【47.城壁を越えて】
王妃が危惧した北側の城壁に、スモレンスクの長梯子がついに掛かった。
肩に弓を引っ掛けたブランヒルが、愛用の槍と木製の盾を背負って真っ先に登っていった。
途中で東を見やると、同じ作戦を授けた幾つもの隊列が、梯子を手にして草原の上を駆けている――
(いけるな……)
レンガ造りの壁の向こう。声量に変化は無い。
ブランヒルは都市城壁の一番上部に取り付くと、自身の左右3メートルに掛けられた長梯子を登ってくる味方を視界に入れて、作戦の成功を予感した。
長梯子は計5本。姿を見せれば的になる。
時間は惜しいが、ブランヒルは敢えて仲間を待ってから号令を発する事にした。
「いくぞ! 3……2……1……」
「おりゃ!」
左右に三本指の合図を送ると、5人が一斉に城壁に手を掛けた。
想定外の状況に、トゥーラの弓兵は狙いが定まらない。
逃すことなくブランヒルは足場に立ってすかさず弓を構えると、窓の払われた3階の射撃塔で、慌てて弓を構えた一人の弓兵を一矢で以て仕留めた。
「降りれるか?」
腰を屈めて的を小さくし、投石と矢羽を盾で防ぎつつ、ブランヒルが仲間を確かめる。
「厳しいですね……次を待ちましょう」
「そうだな……」
盾の隙間から眼下を見やり、狙い通り敵の援護が遅れているのを確認すると、ブランヒルは後続を待つ事にした。
「お待たせしました!」
「よし、降りるぞ。続け!」
「はい!」
2分と待たずに、後続の兵が城壁を越えてきた。数分後には15名となるだろう。こうなれば、敵の狙いは分散をする。
ブランヒルは矢羽や投石を弾く愛用の盾を左腕で支えつつ、真っ先に急角度の石積みの壁面を、右手に槍を持ち、滑るように降りていった――
「ルーベンさん! 北!」
屋上から駆け付けたラッセルの叫び声。
北側の指揮を任されていたルーベンが、ハッとして北を見る。
既に敵の先鋒は、都市城壁を越えて足場にその身を置いていた。
「くそっ!」
油断した。西側の援護に没するあまり、旗の確認を怠った。
ルーベンが、慌てて北へと翻す。
(ラッセルさんが来た……どれだけのロスをした?)
具体的な秒数が頭を過ぎる。
過ぎた事だと分かっていながらも、胸の奥から何回だって後悔が湧き上がる。
一方ラッセルは、北に向かったルーベンの背中を見届けると、今度は南に向かって走った――
「左右に散れ!」
副将を含む5名の侵略者がついにトゥーラの城内に降り立った。
止まっていては的になる。後続の為にも、活路を開くのが最優先。
盾を翳して腰を落とすと、右手で槍を掴んだブランヒルが鼓舞をする。
「薄いな……」
鍛え上げた身体に相応しい、たるみの無い頬に笑みを浮かべると、ブランヒルは左に動いた。
「ぐあっ!」
西側へと援護に回った北側の防衛は、当然薄い。
副将の重い槍の一突きが、対峙した近衛兵を貫いた。
殺気を孕んだ威圧感。立ち向かうべき鎧姿の足先が、思わず躊躇った。
「うわっ!」
「おい! 抜かれるな!」
「くそっ!」
スモレンスクの特攻隊長は止まらない。
足の動きを止めたなら、恰好の的になる。活路は、敵中にこそあるのだ――
混戦状態を生み出せば、味方を誤射する可能性が高まって、敵の弓兵は無力となる。
「砲弾、来ます!」
ブランヒルの背後から、警戒の声。西の空を見上げると、薄い綿雲が浮かぶ青空を背景に、黒い塊が一つだけ、異質となって浮かんでいた――
「無茶しやがるな……」
投石器の砲弾は、主に直径20センチから30センチくらいの大きさで、重さ5キロから10キロ程度の石である。
「さて、どっちに味方するかな?」
そんなものが味方に当たる可能性があるにも拘らず、空から降って来る。乱雑な状況すら愉しむように口角を上げると、ブランヒルは未来に対して呟いた。
(先ずは、ここを抜かないとな……)
最終目的は、南のトゥーラの都市城門。
ブランヒルの頭には、二つの案が浮かんでいた。
一つは隊を率いて、トゥーラの中央から最短ルートで南の城門を目指すもの。
もう一つは西側の攻防に参加して、味方を助け、一団となって南へ向かうもの。
背後を確かめると、7名ほどがトゥーラの城内に降り立っていた。
そのまま目線を上げると、後続の3列目の兵士が足場から下を窺って、4列目の兵士が城壁の上に身を乗り出して、援護の矢羽を放っていた。
「3列目が降りたら、西へ向かうぞ!」
トゥーラの中央。市中に踏み込んだところで、人数も少ない上に、土地勘も無い。
西側から向かってくる一団を視界に入れると、副将は一先ずそれらを蹴散らすことにした――
10数名の兵士を引き連れて援護に回っていたルーベンが、槍を手にして本来の持ち場である北へと向かう。
改めて前を見やると、見慣れた風景に、異国の者が降り立っていた。
更には都市城壁に設けた足場を橋頭堡に、侵略者は更なる増強を図ろうとしていた。
(同数か……)
正面の敵は固まらず、分散している。
ざっと見えるその数は、引き連れている味方と変わらない。
……やるしかない。
四方の戦況は、互いが補ってこそ保たれる。
綻びとなった一辺は、全体の崩壊を招くのだ――
