【52.進退】
トゥーラの城壁を越えた侵略者の一団は、南の都市城門を目指してひたすらに走った。
「ダイルとベインズは、付いてきているか?」
「……ベインズは、追ってきます」
「そうか……」
後方に一瞬だけ視線を送ったブランヒル。部下の報告に、無念を含んで呟いた。
残りは9名。
それでも足を止める訳にはいかない。
このまま南の城門まで突き進み、相手の守備隊を内側から攪乱し、主力が率いる南からの進軍を助ける。そしてあわよくば、城門を内側から開放する――
少人数の彼らの作戦は、実にシンプルなものであった。
「うん?」
彼らがトゥーラ城の西門を左に認めたところで、正面左右から長槍を持った数人の兵士が現れた。
ザッと一列に並んで行く手を阻もうと、長槍を中段に構えている。
「突っ込むぞ!」
元より覚悟の上だ。
一段と加速して勢いを付けると、ブランヒルは長槍の間合いを計った上で、高く上へと跳ね上がった。
向かってくる相手の動きを追いかけて、居並ぶ兵士の目線が思わず上がる。
「うわっ!」
隙を作ったブランヒルは、着地の体勢は低くして、勢いを殺さずに前へと跳ねると、長槍の穂先の下に身体を潜り込ませ、短く持った槍で敵の腹部を打突した。
「おらぁ!」
隊長に続けと、怯んだ長槍をカプスが渾身の力で薙ぎ払うと、開いた活路に後続の兵士が雪崩れ込む。
「わあああ」
「くそっ。怯むな! 止めろ!」
幾ら抵抗の声を発しようと、間合いを詰められてしまっては、槍兵に抗う術はない。
結果、侵攻を止めるべく居並んだ真ん中を、綺麗に割られてしまった。
「な……うわっ!」
「うおっ!」
次に響いた驚嘆は、ブランヒルとカプスのものだった。
敵の間を割った先、目の前の十字路に、木製の柵が並んで置かれてれているのが目に入ったのだ。
加えて左右の路地からも、ガゴンと音を立てて同じような柵が二つずつ転がってきた。
思わぬ形で足を取られた両名の身体は、柵に突っ込むようにして乾いた地面へと叩きつけられた――
「今だっ! 仕留めろ!」
三方から取り囲んだトゥーラの槍兵が、一斉に襲い掛かる。
「させるか!」
隊長の窮地に、ここまで共に従ってきた部下達が、獲物を捕らえんとする槍の穂先たちを懸命に払い除けた。
「くそっ! 次から次へと……からくり城かよ……」
小さな恨み言を吐いたブランヒルが身体を起こすと、一隊はお互いが背中を預け、上から見ると円を描いたような、方円の陣形に構えた。
「観念して下さい……」
その時だ。ブランヒルの両耳に、聞き覚えのある落ち着いた若い男の声が届いた。
「ち……」
奥歯を噛んで、顔を向く。
彼の視界に入ったのは、息を整えつつ、ゆったりとした足取りで近付いてくる、槍を手にした若き美将軍の姿であった――
「やっと、追いつきましたよ……」
市中の外周を先回りしたライエルは、息を整えながら槍を構えると、侵略者を囲う兵の輪の中に、スッとその身を加えた。
「……」
南の城門までは100メートル。
東西と南の路地を塞がれて、退路は引き返すことになる北側のみ。
一丸となって突撃したならば、あわよくば辿り着けるかもしれない……
「なっ!?」
窮地に立たされて、甘い見通しが迫る状況下。ブランヒルの目が大きく見開いた。
都市城壁。向こう側に向かって、子供が毬を放るように、黒い塊がぽーんぽーんと飛んでいくのが目に入ったのだ。
「私達も、勝たねばなりません……」
それが何であるのか、この場で知るのは美将軍だけだった。
やがて城門の向こうから、濛々とした黒煙が、これから始まる惨劇を伝えるかのように、不気味な意志となって昇り始めた――
「わあああああ!」
「火だ!」
「逃げろ!」
黒煙の向こうから、喚き声と共に状況を知らせる悲痛な叫びが沸き上がる。
小型の投石器からは絶え間なく油の入った壺が飛んで行き、続いて火種となる、紅蓮の炎を纏った矢羽たちが、追い掛けるように城壁の向こう側に消えて行った――
「ああ……」
立ち昇る黒煙が、空の青を奪っていく。
スモレンスクの一人の兵士が、意気消沈するような声を思わず漏らした。
「……」
