【59.雄叫び】
小国と大国の戦いは、終焉を迎えようとしていた。
「頼みが、あるのですが……」
腰の後ろで両の手首を縛られて、地面に腰を落とすスモレンスクの副将に、立ち姿の国王が願い出た。
「……」
なんだ? とでも言いたげに顔を上げたブランヒル。
しかしながら、その後に続く発言を、どこか理解しているようでもあった。
「お願いします。退却の命令を、出してください」
「……」
劣勢。
南の城門を外から破る。或いは内から城門を開ける手段は、恐らく消えた。
いたずらに兵を削るだけの戦いに、なんの意味があるのか。
神の審判を容れるのが、将たるものの務めである――
しかしながら、彼自身は副将であって、正式に軍を率いる立場に無い。
撤退を促せば、負けを認め、戦う事を放棄した、戦犯にもなりかねない。
幾多の斃れた仲間の奮闘を、無駄死にだったと決してしまう。
その重い決定を、一将官が為せるのか――
「……」
西側に、ふっと憔悴の視線を送ると、太陽の傾きが、彼の心に寄り添った。
北側で奮闘している、二人の弟分。
その他の犠牲を止めることが出来るのも、自身だけ。
「わかった……」
膝を曲げ、目線を等しくした国王を前にして、ブランヒルは伏し目になると、観念したように、短い言葉を発した――
北側では、都市城壁を背にしたベインズが、その長身を生かした槍捌きでトゥーラの兵を寄せ付けず、劣勢でありながら、尚も城壁を越えて侵入を図ろうとする味方の足を援護していた。
同じく副将のカプスは、味方の数を減らすまいと前に出て、見込みは立たないが、もう一度南を目指そうと、その機会を悲壮となりながらも窺っていた――
「退け!」
突然に、高い声が城壁で跳ね返った。
戦いの音色は、静寂を呼び込むように消え失せた。
「ブランヒルさん……」
疲労の色を濃くした童顔が、手にした槍を、斜め上に掲げたままで呟いた。
視線の先では、両腕を背中に回して縛られたまま、窮屈そうに地面に立っている、兄貴分の姿が覗いた。
その背後では、トゥーラの兵士が30名ほど、槍をザッと掲げたままで、こちらの動向を見守っている。
彼らの中央には、甲冑両肩の突起に30センチ程の紅い布を縛り付けた、端正な顔つきをした男が手ぶらで立っていた。
「カプス。もういい……撤退だ……」
ブランヒルの諭すような発言に、戦場の熱気が冷めてゆく。
「トゥーラの兵士は、追撃無用です!」
ブランヒルの決断を囃すべく、ロイズの高い声がトゥーラの空に轟いた――
「勝った……」
「やった……」
「勝ったぞお!」
誰かが呟くと、続いてトゥーラの歓喜の雄叫びが、北の城壁に跳ね返ってこだました――
「東に、砂塵が見えます!」
その時だ。歓声を受け止める城壁の上から、危急が届いた。
一同が視線を送ると、城壁に跨った侵略者の左腕が、東に向かって伸びている。
「ワルフ? リャザンだ……」
「リャザンが来るぞ! 撤退を急げっ! カプス! 先導しろっ!」
背後から聞こえたロイズの呟きに、両腕を背中で縛られたままのブランヒルが、前掛かりに血相を変えて叫んだ。
「は、はい!」
童顔に焦りを浮かべたカプスは咄嗟に槍を背負うと、踵を返して城壁に向かった。
敵味方を問わず、兵士が道を開けるなか、彼は無念の両手を梯子に掛けると、ひたすらに上だけを見て登りはじめた。
 
「動ける者は、撤退を! 動けぬ者は、武器を捨てて、投降してください!」
「……」
哀願の声。
長身のベインズは完全に動きを止めると、両手で掲げていた槍の穂先を、静かに大地へと下ろした――
北側で始まった撤退の動きは、ほどなくして西側にも伝わった。
「撤退だ! 退却っ!」
「リャザンが来るぞっ!」
戦闘が終わる――
梯子を登り、都市城壁の上に顔を出していた侵略者が北の動きを察すると、下から登って来る仲間の兜に向かって、戻るよう叫んだ。
「退却?」
「……」
頭上から聞こえるまさかの声に、トゥーラの城内に足を踏み入れていた侵略者は、槍を正面に構えたままで、茫然となって足を止めた。
無理もない。城内に侵入を果たしたからには、南の都市城門を目指して進むのみ。
苦戦はしていたが、士気は高かった。それなのに……
鎧を纏った屈強な侵略者が構える槍を、恐る恐る近付いたトゥーラの民兵が、手にした貧相な槍で上からぺしっと叩くと、カランと空虚な音色が地面で響いた――
「終わ……った?」
南西の救護所。
刃先の欠けたナイフを右手に握った若い女性が、遠くから聞こえてきた歓喜の声に、呆けた表情を浮かべた。
「……」
やがて脱力し、膝を地面に落とすと、続いてへなへなっと両肩が崩れた。
「うっうぅ……ひくっ……」
歓心なのか、或いは悲哀だろうか。
本人にもよく分からない落涙。
血糊の付着した両手で顔を覆うと、細い肩を時折り上下させ、背中を丸めてむせび泣くのだった――
「勝った? 勝ったの!?」
石壁に囲まれた、薄暗い小さな民家。
上司の娘の小さな右手を左手で掴んだまま、水瓶に水袋を沈めていたマルマが、ふいと顔を上げて外からの歓呼に気づくと、丸い顔に笑顔を咲かせた。
「勝ったよ! ライラ!」
続いて彼女の右で顎を上げ、先輩の動きを見守っていたライラに飛びついた。
「きゃあっ」
驚きの声。ドスンと音を立てて、二人は土床の上で重なった。
背中に衝撃を受けたライラの上で、マルマのむちっとした二の腕が、ライラの細くて長い首に巻き付いている。
「あ、ごめん……」
「いたた……」
柔らかな胸の感触に思わずマルマが立ち上がる。
仰向けのまま。ライラが痛みの走った腰の裏側に、苦い表情で手を当てた。
「でも、やったぁ!」
だが、マルマは再びライラに抱きついた。
喜びを身体いっぱいに表して、預けて、受け止めてくれる相手が居る――
それもまた、嬉しさに拍車をかけるのだ。
「もう……」
「あ」
喜ぶ先輩の姿をライラが受け容れると、大事に気付いてマルマが腰を浮かせた。
「私、お城に戻るから」
続いて寝転がったままの後輩を、得意気になって見下ろした――
歓喜を含んだ波涛が、トゥーラの上空に舞い上がる。
抱き合う者。へたり込む者。泣き出す者。
沸きあがる喜びの感情を、様々な形で表す市井の人々。
一人の兵士は兜を両手で外すと、膝元にすっと下げてから、青空に向かって放り投げた――
約半年にも及ぶ、労苦が報われた。
報われる日が訪れた。
珠となった汗水が、こめかみからスッと流れ、日焼けで赤くなった頬を通り過ぎると、顎の先から零れ落ちる。
「やったぞおおお!」
撃ち込まれた岩石の上に両足を乗せたライエルが、整った顔立ちを天に向けると、両の拳を頭上に掲げて、少年に戻って快哉を叫んだ――
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