【43.投石器】
開戦、二日目。
生涯最後となりうる夜明けを前にして、トゥーラの国王は初日の戦いで熱中症と脱水症状に罹った王妃の元へと足を運んだ。
ランプを手にしてそっと寝室へと足を踏み入れる。小さな身体は赤みの入った髪をベッドに広げ、シーツを被り、まっすぐに上を向いて眠っていた――
「……」
お世辞にも、寝相が良いとは言えない伴侶の穏やかな姿に、ロイズの胸が痛んだ。
夜中に意識を戻し、軽い食事は済ませたとの報告を、女中のマルマからは受け取っている。
本来ならば、今後の指示を仰ぐ場面であるが、さすがに眠りから覚ます訳にはいかなかった。
「リア……」
ランプの明かりに浮かぶ中。微かな寝息を立てている。
膝を屈したロイズが右手を狭い額に伸ばすと、いくぶん日に焼けた、しっとりとした肌触り。愛おしい想いが湧いてくる――
「行ってくるよ……」
それでも、行かなければならない。
小さな皺だらけの紙片と白い麦わら帽子を枕元に添えると、ロイズは寝室を後にした。
「おはようございます」
「ロイズ様、おはようございます」
住民の朝も、当然早い。
松明に照らされた、都市城門までの一本道。馬上のロイズを見掛けると、方々から朝の挨拶が飛び交った。
「おはようございます」
「おはよう。配置は大丈夫か?」
城門付近に設けた休憩所の手前で下馬をして、ロイズは細身の尚書に確認の声を渡した。
「はい。3方向の各将。配置に就いております」
「ん」
尚書からの報告に頷くと、ロイズは周囲を見回した。
住民の表情に、臆するところは見られない。
緊張よりも、決戦前の覚悟が上回っている――
「少し、風が出てきたな……」
梯子を上って南東の見張り台に足を置いたところで、南西からの風を感じた。
前日に空を覆っていた雲は随分と薄くなっていて、ところどころから、残り数刻となった輝きが、夜の終幕を惜しむように地表を覗いていた。
「かあさん……」
「うう……」
真っ暗闇の中。下方から放たれた幾つかの声を鼓膜が捉えた。
昨晩から比べると、発する人数も声量も、随分と減っていた。
声の無い者は眠っているだけなのかもしれないが、それでも、同情の心はやってくる。
「すまんな……」
灯る感情は、生命を賭した相手に対する敬意だろうか。
抗えない力によって、この地にやってきた者も居るに違いない。
安寧を望む国王は、静かに瞼を閉じることしかできない。
それでも数時間後には、現在の心境など一切忘れて、眼下で斃れる者を増やす為に、非情なる指揮を執るのである—―
「来たぞ!」
決戦の日。
日の出と共に、三方から土煙が上がった。
前日の攻勢に、侵略者の士気は高い。
「負けたら、全員死ぬと思え! お前らの家族! 子供! 全員だ!」
グレンの声が都市城壁に伝播した。
足場によって多くの弓兵が配置され、鍛錬により命中率は高まった。
敵は多くとも、戦果を上げている。防衛する側も、自信に満ちていた。
「はじまったわね……」
「はい……」
居住区の寝室で、屋外から飛んでくる喧噪の群れに目を覚ました王妃は、徐に上半身だけを起こした。
ベッドの脇には、お付きのマルマが丸椅子に座っている。
夜中に一度目を覚ました王妃が軽い食事を摂って再び眠りに就いたあと、階下の食堂で眠っていたが、ロイズに申し訳なさそうに起こされて、後を託されたのだ。
「具合は、いかがですか?」
まるっこい顔が心配そうに尋ねた。
伴侶が枕元に置いた白い麦わら帽子は、膝の上に載っている。
リア様は、寝起きと共に屋上に向かうに違いない。
無茶な王妃の行動を浮かべると、マルマは監視に就く事にした。
恐らくはロイズもそれを見越したうえで、近くに帽子を置いたのだ――
「少し、身体が重いかな……」
「そうですか……」
王妃は華奢な両肩を落とすと、自身の変調を口にした。
前日の失態を反省しているからこそ出てくる発言に、伏し目となったマルマは安堵した。
「まだ、始まったばかりです。何かあったら駆け付けますので、先ずは、お休み下さい」
「そうね……」
「飲み物、お持ちしますね」
立ち上がったマルマは白い麦わら帽子と小さな紙片を、自身が座っていた丸椅子の上に預けた。
「それは?」
「あ、これは……帽子と一緒に置いてありました。どうぞ。中身は見ておりません」
マルマは半分に折られた皺だらけの紙片を手に取ると、手渡してから寝室を後にした。
「……」
それは、夜中に放った矢文に対する、侵略者からの返答だった。
荒々しい、それでも丁寧に書かれた字体。皺だらけになった紙片。それらから、事の成り行きが見て取れる。
視線を落としたままで、小さな王妃は肩を落とした。
同時に、無茶な願いを成そうとした皆の行動に、心苦しさと、感謝を灯した――
「……」
白い丸椀に紅茶を注ぎ、トレーにのせて寝室へ戻ったマルマは、傷心している彼女の後ろ姿に気が付くと、足の運びを停止した。
(そう言えば……なんで屋上に居たんだろう……)
マルマに一つの疑念が浮かんだ。
皆がパン作りに勤しむ中で、王妃様は何故か屋上に居た――
(やっぱりこの方は、普通じゃないな……)
何かしらの役目があったのだ。