だが、一番の衝撃を受けたのは、他でもない隊長だった。
バイリー隊の状況が、彼にだけは明確に想像できたのだ――
「や……」
およそ10年前が蘇る。手首を拘束し、麻紐で連なった捕虜に油を撒いて、焼き払った罪悪感。
どうなるかを描いても、直視は畏れた。背中を向けたまま、火の付いた松明を後ろに放った――
その後に響いた断末魔。初めて嗅いだ、耐え難い臭いたち……
「やめろおぉぉ!」
「隊長!?」
「ブランヒルさん!?」
無駄肉の無い引き締まった顔には脂汗。ガタガタと震え出したブランヒルが、錯乱したように飛び出した。急なる動きに立ち遅れ、背中に向かってカプスと兵士の声が飛んでいく。
「ふん!」
闇雲に放たれた片鎌の槍の穂先を、ライエルは難なく受け止めた。
「勝負ありです」
そして一歩を踏み出すと、交差する互いの柄を間に挟み、諭すように、静かに結論を口にした――
「勝負……あった?」
ブランヒルが支える槍の穂先から、殺気が抜けてゆく。
抵抗を止めるため。これ以上の損害を出さないようにと非情を貫いたあの時と、同じだと言うのか……
「ばかな……」
状況が違う。
あれは劣勢が明らかになった敵に撤退を促すためにやったもの。言うなれば、慈悲である――
「馬鹿を言うなっ!」
正気に戻ったブランヒルが、ライエルの言葉をハッキリと否定した。
槍を構える剛腕に、力強さが戻ってゆく。
「私達も、ここまではしたく無いのです」
怒りを受け止めて、今度はライエルが呟いた。
吐き出した言の葉は、小さな国の偽りない、紛うことなき意志である。
昨晩届いた甘っちょろい文言も、偽りなき願いだったのだ――
「だがな、一線超えたら、退けねえんだよ!」
望みの放棄はありえない。
言い聞かせるように口を開くと、ブランヒルは都市城壁を確認すべく、もう一度南に目を向けた。
「……」
濛々と、黒煙の勢いは増していた。
加えて当初ほどでは無かったが、引き続き投石器からの砲弾が、高い弧を描き、黒煙の向こう側へと消えていた――
都市城壁の手前では、トゥーラの弓兵が隊列を組んで城壁の上に狙いを定め、姿を現した敵を射殺そうと、構えを取っていた。
「く……」
視界に映る敵の弓兵は、動かない……
即ち、仲間の動きは止まっている――
それでも諦め切れないブランヒルは、首を左右に振って、縋るように戦況の確認をしてみせた。
「……」
しかしながら、どちらも膠着状態を抜け出す状況には無かった。
無理もない。東西を指揮する隊長は、今、自らの背後に居るのだ――
「このままでは、あなたの後ろにいる方々も、助からない。良いのですか?」
「……」
少年のような面影の残る敵将が、落ち着いた言葉で諭してくる。
感情に任せて反論したいところだが、状況は明らかに劣勢で、有利な条件は見当たらない。
「くそっ! 下がるぞっ!」
弱気が顔を出した。今なら間に合う。この機を逃せば、退路が消える。
進むより、退く判断の方が難しい――
10年も前、非情な手段を使って相手に退く判断を促した。
皮肉なもので、場所は違えど同じ手段で、退却の判断を口にする――
「退くのですか?」
「ああ……」
背後の丸い童顔が驚くと、ブランヒルは交わしていた槍の柄を引き解き、身体は前に向けたままで、仲間の輪の中へと足を戻した。
「俺達だけでは厳しい。一旦退くぞ」
「くそっ」
無念な思いは、皆同じ。受け入れ難い現実を受け止めて、カプスはぎゅっと奥歯を嚙み締めた。
「ブランヒルさん! 囲まれます!」
「ちっ」
後方を守るベインズが、唯一の退路である北からの人影を察した。
「ロイズ様! あそこです!」
「……様?」
続いて後方から聞こえた敬称に、ブランヒルの瞳が光った。
振り向くと、5名ほどの重装備の槍兵が、一人の男を囲いつつ、駆けてくる。
「ロイズ様! 逃げて!」
戦場に、若き美将軍の悲痛なる叫び声――
「行くぞ!」
その声が早いか、ブランヒルは踵を返して北へ、すなわちトゥーラの国王へ、獲物を捉えた肉食獣の如く駆け出した――
お読みいただきありがとうございました。
感想等、ぜひお寄せください(o*。_。)o




