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小さな国だった物語~  作者: よち


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56/219

【56.描いた景色】

「はぁ……ふぅ……」


石壁に囲まれた、薄暗い手狭な空間で、荒くなったリアの息遣いが霧散する。


屋上へと繋がる垂直に備えられた梯子を、彼女の小さな手のひらは、一段、また一段。上へ、もう一つ上へと、時間を使いながら、次第にその位置を高くした。


空気は澱んでいる。寝室の扉は閉まっても、隙間を抜けた煙は居住区から屋上へと向かう小さな鼻先を追い掛ける。

時が経つにつれ、その濃度は確実に増していった――


(もう少しの、はず……)


普段は身軽な身体が、ひたすらに重い。


足の裏に感じる鉛のような重力を断ち切って、(もも)を上げる。腕を上げる。


思った以上に進んでいなかったらと思うと、上を認めるのが怖い。

いや、見る必要は無い……


ひたすら、上へ――


利き腕とは逆。左の上腕に確かな震えを感じたころ、それでもと右腕を伸ばしたところで、視界の上部に微かな明るさが届いた。


「ふぅ……」


終わりが見えて、一息を吐き出した。


静かであった。外では戦闘が続いている筈だ。

それでも癖のある赤みの入った髪に隠された小さな鼓膜には、自身の荒い息遣いしか届いていなかった。


(つい……た……)


梯子の踏ざん、最上部はそれと分かるように削り細工が施されていて、小さな手指が握った瞬間、吹き出す汗がすうっと引いてゆく。

それほどの安堵が、全身を包み込んだ――


(どう……なってるの?)


光の中へ、顔を出す。

天上からの陽射しが、肌を刺す。


華奢な上半身が光を浴びると、彼女は重力の為すがまま、倒れ預けるように、その身を屋上の平場へと投げ出した。


「熱い……けど、これは……」


確かめようと思えど、身体は動かない。夏の陽射しを受けた屋上が、再び彼女を襲う。

それでも前日とは違って、焼けるほどの熱さは感じなかった。


「藁?」


屋上には、藁が敷き詰められていた。

薄い雲が覆っていた昨日とは違い、本日は、青空が覗いている。

リアの代役として監視役を務めたラッセルが、足元の暑さ対策として施していたのだ。


(気持ちいい……)


陽射しをいっぱいに浴びた、藁の匂い。

チクチクと柔肌を刺す不快な筈の信号も、今は身体の重さが鎧となって痛みを和らげて、心地よさに変えていた。


「これ……油?」


思わぬ居心地が、冷静な五感を取り戻す――


鼻腔の奥で感じる、粘り気のある不快な臭い。

そこに混じるのは、忌まわしき、記憶の中の臭気……


「南!」


ハッとなる。細い腕に力を入れて、身体を起こす。前を見る。

視界を塞ぐ濁流のような黒煙が、右下から左の上方へ、吸い上げられるように立ち昇っていた。


「なに? これ……」


よろめきながらも立ち上がり、意識をせずとも南側の胸壁へと足が進んだ。


そこから見えた景色とは――


自分の描くものには、無い世界


自分が描いたものでは、ない世界


加えて


絶対に描かないと、誓った世界――


「……」


黒煙は、南の都市城壁の向こう側から昇っている。


(大丈夫……)


憔悴の瞳は色を失くした。

絶望感が襲う中、それでも右へと顔を向けると、西側の攻防は、変わることなく続いていた――


(こっちも……)


続いて左側。東も大丈夫そうだ。


安堵を求めた彼女は、一息を吐いて視線を落とした。


「あ……」


屋上の隅っこ。


リアの虚ろな眼差しが、励ますように置かれた三本の水筒と、その上から斜めに掛けられた、鍔の広い水色の帽子を認めた――


「ロイズ……」


滅多に被らない淡い色。数あるコレクションの中でも、リアの一番のお気に入り。

それを知っているのは、唯一人――



北側で指示を出したあと、危険を感じて一旦城へと戻ったロイズは、その身体を螺旋階段に向けたのだ。

居住区に足を戻すと、そっと寝室の扉を押し開けた。


「……」


外の喧噪が、解放された小さな窓から流れ込む。


朝の執務を終えたあと、午後になっても眠っていることがある。

よくそんなに眠れるな……などと思ったりもするのだが、この時だけは、安堵に包まれた。


真っすぐに伸びたシーツの膨らみがリアの背丈を測る中。ロイズはベッドの(ふち)に進んで膝を曲げると、眉間に皺を寄せる愛しい人の横顔を、真横から眺めて静かな寝息を確かめた。