改めて小さな身体を見つめると、マルマは感嘆を含んだ溜息を短く吐いてから、尊敬する王妃の元へと戻った。
北側以外の3方向で戦いが始まって3時間。中でも西側の戦いは、苛烈さを増していた。
押し寄せる侵略軍。都市城壁と見張り台の上からトゥーラの弓兵が対処する。
前日と同じ構図だが、壕と柵が破られて、侵略軍の寄せが速いのだ。
「ぐあっ!」
「腕を、やられた……」
城壁を越える矢羽も増えてきた。
開戦当初は敢えて軽装だった者でさえ、今では鎧を全身に着けている。
ドサッ
矢羽が右腕に刺さったままの兵士が、高さ10メートルの城壁の傾斜を滑り落ちてきた。
「誰かっ! 手当てを!」
「立てますか!?」
健闘を終えた若者に、一人の兵士と看護を担う女性が駆け寄った。
情勢は明らかに、数に勝る侵略軍に傾きつつあった――
「ギュース殿、お待たせしました」
「おう、ヤット。着いたか」
南側。背後から声を掛けられて、ぼわっとした赤髪を肩まで伸ばしたスモレンスクの総大将が振り向いた。
深夜にトゥーラの遊撃隊。メルクが起こした不審火こそあったが、ヤットは文官であるにも関わらず、2つの河川を越えて、概ね順調な行程で輜重隊を率いてきたのだ。
「用意、できるか?」
「順に、送り込めます」
「ありがたい……ところでそれ、動き辛くないか?」
文官が、突撃するような事はない。
始めて見る重厚な鎧姿が現れて、総大将は呆れ顔をつくった。
「用心ですよ」
「……」
程がある。そんな言葉が脳裏に浮かんだが、ギュースは発することなく飲み込んだ。
「ヤット様。一台目がやっとできました!」
「よし。壕の手前に配置だ!」
穏やかな顔つきの文官は、軽装の配下の声に振り返ると、明るい声で指示を送った。
彼らが組み上げたのは、投石器。
大きなものは断念したが、小型のものを解体し、運んできたのだ。
直径1メートルにも満たない車輪が4つ。そんな小型の投石器の射程距離は300メートルで、城壁を簡単に超えていく。
狙いは二の次だ。とにかく遠くに飛ばして、城内に混乱を生むことが目的なのだ。
「運べ、運べ!」
輜重隊の面々が、続々と荷車を前線へと運んでいく。
道中で、砲弾となりえる石を積み、加工をし、運んできた。
それ故に、輜重隊に1000人もの人員を割いたのだ。
「お、おい……」
「なんだ?」
トゥーラの西側の都市城壁。
眼下に迫る敵を狙っていた弓兵が、遠くの不穏な動きに気が付いた。
「投石器だ!」
色濃い緑から、組み立てられた木製の機械を数人がかりで運ぶ出す姿が視界に入った。
「……」
南西の見張り台。
弦を引き絞っていた若き美将軍は、整った顔立ちに険しい表情を浮かべた――
「グレン様、投石器です!」
「なに!?」
南東の見張り台。総大将の元にも喫緊の報せが届いた。
「こっちも応戦だ! 投石の準備を! 準備が出来次第、弓兵は下がるぞ!」
「ハイ!」
見たところ、大型のものではない。
(元に、戻るだけだ……)
これまでの奮闘を振り返りながら、グレンは胸中で呟いた――
(ここからが、本番だな……)
投石器の情報は、やがて馬を駆って城内を巡回していたロイズの耳にも届いた。
喧騒を生む西の空を見上げた彼もまた、将軍と同じ覚悟を宿した――
トゥーラの人口は、凡そ1500人。
ルーシの東端に位置するリャザン公国の前線基地として設けられ、度重なるスモレンスクの侵攻に対しても崩れなかった要因は、防衛力の高さにあった。
10メートルの都市城壁と、城門は南に一つだけ。
単純な造りは士気の高揚に繋がった。
加えて敵を阻むだけだった城壁は、リアの発案によって足場が造られた。
足場に立って内側を望むと、薄い城壁を補う急角度の石積みが足を竦ませて、石積みの境から居住区までの10メートルは平坦な更地となっている。
住居は二軒が並んで、その間に中型の投石器が設置されている。
家の裏側には砲弾となる岩石が平積みとなっていて、投石器を使う際には、上から順に使っていく。
住居の傍らには小型の投石器も備えられ、応戦する際には更地に移動させるのだ。
砲弾は、城壁を補う為に積み上げられた、石積みを崩して使う事になっていた――
「弓兵?」
「そうよ。投石器だけじゃ、いくらなんでも頼りない」
トゥーラに赴任した冬のこと。
連日の寒威の中を歩き回った末に、リアが導き出した結論だった。
「壕を掘って、防御柵を置きたいの。あんなでっかい投石器を使ったら、壊す可能性がある。あと、闇雲に撃ってるのは効率が悪いし、これまで以上の敵の数には、対処ができない」
「相手が近づく前に、叩こうってことだね」
「そういうこと」
過去の戦いの資料を預かると、王妃はその度に生じる死傷者の数を考えた。
それに関しては、将軍グレンの妻、アンジェも心を痛めていたところだと、会食の席で知ったのだ。
「弓なら、個人で応戦できるからね!」
暖炉の前。全身を覆った厚手の毛布から大きな瞳を覗かせて、リアは自信を持って言い切った。
そして翌日から、大々的な弓矢の作製が始まったのだ――
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