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小さな国だった物語~  作者: よち


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61/218

【61.笑顔の元へ】

スモレンスクによって(もたら)された無益な争いは、トゥーラの防衛という形で幕を下ろした。


争って、土地を広げることには価値がある――


そんなもの、幻想だろ……


交易によって人の暮らしは繋がっている。奪って、奪われて……


「全く……無駄すぎるだろ……」


城壁の上に広がる緋色を眺めると、浅黒い肌の男(ウォレン)が呟いた――



「追手は引き受ける! 慌てずに退却しろ!」


陽が落ちる。

トゥーラの軍勢が出てくる可能性は低い。

しかしながら、援軍として現れた、リャザンが背後を襲う可能性は十分にある。


苦労の末に越えた都市城壁をそのままのルートで引き返した副将(カプス)は、撤退する歩兵の背中に向かって叫ぶと、馬に跨った自身は彼らの最後尾に落ち着いた。


「カプス!」


突然に、背後から声がして、丸い童顔が振り向いた。


「お前は、先へ行け! 夜になる。堂々と帰還しろ! 責任は、俺だけが負う!」


大きな馬体。(またが)るは、スモレンスクの総大将。

そこに怒りの感情は無い。

結果を粛々と受け止めて、為すべき次を見据えている。

彼の姿勢には最期まで、総大将たらんとする矜持が、確かに見て取れた――


「は!」


手綱をしごいたカプスは、必死な者には慌てる必要はないと語りかけ、歩みの遅い者には鼓舞をして、防具を脱ぎ捨てた兵士たちの間を縫うように馬を走らせた――


「……」


夕陽が接する西の松林。敗走の背中が消えてゆく。


戦いの幕引きを眺めると、ギュースは馬を返して一本の松明に火を点けて、それを掴んだ左手を、薄暮の空に向かって高々と掲げた。


「負傷兵は、ゆっくりで良い! 必ず、俺が守る!」


追われる恐怖を抱きつつ、ひたすらに夕陽を目指す。

一方で、負傷して歩みの遅くなった者たちは、他者に命を預ける有り様に観念を宿す。


心が折れたら、脚も折れる。沈下を防ぐため、ギュースは大声で鼓舞をした――


「ご、ご無事で……」

「ああ」


ギュースの傍らを、脚を引きずった若者が抜けていく。

声が掛かって、自責が積もる。

それでも表情を変えぬまま、彼は短い言葉だけを返した――


「……」


リャザンに追撃を図る気配は無い。

それでもギュースは南北どちら側にも動けるよう、都市城壁の中心を眺める位置に立っていた。


しかしながら星の瞬きが空に浮かぶと、大きな体躯は夜襲の可能性を考慮して、馬の足を北へと移動した。


「む? 誰か居るぞ」


松明を掲げて馬に跨ったギュースの姿を、東から視察にやってきたリャザンの騎馬兵が認めた。

栗毛に(またが)る立派な鎧姿。警戒心が生まれ出る。


「む……」


当然ながら、ギュースも彼らに気が付いた。


「そこに居るのは、リャザンの者か! 俺は、殿(しんがり)を務める者だ!」

「……」


発せられた大声に、護衛の兵はギュースの方へと馬頭を並べた。


「西に向かうなら、俺が相手をする! 但し、簡単にはやられん!」

「……」


叫ばれたところで、元から追撃する予定はない。

居並ぶ騎馬隊の一人がスッと左手を掲げると、馬を南へと導いて、ギュースの視界から消えていった。



「こりゃ……ヒドイな……」

「ああ……」


戦禍の跡。

トゥーラの南にポッカリと空いた、巨大な落とし穴。

リャザンからやってきた騎馬隊は、壕の手前で下馬をして、愚かな侵略者が命懸けで架けた梯子をゆっくりと渡り始めた。


「うわ……」


足元のさらに下。土に背中を(うず)めた亡骸の、見開いた瞳と目が合った――

思わず声を上げた青年は、咄嗟に視線を背けた。


「……」

「う……」


梯子を渡り終えると、更なる凄惨が飛び込んで、彼らは一様に声を失くした。


沈みゆく陽光が陰影を生み出して、必殺の意思を宿した落とし穴を覆っている。

穴の中では主を亡くした防具だけが姿を残し、目的を遂げる事の無かった朽ちた人馬が黒い塊となって、その存在を臭気へと変えていた――


「すまん、気分が……」

「俺も……」


冷酷なる戦いの痕跡(あと)