「リ……」


狭い(ひたい)に手を伸ばそうとして、彼は止まった。

起こしてしまったら無理をする。起きるまでは放っておこう。


おもむろに立ち上がると、ロイズは棚へと進んで、重ねられた帽子の中から、一つを手に取った。


「また、あとでね」


寝室を後にする。机に用意された水筒を手にして水瓶から水を注ぐと、彼は屋上へと繋がる梯子を登り、隅っこに水筒を置いて帽子を掛けて、リアを想った。


この場所から、勝利を見届ける、小さな王妃の姿を――



大きな琥珀色の瞳から、涙が落下した。


敷かれた藁に膝をつき、水筒の水を含むと、丁寧に流し込む。

愛する人の優しさが、衰弱した心身にゆったりと染み込んだ――


「南……」


気力を取り戻し、小さな身体が立ち上がる。

ふらっと視界が揺れたが、思わず胸壁に手が伸びて、なんとか倒れる事を阻んだ。


大丈夫だ。

本能が生んだ無意識な行動に、自然と勇気が沸いてくる。


「……油? なんで?」


目の前で、投石器の砲弾が、ぽーんぽーんと一定の間隔で都市城壁を越えてゆく。


風が頬を撫でると、重たい油の臭いが、強弱を含んで鼻腔に届く。

悪臭の中に混じるのは、焼け焦げた生き物だと想像できてしまう、残酷な死の臭い――


「……」


人間同士が殺し合う姿に囲まれて、リアはしばし言葉を無くした。


しかしながら、争いに備える為に、彼女は守りを固めたのだ。


それは同時に、現在(いま)起こっている場景を、受け入れたということ――


「くっ」


大きな瞳を見開いた。


感傷に浸っている場合ではない。

状況を理解する。しなければならない。

四方を戦場にしなければ、市民が選んだ器を、守ることはできなかったのだ――


「あと、3時間……」


西の太陽は、傾きを増している。彼女が計った残り時間は、勝利までの時間に他ならない。


(めぐ)りの悪くなった頭脳で、必死に考える。

敵の数、相手の勢い、こちらの配置……


「北は?」


確認を怠った。最も危惧した方向。


振り向いた瞬間に、くらっと視界が歪んだ――


それでも小さな身体は胸壁を頼らずに、藁の上をバサバサと真っ直ぐに、北の状況を確認すべく足を進めた。


「やっぱり……」


北側の攻防が、一番激しかった。


それでも足場を崩し、城壁を越えて侵入してくる敵の殆どは、城壁の上部では弓兵が、侵入を許してからは槍兵が襲い掛かって対処をしているように思えた。


(これなら……)


いくらか安心を取り戻す。

お気に入りの帽子を被って、王妃はしっかりと顎ひもを結びながら、状況確認を続けた。


北西方向。眼下の居住区で、丸腰で倒れている住人の姿が飛び込んで、王妃の顔が一瞬だけ青ざめた。


(あ!)


ほぼ同時。リアの瞳が大きく開く。


倒れる住人の右側。住居の影に隠れて全体像は見えないが、護衛に囲まれた中心に、確かにロイズの赤い目印が付いた甲冑を確認できたのだ。


(良かった……)


市中に入った敵は、ロイズが対処中。


住民の悲鳴や混乱が聞こえてこない状況も、推察を裏付けた。

顔の表皮を緩めると、王妃は北側に掲げてあった赤い旗を勢いよく外して、黄色に替えた。


続いて西側に足を向けると、掲げてあった黄色の旗を、こちらは赤いものへと差し換えた。


最後の敵の攻撃は、一点突破――


彼女もまた、大将軍(グレン)と同じ。西の攻防が激しくなると予測した。


(でも、本当にそれだけ?)


南側の状況は、黒煙に阻まれて実際は分からない。

見えるのは、巨大な落とし穴を縦断してきた侵略者を、火攻めで迎え撃った事態だけ。


絶対数が違うのだ。

四方の一辺を塞いでも、他の戦場に流れるだけだ――


(でも……)


リアはもう一度、ゆっくりと首を回して、東西と北の城壁を確かめた。


一番の急所。都市城壁の四隅に設けられた足場の広い見張り台。


しかしながらその場所は、二人が赴任する前から在ったもの。

何台もの小型の投石器の照準が向いていて、加えて射撃塔は補強され、多くの弓兵が配置に就いている。


尤も、既に見張り台の上には砲弾となった岩石がゴロゴロと転がって、とても橋頭保として使えるような場所では無い――


「……」


東西の城壁。敵が侵入を試みる位置は、相変わらず一定だった。

しかしながら、前の方には隙がある――


(減ってる?)