回り込むか、正面突破か……
咄嗟の判断で、ルーベンは正面から敵を叩くことにした。
市中に足を置いて侵入ルートを塞ぐより、西側の背後を衝かれる事を恐れた。
「絶対に通ふな!」
城壁から10メートル。居住区手前に敷いた守備線は、槍兵となった民兵が対応中。
滑舌の悪いルーベンが、走りながら居並ぶ味方を鼓吹した。
「隊長!」
「す、スまん。遅れた」
引き連れてきた兵士を西側に残すと、ルーベンは居住区を守る兵列に加わった。
「……」
視線を上にする。短い愛用の槍を構えると、彼は侵略軍の副将と対峙した――
「水袋……お持ちしました……」
二人が対峙する守備線から一筋入った住居裏。
北西の救護所に達した女中は、肩で息をしながら両膝に両手を当てがった。
「あ、ありがとう……」
「え……」
返ってきた力のない声に顔を上げると、ライラは言葉を失った。
城内に居ては分からない、最前線の現実――
腕や腰。矢羽根が刺さったまま動けなくなった負傷兵が、住居の壁に背中を並べて、大きく肩で息をしている。
その向こうから、簡素な兵装の男がふらふらと近付くと、右手を差し出すようにして崩れ落ちた――
「しっかりして!」
すかさず女性が駆け寄って、腕を貸す。
額から流れる赤い血が、女性の血塗られた衣服に、その跡を重ねた――
「何してるの! 水を汲んできてっ!」
「は、はいっ」
見開いた瞳を細かく震わせて、動けなくなったライラが、叱咤によって気を戻す。
視線の向こう。
大きな水瓶は報告通りに割れていて、破片が周囲に散らばっている。
溢れて染みたであろう土の表面は、降り注ぐ夏の太陽と乾いた空気によって、すっかりとその跡を無くそうとしていた――
「あ、水……」
しばらく空虚と戦うも、アンジェの指令を思い起こしたライラは、自らが荷車に積んだ水袋を幾つか掴むと、一本奥の筋、小さな民家に飛び込んだ。
「すみません! 水を下さい!」
大声を発したが、返事は無い。
藁や布。医療器具。水に食料。
使えるものは何だって自由に持ち出せるようにと、総ての家屋は開放中。
ライラは台所を探して水瓶を見つけると、ガタガタと震える両手を使って、持ってきた水袋をちゃぷんと水の中へと沈めた。
「お姉ちゃん」
ふいに、背後から声がした。それと分かる、女の子の声。
ライラが振り向くと、5歳くらいだろうか、戸口の向こうで、あどけない表情を浮かべた少女が明るい光の中で佇んでいた――
差し出された小さな両手には、水袋が一つだけ、たらんと乗っている――
「落としたよ?」
「……」
無邪気な高い声色が、空気を震わせる。
これが日常であったなら、微笑ましい光景で、目尻も下がったに違いない――
(……なんで? こんなところに?)
瞳が見開いて、新米女中は体中の産毛が逆立つのを感じた――
頼る人は、誰も居ない。どうすれば良いのか、答えは出ない。
砲弾が飛んでくる最前線。あの惨状だけは、絶対に見せてはいけない。
ライラは少女へ駆け寄ると、両腕を伸ばして小さな身体を引き寄せて、ひしと強く抱きしめた――
「くっ」
北西の攻防戦。居住区との境では、等間隔で西側の空から飛んでくる砲弾に気を遣いながら、ブランヒルとルーベンが槍の穂先を鳴らしていた。
狙撃されまいと、ブランヒルが華麗なステップを刻んで動き回るなか、振り回されるようにして、ルーベンが対処をしている。
弓兵の援護が無かったら、易々とこの場を突破されていただろう。
そう思わせるほどに、鎧を纏っても細身のルーベンと、がっしりとした体格の副将とでは、力量に大きな差があった。
(ここで時間を稼いで、後続を待つか?)
二人の周りでも、槍や矛を持っての乱戦模様が展開されていた。
スモレンスクの軍勢が踏み込んで、トゥーラの槍兵がそれらを躱す。両者が開いた瞬間に、射撃塔の弓兵が上から狙撃する。
矢羽に怯んだところを、鍛えた槍の穂先が命を狙う――
「ルーベンさん!」
混戦の外側から、ラッセルの声が響いた。
「北を、見てって!」
「は、はい!」
隙は見せられない――
目の前で対峙する男から視線を外すことなくルーベンが叫ぶと、南から走ってきた鎧姿のラッセルは、市中の方へと足を向けた。
(む?)
その刹那。
侵略軍の特攻隊長が、ラッセルが巻いている右腕の腕章に気が付いた。
「そっちが上か……」
階級の上位を殺ったなら、指揮系統を遮断する。
咄嗟の判断で、ブランヒルがラッセルの背中を追いかけた。
「あっ」
「おっと、行かせんぜ!」
素早い切替し。ルーベンが身体を向けるも、行く手に槍が伸びてきた。
「ら……らっエるさん!」
遠ざかる背中の向こう側。全身を甲冑で覆ったラッセルに向かって、ルーベンの悲痛なる声が放たれた――
「え!?」
小さな女の子を両腕に抱えていたライラの双眸が、届いた声に思わず上がった。
「ライエル……様?」
それは、春が訪れた都市城壁の外側で、本人を前に口にした、想い慕う相手の名前であった――
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