けている。本隊には次期国王と目されているグレヴィ王子と、右腕となるであろう将来の丞相、ワルフが同行をしている。
だからこそ精励し、明日の朝一番には本隊へと使いを出し、報告をしようというのである。
「お、おい…」
車座になった6人のうち、北側を向いて座っていた軽装の男が不審に気付いて慌てた声を上げると、一同の視線がそちらへと揃った。
「おい、誰だ!」
防具は外しているが、槍は各々の手元に置いてある。松明と思われる明かりが一つ近付いてくるのを認めると、咄嗟に武具を掴んだ男たちが一斉に立ち上がって構えを取った。
「怪しい者ではない。不躾だが一つ、頼みがあって来た」
暗闇に浮かぶ一本の松明から、低い声がやってきた。一部の者には聞き覚えのある声色に、警戒はしつつも、緊張した空気は幾らか和らいだ。
「頼みとは?」
松明に向かって、一つの声が闇を伝う。
「弔いの酒を、交わしてもらいたい」
「……」
やがて松明から浮かんできたのは、肩越しまで伸びた、ぼわっとした赤髪に囲まれた大きな表皮だった。次に立派な体躯と丸太のような腕が現れると、落ち着き払った低い声色が、真っ直ぐに槍を構えて警戒を続けるリャザンの兵士達に届いた。
「酒を?」
「ああ。俺一人では、寂しかろうと思ってな」
刀傷を左の頬に浮かべた男は言いながら、左手に持った松明を東側に備わる四角い城の方へと掲げてみせた。
リャザンの兵士達の視線が彼の動作に従うと、大地には息絶えた侵略者たちの甲冑が、ゆらりと松明の明かりに照らされて、俺達の存在を忘れるなと訴えかけていた。
「……」
「酒は、あるのか?」
「ああ…」
問い掛けに応じた大柄な男は、二つの縦長の陶器の取手部分を併せ掴んだ右手を、得意気に掲げてみせた。
「我らで良いのなら、申し受けよう」
見たところ武器も持たず、戦意も窺えない。
この場に居る男たちの中で一番の年長者と思われる兵士が口を開くと、やってきた男の提案を受諾した。
「恩に着る」
松明の明かりに揺れ浮かんでいる赤髪の男は、瞼を閉じながら、大きな頭を僅かに下げた――
「一つ、足らんな」
やがて、手のひらサイズの陶器のカップが配られる。年長のリャザン兵が声を上げると、大柄な男はニヤリと一笑に付した。
「ここに、入れてくれ」
自身が持った陶器を年長の男に手渡すと、赤髪の男は両手の小指を重ねるようにして、分厚い手のひらで大きな受け皿を作ってみせた。
「…では、私も」
来訪者の豪快に微笑みを浮かべた年長の男は、隣の兵士に受け取った陶器を手渡すと、自身も同じように両の小指を合わせて盃を作ってみせた。
「……」
戦い止まぬなら、矛を交えた筈の二人の男が、共に口角を上げる――
勿論、この場の二人が思い至る事は無い。
しかしながら、相対する双方がこうした二人の時間を想像していったなら、果たして、この世の争いは失くすことができるのだろうか――
「ここに…斃れる事となった英霊に」
5つの陶器と二つの両手に生温い酒が注がれると、大柄な男が満天の星空に向かって声を発した。
「……」
続いて5つの陶器たちが、英霊が向かうであろう星々に向かって掲げられるのを見届けると、赤髪の男は両手に注がれた弔いの酒を、一思いに飲み干した。
向かい合った男が彼に倣うと、続けて陶器を手にした男達が、顎を上げ、星に向かってそれらを傾けた――
「名前を、聞いていなかったな…」
「スモレンスク公国の総大将。ギュースと申します」
年長の男が、赤髪を生やした立派な体躯を誇る漢に問いかけると、一呼吸を置いてから、野太くて力強い、誇りの宿った声が夜空に響いた。
「ギュース…やはり、そなたか…」
彼の名前は、当然リャザン公国にも轟いている。
春先まではリャザンの領地だったトゥーラの砦に、毎年のように攻め込んできては、大小の戦禍をもたらす敵の総大将。
トゥーラが攻め込まれる度に援軍を派遣する事になるのだが、トゥーラへと向かう道中で待ち伏せを食らったり、攻城戦を仕掛けているかと思えば、切り替えて素早く野戦部隊として突撃を図ってきたりと、とにかく騎馬戦に於いては神出鬼没で速攻型。自ら先頭に立って、比類なき勇猛を存分に揮うのである――
「戻らぬのか?」
そんな名だたる敵の総大将が、一人残って隣に立っている。年長の男が、訝しそうに尋ねた。
「まだ、残っている者がいる」
届いた質問に、男は頬の傷を星明りに浮かぶトゥーラ城の方へと向けてみた。
視線の先では、北西と南西の見張り台にそれぞれ一つだけ、松明の明かりが寂しそうに灯っている――
「……」
掛けられた梯子の数からして、侵略軍がトゥーラの城内へと侵攻を果たしたことは間違いない。
残された者とは、恐らく城内で拘束された部下の事である――
その者たちの解放を待ってから、共に祖国へ戻ろうというのか…
年長の男は、星々を背景にして雄大な身体で大地を踏みしめる敗軍の将の心情を推し量ると、ふっと視線を彼に預けた。
「手間を掛けた」
視線に気付いたギュースは目玉をぎょろっと動かして年長の男を見やると、短い一声を吐き出した。
続いて松明を再び左手で掴むと、篝火から炎を受け取って、北側の闇の中へと大柄な身体をゆったりと沈めていくのだった――
「……」
星空の下。微かに赤が残る小さな焚火の跡を前にして、大地に腰を下ろしたギュースは静かに瞼を閉じていた。
現在置かれた境遇…
そんなものに、そろりと思いを巡らせた。
後悔が無いと言ったら嘘になるが、意外にも、彼の心中は穏やかなものであった。
全兵力を投入し、必勝を期した今回の戦いでは、轟いた勇猛さを発揮することなく敗れた。
率いる兵士が倒れ、削られていく様子を、総大将という立場で目の当たりにしたにも関わらず――
勝敗は、戦いの常。
終わってしまったならば、受け容れるしかない。
あれこれと言い訳を考えて、他者に責任を負わす事のない潔さもまた、彼の将としての器の大きさを表していた――
「拝みに行くか…」
一言を呟くと、敗軍の総大将は頭の後ろで両手を重ねてから、そのままごろんと大地に背中を預けた。
「んが…」
そのまま朝陽が昇ってくるのを待つ事にしたのだが、男は安らかに眠れと語り掛けた筈の英霊に、やがて大きないびきを不本意ながら聞かせる事になるのだった――
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