確信は無い。


それでも核となる根拠を以って、王妃は南側へと足を進めると、開戦以来変わる事の無かった青い旗を、赤へと差し替えた――



(戻ったか……)


屋上で揺れる旗の色が、変化した。

北側でリアの復帰に気付いた国王は、ふっと安堵に包まれた。


「え!?」


刹那。濃茶の瞳が見開いた。

旗の色。西と南が、赤になっている――


「ライエルに、西に向かうよう言ってくれ!」

「はっ」


口から泡を飛ばすと、一人の衛兵が呼応して、北へと向かって走り出した――



「梯子の数が、足りません!」

「くっ……」


トゥーラの城外。南側。

部下の報告に、スモレンスクの総大将(ギュース)の頬に刻まれた大きな矢傷が歪んだ――


もちろん梯子は持参したが、何しろ長大だ。

林の中を移動するのは困難で、分割し、運んだ末に組み立て直した。


しかしながら、どうしても耐久性が問題で、落とし穴を縦断する際に使用して、不足した。

現地調達を目論むも、水分量の増える夏季は木工細工に不向きである。

加えて相手が、柵の作成や火種にするために収集したのか、枯れ木は殆ど残っていなかった。


(どうする?)


隣にいた筈の、副将(バイリー)は既に居ない。

目の前で(いま)だ濛々と立ち昇っている黒煙に、彼の身体は消えたきり――


「ヤットを、呼んでくれ……」

「はっ」


決断は、しなければならない。

しかしながら、一人で為すには重すぎる。


頼る行為は、果たして卑怯だろうか――


「お呼びですか?」


予測をしていたか。数分と経たないうちに大柄な体躯の背後から、鎧姿が現れた。


目尻の下がった細身の中年文官。お世辞にも、その姿が似合っているとは言い難い。


「おう。すまんな……」

「……」


日頃からギュースの、酒を手にして豪快に笑い飛ばす姿を見ているヤットの瞳は、伏し目がちに声を発する彼の姿を認めると、恐らく考える以上に事態は深刻なのだと悟った。


「勝つ為の……」

「ん?」

「勝つ為に、貴殿が考える策があるのなら、教えて頂きたい……」

「……」


それはヤットが耳にする、将軍の初めての畏まった言葉遣いであった。


「どうする?」 と普段通りに問われたら、間違いなく撤退を進言したに違いない。

見越したうえで、彼は敢えて()ったのだ。


目の前の態度から見えるのは、軍を率いる総大将としての覚悟。


決して退くことは無いという、大いなる意思の表れでもあった――


「そうですね……」


戦況を改めて耳にして、腕を組んで思慮を重ねた末に、鎧姿のヤットは苦渋の選択を語った。


「もう、時間がありません。西側は勿論ですが、攻めるなら南でしょう。風下にあたる東からは撤退して、梯子を南に回します。そろそろ火の手は弱くなる。風上に立ったなら、攻め手もありましょう」

「南の城門を、直接目指すのは……」

「二つの条件が必要です。一つ目は、奥の梯子が生きている事。ただ、焼け落ちていると予想して、手前の梯子を持っていくなら、やる価値はありそうです」

「うむ……」


腕を組んだまま、伏し目がちに話す友の言葉を耳にして、気落ちしていたギュースの顔色が、僅かに戻った。


「もう一つの条件ですが……」


続けてヤットは顎を上げ、じっと視線を合わせるギュースの縋るような瞳を見据えると、希望を与える訳ではないと戒めるように、重たい口調で語り続けた。


「敵の火攻めが、どれくらい続くのか……続けられるのか……」

「ん……」

「あれ以上の火攻めは、もう無いでしょう。小さな城ですから、油にしろ、火種にしろ、残りは少ない筈。火の勢いも落ちてくる。もう一度仕掛けるという考えは、悪くありません」

「うむ…」

「ただ……忘れないでいただきたい。あくまでも 『攻めるなら』 です」

「……」


自分の意見は、根本から違う。

退かぬと分かっていながら、それでも諫めるように、ヤットは強調して言葉を結んだ――



「え?」


トゥーラの一番高い場所。

戦いの全体像をただ一人把握できる小さな背中に、冷たいものが走った。


ようやく薄くなった黒煙の向こう側。緑の林を背景に、侵略者が横陣を敷いている――


「なんで?」


勝敗は、既に決した。


これ以上の争いは、双方の犠牲を増やすだけ――


しかしながら、そんな戦況はただ一人。リアだけが分かること――


「なんでなの?」


穏やかな風が吹く。

帽子からこぼれる赤みを帯びた髪を伴って、頬へと触れた。


それは夏の暑い午後。冬の陽気の中で風に踊る、淡雪のような冷たさを孕んでいた。


右の頬に、涙が伝っていた――

お読みいただきありがとうございました。

感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o

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