吐き気を認めると、彼らは堪え切れずに足を戻した――



「ひぃ……ひぃ……」


白樺の林の中を、敗走する兵士たち。

その中に、細身の体躯に立派な防具を纏った文官(ヤット)の姿があった。


普段の穏やかな顔つきを厳しいものにして、玉の汗を垂れ流しながら前へと足を運んでいる。


「ヤット様、防具は外して、身軽になった方が良いかと」

「いや、流れ矢に当たるよりマシだ」

「……」


追っ手の気配は感じない。

経験に富む兵士には分っても、文官であるヤットには察することはできなかった。

命の危険を感じては、仲間の助言すら届かない。


その時だ。突然一本の矢羽がヤットの眼前を横切った。

放ったのは、トゥーラの別働隊を率いるメルクである。


「ひっ」


多数の中に、一人だけの鎧姿。違和感は当然、標的となる。

ヤットは思わずその場で身を屈め、着けたままの鎧兜を、自らの両手で覆った。


「伏兵です! ヤット様、標的にされます。防具は外して、紛れましょう!」

「そ、そうだな……」


恐怖で身体が固まった。忠言を耳にして、ヤットはその場でバタバタと防具を外し終えると、逃げ惑う兵士の波の中へと急いでその身を隠した――


「手土産くらいは、持って帰れそうだな……」


敗走する侵略者の背中たち。高い位置からメルクが見下ろした。


左に視線を送ると、食料や武器、薬などの備品を積んだ荷車たちが、起伏に富んだ林の中で、哀しそうに取り残されていた――



トゥーラとスモレンスクの中間地点。カルーガへと続く一本道。

オークの切り株には目もくれず、敗残兵が我先にと通り過ぎていく。


「やったか……」


太陽が林の向こうに隠れると、暗がりが大地を吞み込んだ。

畑の手入れを終えたルシードが、がっしりとした身体を立ち上げて、暗くなった東の気配を眺めた。


「トゥーラの勝ちだ! スモレンスクの奴らが、戻ってくるぞ!」


勝利の際には隊列を整えて堂々と。逆であれば死を恐れ、足を乱す。

後者を察した村民が、東の木々から姿を現して、喜々を含んで叫んだ。


カルーガの住民は、スモレンスクの侵攻によって流れ着いた者が含まれる。

それでも個々の感情は別にして、ヴャティチの民。集落として、あくまで中立の立場を取っている。


それでも戦乱の世にあって、寛容なリャザンと好戦的な一方の比較では、平穏を望む村民達は、どうしたって前者へ傾いてゆく。


薄暮の小村に響き渡った大声は、不安を宿していた人々に、安堵と歓びの感情を齎した――



(勝った……勝ったよ……)


生き残った家々が夕陽に照らされて、歓喜に沸くトゥーラの街並みを、汚れたエプロンを左手に握った女中が駆けてゆく。


南へ北へ、酷使してきた自慢の脚も、さすがに悲鳴を上げている。

それでもマルマは一番に喜びを伝えたい。笑顔を分かち合いたい憧れの人の元へと懸命に走った――


西側を紅く染めた四角い城は、誇らしげ。

練兵場から壕の脇を通過して、西側の橋を渡ると、マルマは歓喜の声が流れる石畳の廊下を進んだ。


「くっ……」


螺旋階段の一段目。

悲鳴を上げた右脚に、マルマの顔が思わず歪んだ――


それでもと、震える(もも)を両手で支えた。

一段上がって、両足を同じ段に置く。それを何度も繰り返して、ようやく2階へと辿り着いた――


「……」


上を見上げるも、物音は無い。それも当然で、普段から防音扉は閉じている。


疲労の中でも頬は綻んで、彼女は3階へと向かった――


体重に任せて二つの扉を押し開ける。

西の小窓から差し込む夕陽のオレンジが、勝利を祝福するように部屋全体、マルマの視界に拡がっていた――


「リア様!」


茶褐色の細い髪。肩越しで揺らしながら、歪な動きで前に出る。


疲れの色を隠せない。憔悴している筈のまるっこい顔に上気を浮かべたマルマは、歓喜に飛び込むように寝室へと続く扉に身体を任せた――


「えっ……」


突然に、彼女の鼻腔を異臭が襲う。

出迎えたのは、南から立ち昇って入り込み、行き場を失った黒煙たちだった――


「なに……この臭い……」


溜まっていた煙が居住区に流れると、ようやく視界が戻った。


「リア様!」


王妃が居る筈のベッドに向かって一歩を踏み出すと、マルマの悲痛な声が上がった――

お読みいただきありがとうございました。

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